炎の矢
「炎の矢」
魔法というのは、魔力を使い行う現実の改変のことである。
何もないところに火を興し、干ばつ地帯に雨を降らせる奇跡を、人々は総称して魔法と呼ぶ。
魔法には上級・中級・下級という種別があり、級が上がっていくほどに習得難度や発動までの時間が長くなっていく傾向がある。
このサガンの迷宮に来てから、ディルにとって魔法というのはシアが使う優秀な飛び道具でしかなかった。
彼女が使うのは、相手を牽制したり手傷を負わせたりする下級がほとんどである。
中級以上の魔法を使うことはほとんどなく、彼女は自分のすることがトドメを指すことではなく魔物の注意を引くことであることをよく理解していたからだ。
だがディルは、今までの魔法というものの認識を改めることになる。
魔法という奇跡が、扱う者によってどれだけの威力を持つものとなるのか。
ウェンディが魔法名を呟き、その手に持つ杖をオーガ達へと向ける。
すると杖が輝きだし、目を開けていられないほどの眩い光が突如として現れた。
その光源は、杖の上部に嵌め込まれた琥珀のような宝石だった。
ウェンディの顔が、手に握っている杖の光を反射して白く照らされる。
魔力が練られ、魔法が発動し、彼女の手元に三本の火の矢が現れる。
炎の矢とは魔法の中では最も扱いやすい初級魔法、魔法の矢系に属している火魔法である。
シアも以前使っていたため、その魔法がどういったものなのかをディルは理解している。
燃えるような矢の形状の炎を、相手へと放つ魔法だ。
その火は相手を焼き、火傷を負わせ、動きを鈍らせる。
喉を焼かれれば呼吸することも難しくなり、臓器を直接傷つけることさえできれば致命傷を与えることもできる。
正直なところ、ディルからすればオーガに使う魔法として適しているとは思えなかった。
強靱な肉体を持ち、多少火傷をした程度で動きを鈍らせることのないオーガを相手にするのなら、もっと攻撃力のある魔法を放った方がいいように思えたからだ。
炎の矢が形成され、ウェンディの目の前に並んでいく。
その形はディルが今まで何度か見たことのある魔法の矢そのものだったが、少しだけ違っている点があった。
それは色だ。
シアが使っていた炎の矢は、夕焼けのようなオレンジ色をしていた。
対し今ウェンディが使おうとしている炎の矢の色は、ほんのりと赤みの差した白であった。
「あれは……」
「色が違うけど……あれ、おんなじ魔法じゃよね?」
「炎の矢、というか火魔法は習熟度によって火力が大きく変わる。恐らくあの女がそれだけ練度の高い魔法が使えるということなのだとは思うが……」
離れているはずのディル達の顔すら照らし始めた炎の矢。
それを観察していたイナリの顔に、動揺が走る。
「遠くに離れるぞ、このままだとマズい!」
「え、結構離れとる気がするけど……」
「――――っ!? 使え!!」
ウェンディとディル達の間には、十数歩程度の距離があった。
ここなら魔法の余波を食らうこともないじゃろう。
そんな風に楽観的にウェンディの背を見つめていたディルは、イナリの言葉を聞くと同時に見切りを発動させる。
あらゆるものを見切り、最適化させる彼のスキルが選択した動作は、その場に倒れ込むことだった。
まさか、本当に?
ディルはそう口に出す間もなく、勢いよく地面に転がった。
少し遅れてイナリがぺたんと耳を伏せ、地面に倒れ込む。
ドゴオオオオオン!!
第五階層に爆音が轟いたのは、二人がしっかりと地面に体を付けてすぐのことだった。
轟音に、次いで衝撃が彼らのに襲いかかり、体を固定していなかったディル達はゴロゴロと後ろへ転がっていく。
衝撃の次にやってきたのは、熱だった。
ジリジリと、夏場の太陽光を直に浴びている時のように肌をチクリとさせる熱さが、ディル達を襲ったのだ。
衝撃が収まり、肌にやってくる熱が平常と変わらぬものへ戻り、音がしなくなってからしばらく経ったところで、ディル達は顔を上げた。
「な、なんじゃああれは……」
「あれが……炎の矢? とんでもないな、あれは逸材だぞ」
立ち上がったディル達の視界に映ったのは、武器を持ちしっかりと地に足をつけて立っているオーガ達の、どっしりとした下半身だけであった。
その上、本来なら割れた腹筋とはちきれんばかりの上腕筋、そして牙の出た醜悪な顔があったはずの場所には、何もない。
その向こう、恐らく炎の矢が飛んでいった方向にそれらしき黒焦げの物体があるだけだった。
ウェンディが魔法を放った軌道の下にあった地面はめくれ上がっており、その威力を示すかのように直線的な跡が残っている。
「これだけ離れて余波を食らう……なるほど、たしかにどれだけ威力があろうともあれではまともにパーティーを組むことなど不可能だっただろう。あの衝撃の中で、前衛がまともに戦えるとは思えん」
イナリがペロリと、自分の唇を舐める。
だがすぐに気難しそうな顔をして、口中の唾を地面へと吐き出す。
どうやらついていた砂まで、舐め取ってしまったようだった。
「私たちでも最初は持て余すだろうが……あれを放したりはするなよ、しっかりとつなぎ止めておけ」
ウェンディはオーガ達の息の根が止まっていることを確認してから、テクテクと覇気のない足取りでディル達の方へと歩いてくる。
その様子は魔法を放つ前と全く変わらない。
どうやら今の一撃は彼女にとって、そう瞠目するようなものでもないようだった。
ウェンディの魔法の威力は、文字通り桁が違った。
だがこれだけ離れていてもダメージを受けるような魔法を使う彼女と、そもそもパーティーとしてやっていくことができるのか。
疑問を覚えずにはいられないディルを見て、イナリはハッと小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
どうやら彼女には、既になんとかするための心算があるようだった。
「たしかに仲間としては心強いじゃろうけど……どうにかなるのかの?」
「ああ、時間が経てば私たちの強力無比な味方になる。何事も使い方とやりようだ、本当に無用なものなど、この世界にはないからな」
イナリは自分という人間に誇りを持っている。
そんな彼女が自信を持っているのなら、今まで同様そう気構える必要もないだろう。
恐らくはイナリに任せていけば、上手くいくに違いない。
そんな主従や仲間意識ともまた違った信頼の下、ディルはウェンディへ労いの言葉をかけた―――。
次回更新は元旦です
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