無
『無』というものは存在していないが確かにそこに『無』は存在する。 『無』は何者にも触れることは出来ず、何者にも意識しない限り感知することは出来ない。 例えば先ほどの間、そこには作者の気持ちも文字も何もないが確かにそこには『無』が存在しているし作者自身も意識して『無』を作り出した。 読者にも考えてもらいたい、つまらない、作者が自分の世界観に酔いしれている、最強エリート主人公の美少女ハーレム(これは人による)などなどを見ている時最後にはつまらなかった、ではなく『無』つまり何 も無かったかのように別の小説を読み始めるだろう。 最期に、この小説の様な作者の自己満足の塊の様な小説で本を出して儲けようなどと考える輩は余程文才があるのか、人生を捨てているに過ぎないのでやめておいた方が賢明だろう。 何故なら小説が失敗した場合そこには『無』いや、失敗したという後悔と、誰にも読まれない本だけが残るのだから。後悔が人を育てるなどと聞いたことがあるがそんなもの戯言である。 後悔で命を絶っては『無』しか残らないのだから。