十八夜*ケジメ*
ここは、人間で言うならば異世界。
人工物など皆目見当たらない、緑生い茂る自然豊かな、別次元の空の下。春夏秋のほぼ一年間は生き物すら発見されない、摩訶不思議な静寂でもあるが、唯一冬を迎える季節に、彼らは地下より姿を現す。
――「ヨッシャー!! みんな! 今シーズンも、張り切っていくよ~!!」
そこには、赤い鼻が印象的な茶色いトナカイを先頭に、全部で九頭の異なる毛並みが草原を歩んでいた。先陣を切った彼につられて笑う者もいれば、どこか気怠そうに俯く者と、九頭それぞれ様々な自己を抱いているのがわかる。
彼と同じく茶色で、強靭な胴体を誇る荒々しいブリッツェン。
焦げ茶で人見知りが甚だしく、普段から無口なドンダー。
白毛を纏う、恋愛好きで笑顔がこよなく似合うキューピット。
青き彗星の如く、すぐにどこかへ飛びだってしまうコメット。
毛並みは互い緑で、ぴったりな意気投合を見せる、双子姉妹のダンサーとプランサー。
紫色の妖艶よりも、底知れぬ口喧しさが目立つヴィクセン。
そんな彼女を崇拝レベルで慕う、黒毛のダッシャー。
みんな違って、みんなおもしろい、カラフルなクリスマストナカイたち。そんな八頭をまとめているのが、先頭の赤鼻のトナカイである彼だ。
『――ボクの名前は、ルドルフ。リーダーやってるけど、いつもみんなの笑い者さ!! へへっ!』
――シャリン……。
リーダーのルドルフを始め、彼らの首もとには不思議な金の鈴が掛け備わっている。それは九頭がボスと称するサンタクロース直々から渡ったガラス性の贈り物で、時と場合によってスーツ姿の人間体に変化できる貴重品だ。
「……あっ! いたいた! ボス~!! みんなのこと、連れてきたよ~!!」
「おぉ、ルドルフ。御苦労じゃったのぉ。皆の者、今年もよろしく頼もぉ」
そんなサンタクロースの前に、カラフルなトナカイたちが出揃った。快晴の空が拡がった本日は十二月一日で、人間界ではすでにクリスマス気分に浸る時期だ。どうやら今年も、日本の子どもたちのためのクリスマス活動が開始されるようだ。特にルドルフに関してはいつも前向きで、今か今かと誰よりも足元をばたつかせていた。
『だって、子どもたちの笑顔がまた見れるんだから! クリスマスプレゼントを受け取ったときの、ピッカピカのスマイルをさ!!』
ルドルフにとっての生き甲斐は、人間の子どもたちから放たれる笑顔を眺めることだったのだ。人の世ではロリータコンプレックスと宣告されるそうだが、至って健全な一頭である。虚勢された雄には恋心はなく、愛心のみが宿されているようだ。
「ヨッシャー!! 世界一ハッピーなクリスマスにするぞ~! けって~い!!」
早速当日に向けて活動を始めた、ルドルフ筆頭のクリスマストナカイたち。日本のサンタクロース独特のやり方で、まずはプレゼント配りを行ってもらう人間集めから始まる。罪人という範疇に絞って勧誘――端から見れば強制的だが――を試みるため、金の鈴より人型に変わって人間界に転移する。
勧誘活動で一番早く集めることができるのは、走る稲妻とも呼ばれるブリッツェンだ。その次にコメット、ドンダー、ダッシャー、ヴィクセン、ダンサー、プランサー、そしてキューピットと続く。つまりは、リーダーのルドルフが最も遅延する作業だ。しかし、仕事も忘れて“笑い”を重宝する彼には無理もないだろう。
「ねぇねぇ! 悩み事かな? 良かったら聞かせてよ! ホンのちょっとでも、君の力になりたいからさ」
人間界に訪れれば、ルドルフはいつも俯き姿勢の子どもたちの相談者になってしまう。話を真摯に受け止めることは決して悪いことではないが、大きな遅延要因である。時にはあの優しいサンタクロースに、自分がやるべき仕事を全うしなさいと叱られることだって……。
『それでも、やめられないんだ。子の悩みは、ボクにとっては苦悩だから……。子のために生きるって決めた、ボクなりの誓いがハートにあるから』
一人は、みんなのために。みんなは、一人のために。
一方のルドルフは、か弱い子どもたちのために。
笑わない子がいるならば、自分が元気を分け与えればいい。クリスマストナカイの自分自身が、笑顔の発起人という役職もこなせばいいのだ。贈り物には、喜びという感情まで注いで。
しかし、副リーダーの存在がないリーダーはいつも、トナカイの中で孤立していた。
「ブリッツェン……なんでそんなこと言うんだよ!?」
「へっ! 誰がむかつく人間のために働くかっつうの! 俺様たち動物の気持ちもわかってねぇくせに、好き勝手地球を汚しやがって……。人間なんざ絶滅しちまえ!!」
多くの人間は、動物の心など理解しているようでしていない。動物たちが住まう自然界への開拓的侵入、著しい環境破壊が進む現世を考慮すればなおさらだ。
もちろんルドルフは、生きとし生ける人間全てを愛している。が、ブリッツェンが怒鳴り嫌うのもわかる気がした。いつも自然と共生すると誓う人間は、いつまで経っても破壊を辞めようとしないのだから。無関係の平凡な動物たちの世界を、我が物顔で抹消しているとも自覚せずに。
ましてクリスマス活動で集まるのは、悪しき罪人たちだ。サンタクロースとプレゼントの運搬のみに使命を果たすトナカイにとって、唯一人間と話し合う機会なのだが、相手が悪いことなど目に見えている。
『でも……でもボクは信じたい……。人間は、みんながみんな、悪い人じゃないって……』
僅かな希望こそ胸に秘めているルドルフだが、報われることはなかった。やはり他のトナカイたちもブリッツェンと意見が同調し、やがて仲間たちとの見えない距離が増していく。サンタ教習所ので開催する四課の活動にもペアを組ませてもらえず、余計に一頭のトナカイと化していた。
『ダメだダメだ! ボクが元気じゃなくてどうすんだ!? 子どもたちの笑顔を立ち上げるんだろ!?』
それでも、ルドルフはトナカイの中で誰よりも懸命に、クリスマス本番まで身を捧げた。罪人集めの次は全てのグループメンバー編成及び管理を担当し、時には他のトナカイたちの手となり足となり協力する。無論、感謝の言葉など一声も当てられずに。
事前活動の風船配りにだって積極的に参加し、明朗さも加えて差し上げていた。
――そんなとき、不運にも事故が起こってしまう……。
「あっれ~? 鈴、どこいっちゃったのかな~……?」
風船配りが終わった夜長、ルドルフは首もとに着けていた鈴を紛失してしまったのだ。活動中は四方八方と動き回りながら配っていたために外れてしまったのだろうと、落ちているはずの近辺を模索している。しかし外灯もまばらな田舎道は暗く静寂で、ガラス性の煌めきなど一切目に訪れてこなかった。
「まずいんだよなぁ~。鈴がないとトナカイに戻れないし、ボスの世界にも帰れないよ~……」
大切にするようにとサンタクロースから貰った、ガラス性金の鈴。人間に化けられる効力もある一方で、異世界を渡り動くための重宝道具でもある。なくしてしまえば、二度と元のトナカイ姿に戻れぬだけでなく、生まれ育った故郷にも帰還できない。異世界転移には、ハイリスクが付き物のようだ。
鈴を探すこと早二時間。ルドルフはスーツ姿ながら四つん這いで探し続けるが、やはり目当ての物は現れない。トランシーバーなどの伝達手段もないだけに、サンタクロースへの報告連絡相談も不可。様子がおかしいと察し、訪れ協力してくれるトナカイたちの姿すら皆無だ。
誰も、助けてくれない……。
徐々に冷えた孤独の闇まで身体の内側を襲い始め、暖かさが自慢の表情まで日没を迎えようとしていた。
――「あの……これ、あなたの……?」
「えっ? ……へ?」
ふと少女のか弱き声を掛けられた気がしたルドルフだが、面を上げて発言者を窺った途端、首を傾げてしまう。すぐそばにいた制服少女の立ち姿が、誰もいない方角へ向いていたからだ。こじんまりとした両手の平を上向け、何かを差し出しているようだが。
「あの、ボクにかな? ………あっ! それ鈴!!」
不思議な念を拭えないまま少女の前に立ち移ってみると、ルドルフは確かに、彼女の手の平上にガラス鈴が乗っていたことに気づく。まさか見知らぬ人が見つけてくれたとはと、幸運のあまり瞳の輝きが甦る。
「そうそう! それボクのなんだ!! 見つけてくれてありがと!! 世界一助かったよ!」
「そう……。どうぞ……」
早速回収したルドルフだが、何とも虚ろ気味な少女に目を奪われがちだった。視線が上げられているものの、どこか上の空を向いた瞳には合わせてもらえない。こうして自分から移動しなかったら、身体の向きまで別ベクトルだったことだろう。極度の人見知りなのだろうか。
「……あの、とりあえずありがと! ボクはルドルフ!! よろしくね!」
「ルド、ルフ……変わった、名前……。そっか……だから、トナカイなんだね……」
「え、エェェ!? なんでわかったの!?」
今回が始めての顔合わせにも関わらず、なぜ正体がバレているのだろうかと、ルドルフは思わず身を反って驚愕した。しかし、そんな彼が可笑しかったのだろうか、寡黙な少女には初笑いが静かに訪れる。
「フフフ……。だってあなた、トナカイに戻れないって、世界にも帰れないって、一人言ばっか言いながら、探してたから……」
「ア゛……し、しまったぁ~……」
感情の起伏が激しいルドルフは、今度は肩をガックリと落とした。捜索に夢中になっていたとはいえ、まさか自分の口から、しかも聞かれていたとは。しかし、少女の微笑みが継続している様子が唯一の救いで、苦笑いだが元気を再燃させる。
「へへっ。てか、ボクがトナカイだって、信じてくれるの?」
「じゃなかったら、あんな長い時間、一個の鈴を探さないでしょ……?」
「す、鋭い……。あの、君の名前は?」
富んだ観察力を抱く彼女に驚かされるばかりの、おっちょこトナカイのルドルフ。恩人名を知りたいあまり尋ねると、小さな少女にはとんでもない境遇を背負わされていることに気づく。
「――わたしは、路端土芽依……。盲学校の下校中、バスから降り遅れて、あなたと同じ、独りになっちゃったの……」
「盲学校……じゃあ、目が……」
「うん……道も、景色も、あなたの笑顔も、見えないの……」
ルドルフにとって衝撃極まりない号外だった。路端土芽依という中学生は失明しているにも関わらず、共に大切な鈴をわざわざ探してくれていたのだ。恩恵と申し訳なさが胸中を埋め尽くし、何か力になれないかと考えあぐねる。
「なんか、ゴメンね。……その、良かったら、住所教えてよ! 迷子なんでしょ? 家まで運んであげる!」
トナカイとしてできることは、芽依を自宅まで連れていくことしか思い浮かばなかったが……。
「ううん……いいの、迷子のままで……。帰ったら、お父さんとお母さんに、迷惑かけちゃうから……」
首を左右に振られてしまったのだ。自宅に帰りたくない意思が俯く姿勢から強く伝わるが、ルドルフは何とか更正してもらおうと眉を立てる。
「家族の中で、いない方がいい存在なんてないよ。きっと両親も、メッチャ心配してるはず……」
「……だって、感じたから……」
「え……?」
言葉尻を被せられたルドルフの勢いが衰えると、芽依の機能停止した瞳に更なる陰りが増す。
「――目が見えないわたしを、世話することで生まれる、大き過ぎるストレスを……」
「そ、そんな……」
唖然としたルドルフは、芽依の悲哀な生活話を聞くことしかできなくなった。
芽依は決して、親からの虐待やネグレクトを強要されてる訳ではない。いつも優しく朗らかに世話をしてもらい、視覚が無くとも生活の支障は皆無だそうだ。
しかしそこで生まれたのが、長年の世話で疲弊してしまった両親の愚痴だという。
“もしも芽依が、目の見える娘だったら……”
家庭内でテンプレート化された、当事者には突き刺さる反実仮想だ。もちろん芽依本人の前では発言されていないらしいが、彼女の耳には確かに聞こえたそうだ。
視覚を失った者が、触れられない周囲の状況を理解するためには、嗅覚と聴覚を駆使せざるを得ない。特に双方において活躍するのが聴覚であり、音響装置付信号機の数が物語っている。
大きな情報吸収機能となった聴覚より知らされたことで、芽依は儚い現実のみを見せられてきたのだ。
「サンタさんに、お願いしても、戻らないよね……。視覚なんか、二度と……」
「ま、まぁ……確かに……」
そんな彼女を放っておけない念が強まるルドルフ。だが芽依の言った通り、サンタクロースが子に与えるのはあくまで玩具などの物品で、多額の医療費を贈ることはない。まして視覚といった五感の一種など無理に決まっている。
それでも、視覚を求める芽依を思うルドルフは諦めたくなかった。現代の医療なら、視覚だってすぐ治せるのではないか。多額の費用が掛かるのだろうが、どうにかして視覚を与えられないかと、熟考の末にある思惑が生まれてしまう。
『――そっか! ボクが罪人になれば、ボスから願いを叶えてもらえる……』
ガキのままの大人――つまり犯罪者になれば、物品であれば何でも与えてもらえる。要は金品だって可能であることを、ルドルフは知っていた。
「ねぇ! 君の願い、ボクが叶えてあげるよ!!」
「わたしの、願い……?」
「あぁ! だけど、来年のクリスマスになっちゃうかなぁ~。それまでは、待っててほしいんだけど……」
すぐに勢いが止まってしまうお調子者には、盲目な芽依も堪えきれず笑顔を溢す。
「フフフ、あなたは、とても優しいトナカイさんなんだね……。わかった、待ってる……。ただ……その代わり、ね……」
何やら条件付きを求める少女に、ルドルフは首を傾げる。他にも求めていることがあるのかと疑いながら見つめていると、初めて芽依と目が合わさる。
「――あなたに、着いていきます……ずっと」
「……え……エ゛エェェェェエッ!?」
その年のクリスマス、ルドルフは人の姿で人間界に留まることを決意した。サンタクロースの世界に帰ることも忘れ、不穏な仲のトナカイたちと物理的距離まで置いて。
こうして始まったのが、ルドルフの罪人生活。選んだ罪は世間誰もが認める、路端土芽依の誘拐だ。もちろん毎日が青空家屋で、雨が降れば川を跨ぐ高架道の下で寝泊まりし、裕福な生活など営めなやしない。食事だって嗅覚を効かせ、贅沢な人間たちが廃棄した鮮度良好の食品を集めていた。万引きや空き巣など、可能なだけ人に迷惑は掛けたくなかったのだ。しかし誰にも相手をされない寂しさは、どうも心に沁みた。女子中学生だけでも目配りしてほしいあまりなのに、見て見ぬ振りばかりの人間が連日訪れるのみだった。
「ねぇ……君はこの生活、辛くないの? 無理に着いてこなくても……」
「ううん……。わたしは、家にいるよりも、あなたと、ここにいたい……」
「そ、そう……」
こんなやり取りが日常茶飯事起こっていた。思春期まっただ中の少女にはあまりにも酷なホームレス生活なはずで、ルドルフとしては自宅で待って欲しいあまりだった。が、芽依は決して離れようとしなかったのだ。いつも小さな手で彼の手を握り、夜中眠るときだって、暗闇の中で小さな肩を預ける。
「ねぇ……どうして君は、そんなにボクを信じられるの?」
「そうだね……。あなたが、人じゃないから、かな……」
「それって……人間不信ってやつじゃ……?」
「うん……。怖いの、人を、信じるのが……。信じて、騙されたときのショックを、何度も味わってきたから……」
足元の砂地に何やら文字を指で書く芽依を見つめながら、ふと嫌なワードが浮かんだルドルフは、無理強いにも喉を鳴らしてしまう。
「もしかして……イジメ?」
「……盲学校に入るまでは、普通の学校、行ってたから……。それ以降は、周りの大人に換わっちゃって……。でも、暴力とかないから、まだ幸せだったよ……」
「……」
なぜ人間同士は、いつまでも差別的思想から脱皮できないのだろうか。何度も争いごとを起こすことは、人間にとって野生本能だというのか。生物学上、唯一抱いけている言葉は、誰かを傷つけるためでなく、誰かに想いを知らせるために獲得したはずなのに。
もはや根が差別主義的生物なのかと、愛する人間を疑ってしまうくらいである。特にルドルフが余計に辛く感じたのは、この芽依という少女が、自分とよく似た孤独の境遇に立たされていたことだ。相当苦しかったはずだ。誰にも相手をされないどころか、無視だけされる、同類たちとの生活が。
「君も……ボクと、同じなんだ……」
「できた……。あなたの、人としての、名前……」
「へ……な、何て読むの?」
ルドルフが目を向けた地には、盲目にしては整った漢字――流道留文の四文字が確かに刻まれていた。しかし日本の感じなど全く知らないため、すぐに眉間の皺を浮か覗く。
「ルド~、ルフン……だから、流道……留文、かな……」
「流道、留文……ボクの、人としての名前……」
それは少女が、生涯二人目となる名付け親になる瞬間だった。やはり一人目のサンタクロースが父親的存在だが、クリスマストナカイたちには両親が存在しない。つまりはルドルフにとって、芽依は母親と呼べる役割を果たしたのだ。女子中学生で年齢は満たないが、相手が見えなくとも放つ明るい微笑みに見舞われ、赤鼻のトナカイから流道留文と心まで変わり、初めて覚悟を抱く。
『路端土芽依……この娘だけは、ボクが護らなきゃ……』
そして十二月一日、ルドルフはついに金の鈴で、久方ぶりの赤鼻のトナカイ姿へ戻る。サンタクロースの世界に今度は罪人として帰還するときを迎え、もちろん不仲のトナカイたちにはバレないようコソコソと行うつもりだ。いくら省かれていたとはいえ、絶縁とも称せる真似をしてしまったのだから。
しかし出向の直前にも関わらず、なぜか芽依から手を離してもらえなかったのだ。
「わたしも、連れてって……」
「どうして……君は罪人じゃないんだ。来る必要なんかないのに……」
犯罪者のみが集まる危険なサンタ教習所に、罪無き少女を連れて行きたくなかった。予定では芽依を自宅に返し、プレゼント配りを終えた後に目の医療費を贈るつもりだったのだが。
「――お願い、ルドルフ……ううん、留文。わたしが初めて持てた、願い事があるの……」
「芽依、ちゃん。……はぁ~、わかったよ。んじゃ、背中に乗って!」
少女が抱いた新たな願い事は、赤鼻のトナカイには知り渡らなかった。しかし、護ると誓った彼女の意思に背く訳にはいかないと、ルドルフは芽依を乗せて上空へ旅立つ。異世界に繋がる虹色をトンネルが空間の歪みと共に出現し、道無き道を四足で駆け進んでいく。
「ねぇ、芽依ちゃん?」
「なに、留文?」
「ボクさ、芽依ちゃんを必ず、明るい未来に導くから!」
「留文……ありがと。わたしにも、伝わったよ? あなたの、ピカピカの、真っ赤なお鼻……」
彼女の心を、絶対に救ってみせる。たとえ己の手を汚してでも、視力を失った芽依を、ルドルフは流道留文として死力を尽くそうと心に誓った。
*
*
*
「ゴメンね、芽依ちゃん……」
「え……?」
しかし現在、手に持つ鈴を眺めるルドルフは、兼ねてからの目標が儚くも途絶えようとしていた。周囲には蒼き警察官の壁、その中心には芽依の祖父――葛城元師、そして真冬の覚めきった柳川のみで、逃げ道など開けていない。
「芽依ちゃんの願い事……叶えられそうになくなっちゃった……」
「ルドルフ……?」
「だからゴメン……芽依ちゃんの、目が見えるようになる願い事、叶えてやれなくて……」
この鈴でトナカイに変化し、この場から逃走するのもアリだった。しかし、俯くルドルフはクリスマストナカイとして、すでに御法度な行いをしていたことに気づいてしまう。
『人に、迷惑をかけてた……。それも、家族を引き裂くような真似を……』
サンタクロースとプレゼントを運び、人間たちに幸せごと運搬する役割こそ、クリスマストナカイのリーダーとしての使命だと思っていた。にも関わらず、ルドルフは園越岳斗にも怒鳴られた誘拐犯を演じたことで、路端土家を始めとする多くの関係者に不幸を注いでしまっていた。祖父の元師が放つ怒鬼のオーラを窺えば、罪の重さが果てしないことがわかる。
『嫌われ者は、やっぱりいつまでも、嫌われ者のままなんだろうなぁ……』
「違うよ、ルドルフ……。わたしの願い事は、目が見えることなんかじゃない!」
「え……」
思いもしない少女の発言に、ルドルフは肩越しに護ってきた存在へ目を向ける。すると確かに見えたのは、麗しい月光を浴びながら煌めく、芽依の潤んだ瞳だった。表情の皺まで影を彩るほど、悲哀な涙に見舞われていたのだ。
「芽依ちゃん、どうして……」
「まだ……グズッ、まだルドルフには、言ってなかったよね……わたしが初めて持てた、願い事……」
泣いてほしくなんかなかった。笑顔を大切にしてきた、一頭で一人のお調子者トナカイ人間である故に。しかし、芽依が抱いていた本当の願い事が、あまりにも意外過ぎて息を飲む。
「――わたしの願い事は、ルドルフと流道留文が、一頭でも一人でもなくなる、孤独無き世界なの!!」
「――っ! 芽依、ちゃん……」
「だって……ルドルフは言ってた……わたしと同じなんだって……。優しいルドルフが、たとえ留文として生きても、独りになんかなってほしくないよ!」
これまでに、たくさんの誰かに笑顔を分け与えてきた、トナカイのルドルフ。その一方で、仲間たちの誰からも相手をしてもらえず、今日まで無視されてきた。留文となった今も、誘拐犯であるため、人間から心を許してもらえる機会などない。
しかし芽依の叫びは、出会うまで孤独と生活してきた彼に初めての、存在の尊重を唱えられた願い事だった。他者の幸せだけを願った、自己犠牲否めない希望として、故に孤独から護るため着いてきたに違いない。
「わたしね……目は見えなくても、人の心くらいは、話した内容の音でわかるの……。明るいルドルフは……優しい留文は、わたし以上に辛そうだった。それでもいつも、独りのわたしを笑わそうとして、笑顔で蓋をしてた……」
「べ、別に嫌々やってた訳じゃ……」
「……だから謝るべきは、わたしの方……。迷惑をかけて、ごめんなさい……」
言葉尻を被された挙げ句、ルドルフは芽依に頭を下げられた。か弱い背と草地が平行に向き、足元に露草の光が増えていく。雪になってもおかしくない気温の中、雨が止まぬ光景を目の当たりにし俯き笑う。
『そっか……。じゃあなおさら、ボクが悪いよ……』
芽依の心を救おうと護ってきたつもりが、結果的に泣かせてしまった。むしろこちらが護られていた身だ。もしかしたら彼女は、自分と出会わなかった方が幸せだったのかもしれない。あの日家出した少女を帰宅させていれば、家族の方々だって娘の大切さに気づかせてやれたことだろうと、今更ながら思い苦む。
『ボクが、この鈴をなくしたりしたから悪いんだ……こんな、鈴……』
やがてガラス性の金鈴に嫌気が生まれたルドルフは芽依に背を向け、次に岳斗とイブの様子を窺う。二人で寄り添い固まっているが、今に動き出しそうな警察官に逮捕されるところだ。
『岳斗にだって、息子を護るための願いがある……。それにイブちゃんだって……。だったらまずは、この場を抜け出させてやらなきゃ、か……』
再び赤鼻のトナカイになれば、二人を窮地から助けられる。しかしここで逃走すれば、芽依を取り残し傷つけることになる。かといって彼女ごと運んでしまえば、路端土家に更なる悲しみを生ませるだろう。皆が笑える選択が思い浮かばず立ち竦むルドルフだが、その矢先だった。
――トスッ……。
突如警察官の包囲網後方より、二つの物影が飛び越え向かってきた。周囲に灯りもなく黒ずくんだ塊だが、人間でなく野生動物サイズが岳斗とイブの前で停止する。警察官たちも突然の来訪者に慌てた様子で、二人も訳がわからない様子だ。
しかし、夜慣れした瞳のルドルフには二頭の正体を理解した。久々な視線の交差には驚きと戸惑いで目が見開き、胸中で声挙げる。
『ブリッツェン……。それに、キューピットまで……』
茶色の毛並みの一頭と、白の毛並みの一頭。計二頭のトナカイたちが、確かに目の前に出現したのだ。それは先日、岳斗と沫天望を救出する際の己自身とそっくりだ。
するとブリッツェンとキューピットは岳斗とイブを背に乗せようと、四足の膝を地に落ち着かせる。それはルドルフにとって、最も嬉しかった二頭の振る舞いだった。
『――ブリッツェン、キューピット……協力してくれるんだね。ありがと……へへっ』
「ブリッツェン!! キューピット!! 岳斗とイブちゃんをお願い!!」
「と、留文!? んな、ちょっ!」
「ふわぁッ!!」
――ビュン……。
ルドルフが叫んだ刹那、ブリッツェンとキューピットは強制的にも、驚いた岳斗と戸惑ったイブをそれぞれ背に跨がせ、警察官の壁を飛び越えていった。ものすごいスピードで今に振り落とされそうな二人だが、何とか脱出成功のようだ。
――「「「「待てェェェェ!!」」」」――
しかし警察官は岳斗たちの跡を追おうと、数々のパトカーに向かったり、そのまま走り出したりと、ルドルフの芽依の包囲網が崩れ去っていく。
――「無理です!! さすがに足では追いつけません!!」
――「だったら発砲だ!! 容疑者ではなく、トナカイを狙え!!」
「――ッ!! バカ!! やめろッ!!」
麻酔銃と言えども、動物たちにとって憎き銃弾とは何ら変わりない兵器だ。当たりどころが悪ければ、死に至る可能性がある。
このままではブリッツェンとキューピットの命まで危険だ。せっかく手助けしてくれた二頭が、これではバッドエンドを迎えてしまう。何とか仲間たちの命を護ろうと、ルドルフも即座に走り出したが、引き金はすでに準備されていた。
――バアァァンバァァァァン!!
――「ビューン!!」
――「……あ、あれ!? 銃弾が、消えた!?」
――「そ、そんなバカな!! 弾はちゃんと入れたのに!!」
確かに銃弾は一部の警察官により、発砲音と共に二発放たれた。が、遠退いていくトナカイたちに当たった様子など観察されず、慌てふためいていた。
しかし、銃弾と共にどこからか聞こえた“ビューン!!”の声より、ルドルフは摩訶不思議な光景の種を理解する。
『コメット……。銃弾キャッチなんて、危ないじゃんか……』
彗星の如く瞬間移動できるため、本人の姿など見れたものではなかった。しかしルドルフは、コメットが発砲弾をキャッチしてくれたのだと悟る。あまりにも危険すぎる救いの手には素直に笑えなかったが……。
『――っ! 嘘……お前たちまで……』
再びルドルフを驚かせたのは、諦めず麻酔弾を弾倉に詰める警察官の前に出現した、二人の人影だった。
「やれやれ。こんな静けきの夜中に発砲とは……人の世も物騒になり果てましたなぁ~姉御殿?」
「ホンッッッット近所迷惑なんですけど!! だいたいアンタらさ、今何時だと思ってんのよ!? 二時よ! 深夜の二時!! テレビもネタ切れでドラマの再放送とか海外ドラマ、終いには訳わかんない通販番組始まるクッソヒマな時間帯よ!! こんな時間に発砲とか、そこら辺バンバンうるっさく走り回ってる、静かなゴキブリより質悪い暴走バイクヤロウと、何ら変わりないじゃないのよ!! アンタらは、そういう輩ドモを捕まえんのが役目なんじゃないわけェ!? ……なによ!? その不貞腐れた顔はァ! クリスマスぐらい休みたかったみたいな面はァ!! これだから公務員は信用できないヤツばっかなのよ! ホント、アンタら良いわよねぇ~。民間起業と違って、退職まで一定上の給料貰えるんだからさ! それも高い高~い税金から!! 普通にしてればクビなんてならないんでしょ!? 民間起業だったら一生懸命尽くしても解雇あり得んのにさ!! しかもなによ、ボーナスって! 残業無しって! 有給休暇ってェ!! アンタらが給料高い理由ちゃんとわかってる訳ェ!? わ~ざわざ高~い税金を嫌々払ってやってる市民のために、死力を尽くして御奉仕するためでしょうが!! アタイから見ればね、アンタらは働いてやってるんじゃない! 働かされてるんのよ!! もっともっとムオォォォッと、市民のために生きなさいよ!! 労働ナメんな!! ……」
『ダッシャー……ヴィクセンも、来てくれたんだ……』
舎弟の如くダッシャーが隣から相づちをタイミングよく弾むことで、ヴィクセンの口喧しさがより永続的に続く効果をもたらしている。それは警察官の一言も許されないほど間の無きグチトークで、ついには拳銃を降ろさせるまで至っていた。
――「こらァ!! 早くどけ!!」
今度は細い一本道の川岸に停車するパトカーの方から、警察官の罵声が轟いた。ルドルフはふと目を向けてみると、追跡するため白煙を上げるパトカーが、板挟みされ立ち往生している景色が覗ける。
「…………………………」
まず片方には、腕組みして堂々と立ち防ぐ、一人の男が通せん坊の役割を果たしている。
「通せん坊~♪」
「行かさんぞ~♪」
「「何が何でも通さんぞ~!!」」
もう片方には愉快にも躍り跳ねている意気投合の二人が、乗車警察官を阻止している。
『ドンダー……。ダンサーにプランサー……みんな、みんな協力してくれてたんだ……』
トナカイたちそれぞれの行為が、ただ岳斗とイブの追跡を阻止するだけの働きだとは、涙ぐんだルドルフには思えなかった。協力してくれる姿勢は皆ひた向きさが顕で、自分の気持ちを理解し答えてくれていると感じ取れる。
元リーダーの、心そのままに。
『――ありがと、みんな……ホントに、ありがと……ボクは、独りじゃなかったんだね……』
思い返せば、自分は省かれていた錯覚をしていたのだろうと、ルドルフは改めて気づく。トナカイたちの気持ちも考慮せず、ひたすら人間の子どもたちのために精を注いできたのだ。同族の皆が嫌う対象を好めば、やがて嫌われて距離を置かれるなど当然だろう。
しかし、クリスマストナカイたちは最後の最後で、救いの手を差し伸べてくれた。元リーダーと言えども、身勝手に姿を眩ませた仲間でも、意思に従ってくれる。それはまるで、また共に生きようと語られているようで、孤独は不信感が映した幻影だったようだ。
『――でも、ゴメン、みんな……。ボクは、罪人になったんだ……』
しかし、誘拐犯を演じたルドルフには罪がある。ふと顔を上げて見れば、目の前には一人留まった厳師の睨み、背後を窺えば、二人の女性警察官に肩を取り押さえられた、孫娘である芽依の泣き顔に挟まれているのがわかる。
『ボクは一つの家族を、引き裂いたんだ……。今のこの、立ち位置のように……』
「……芽依ちゃん!」
「グズッ……ルドルフ……」
涙を振り払ったルドルフは、後方の芽依に背中で語りかける。
「ボクは、芽依ちゃんに会えて幸せだった……。すごく、楽しかった。だからボクは、……いや、ありがと」
「それは、わたしもだよ! 独りのわたしを、確かに護ってくれた。だから……だからわたしは! そんなルドルフのことが……」
「……ストップ!!」
――シャリン……。
するとルドルフは言葉尻を被せ、鈴を握った右拳を芽依に向けた。涙は頬を伝うばかりの少女は儚さに満ちているが、笑顔の発起人は無邪気なハニカミを放つ。
「その前に、ボクはやらなきゃいけないことがある……」
それは、ルドルフがこの場から逃走すること――ではなかった。はたまたトナカイに変化し、自分の真たる正体を厳師に見せることでもない。
「まさか、ルドルフ……」
「違う……。ボクの名前は、流道留文。芽依ちゃんがくれた、最高のプレゼントさ……。覚悟は、できてる……」
ルドルフの覚悟――それは人間から贈られた大切な名前、流道留文として固めた決意だった。そんな由々《ゆゆ》しき贈り物を、犯罪者という穢れで染めたままにしたくはない。微笑みを残しながらも眉を立て、鈴を握る拳に血管を浮き立だせる。
「――まずは、罪を償わなきゃ……。人として、ケジメをつけてくる……」
――バリッ……バリイィィィィン!!
そのとき、変身機能を持つ鈴自身が、細かな雪結晶として姿を変えた。拳を開いた留文の手のひらには、ほんの少しの欠片があるだけで、多くの残りは地に溶け込むように落下していく。
「留、文……留文ィィィィ!!」
「……」
盲目の彼女もガラスの砕け音で理解したのだろう。芽依の叫びが何度も放たれ、涙ぐましい悲愴に染まった声色が背にぶつけられる。が、人間の道を選んだ留文は一切振り向きもせず、目前の厳師へ歩み寄る。
「葛城、厳師さん……」
「鼻から大人しく投降すれば良かったんだ……さぁ、終わりだ」
「いや、芽依ちゃんのおじいさん! あ、アンタに最後、一つだけ言いたいことがある!」
「あぁ?」
留文の両拳は、厳師の厳格なオーラに震えていた。できるのならとっとと逃げ出したい気持ちさえ芽生え、刃向かう勇気の炎など消え入りそうだ。
『でも、逃げる訳にはいかない! ボクは誓ったんだ、子のために生きるって!!』
人間としてケジメをつける覚悟はできている。あとは想いを乗せた声を放てばいいのだと、留文は微動する肺に冬の冷たい空気を、熱い思い遣りとして吐き出す。
「――もっと孫娘を、可愛がってあげてくれよ!! 大切だって思ってるなら、口先だけじゃなくて! 心の底からうんッッと大事にしてやってくれ!! このままじゃ芽依ちゃんが、家族のありがたさまで見えないままだろ!?」
――カチャ……。
しかし厳師からの返答は一切なく、ついに留文の手首に冷たい手錠の音が響かされる。真冬の金属は冷めに冷めきっているが、それ以上に寒さを感じさせる温度だった。
気づけば封鎖活動していたトナカイたちも消え、元の現実世界らしい夜中に戻る。掛けられた手錠に一枚布を覆われながら、留文もこの河川敷から距離を増やしていく。
「留文ィィィィ!!」
『――っ! 芽依ちゃん……』
しかし、川岸上のパトカーへ連行された留文の心まで、芽依の金切り音が届く。厳師への緊張感が無くなった今まで、涙の少女はずっと叫び続けていたらしい。
「留文!! どこ!? まだいるんでしょ!? 留文ィィ!!」
『芽依ちゃん……へへっ、ねぇ芽依ちゃん? そんな顔しないで、笑ってよ……?』
そんな芽依に見とれながら、留文はパトカーの前で歩みを止める。盲目の彼女のには視線を向けられなかったが、確かに暖かい気持ちが胸の直下まで伝わる。
「留文!! 返事ぐらいしてよ!! 留文ってばァァ!!!!」
『そんなに泣かないでよ、芽依ちゃん……。ボクは、みんなの笑いなんだからさ……』
“笑い者”という存在意義に、留文は決して残念に思っていない。むしろ自分らしさが垣間見える言葉で、お気に入りのワンフレーズでもある。
「留文ィィ!! 留文ィィィィイ゛ィィ!!」
『だって、ボクは笑われてるんじゃない……。みんなの笑顔のために、笑わせてるんだから……』
――ガチャン……。
留文が乗車したことでドアが閉められ、いよいよパトカーが発進する。赤いランプが辺りの建物に注いでいく光景が拡がるに連れ、芽依との別れさえ迫っていた。
『ねぇ芽依ちゃん……。もしもまた会えたら、今度はお互い笑顔で会おうね。悩みとか考えず、一般ぴーぽーとしてさ……。だって……』
細道を抜けたパトカーの窓越しからは、未だ川原で泣き叫んでいる様子の芽依が覗ける。もうじき建物で彼女の姿が見えなくなると察した留文は、最後に満面の笑みを添えて終えることにした。
『――ボクも芽依ちゃんのことが、大好きだから……。告白は、また再会したときに言うね……えへへっ!』
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十二月二十五日。
午前二時十六分。
誘拐犯――流道留文
年齢 不詳
一年前から調査されてきた警察官に見つかり、犯罪取締役責任者兼被害者の祖父――葛城厳師により現行犯逮捕。
“盲目少女の視覚を取り戻す医療費”という願いは叶わず、二十四班から脱退。
同日時。
行方不明者――路端土芽依
年齢 十五歳
祖父の厳師により自宅へと返され、泣き止まぬも身柄を確保。
“愛人の孤独無き世界”という願いが叶おうしたが、未完のまま共に脱退。
次回
五幕
きよしこの夜 ~Silent Night~