第十二夜*去勢された雄の真実*
茨城県笹浦市郊外。
駅から三十分も歩けば、広い田んぼが目に染まる半田舎町。午後の四時半を回った十二月の現在は夕闇で、真っ暗な上空が世界を覆い隠そうとしている。外灯も負けじと車道や歩道を照らしているが、今宵は月と星空の方が明るく窺えるほど、空気は冷えつつ澄んでいる。冬のため温とまでは至らずとも、平和な静寂の夜を迎えそうな頃だった。
そんな星照る半夜空の下には、スカート型サンタ衣装を揺らした一人の幼女と、素顔を隠したトナカイ着ぐるみを身に纏う二人の男女が、道行く学生たちに風船を配っていた。もちろん無料で配り、大した見返りを求めている訳ではない。ただもうじき訪れるクリスマスに合わせて、少しでも少年少女たちへ笑顔を届けたいという、真心からのボランティア活動だ。
『――でもまさか、トナカイのヤツらにトナカイコスプレされるとは思ってなかったなぁ……』
息苦しい着ぐるみの内側で、園越岳斗はそう思っていた。実はトナカイだった教習所の担当者――ブリッツェンたち八名によって笹浦市に再訪できたのは良いが、異世界に連れてかれていた真実には絶句した。今回も、容疑者であるみんなが顔ばれしないがために着ぐるみを用意してくれたのだろうが、安価な薄布地で繕われた全身に、結構重めの頭を被ることにもなり、立っているだけでも気が参りそうだった。
今回風船配りの活動に関しては、二ヶ所に別れて配るシステムになっていた。岳斗はイブと、また同じくトナカイの着ぐるみを被った沫天望との三人で。
一方で、共に異世界ワープで訪れた流道留文と路端土芽依は別箇所に降りての活動中だ。
留文からは、
「何かあったときは、トランシーバーで教えてね!」
と明るく告げられたが、岳斗たち三人の周囲は田んぼ広がる田舎道で、人通りはほとんどない。何も問題が起こりそうにない平凡な空気に包まれているため、トランシーバーは未使用で済みそうだ。容疑者の肩書きがある分人気の無い現状には助かるが、大量に手に余った風船をいざ見ると、果たして風船配りをやる意味があったのか疑わしくなる。
「はぁ~……イブ~?」
「どうしたの岳斗? 部員集まらないの?」
「廃部なんて悲しいこと言ってねぇよ……。てかこれ、やる意味あるの? 少し休みたいんだけど……?」
一旦休憩を挟んでも、大して支障をきたさないくらい通過者は疎らだ。いっそのこと中断して、帰っても良いくらいだろう。
「ダメだよ~! サンタのおじいさんの気持ち、裏切ったら悪いでしょ~?」
「まぁそうだけどさぁ~」
通過者が通る際には、イブも懸命ながら風船配りに協力してくれている。
「ただ今、風船無料キャンペーン実施中で~す! どうぞ、ご利用くださいませ~!!」
某コンビニ店の声出しとそっくりだが、イブのおかげもあってか、手元の風船は少しずつ減ってはいる。通りすがりの小学生たちには目前まで向かって配り、半強制的かもしれぬが、加えて笑顔も贈呈できていた。まるで、立派な姉を思わせるばかりに。ただ、どこの国籍かわからない中年男女にまで配りに行くときは、英語が話せないあまり困ったものだが……。
「風船だよ~!! 無料だよ~!! 安いよ安いよ~!!」
「誰もいないのに……」
イブの無邪気な行動には、着ぐるみ変装中の岳斗も思わず声を漏らしてしまう。外での声出しも、一歩間違えれば近所迷惑なりかねない。また体力の消耗にだって繋がるため、極めてハイリスクな宣伝アピールだ。
しかし、そんな楽しげなイブを、岳斗は止めようとしなかった。どこか我が娘のガンバる姿を眺めているようで、思わず耽ってしまうまでに至ったからである。
『そういえばイブは……クリスマスが終わったら、どうなるんだろう……?』
見た目は小学生低学年だと窺える、幼女サンタのイブ。どこからどう見ても罪人だとは思えない姿と内面で、彼女の未来は計り知れない。どうしてサンタ教習所にいたのかも、どういった経緯が背景にあるのかも、そしてなぜ世話役なんかを務めているのかも、全く……。
『――だったら今を大切にしなきゃな。クリスマスまでの、イブとの生活を……』
未来が不確かならば、悔やめる過去にしないためにも、今を思い残すことなく満喫する他ない。
きっと幼いイブにだって、両親を始めとした家族が存在するはずだ。クリスマスが無事に終了すれば、帰るべき場所に帰ることだろう。
だからこそ、出会えた機会を大切にすることが、人としての義務なのかもしれない。出会いがあると同時に、別れがある世界こそ人の世なのだから。惜別にしないためにも、今をしっかり生きねば。
――「なぁ、岳斗」
「ん? 望?」
すると岳斗の隣でふと、同じくトナカイ着ぐるみで潜める望が声を鳴らした。
「あのさ……その、ありがとな……」
「え……ど、どうしたんだよ、急に……」
「まだ言ってなかっただろ? ウチを助けた岳斗への、感謝の言葉……。だから、素直に受け止めろ……」
「望……ハハ、どういたしまして」
嬉しさと面白さが混ざった岳斗は笑い芽吹き、着ぐるみを被った望の立ち振舞いを覗いていた。そっぽを向いたままで、目を合わせてなどいない。また着ぐるみ内の表情も窺うことができず、どんな素顔をしているかは謎だ。
『――だからこんなところで、感謝なんて言ったんだろうなぁ。照れを隠すために……』
望だって、イブと同じく奇跡的に出会えた、大切にすべき存在である。当初には無かった、見えない絆に結ばれた相手として。今では彼女の照れ屋な内面だってわかるほどに。
もっと言うならば、この場にはいないが、留文も芽依にだって同じことが言える。輿野夜聖とだって、いつか理解し合える未来を心待ちにしている。
「あのさ、望? 望はプレゼント配りが終わったら、どんなプレゼントが欲しいの?」
「ぷ、プレゼント? ……そっか。そういえば、サンタとそんな約束したっけな……」
「え……じ、じゃあ、願いは決まってないってこと!?」
すると望からはこくりと頷かれ、着ぐるみで変装していることも忘れるほど、岳斗は全身を向けて驚いてしまう。
「フフ……だって、プレゼントは所詮、物品なんだろ? それじゃあウチの願いは、叶わねぇしさ……」
儚げ笑いを放った望だが、思い返せば教習所に訪れた初日、岳斗たちはサンタクロースからこう約束されていた。
“「もちろん、タダで働いてもらおうとは思っておらん。プレゼントを無事に最後まで届けた者には、ワシからプレゼントを送りたもぉ~。御主らが今、一番欲している物をじゃ」”
確かにサンタクロースは、あくまで“物”だと告げ、そこでは岳斗は心臓病の息子――園越風真の多額な手術費を願ったのだ。可能ならば健全な身体を欲するばかりだが、魂の移植など現実に相応しくない。
「そっか……だったら望の願いって、一体どんなものなの?」
「フッ、しつけねぇなぁ~。そういう男は、生理的にムリだ……」
「頼むから教えてくれよ?」
物品でなければ、望の切望する願いとは何なのか?
気になって仕方ない岳斗は、手のひらを合わせた御辞儀を放つまで嘆願した。
「……まぁ、フツーのお願いだよ……」
「フツー?」
「そう、フツーだ。それも、チョーフツーの、だ」
「はぁ?」
曖昧な願いには着ぐるみの岳斗は、困り果てたように首を傾げてしまう。彼女にとっての“フツー”とは、何を意味しているのかも察しが着かない。望にはもっと詳しく教えてほしいばかりだ。
――「ヘェイ!! そこのお嬢さん!! 風船いかが~?」
ふとナンパに似たイブの宣伝声に煽られ、着ぐるみに隠された岳斗と望の視点が一致する。夕陽もほぼ眠りに就いて暗く把握しづらいが、目に見えたのはイブが、同世代思わせる幼い長髪女子小学生に迫って、風船を与えようとしているシーンだった。ランドセルがまだまだ大きく見える小柄な全身には、長袖長ズボンと分厚いジャンパー、加えてマフラーに手袋という寒さ完全防備衣装で、顎から目下まで被うマスクまで着用している。
「どうぞ! タダだから、遠慮しなくて大丈夫だよ。なんせアタシの保証付きだし!!」
「ありがと……でも、大丈夫……」
イブの快活さも愚か、虚ろな目を落とした寡黙の幼女は覚束ない歩みを始め、岳斗たちから徐々に離れていってしまう。
『いくら同い年くらいのイブでも、見知らぬ人扱いか……』
冷徹とも捉えられる幼女の振舞いには、岳斗も残念なため息を溢してしまう。夜の時間が長引くこの季節では、学校からも不審者には気を付けるよう注意される。極力見知らぬ人からの会話を避けて帰宅するようにと、安全第一を考慮にした作戦とも言えるだろう。
とはいえ、その相手はイブだ。確かに、同級生がサンタコスプレなどしていたら引け目を取ってしまうのが、男にはわからない複雑な乙女心なのかもしれない。だが責めてもの、風船を受け取る姿くらいは示してほしかったのだが。
「最近は、単純に仲良くなる世の中じゃなくなったよな~」
「あの娘……おかしいな……」
「望?」
悲哀の一人言を呟いた刹那、隣の望が去っていく女子小学生に向きながら囁いた。ついには着ぐるみの頭まで取ってしまい、子どもの夢世界を破壊する行動を起こしてしまう。
「おいおい望!?」
「追うぞ……」
「はい?」
「あの娘の跡……。絶対におかしいから……」
「あ、ちょっと望ってばぁ!!」
戸惑うばかりの岳斗も置いていくように、顔出しした望は鋭い目付きのまま、女子小学生の跡を駆け追ってしまう。
望は一体、あの娘の様子のどこに不審点を見出だしたのだろうか?
もちろん岳斗にはわからなず終いだった。イブにも心を寄せない寡黙な幼女だったが、人見知りな性格を抱いている可能性だってあるのに。
「望……どうして……」
「ねぇ岳斗? 望、どうかしたの?」
「あ、あぁ。なんか、あの娘が気になるみたいで……」
イブも居たたまれぬ眉間の皺と共に訪れ、岳斗と並んで望と女子小学生の道を注視する。インチキ世話役のことだから、得意のロリコン呼ばわりが始まるかと思いきや、皺が深くなる一方で、月明かりを浮かべる瞳も揺れていた。
「望、もしかして……」
「い、イブ……?」
「ご、ゴメン岳斗!! 望を追ってあげて!! アタシ、留文と芽依に知らせてくるから!!」
「おいイブ!? トランシーバー使えばいいじゃんかよ!? ……おいっ!!」
話を耳に入れる余裕もなかったのだろうか、悲愴染みたイブまで走り去ってしまい、一人着ぐるみの岳斗だけが風船を持ちながら立ち竦んでいた。
一体何がどうなっているのだろうか?
もちろん具体的な詳細までは想像が及ばず、頭がオーバーヒートしそうだ。しかし、望とイブの表情を目にした岳斗には、唯一わかったことがある。それは、今現在二十四班において、緊急事態が訪れたということである。
『――久々に見た……望の尖った目。それにイブなんか、泣きそうになってた……』
出会った当初はよく向けられた、望の鋭利に富んだ瞳の刃渡り。相手を受け付けない恐ろしさが随所に窺えるが、裏を返せば真剣な目付きとも捉えられる。
また、いつもふざけて笑う愉快なイブも、岳斗には痛いほど目に焼き付いていた。緊急を要する出来事が起ころうとしているからこそ、トランシーバーの存在も忘れ、留文らの元へ走り出したに違いない。幼女の感情が高まり、悲愴の涙を浮かべるまでに。
『止まってちゃダメだ。行かなきゃ!』
訳など毛頭わからない。未来という虚像など、皆目映ったものではない。しかし、今という時間を精いっぱい生きることが大事だと考える岳斗は眉をひそめ、望の如く素顔を公にし、イブの指示通り追跡することにした。
端から見たら完全無欠の不審者姿だろう。安価な薄布地の全身に加え、罪人でもある素顔を顕にしているのだから。しかし岳斗は周囲の目など考えぬまま突き進み、まだ見える望の後ろ姿を追っていった。
少しだけでも、嫌な未来にしないために。
***
サンタ教習所。
時間軸は一致しつつも、笹浦市とは別次元の異世界だとわかったこちらでは、すでにトナカイ八頭が帰宅していた。立てた小指で首もとの鈴を揺り鳴らし、全身を光らせながら人型へと変貌していく。
「ふぅ~。やっぱコッチの世界の方が、空気がうまいぜぇ」
全てのトナカイが元のスーツ人間姿に戻ったところ、茶髪のブリッツェンがネクタイをつまみ整えながら呟いた。車の排気ガスもなければ、緑生い茂る、自然溢れたサンタクロースの世界。人間世界を行き来している者としての、率直な感想に過ぎない。
「ふぅ~……。じゃあ野郎ども、また二時間後に迎えにいくから、またそのときにな」
「あの、ブリッツェン……?」
「あん? なんだよキューピット?」
ふと背後からキューピットのソプラノに呼ばれ、ブリッツェンは踵を返して窺う。白髪のポニーテールは夜月のように光る美しさを秘めているが、どうも表情は晴れていなかった。
「なんだよ? 言いてぇことがあんなら、とっとと言えよ?」
「そのね……リーダーのブリッツェンは、気づいてるのでしょ……?」
「はぁ?」
なかなか解答を現さない男の娘には、ブリッツェンのみに留まらず、他六人の横目が集まる。妙な雰囲気に包まれた夜空の下だが、ふと流れ星が落ちると共に、キューピットが面を上げる。
「――行方不明になった私たちの元リーダーが、二十四班に在籍していることを……」
「……」
キューピットの弱声から放たれた衝撃波には、ドンダーにコメット、ダンサーとプランサー、ダッシャーにヴィクセンまでもが息を飲むこととなった。リーダーのブリッツェンとしても返す言葉が見当たらず、背を向けるだけでなく、グラサンで瞳まで隠してしまう。
「……」
「ブリッツェン!」
「……それが、どうかしたかよ……? それが、アイツの選んだ道なんだろうが……」
「え……?」
正直言えば、ブリッツェンは気づいていた。自分たちの元リーダーが、なぜか罪人として、二十四班の中に紛れていたことを。最初見かけたときは、単なるそっくりさんだと思ったが、やはり言動から何まで、“アイツ”と一致していた。
それに関してはキューピットも気づいていた様子だが、いっこうに細眉がハの字から変わらない。
「……もう、私たちとは、いっしょになれないのですか……? 共に笑い、共に励みながら、楽しくできたというのに……」
「だろうなぁ。だってアイツは、俺様たちと目指すものが、違うんだからよ……」
「目指す、もの……?」
それはサンタクロースをボスとして慕う、トナカイとしての揺るがない役目だった。その内容は言うまでもなく、現リーダーのブリッツェンの脳には深く刻まれている。
「――俺様たちトナカイの役目は、ボスとプレゼントを無事に運ぶことだけだ……。ガキどもに笑顔を与えるのは、ボスの役割だっつうのに……それをアイツは、やろうとしたんだ……」
「そ、そうですが……でも、だからと言って省かなくても!」
苦し紛れにもキューピットの反論は続いたが、ブリッツェンの心が揺れることはない。首を左右に振ってみせ、仁王立ちのまま夜空を見上げる。
「フッ、去勢された雄だっつうのに……人間なんかにホレやがって……」
ブリッツェンやトナカイたちがよく口ずさむ、去勢された雄。それは決して単なる悪口ではなく、トナカイとしての一特徴を意味している。
現にトナカイの生態は、雄と雌によって異なる特性がある。それは、誰もがイメージしやすい角の存在だ。トナカイの角は性別関係なく現れ、他の動物と同じように生え換わる落角の季節がある。
しかしその時季にこそ、大きな問題が生じてしまう。雌の落角は四月から六月の間で差し支えないのだが、一方で雄は十一月から十二月中旬と、クリスマスには完全に角無し状態になってしまうのだ。
恐らく誰もがクリスマスの季節、角無しのトナカイを目にしたことはないだろう。八頭の皆からは、きれいで立派な柱が立っていたはずだ。まるで全てが雌と特性となったばかりに。
なぜならクリスマスのトナカイ雄たちは、雄としての機能を消失させ、雌に合わせた機能を宿しているからだ。
だからこそ冬に雌と角を並べることが可能で、性差と共に身体的特徴も次第に近づいていく。故に去勢された雄が誕生し、サンタクロースのために毎年躍動しているのだ。
「ブリッツェン……」
「アイツのことはもう諦めろ、キューピット。なんせアイツは、オメェが大切に思う、恋の道を選んだんだからな……」
「そ、そうですが……わかりました」
冬の夜空よりも暗い雰囲気に見舞われながら、トナカイたちは地下の室内へと身を隠していく。明日もクリスマス当日までの下準備があるだけに、繁忙期の中では少しでも休みたいあまりだ。
しかしブリッツェンが言った“アイツ”の名は、もはや禁止ワードの如く、誰からも鳴らされはしなかった。