第十夜*アスタリスク*
サンタ教習所。
本日のカリキュラムは終わり、時間にしてみれば深夜と早朝の狭間だろう。夜慣れした多くの罪人たちは眠りに着き、冬のすきま風すら聞こえない無音空間と化していた。
「なぁイブ? 沫天は、ホントに大丈夫なんだよな?」
「うん。寝不足に重なった、軽い貧血みたい。しっかり食べてしっかり寝れば、すぐ治るよ」
「そっか……。良かった~」
緊張の肩が解れ項垂れた園越岳斗は現在、濡れタオルで汗を拭き看病するイブと共に、サンタ衣装から患者服に換わった沫天望の一人部屋に訪れていた。衣服の交換はもちろん幼女が繕い、男は女性の肌など一切見ていない。
室内は岳斗専用室と全く同じ造りだが、暗雲ががった雰囲気は、今回ボケなかったイブを窺えば容易に感じられる。基礎体力特訓中、突然倒れてしまった金髪女性の望は只今ベットで仰向けに横たわり、イビキもかかずスヤスヤと眠っている。
救急車を呼ぶべき緊急事態に見舞われたが、踊り回る担当者双子姉妹――ダンサーとプランサーには、
「ムリィ!!」
「ムリィ!!」
「「ぜぇ~ったいムリィィ~~!!」」
と、悲壮な顔まで向けて誠心誠意告げられてしまった。確かに住所など世間に知られれば、ここにいる罪人たちが一斉摘出されるに違いない。その考慮もあって全面否定したのだろうが、保険室もない屋内設備には正直ガッカリだ。寝不足に軽い貧血とはいえ、痙攣まで起こした望の姿を見てしまったが故に、早急な設備投資を願いたいあまりである。
「沫天……」
「ねぇ岳斗? アタシ、ちょっと用があるから出るね。望のこと、よろしく」
「え? どこに?」
「まぁ、チョッチュねぇ!」
「おいイブ!」
結局イブは理由も明らかにせず退出し、静寂な一室は成人男女二人だけの場に変化する。そういえば岳斗も初めてサンタ教習所に拐われた時は、今の望の状況とよく似ている気がした。勝手に衣服まですり替えられ、ベッドから起き上がった初日と。
改めて立場が変わると、あの日ブリッツェンは自分を看病してくれたとさえ思えてしまう。気絶させたのが彼なのは間違いないが、今回のような居たたまれない境遇で目覚めを待っていたのかもしれない。ただ、これから目覚めるであろう望があの日の自分のように驚き、嫌なデジャブにならぬことを期待したいが。
「うっ……うぅ……」
「――っ! 沫天!」
ふと静止していた望の細眉が微動し、目覚める瞬間を迎えていた。夢に魘された様子だとも捉えられる苦き表情で、少しずつ開眼していく。
「……あれ? どうして、ここに……?」
「沫天! 大丈夫!?」
「お前……何がどうなって……ッ!!」
ふと何かに気づいた望はハッと起き上がり、そばの岳斗から距離を置こうとベッド上で後退る。
鋭い睨み付きと赤い頬で身構えた彼女には思わず首を傾げた岳斗だが、すると強き歯軋りを見せつける望から震え声を鳴らされる。
「――テ、テメェ……見たのか……?」
「見た? …………ッ!! いやいやいやいや違う違う!! イブだよイブ!! イブが着替えさせたんだよ!! 俺は一切見てないって!!」
恐れていたデジャブが、無情にも振りかかってしまった。
「イブ……あのロリっ娘が? でも、どこにもいねぇじゃんかよ……? 嘘くせぇ」
「マジ側のマジだって!! ついさっきまでいっしょだったんだって!! 頼むから信じてくれよ!!」
証人であるイブも不在のため、望に確固たる証拠がない。荒れた言動からは奇怪しか生まれないことをわかっていても、岳斗は完全に取り乱しながら説得を試みた。まるであの日の自分自身に、そっくりそのまま疑われているかのように。
『ゴメン、ブリッツェン……。あのときは、何も知らなくて……』
「……そっか。じゃあイブだけには、見られたんだな……」
「へ……?」
しかし、望は反って落ち着いた様子でため息を鳴らし、再び仰向けに横たわる。意外にも素直に信じてくれたのは良かったが、どこか諦めた台詞とも聞こえる弱音だった。
「……恐喝犯」
「はぁ?」
「それが、ウチが罪人になった理由。まだ誰にも、言ってなかったっけな」
「きょ、恐喝犯!? ま、沫天が?」
深夜にも関わらず大声で返した岳斗だが、望が初めて打ち明けた真実には、思わず固唾を飲み込んでしまう。細身でモデル体型の彼女が、暴力に等しい恐喝など想像できなかったからだ。決して女性を力無き存在だと蔑んでいる訳ではないが、やはり華奢な望には似つかわない罪人動機に思える。
「まぁ結構簡単だったよ。弱そうな男に絞ってやったけど、みんなすぐビビって、金置いてったっけ」
「マジで、やったんだ……」
「それぐらいしか、家出したウチにはできそうになかったからさ……」
自重気味に笑った望は白い天井へ、残念がるよう俯いた岳斗は足下のタイルへと、それぞれ逆ベクトルの向きで想いの言葉を発していた。どんな心境で行動したのか知らぬが、他者が罪を負う過程をいざ知ると、同じ罪人として胸が窮屈になる。罪を負う悲しさを知り、罰を受ける前に襲う罪悪感の恐怖を知っているのだから。
一時の沈黙が訪れ、静まり返った望専用の個室。岳斗は頭を垂らしたまま停止していると、望が冷えた空気に息を吹きかける。
「あのさ……なんであんとき、助けたりしたんだよ……?」
望が言ったあのときとは、実技演習中に彼女が落下しかけたときだろう。岳斗はただ助けたいあまり、何も考えず右腕を伸ばして支えた、あの出来事だ。
「無理してまで、助けられるのは御免だっつうの」
「え? 別に無理なんてしてな……」
「……右肘。痛めてんだろ?」
「――っ! どうして……」
言葉尻を被せられた岳斗はつい望へ目を向けたが、合わせてもらうまでに至らなかった。確かに、右肘は高校野球部時代に壊してしまい、今でも力を入れると電気が流れるほど戦力外だ。しかし隠してきた真実でもあり、当時マネージャーで妻の園越常海以外知られていないはずなのだが。
「しかめた顔に書いてあったぞ? ウチの手首掴んだ瞬間、右肘メッチャ痛いって。しかもロープ投げたときもそうだった。ホント男って、嘘つくのヘタクソ……」
「沫天……そのときから、知ってたのか……」
立ち竦んでいた望をサポートしようと、岳斗は代わりに碇付きロープを投げたのだが、どうもあの時点で気づかれていたらしい。一瞬しか見せていない、しかめた表情から。
「痛がるヤツの顔は、何となくわかる……。実際にウチも、そうだし」
「え……?」
「そんな訳アリなヤツに、ウチは助けてもらいたくない……。だから二度と、助けんな……」
引っ掛かる発言ばかり繰り返した望だったが、岳斗は最後の一言から、彼女の真心に気づき目を見開く。
『沫天は、ケガしてる俺を無理させないために、一人でやろうとしてたんだ……』
“「……いいから! そういうのいいから、もうウチを助けたりとか、二度とすんな……」”
あのとき放った望の台詞は決して、岳斗を傷つけるための暴言ではなかった。その後地上に戻ってしまったことも反抗的行動ではなく、一人の訳アリ男の身を案じた、心遣いの表れだったのだ。
少なくとも望の一連の言動は、岳斗への好意によるものではないはずだ。大した手助けもしていなければ、口ゲンカしてから気まずい関係だって続いたものである。
しかし望は一人打ち明けぬまま、ケガ持ちの岳斗を加護していたのだ。今の今まで気づけなかった、彼女の優しさによって。
「……ありがと、沫天」
「なんだよイキナリ? 気持ちわりぃなぁ……」
「沫天もさ、嫌いじゃなかったら、みんなと仲良くやろうよ?」
「はぁ?」
すると久方ぶりに、望と岳斗の瞳が交差する。尖る疑心と穏やかな信心という、相反した瞳色が対立したが、信者の言葉は穏やかなままに紡がれる。
「輿野夜はまだわからないけど、留文と芽依ならきっと、快く迎えてくれるしさ」
「……なんでウチが、仲良くしなきゃいけねぇんだよ? いいじゃんか、その眼鏡ヤロウみたいに放っておけば……」
「いや、沫天には是非、仲良くやってほしい。というか、仲良くやりたいんだよ」
「はぁ?」
視線を逸らしかけた望の瞳は、岳斗から逃れることができなかった。
「だって俺ら、五人一組のチームだもん。一人も欠けちゃいけない、家族みたいなチームにしたいんだ」
「クッ、家族なんて、嫌いだ! くだらねぇ……」
「だったら尚更だ。沫天が望む、理想の家族を作ればいいんじゃないか?」
「……ウチが望む、家族?」
少しずつだが、望の尖り目は弱まっていた。徐々に目蓋が開けられ、丸みを帯びた純真な瞳さえ観察される。
「バタバタした家庭になりそうだけど、俺がアホな長男だとして、留文と芽依が仲良し弟妹。反抗期真っ只中の次男が輿野夜で、イブはもちろん末っ子だなぁ……」
「じ、じゃあ、ウチは……姉になれってか?」
興味アンテナをついに立てた望へ向けて、岳斗は一度首を左右に振ってみせ、無邪気な微笑みで解答を明かす。
「慈愛に溢れた、母親に決まってるっしょ」
「――っ! 母、親……この、ウチが?」
驚愕した望の目は潤みが生まれ、困惑の揺れが見て取れる。確かに岳斗の家族選抜には違和感があり、妙な不在者の存在があったからだろう。
「確かに、これじゃあシングルマザーだけどさ。結婚相手は、自分で見つけるもんだろ?」
「なんで……なんでウチが、親だなんて……」
全身と共に小声を震わせた、チームの母に相応しい望。
ならばなぜ彼女が相応しいのか。
その理由は、一児の父親として生活してきた岳斗だからこそわかる、家族愛に関連した結論だ。
「――相手の痛みを理解し、見えない優しさを振り撒いてくれるから。俺、思うんだ。ステキな母親っていうのは、一番近くの家族に、当たり前に優しくできる……隠れた大黒柱的存在なんだろうなぁって」
何でもない家族の一時が、幸せに感じる瞬間がある。
当たり前に出される朝御飯を食べられ、いつも通り登校や出勤の着替えを用意され、帰宅すれば日常的に“おかえりなさい”と迎えられ、関係ない愚痴や悩みをごく普通に聞いてもらえる。
そんな当たり前に被された幸福の生産者こそ、家事に身を削る母親と呼ばれる存在だ。
楽しみたい空き時間を無理強いに我慢し、時には自己を捨てる覚悟まで抱き、稼ぎ働く夫のため、学び成長する息子娘のため、新たに生まれる赤子のため、つまり崩れてほしくない家族みんなのために、尊い身を捧げているのだ。
なぜなら、家族のみんなを護りたい想いがあるから。詳細な理由など無いが、テーブル上では常に、家族みんなからは笑顔を配膳してもらいたいからである。
そんな母親の大切さなど、男の岳斗は結婚し子どもが生まれるまで知らなかった。父親となったことで改めて知ることができた、母親という偉大な存在価値である。
「……バカ」
「沫天……」
「バカ……バカバカバカバカバカバカバカバカァ!!」
突如連呼した望は岳斗に寝返って背を向け、布団で頭を隠してしまう。なぜか息も荒くなっており、僅かにも鼻を啜る音色さえ耳に入ってきた。
『沫天……泣いてるのか……?』
もしかしたら、告白のようにも聞こえる台詞で、望の心を傷つけてしまったのかもしれない。もちろん父親の岳斗には不倫や浮気の考えなど一切無い。幼い子どもの園越風真だって抱える、責任重大な父親業に務めていることは、望にも伝えた。
また、望が嫌いだと言っていた家族に例えたことも懸念される。それが大きく彼女の胸中を抉ってしまったのかもしれない。泣き叫ばずとも、すすり泣きは継続され、向けられた細い背中がずっと震えている。
どうやら、また新たな罪を犯してしまったようだ。
『家族に例えたのは失敗だったかなぁ? でも、他に何て例えたらいいか……。日本語って、やっぱ難しい』
「がァ、岳斗ッ……」
すると布団の隙間から漏れた、上擦った女性の小声に岳斗が振り向く。
「沫天……」
「望で、いいよ……。グズッ、その苗字で呼ばれんの、嫌いだから……」
彼女の背景全てを理解した訳ではない。家族を嫌って家出したぐらいで、詳しい嫌悪理由は未だ謎のままだ。逆に家庭を大切だとわかっている岳斗には、想像しても毛頭理解に及ばない。
しかし、思わず頬を緩めてしまった。今はそんな過去の真実よりも、目の前で起きた現実の方が大切に思えたからである。何も考えず前を突き進んでいく、ガキのままの大人として、心を渡す。
「わかった。じゃあよろしくな、望」
――ゴソッ……。
岳斗の静かすぎる白煙の声は、師走の空気に凍えて固まりそうだった。が、望が被った布団は僅かに揺れたことより、どうやら無事に届けられたようだ。
***
時が流れた、サンタ教習所。
クリスマス本番まで一週間を迎えた日時は、十二月十七日。現在も変わらぬカリキュラムに従いながら教習を進める罪人たちだが、日数が増えるに連れて、和気藹々《あいあい》とした雰囲気に見守られている。自分の犯罪内容を告白するのみに止まらず、好きなスポーツやテレビの話、また憧れる俳優や女優の話題で盛り上がり、初日ではバラバラだった赤の他人の面影も既に嘘のようで、纏ったサンタ衣装と共に振る舞っていた。
そしてその中で一組のグループ――岳斗を率いる二十四班でも近い温度が保たれていた。
「チッ、おい留文! 箱の設計雑過ぎだ! やり直し!!」
「えぇ~え!? 望お姉さん厳し~い~」
「口より先に手を動かせっつうの!! それと芽依! もう少しプレゼント大切に扱いな! 壊れやすいゲーム機とか置物があるんだから、もっと丁寧で慎重に!!」
「フフフ。ホントの担当者みたい」
「何か言ったか?」
「いいえ。わかりました、望お姉さん」
現在は箱詰め作業を営んでいる二十四班だが、主に望が主導権を握っていた。元軽作業関連の仕事を行っていたため、彼女の厳しいチェックは、崇高たるプロ意識を覚えるほどだ。時には気が退けるほど指摘され、ヤル気までごっそり奪われたこともあったが。
『――でも良かった。望のやつ、体調も良くなったし。何よりも、留文と芽依も楽しそうに付き合ってくれて……』
復帰した望を待っていたのは、決して岳斗だけではなかったのだ。同じく多大な心配をしていた留文と芽依が歓迎し、全ての教習場で今の現状が続いている。ただ、大抵の景色は望がいい加減な留文を叱り、その隣で芽依がコソコソと笑うライン作業だ。
別に大したやり取りもしていないが、端から眺める岳斗にとっては、待ちに待ったイルミネーションにも目に映っていた。
『まぁ、輿野夜は相変わらずだけど……』
「おい岳斗! 手ぇ停まってんぞ? とっとと柊と宛先シール加えな」
「ら、ラジャー!」
輿野夜聖の独り作業が未だに続く一方で、望に叱られた岳斗はすぐさま柊と宛先シールを箱に飾り始める。さすがにこの作業にも身体が覚えてきたらしく、飾る位置や張る箇所へスムーズに繕っていく。
「ん……? そういえば……」
「どうしたの岳斗? やらないと、また望に怒られちゃうよ? ママより恐~い、あの望に」
「怒ってやろうかーイブー?」
「ば、バレたァァ!!」
イブと望のとんだ茶番劇はさて置き、手を停めてしまった岳斗はまだ知らされていない、一つの謎を呟く。
「――どうしてクリスマスに、柊を飾るんだ?」
柊とは、プレゼント箱を始めケーキや玄関などに飾られる、ギザギザな緑葉と赤い実が印象的な花だ。クリスマス関連では必需品とも称せるほど見覚えがあるが、その理由とは。
――「フフフ。それは良い質問ですね、園越岳斗様」
「あ、キューピット……」
岳斗の質問に反応したのは、箱詰め監視役の担当者の一人――キューピットだった。もう一人の幼児担当者であるコメットが飛び回って作業材料を運ぶ一方で、穏和な微笑みで近寄ってくる。現実離れした白髪をポニーテールに結び、高く澄んだソプラノの持ち主でもあるが、期待を裏切る男であることを忘れてはいけない。
「――様々な諸説はございますが、主に柊とは、魔除けのために飾られております」
「ま、魔除け……?」
言うまでもなく初耳だった岳斗はキューピットに瞬きを繰り返したが、望や留文に芽依、そしてイブも焦点を一致させて窺った。
イエス・キリストの誕生日として名高いクリスマス。そこに魔除けとして飾られるのが、赤い実と緑の葉で彩った柊。よく世間で目にする柊はセイヨウヒイラギと称され、日本でも主にクリスマスのリースとして活用されている。ちなみに花言葉は、先見の明、用心深さ、そして保護である。
またクリスマスに柊の存在が欠かせなくなったのは、やはりキリスト教にまつわる伝統が関係している。柊の赤い実は酷にもキリストが流した血を表し、またギザギザな固い緑葉は茨の冠を示しているのだ。どうも圏内では、キリストが信者の罪を抱えた“受難”を忘れないためのシンボルとされ、感謝の意を評して飾るそうだ。
「へぇ~。……ちゃんと意味があったんだな……」
クリスマスの季節になれば、必ずと言っていいほど現れる柊。少なくとも存在意義があることは岳斗も察していたが、茫然を迎えるほど意外な真実だった。他にも様々な諸説があるとはいえ、小さな脳が深い意味に溺れそうになっている。よくクリスマスケーキの飾り付けとして存在し、毎回邪魔だと言わんばかりに別皿に移してきたが、今日から簡単に取り除けることはできないだろう。少なくとも今夜知った真実が毎回頭に過り、ケーキの食事時間が長引くに違いない。
「へぇ~……。へぇ~……。」
「いつまで停まってんだよ? ほら、さっさと作業に戻れ」
「あ、ゴメンゴメン、望……」
望の一喝で岳斗は思い出したかのように作業を再開し、いつの間にかたまっていたプレゼントたちへ、清し柊を贈呈する。
留文が組み立て、芽依がプレゼントを入れ、そして望によって丁寧に取り繕われた、リボン付きプレゼントボックス。最後は岳斗の手で、宛先シールと柊が飾られていく。魔除けの意がある柊には無意識にも、無事に届いてくれと願うばかりで、いつも以上に心を込めて作製できた気がする。
「……あれ? 望、次の箱は?」
すると岳斗は用意されていた未完成箱が無くなったことに気づき、作業一つ前の望に首を傾げる。
「運ばれてきた分は、今のでラストだ」
「そっか……。じゃあ、一旦休憩って感じか……」
彗星の如く、箱やプレゼントを用意してくれる担当者――コメットの幼いミスなのだろう。ただでさえ、岳斗たちを加えると全二十五グループに運んでいるのだ。イブよりも未熟な彼だからこそ、多目に見てやるべきだ。
しかし、ビューン!! と飛び回るコメットはいっこうに岳斗たちの用意を始めず、グループメンバー揃って立ち竦んでしまう。何もできない堕落的な時間が訪れそうになったがふと、フフフ……と静かな微笑みを漏らしたキューピットから告げられる。
「どうやら、貴殿がたが運ぶクリスマスプレゼントは、今ので全て完成したようですね」
「えっ! じ、じゃあそれって……」
「はい!」
満面の笑みに移ろいだキューピットの表情が、聞かされた岳斗にも次第に伝染していく。実際に数を数えた訳ではないが、確かに今日まで数多の箱詰めを終えた。気づけば自分が担当し使用する宛先シールも見当たらず、待ちに待った未来が今、目の前で顕になろうとしていた。
ガキのように叫びたいまでに、胸が高鳴ってしまった父親の岳斗。すると先に歓喜するのは、自称世話役のイブだった。
「――ヤッタァァァァ!! これで箱詰め作業終了だよォォォォオ~~!!」
「ヨッシャァァア!!」
負けじと岳斗もガッツポーズで叫ぶと、留文と芽依も手を繋ぎながら笑い合う。聖は相変わらず冷たげに無表情を保ち続けるが、望も額をサンタ袖で拭い、安堵のため息と共に微笑みをさらけ出していた。
「ヤッタ~! ヤッタ~!」
「あ、イブお姉ちゃん!! どうしたの~?」
「コメット聞いて聞いて!! アタシたちの班、箱詰め卒業なんだよ!!」
「エェェェェエ!! スッゴォォォォイ!! じゃあ、勝利のポーズやらなきゃだねぇ!! せ~のっ!」
「「ヤッタ~! ヤッタ~! ヤッタ~マ……」」
「……やめんかい!! お前らはその世代じゃないだろ!!」
「「ワッハハハハ~!!」」
再び盗作疑惑を懸念した岳斗は、二人の幼男女を叫び止めることに成功した。ちょっとの隙を与えればすぐに発展してしまう、イブの悪い癖だ。近頃は盗作やら転作やらと制約が厳しい世の中だというのに、聖書も持たない自由の幼女が顕在だった。
『ったく、イブのヤツめぇ……』
――「二十四班の皆様。この度は、たいへんご苦労様でした。皆様は、箱詰め卒業グループ第一号です」
コメットとじゃれ合うイブを睨む中、キューピットが何やらスーツ内ポケットから取り出していた。手のひらサイズの黒い直方体だが、その正体に気づけた岳斗は歩み寄る。
「インスタントカメラ……?」
「はい。記念に一枚、仲良しの皆様でどうですか?」
どうやらキューピットは、箱詰めを無事に終えた二十四班の、記念撮影を撮りたいとのことだ。確かに彼の言った通り、当初に比べればメンバー同士の仲は向上した。ヤンチャな留文が何かふざけ、そこで姉御肌――いや、厳しい母の如く望が叱り、その間で芽依の静寂な瞳が笑う。まるで大家族のワンシーンを思わせるようなライン作業が生まれたことが、二十四班の環境向上を明確化していた。まだ聖だけは打ち解けていない様子だが、いつかこの輪に彼も入る未来を期待したいところだ。
「よしっ! せっかくだし、みんなで一枚撮ろう!」
班のリーダーを任されている訳ではないが、岳斗が早速仕切ったことで、望に留文と芽依がキューピットの前へ身を運ぶ。記念撮影には三人とも前向きな様子で、すでにシャッタースマイルの準備は万端だった。
岳斗もイブに手を引かれながらカメラ前に参上し、望、岳斗、イブ、芽依、留文の順に立ち並ぶ。仲良しカップルはやはり手を繋ぎ、ヤンキー金髪女性も腕組みで得意気に笑う。
そんな明るく穏やかな間に、世話役の幼女と世話され役男性が身を引き合わせる。が、やはりレンズ内には一人だけ入っていなかった。
「こ、輿野夜! せっかくなんだから、お前も撮ろうよ」
「フッ、くだらねぇ。思い出なんか作る分だけ、束縛が増えるだけだ……」
岳斗が放った勇気の一矢は脆くも、聖の分厚い氷を貫けなかった。背中を放たれながら遠退いてしまうが、そばのイブが一歩前へ踏み出す。
「――聖!! 一生のお願いだから、記念撮影撮ろ!!」
「……」
『え……輿野夜が、立ち止まった……』
心で思った岳斗は確かに、後ろ姿を続ける聖が停止した像を捉えた。自分の言葉掛けには見向きもしないほど反抗的だった彼が、イブの幼い一言だけで。
「ねぇ聖!!」
「……また、一生のお願いか? これでもう二つ目だぞ……?」
「一生のお願いっていうのは、その人に全部で十個までお願いできるんだよ。だから問題ない!!」
『そんなルール聞いたことねぇぞ? ……っ!』
やはりいい加減なイブ理論には肩を落とした岳斗。しかしその刹那、幻とも感じてしまうほどの光景を目の当たりにして驚く。
『――輿野夜が、入った……』
動き出した聖がシャッター内に入ったことには、最初に誘った岳斗にとって驚愕のワンシーンだった。皆から執拗に距離を置き続けている彼が、何よりもイブの一言であっさりと。
思い返せばこの二人は、時おり何か話し合っている姿が垣間見えた。主に食堂で一人済ませる聖にイブが寄り添っていたが、詳しい話題内容は現時点でも知らされてない。
しかしその関係もあったが故に成り立ったのか、聖は――カメラに背を向けたままだが――シャッター内に身を投げたことで、二十四班とイブの六名が集まった。芽依は上の空に目を向けていたが、留文と共にピースを、一方で望はお母さん指とも呼ばれる人差し指を立てた裏拳を、そして岳斗はイブに抱き着かれながら笑顔を放ち、キューピットが構えるカメラのシャッターを待つ。
「……」
「き、キューピット? どうかしたの?」
「……え、あ、いや……失礼致しました。では、撮りますね」
妙にも静止していたキューピットだが、岳斗の一声に慌てて返事をし、クリスマスに相応しいシャッター前の枕詞を掛ける。
「それでは、いきますね。メリークリスマス!」
――パシャッ……。
こうして箱詰め作業だけは終えることができた、岳斗たち二十四班。インスタントカメラで撮られた写真は後日、みんなに一枚ずつ配られるそうだ。
クリスマス当日までは、あと一週間。決して他の教習も終わった訳ではないが、大台の一課が終了を告げたことには満足だった。あとはプレゼントたちを宛先通り無事に運び、サンタクロースから公約された、一つ願いを叶えてもらうことに限る。
メンバーそれぞれの願い事は未知だが、岳斗はもちろん、心臓病で苦しむ息子の手術費を願っている。たった一つの尊い命を護るために、空き巣まで犯した父親として。
無論、彼らの願い事が完全に叶う予定は保証されていない。最後のプレゼントを届けるまで、どんなトラブルに巻き込まれるかわからないのだから。最悪の場合、誰もが願いを叶えられない未来だって想像できてしまう。
しかし、岳斗はどことなく安心だった。なぜなら、このメンバーといっしょなら無事に届けられる気がしたからである。深い論理も理由もないのだが、瞳には自信を表す輝きが浮き彫りになっていた。
『――イブも含めて、この六人なら大丈夫だ。罪人だけど、みんなでいっしょに頑張ろう!!』
最初はバラバラだったはずの、六本の氷柱。今宵初めて、 * を型どることに成功したようだ。
***
本日の教習も終わり、罪人たちはそれぞれの個室で眠りに着く頃だった。長く伸びる廊下も無音のベールに包まれていたが、そこに一人――輿野夜聖が壁に寄りかかっていた。岳斗たちといるときのように表情は冷たいが、何やら首もとより隠し宿していた、小写真付きペンダントを覗き見ている。その写真には二人の像が浮かび、弱々しい母と推定される女性のそばに、眼鏡を掛けた青年が立ち添っていた。
まるで母子家庭を連想させる画像だが、写った青年に関しては、聖本人とそっくりだ。
――「あ、いたいた!! 聖~!! 探したよ~!!」
「チッ、しつこい小娘だ……」
ペンダントをしまってから不機嫌な舌打ちを響かせた聖に、突如現れたイブが駆け寄ってきた。孤独の空気に包まれていた廊下に、相反した表情の温度が隣り合う。
「ありがと、聖!! 写真撮影、みんなといっしょに撮ってくれて」
「……」
「あと、もう一つの一生のお願いも、無事にやってくれたんだね」
「……」
聖は決して目を合わせなかったが、足下に移った幼いイブから見上げられ、煌めく瞳を合わされてしまう。
「――空箱のプレゼント、用意してくれてありがと」
「……おかしいとは思った。中身以外、一式余ったんだからな……。でも、宛先を見たら……察しがついた」
口数が増した聖だが、すぐにイブから立ち去ろうと動き出す。昼食中や望が倒れたときでさえ、こうしてサンタ幼女から何度もお願いされてきたのだ。たいへん煩くしつこいばかりで、声を聞くだけでもノイローゼが危惧される頃だろう。
「あのプレゼントを届けるのは、最後にしてあげてね」
「……アイツが最後まで残ってれば、な」
「うん! きっと大丈夫。よろしくね!!」
やがて二人の影は距離を増し、廊下は再び孤独の空気が舞い降りようとしていた。
聖の後ろ姿が見えなくなるまで、イブは穏やかな微笑みを保ちながら見送る。足音と共に奥の闇へ消え入った、一見冷徹染みた若い男だが、サンタ幼女の瞳には確かに、心のキャンドルを捉えていた。
『――やっぱり聖は、岳斗と同じで、家族思いで優しい人なんだ。とってもビッグな愛を持ってて、憎んじゃいけない罪人の一人なんだよ』
心の声まで放たなかったイブは表情の明るさを灯しながら、薄暗い廊下を歩んで岳斗の部屋に戻ることにした。
次回
三幕
*あわてんぼうのサンタクロース*