危機
「それじゃ、また後で」
「ああ、気を付けて」
ロッカールームで省吾と別れた後、すぐに根岸さんの机に向かった。他の社員はみんな、省吾の話を聞いているので、一人で行かないと……。
数分走って何とか気付かれずに机にたどり着いた。
「ふう……」
省吾と一緒に捜査をしているから、動くことも減って、体力が落ちた気がする……前はこんなに、息が上がらなかったはずなんだけどなあ。
キャスターをつたって引き出しに潜り込もうと近付いた瞬間、根岸さんが足を動かした。
「うわっ」
私のすぐ真横に足が下ろされ、思わず悲鳴を上げてしまった。これ、後少しズレてたら踏まれてたかも……。
引き出しに潜り込み、暗い中を手探りで進み……鍵のようなものが二つ、引き出しの上部に貼られているのを見つけた。片方には、よーく目を凝らして見ると、『治田』と書いてある。
私サイズに小さくして、引き出しから脱出して、省吾の話に合わせて元の大きさに戻した。
音を聞きつけて省吾が近付いてきたタイミングで、私も飛び出して合流……リスクがあったけど、省吾が盾になったのか、他の人には見られなかった――。
「りま、お疲れ様」
事件の報告を終え、照井刑事と別れた後、省吾が私に声をかけた。
「うん……疲れちゃった」
「そうだな、もう帰るか」
省吾も一日中動きっぱなしで疲れたみたい。ふう、と小さくため息をついた。
「それと……帰ったら話がある」
「え?」
な、何だろう、話って。
家に帰って風呂と夕食を簡単に済ませて、食器を片付けたところで、省吾が切り出した。
「りま、今日の捜査の件なんだが」
「う、うん」
何か不備でもあったかな……誤認逮捕させたとかではないと思うけど。
「はっきり聞くが、俺が何を言いたいか、わかってないだろう」
「え……」
あ、これ、覚えがある。小さい頃にいたずらをして母さんに怒られる直前の雰囲気だ。
「この前の、喫茶店の事件で、君は俺から離れて一人で捜査をした。俺に会う前はそうしていたから、以前の状態に戻っただけだと、あの時は納得していた。でも、今日は違う……君、今日の捜査で、何度か危険な目に遭ったんじゃないか? いや、それだけじゃない……喫茶店の事件の時も、以前の森林公園の事件の時だって、潜入捜査で危ない目に遭っていたはずだ。正直、俺はもう君に単独捜査はさせたくないと思っている」
「……まず、どうして、この前と今日で感じ方が変わったのか、教えてくれる?」
この前は一人での捜査に納得してくれたのに、どうして今日は違ったのか……。
「鍵と君を回収する時、一瞬表情が見えたんだが……顔が真っ青だった。あれは相当な恐怖を感じないとできない顔だ」
「……」
正直、図星だった。確かに、あの時は怖かった……。
「言いたいことはわかったよ。でも、どうしようも無い時ってあるよね? 別行動をしないといけない時とか、照井刑事や他の警官にバレそうになった時とか」
「それはそうだが、心配なんだ。君は大丈夫だと言ったが、何かあってからじゃ遅いだろう?」
「そうだけど……」
省吾は心配してくれてる。その気持はわかる。でも、私は私で、省吾達の役に立ちたい。
「……考えさせてもらってもいい? 明日中には結論を出すから」
「わかった」
話を終えて、今日はもう寝ることにした。
翌日、朝になっても結論が出なかったので、とりあえず署に向かった。
車を駐車場に止めて、降りたところで、照井刑事に声をかけられた。
「おはようございます、赤石さん」
今は捜査中じゃないから、刑事とは呼ばないらしい。
「おはよう、照井。どうした?」
「ちょっと話がありまして……いいですか?」
車を指差して言った。大事な話らしい。
「で、話ってなんだ?」
助手席に乗り込んだ照井刑事が、話を切り出した。
「昨日の事件では、私の早とちりで、誤認逮捕するところで……改めて、ありがとうございます。それと、すみません、赤石さんのこと、少しだけ調べさせてもらいました」
「俺のこと……」
気まずそうに言った。
「色々と気になることはありましたけど……ここ最近、赤石さんは随分推理が冴えてるみたいですね。以前と捜査の仕方が変わったという声もあるとか」
「そう、かもしれないな。俺も色々思うところがあって、やり方を変えたんだ」
「そうですかね。他の警官に聞いたんですけど、仲西刑事から離れて、一人で行動することも増えたとか……そうそう、影で誰かと電話でもしているのか、一人で話をしているところを見たという声もありましたね」
「……」
黙ってしまった省吾を尻目に、話を続けた。
「赤石さん、捜査情報を他に漏らしているんじゃないですか? やり方を変えたとはいえ、いきなり推理が冴えるなんて、あり得ない気がします。誰かの助力を得ているとしか思えないです」
捜査情報を漏らすなんて、立派な違反だということは、私でもわかる。
どうしよう、他の警官に、私と話しているところを見られているみたいだし、言い逃れは厳しいかな……。
昨日の省吾とした話もあるし、そもそも、二人だけで捜査なんて、元から無理な話だったんだ。私の我儘で、省吾の立場まで危うくなってる……そろそろ、限界かもしれない。
「照井、俺は――」
省吾が何か言おうとしていたが、咄嗟に叩いて止めた。それがどういう意味か、彼もわかったらしい。
「俺は、何です?」
「……どうしても、言わなきゃだめか?」
「そうですね」
「言った場合、黙ってもらうことは?」
「難しいですね、課長にも報告しないといけないですし」
「……」
照井刑事は、やっぱり鋭かった。
「わかった、全て話す」
車外に人がいないことを確認して、私を胸ポケットから出した。
そして、ゆっくりと、照井刑事の前に私を差し出した。初めて顔をちゃんと見たけど、ちょっと童顔っぽい、可愛いらしい顔をしていた。
「は、初めまして……」
恐る恐る挨拶すると、照井刑事は目を丸くして、口をぽかんと開けて私を見ていた。
そして。
「え、えええ!?」
助手席側の扉が開いていたら、そのままひっくり返って落ちてたんじゃないかと思うくらい、びっくりしていた。
「こ、これはいったい……どうして、え?」
見たことのない狼狽え方をしている。今、さり気なくこれ呼びされたな……。
「俺が、ここ最近世話になっている、二宮りまさんだ。俺達よりもずっと聡明で、頼りになるぞ」
省吾がそんなことを言いだした。……って、そ、聡明!? そこまでじゃ……いくらなんでも買いかぶりすぎ!
「聡明、ですか……小人なのに?」
小人なのに。照井刑事がそう言った瞬間、空気が凍りついた。
「それはどういう意味だ? りまは身体は小さいかもしれないが、その頭脳は本物だ。君は見た目で人を判断するのか?」
「え、いや、でも」
「でも、何だ? 見た目で人を判断するのか、と訊いてるんだ」
「う……」
省吾が、明らかに怒ってる。これはまずい。照井刑事が怯えている。
「待って、私なら大丈夫だから……」
私からそう言って、何とか収めてもらった。
「そうだ、省吾、照井刑事と話をさせてくれない? 二人だけで」
「二人だけで?」
ちらっと照井刑事を見た。
「うん……十分くらいでいいから」
「……わかった、十分だけ、な。」
そう言うと、手を差し出した。
「照井、手」
「え……は、はい」
照井刑事も両手を出した。
省吾の手から、微妙に震えている照井刑事の手に飛び移る。そして、省吾が車から降りた。
「照井、くれぐれも……頼むぞ」
念を押して、扉を閉めた。




