疑惑
再び照井を見送り、社長室へ向かう道中、周囲に誰もいないのを確認し、胸ポケットのりまに小さく声をかけた。
「照井、随分鋭いな……もしかしたら、あまり話を聞けないかもしれない」
わかってはいると思うが、一応、そう声をかけて、社長室へ向かった。
「ああ、うちの社員がね……良い奴だったんですが、残念です」
そう話すのは、社長である白本氏。二十代の時に会社を起こしたやり手社長……と、自分で話していた。今の見た目では、四十代といったところか……。
「ここの社員の向後さんが、朝六時の出勤の際に遺体を見つけたそうですが……そういえば、随分早い出勤ですね」
パワハラと聞いた件は社長には内緒で、とのことなので、改めて疑問に思ったていで訊いてみた。
「奉仕活動ですよ、あいつは仕事の進みが遅くてね、会社に尽くそうとする精神が足りていないと思いまして」
「なるほど……ちなみに、被害者の治田さんは、それよりも前にこの会社に来ていますが、何か心当たりは?」
「ああ、最近たるんでるんで、早く来て仕事始めてろって言っておいたんです。残業させると残業代出さなきゃいけなくなるし、労基がうるさいかなと思って」
「……では、これは皆さんに聞いていることですが、本日の午前三時から五時の間、どこで何を?」
「家で寝てましたよ、当然でしょ」
「それを証明できる方は?」
「妻がいますが……身内の証言は信用に欠けるんでしょ?」
徐ろに、社長椅子の背もたれに身体を預けた。
「刑事さん、早く犯人を見つけてくださいよ、このままじゃ、うちの社員も、まともに仕事ができないです」
「そうですね……尽力します」
社長室を後にし、小さくため息をついた。
奉仕活動、か。白々しいとはこのことだ。いや、もしかして、パワハラの自覚が無いのか?
その時、オフィスから騒ぐ声が聞こえた。
「な、何ですかこれ、僕、知らないです!!」
急いでオフィスに向かうと、慌てている向後さんと、そんな彼を睨みつける照井がいた。周囲の社員が恐る恐る様子を見ている。
「照井、どうした?」
「赤石刑事、犯人は向後さんです。今、机から凶器が出てきました」
そういう照井と向後さんの目の前には、向後さんの机。一番上の、開けっ放しの引き出しには、血のついたロープが入っていた。
「それと、この近くのコンビニの防犯カメラの映像を確認しましたが、午前四時頃、向後さんの車が映っていました」
その言葉と、凶器と思われるロープに、強い違和感があった。
「待ってくれ」
咄嗟に間に入った。
「照井、まずその防犯カメラの映像を見せてくれないか?」
「画像ならあります」
見せてもらった画像には、レジの内部と店内が写っていて、午前四時ちょうどに、画像の隅に見切れている道路に、白い車が写っていた。車種や色は確かに、向後さんのものと同じに見えるが……。
次に、引き出しのロープを確認し、改めて照井に向き直った。
「向後さんを犯人と決めるのは、まだ待ってくれないか」
「何故ですか、ここまで証拠が揃っているんですよ」
「そう言うが、おかしいとは思わなかったか? 君の持ってきたこの画像には、確かに車が写っているが、向後さんの車は、どこにでもある車種と色だろう? ナンバーが写っているわけでもない。同じ車を持つ別人が、たまたまこの時間に通りかかった可能性もある。それに、このロープ、凶器だとしたら、机の引き出しなんてわかりやすいところに、普通入れるか? 俺なら、現場に残すか捨ててしまう。君の判断は早計だと思うぞ」
「この凶器が入っていた引き出しには鍵がかかっていました。向後さんが犯人でないのであれば、どのように鍵を?」
鍵がかかっていたなんて、聞いていないぞ……。
「きっと、何か理由がある……とにかく待ってくれ。この画像とロープだけで犯人と決めつけるのは、信憑性に欠ける。もしかしたら、他に犯人がいるかもしれないだろう? その証拠を持ってくる」
俺と照井を、向後さんは不安そうに見つめていた。
「……夕方まで待ちます。それまで何もなければ、犯人と断定します」
「わかった、そうしてくれ」
オフィスに照井を残し、現場に戻った。
「省吾、随分思い切ったこと言ったね」
りまが、話しかけてきた。こころなしか、楽しそうだ。
「そうだな。なんというか……あのままではまずいと思ったんだ。犯行時刻である午前三時から五時の間に、向後さんのアリバイは確かに無いんだが、あの画像やロープを証拠と言われると、違う気がしてな……だが、他に証拠も根拠もない。刑事なのに、情けないな……」
「大丈夫だよ、防犯カメラの画像とロープは、私もおかしいと思ったから。もっと自信持って!」
とんとん、と胸ポケットの内側を叩いた。
「……ありがとう」
そうだ、俺らしくない。もっと堂々としていなければ。
「夕方までに、どうにかして、他の証拠を見つけないとな」
「夕方ね……燃えてきたよ。ところで、どうして現場に?」
「とりあえず戻ってみたんだ。何か発見があるかもしれないからな」
「そうだね、少し調べてみよう」
現場に止めたままの治田さんの車に近付き、中を覗いた。どこにでもある普通の黒い乗用車だ。
「そもそも、どうしてあの時間に、ここに来てたんだろう?」
「社長命令じゃなかったか? 早めに仕事を始めろって」
「でも、いくらなんでも早すぎじゃない? 社長さんは早めに仕事を始めろとは言ったけど、日が昇る前に会社に来いなんて言ってないよ」
「確かにな……」
その時、背広のポケットに入れていたスマホが鳴った。
「はい、赤石です」
「照井です。たった今、鑑識から報告がありまして……治田さんの車の座席から、治田さんのとは違う髪の毛が出てきたそうです。犯人のものかもしれませんので、今調べてもらっています」
「そうか。……照井、少し気になることがあるんだが」
「何でしょう」
「君は何故、向後さんの机の引き出しを調べていたんだ?」
照井と話をしていて浮かんだ疑問だ。何か、きっかけでもあったのだろうか。
「防犯カメラに、向後さんの車が映っていたからです。何か証拠になるものを持っているのではないかと思い、手始めに机を調べていました。治田さんの机も調べましたが、事務用品くらいしか、出てこなかったので」
「その過程で、凶器と思われるロープを見つけた、と……他の社員や、社長の持ち物検査はしたのか?」
「行いましたが、特に異常はなかったです。……もしかしたら、向後さんの机、他にも何か証拠があるかもしれません。もう少し調べてみます」
そう言うと、俺の返事も待たずに通話を終えてしまった。
「夕方になる前に逮捕してしまいそうな勢いだな……照井はコンビニの防犯カメラに向後さんの車が映っていたから、机を調べたらしい……その防犯カメラの映像、俺達も見てみるか」
「うん……」
りまの態度は、何だが煮え切らないものだった。
「どうかしたか?」
「ちょっと、気になることがあって……でも、今は映像を見に行こう」
会社近くのコンビニの店長に頼み、再度映像を見せてもらった。コンビニの位置は、会社と同じ通りで、約五百メートル、離れている。
午前三時頃から映像を再生し――午前四時頃、一台の白い車が現場の方角とは逆に走っていくのが映っている。車種と色は、確かに向後さんの車に似ているが……運転手もナンバーも映っていない。これだけでは、判断できない。
「この映像、お借りできますか?」
店長に訊くと、快く了承してくれた。
「やっぱり、おかしいよ」
コンビニを出たところで、りまが声を上げた。
「何がおかしいんだ?」
「さっきから気になってたんだけど、どうして照井刑事は、映像じゃなくて画像を持ってきたんだろう。店長さん、映像を借りるの、あっさりオーケーしてくれたのに……それに、あの映像、行きが映ってなかった」
「画像を持ってきた理由は、後で本人に聞いてみるか……行きが映っていなかったのは、道を変えたから、とか?」
「それならどうして、そんなことをしたんだろう……この辺りの地図、ある?」
「ちょっと待ってくれ」
地図アプリを開いてりまに見せた。
「周辺の情報はある? 例えば……通行止めとか」
「いや、特には無いな」
「なるほど……ちょっと待って、考えをまとめるから」
そう言うと、胸ポケットの中に引っ込んでいった。
俺も少し考えよう……防犯カメラには、確かに向後さんのものと似た車が映っていた。だが、向後さんのものとは断定できない。それに、りまが言う通り、行きが映っていない。もし本当に向後さんのものであるなら、何故あの時間にあの場所を通りかかったのか、行きはどうしたのか……。
「うーん、気になることが多くて、まとまらない」
りまが言った。彼女でも苦戦する事件らしい。
「何が、他に気になるんだ?」
「治田さんの車、遺体を見つけた時、扉が開いてたんだよね? それが気になって……防犯カメラの車の件は、私の中で何となくだけど、仮説を立てたから」
「仮説って、どんな?」
「それはまだ言えない、あくまでも仮説だから。もう少し調べたら、教えるよ」
「……わかった」
気にはなるが、りまがそう言うなら、あまり訊かないでおこう。
「向後さんは、治田さんの車の扉が開いていたから、おかしいと思って近付いて、遺体を見つけた……逆に言えば、扉が開いていなかったら、遺体を見つけることはなかったってことだよね。どうして、扉は開けたままになってたんだろう?」
「確かにな……」
犯人が開けたのか、治田さんが今際の際に逃げるつもりで開けたのか……謎がまた増えてしまった。
「それに、車の中、荒らされてたけど、金品は取られてなかったんだよね? でもドライブレコーダーは盗られてた……犯行の記録を残したくないなら、ドライブレコーダーだけでいいはずなのに、どうして他の部分も荒らしたりしてたんだろう。荒らせば荒らす程、証拠って残るものだよね?」
「そうだな……」
指紋や毛髪が、どこかに残るリスクは高まってしまう。
「そういえば、照井が、車内から、治田さんのものとは違う髪の毛を見つけたと話していたな」
「……ねえ、もう一度、地図を見せてくれる?」
「ああ」
スマホの地図アプリを開いた。
「……」
真剣な表情でそれを見つめた後、俺を見上げて言った。
「省吾、今から言う場所に行ってくれる? さっき立てた仮説、道中で話すから」
「わかった」
完全にりまの操り人形状態だが、タイムリミットが迫っている今、頼らせてもらおう。




