説得
俺と仲西が駆けつけた頃には、既に他の警官も到着して、患者や病院職員の避難誘導が行われていた。
萱野さんは、矢内さんの父親がいる病室に、黒木さんも人質にして立て籠もっていると、警官が話していた。
「それと、竹原を連れてこい、とも言っていました」
「竹原さんを? まさか、ここで三人共殺すつもりなんじゃ……」
俺の言葉に、仲西が声を上げた。
「先輩、僕に行かせてください。きっと、今の萱野さんは、母親の人格が出ているはずです。話せば、わかってくれるかも」
「……わかった、君に任せよう」
防弾チョッキを着せ、俺と仲西、数名の機動隊員と、病室に向かった。
「萱野さん、仲西です」
扉の前で、仲西が声を掛けると、ゆっくりと開いた。仲西だけ中に入り、俺達は入口付近で待機。中で話している声が聞こえてきた。
「竹原さんはいません。僕一人です」
「……」
「萱野さん、もうやめましょう、これ以上罪を重ねるのは、伸一君のためになりませんよ」
「あんたに何がわかるのよ、伸一はこいつらに苦しめられているのよ!? 親として、当然の行動でしょ!!」
さっき会った時と様子が違う。そして、やはり、自分がノートに落書きをしたという自覚がなかった。
「聞いてください、矢内さん達は何もしていません。ノートに落書きをしたのは、萱野さん、あなた自身です」
「ふざけたこと言わないで、私はそんなことしない!」
「よく見てください。……これはあなたの筆跡です」
恐らく、あのノートの写真を撮っていたのだろう。それを萱野さんに見せているようだ。
「嘘よ、私がそんな事するわけ」
「萱野さん、息子さんは、いじめられていたとして、どうしてお母さんに相談しなかったんですか? 相談しなかったとして、息子さんの様子に、おかしな点はなかったですか? サインのようなものは、出していませんでしたか?」
「……」
「わかってますよね? あなたは自分の中に、もう一人の別の自分がいることに気付いてる。それが、ノートに落書きをしたということも、本当はわかってるんじゃないですか?」
「あれは……こいつらがやったのよ! 私には、息子を守る義務がある、これは、私にしかできないことで……」
「……彩羽さんを守れなかったから、ですか」
仲西が、かなり思い切ったことを訊いた。
「少し、調べさせてもらいました。彩羽さんは、突発的に起きた事故に巻き込まれたんです。あなたのせいじゃありません」
「な、何、知ったようなことを……何も知らない癖にっ」
声を張るが、狼狽えている。
「……わかりますよ、僕も、大切な家族を無くしてるんです。僕がもっとしっかりしていればよかった……悔やまなかった日は、ありません。伸一さんは、そんなあなたのそばに居続けてくれています。彼を、更に苦しめることになるんですよ? これ以上、罪を重ねるのはやめましょう?」
優しく、でもしっかりと、仲西は萱野さんを説得していた。
――それから、少しの沈黙の後、扉が開いた。
古い拳銃を手にした仲西と一緒に出てきた萱野さんは、高校のジャージを身に纏い、両手に手錠をかけられていた。目は虚ろで、憔悴していた。
「……よくやった」
「……」
俺の言葉に、浮かない顔で、一度頷いた。
萱野さんをパトカーへ連れて行く途中、伸一さんが現場に来ているのが見えた。警官に萱野さんを任せ、彼のもとへ走った。
「伸一さん、どうしてここに」
「テレビで、中継してて……母さん」
伸一さんもわかってはいただろう。でも、母親が逮捕される瞬間は、見ていて気持ちのいいものではない。
「刑事さん、ありがとうございました」
でも彼は、気丈に振る舞っていた。丁寧に、俺達に頭を下げてくれた。
「……あっ、それと、さっき蔵を確認したら、銃が入っていた箱が見つかって……もしかしたら、銃は二丁あったかもしれなくて」
「二丁? 萱野さんは一丁しか持っていなかったはず――」
「おいっ、萱野、これどうなってるんだ?」
その時、人混みから、竹原さんが走ってきた。
「刑事さん! 黒木と矢内のおじさんの見舞いにきたら、こんな……何があったんですか?」
見るからに慌てている。どうやら、立てこもりがあったことは知らないらしい。
「竹原君、実は……」
伸一さんが説明しようとしていると、背後から騒ぐ声が聞こえてきた。
振り返った視線の先に、暴れる萱野さんと、取り押さえようとしている警官達。萱野さんの手には、懐から取り出したもう一丁の拳銃が握られていた。
それが、揉み合いになっているうちに、俺達に向けて発砲された。
仲西が咄嗟に伸一さんと竹原さんを突き飛ばし――銃弾が、仲西の頭部に命中した。
「伸一! そいつから逃げて、伸一!!」
錯乱している萱野さんを、警官達が数人がかりで引きずっていった。
伸一さんはその様子を呆然と眺め、竹原さんは恐怖で腰を抜かしていた。
「仲西!」
俺は、たった今撃たれた仲西に駆け寄った。いけないことだとは思うが、頭が真っ白になっていた……身体を揺さぶり、声をかけた。既に、地面には血溜まりができていた。
「……」
意識を失う直前、何かを言おうと口を動かしていたが、何を伝えようとしていたのか、俺にはわからなかった。




