邂逅
俺の姿を見て、彼女は酷く驚き、そして、かなり怯えていた。
まるで、絶対にばれていないと思って数日間潜伏していたのに、突如警察が現れてしまった時の犯人のような顔をしていた。
怯えさせてしまっては元も子もない。ひとまず、手に持っていたプラスチックの箱を、そっと足元に置いた。
そして、なるべく埃を立てない様に、ゆっくりとその場に膝をついた。
「驚かせてしまって申し訳ありません。別に驚かせたくて箱を持ち上げたんじゃなくて、何となく、箱を持ち上げたんです」
そう言うと、僅かだが相手の表情が和らいだ。
「い、いえ、大丈夫です……」
まだ若干声が震えているが、単刀直入に訊いてしまおう。
「あなたなんですよね? 仲西……俺じゃない、もう一人の若い刑事に電話を掛けていたのは」
彼女は頷いた。
「一体どうして……電話なんて使わず、面と向かって言ってくだされば、もっと早く犯人を逮捕できたかもしれないのに」
「だ、だって、こんな姿で会えるわけないじゃないですか……」
そういうものなのか? ……あ、そうだ。
「さっき話していた、水の痕の件……どうして、わからなかったんですか?」
仲西の話では、彼女の話す推理はいつも的中だった。なのに何故、今に限って外れたのだろう。
「仲西刑事の話しか聞いていなかったので……彼の知らない情報は、私も知らないんです……」
なるほど。つまり、あそこで、俺が水の痕の事を仲西に話していれば、それは同時に彼女の耳にも入っていた、ということか。どうやら彼女は、仲西の声にだけ耳を傾けているらしい。
それにしても、何故、彼女は我々警察にそこまで協力的なのだろう?
……その疑問は、今は置いておこう。
「まず、お礼をさせてください。ありがとうございます」
「えっ……」
いきなり頭を下げた俺を見て、彼女はまた驚いた。
「あなたのおかげで、解決した事件が何件もあるんです。だから、ありがとうございます」
「そ、そんな……私はただ、自分の意見を申し上げているだけで……」
俯いてしまった。まだ若干、警戒心があるようだ。まぁ無理もないが……それなら。
「もう、敬語は使わなくていいですよ」
「えっ?」
驚いて顔を上げた。
「もっと肩の力を抜いて話してください。俺はあなたには何の危害も加えませんから」
そう言うと、彼女は少し悩んだ後、俺に言った。
「じゃああなたも、私に対して敬語は使わないでください。敬語を使われるのは、ちょっと……」
「わかりました。いや……わかったよ」
そう答えると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
さて……ひとまず、この女性をどうするか、決めなければいけない。見かけておいてこのままというわけにもいかない。
彼女の持っていた携帯を見て、俺は一つ決心をした。
「あの、君さえよければ……俺と一緒に付いて来てくれないか?」
「え?」
「だって、ほら」
携帯のボタンを押して待ち受け画面を彼女に見せた。
「充電が残りわずか……俺達は、また移動するから、これから更に情報を手に入れて電話を掛けても、通話中に切れてしまう可能性がある。なら俺と一緒についてきた方が、これから会う人たちの証言もよく聞けると思うんだが……どうだ?」
「で、でも、迷惑じゃない?」
「別に、迷惑ではないな」
「……」
彼女はしばらく悩んだ末、結果を出した。
「……行く」
小さく、そう言った。
「それじゃあ……どうやって付いて来る? 肩の上に乗るのは、さすがに危ないし……」
「ワイシャツの胸ポケット。そこなら安全だと思う」
「え、これか?」
左手で背広をめくった。確かに、普段あまり使わないワイシャツのポケットが付いているが……。
「ここでいいのか?」
「うん」
「……わかった」
まずは移動だ。
右手を彼女の前に差し出すと、恐る恐る指に足を乗せ、そのまま掌まで移動してきた。
身長は、大体五センチくらいだろうか。重さはわずかに感じる程度。息を吹き掛けると倒れてしまうのではないかと思ってしまうほど、軽かった。
「行くぞ」
右手に全神経を集中させ、ゆっくりと持ち上げる。
左手で背広をめくってポケットを広げ、そこに右手をくっつけた。
彼女は早歩きで掌を移動し、ポケットに飛び込んだ。
左手を離すと、背広で彼女の姿が見えなくなってしまった。
「苦しくないか?」
「平気」
少し籠った声が聞こえた。
よし、じゃあ行くか。と、立ち上がろうとした時、ある事に気付いた。
「そうだ……動作で何か気をつけなきゃいけない事ってあるのか? ゆっくり歩いてほしいとか……」
「別に、普段通りでいいよ。私、歩いてる人に飛びついて移動とかよくしてたから、慣れてるし」
結構、アクティブなんだな……。
「あ、でも、仲西刑事にはバレないようにしてほしいな」
「仲西に? ……わかった」
捜査中に騒がれたら、厄介なのだろう。
一応「じゃあ行くぞ」と声を掛け、立ち上がった。
普段通りと言われはしたが、無意識のうちに気にしてしまう。
いつも何も入れないポケットに彼女が入っている所為か、何だか妙な感じだ。
路地から出ると、仲西が駆け寄ってきた。
「赤石先輩! どこ行ってたんですか、捜しましたよ!」
「あ、ああ……すまない。電話に出ていた」
仲西に携帯を返した。
「えっ、僕の携帯……じゃあ電話って、もしかして、例の非通知の?」
「いや……まぁそうなんだが、聞いている最中に電話が切れてしまった」
何とかはぐらかしておいた。
……あ、そうだ。
「これ、さっき言った水の痕」
周りにわからないように、小声で、さりげなく背広を広げると、胸ポケットから顔を覗かせた。
「これは……」
何か呟き、ポケットに戻っていった。
基本、移動は俺の車のなのだが、いつも仲西が先に運転席に乗ってしまうので、俺は仕方なく助手席に乗っている。
「これじゃペーパードライバーだ……」
「通勤で運転してるから良いじゃないですか」
小声で言ったのだが聞き取られてしまった。俺は聴力には自信がある方だが、やっぱり若い分、仲西も耳が良いらしい。だから今まで、彼女の電話を聞き取ることが出来たのか。
胸ポケットに被らないようにシートベルトを締めると、そのまま発車した。