嬉しい
おやすみ、と声をかけて、布団に潜った。だが、決して眠れる気分ではなかった。
りまが、あそこまで自虐をする人間だとは思わなかった……。
暗闇に、彼女のすすり泣く声が微かに聞こえる。それを背中で聞きながら、色々と考えた。
りまは、確かに、普通の人間と比べて、できないことが沢山ある。食器の片付けや掃除は、確かに、できない。でも、彼女にしかできないことも、沢山ある。
それに俺は、彼女には、人知を越えた力がある……そう思えてならない。
「省吾、起きてる?」
暫く経った頃、そう聞こえた。まだ涙声だ。
「ああ」
背中を向けたまま答えた。
「えっと、その……さっきは、ごめんなさい」
すん、と鼻を啜った。
「私ね、ずっと雑草生活を送ってたって言ってたけど、実は、省吾に会う前、他の人間の家にも泊めてもらったことがあるんだ。……ほんの少し、だけど。
そこではね、あまり……人間らしい生活って、させてもらえなかったんだ。虫かごに入れられたり、水槽の中で、蛙と一緒に住んだこともあった。私にとっては、それが当たり前で、それ以上なんて無いと思ってた……だから、省吾の家に棲むことになって、初めてお風呂場を作ってもらった時、嬉しかった。ずっと、虫扱いが当たり前だったから、省吾が優しくしてくれた時、嬉しくて、ちょっとだけ、甘えてみたく、なっちゃったんだ」
言葉を選んでいたが、少し黙った後、ぽつりと呟いた。
「でも、予想以上に、クオリティが高くて、いつか、私にはできない、見返りを要求されるんじゃないかって……それで、省吾もそのうち、皆みたいに、私を虫扱いしだすんじゃないかって、怖くなっちゃった」
「要するに君は、俺で度胸試しをしていたということか?」
「……そう、なのかな、この場合」
「なら、もうそれは止めた方がいい。俺は君を虫扱いなんてしないし、君が何と言おうと、俺の中では君は人間だ」
「それは、どうして?」
「俺にとって、身体の大きさは、大した問題じゃないからだ。世の中、色んな人間がいる。それぞれに個性があって、特徴がある。君も俺も、そういう中の一人だ。それに……君は確かに、できないことが沢山ある。でも、それは俺も同じだ。できないことを、互いに補いあう……それでも、いいんじゃないか?」
人は、独りじゃ生きていけない。そこに、身体の大きさは関係ない。
「でも、私、私……」
不安そうな声……あともう一押し、必要らしい。
「俺は、りまがいてくれて助かっている。プライベートでの労働は気にしなくていい。いてくれるだけでいいんだ。……三十路過ぎの男の独り暮らしは、時々寂しくなるからな」
思わず笑みが零れる。
「それに、君が初めて我儘を言ってくれた時、嬉しかった。まだ出会って間もないんだが、どういうわけか、俺は、君の手足になれることが嬉しくてたまらないんだ。次はどんなお願いが来るのか、楽しみでもある。だから……りま、頼むから、俺から楽しみを奪わないでくれ」
仕事に行って、家に帰り、飯を食べて風呂に入って寝るだけの生活。そこに、新たな楽しみが生まれた。
「……」
りまからの返事は無かった。
「りま?」
振り返ろうと首を動かした。
「待って、まだ、見ないで……」
言われたので、仰向けで止まった。
「省吾の気持ち、ちゃんと伝わったよ、ありがとう……でもね、その……サプライズは、今回だけにしてほしいんだ。まだ、ちょっと不安っていうか……あっ、省吾が信用できないってわけじゃなくて……私、ちゃんと、してほしいことは言うから。その分、できる限り、省吾の力になるし、推理も、真剣にやるよ。だから……これからも、よろしくね……」
もう振り返っていいよ、と彼女は言った。
見ると、暗がりの中、空色のワンピースを着たりまが、恥ずかしそうにこちらを見ていた。裾は問題無し、袖は七分袖、首元は鎖骨の辺りまで広がっていた。改良の必要がありそうだが、一先ずは……。
「ああ、よろしく。……とても、似合ってる」
そう言うと、りまは嬉しそうに笑って、一度だけ頷いた。




