矛盾
目を開くと、真っ暗な室内。外から指す月明かりと、遠くにある別の小さな光が、視界に写った。
あれ、私、どうしたんだろう……そうだ、省吾と飲んでいたら、眠っちゃったんだっけ。また、迷惑かけちゃった……。
起き上がると、すぐ目の前に壁が見えた。
「?」
手を伸ばして触れる。土でも紙でも漆喰でもない。これは、プラスチック?
見上げると、天井……といっても、省吾の部屋とは違う。手は届かないけど、省吾の部屋の天井より低い。
目が慣れてきて、わかってきた。壁にも天井にも、綺麗な花柄の模様が描かれている。
見下ろすと、いつものハンカチじゃない。ふかふかの、これは……布団? プラスチックの箱の上に、布団が載っている。いや、違う、これはベッドだ。省吾の作ったものとは違うベッドだ。
その横に、小さな箱。中には何も入っていない。これは棚だ。
「どういうこと……?」
困惑していると、遠くにあった小さな明かりに影がさした。
「起きたか、りま」
はるか上空、私を見下ろす省吾の姿があった。彼がいる側は、いつもの部屋の光景が広がっている。
「省吾、これって……」
声が震える。私の想像通りなら、これは……。
「ドールハウスだ」
優しく微笑んで、そう言った。やっぱり、そうだったんだ。
省吾が買ったドールハウスは、二階建てだった。二階部分に寝室があり、一階にダイニングがある。
階段を降りて、いつもの大きなテーブルに降り、改めてハウスを見上げた。
とても大きな、一戸建ての家。半分は壁がなく、中が剥き出しになっている。
「これ、いくらしたの?」
不躾だとはわかっていた。でも、聞かずに入られなかった。
「四千円くらいだな」
「……」
結構するなあ、と思った。
見回すと、省吾の部屋のリビングの電気は消えていたが、キッチンの電気はついていた。遠くの明かりの正体はこれだった。
「キッチンで何してたの?」
「これを作っていたんだ」
そう言って、差し出したのは、私と同じくらいの大きさの、青空模様のワンピースだった。
「本当は採寸したかったが、君が寝てしまって……でも、サイズはあってると思うぞ。結構力作なんだ。是非、着てみてくれ」
楽しそうに言う。こんな省吾を見たのは初めてだ。……って、そうじゃなくて。
「あ、あのね、省吾……できたら今度から、こういうことは、止めてほしいんだ」
そう言うと、目を見開いた。
「好みじゃなかったか? それは、すまなかった」
「あ、いや……」
そんなんじゃだめだ。もう少し、はっきり言わないと、この人はわからない。
「省吾はさ、住み着いた虫に、家を用意したりする?」
そう言うと、省吾は真顔で言った。
「……すまない、言っている意味がわからない」
「……」
もっと、直接言わないとだめか……。
「私には、家をやるような価値は無いよ」
「いや、俺は、そうは思わない」
見上げた省吾は、私の顔をじっと見つめていた。
「要するに君は、自分は虫と同じだと、言いたいのか?」
「同じっていうか、それ以下なんじゃないかな」
そう言うと、省吾は深刻な顔で黙ってしまった。何を考えているんだろう、無表情だから、考えが読めない。
「どうしてそんなことを言うのか、俺にはわからない。君は人間だろう?」
「人間じゃないよ、私なんて」
首を振って、更に続けた。
「私は、確かに、形は人間に似てるけど、大きさが違う。このテーブルの上から、逃げ出すことすらできない、ちっぽけな存在……蝿みたいに空を飛ぶことも、蟻みたいに壁を這うことも、できない。家をやる価値なんて無いんだよ」
お風呂の地点で、やりすぎなくらいだった。
「それは違う」
省吾が、僅かに語気を強めた。
「違わない。はっきり言うけど、困るんだよ、こういうこと。これでもし、皿を洗えとか、部屋を掃除しろとか言われても、何もできないし……それどころか、私には、お皿を持つことすら、できないんだよ……」
何だろう、胸が苦しくなってきた。自分で言ってて、とても、辛い。顔を見られなくて、俯いた。
「俺は別に、見返りとかは望んでいないんだが……というか、それを言うなら、君からは、推理という形で、返してもらっている」
「それは、初めて来た時に話したけど、家賃代わりだよ。住まわせてもらう見返り。置かせてもらってることは、本当に感謝してる……でもここまでされたら、私、どうしたらいいか……」
「そこまで言うなら、どうして、初めに風呂やベッドを出した時に、言ってくれなかったんだ? それに、君は服を欲しがった。酒も飲みたがった。それは何故だ?」
確かに、そうだ。
「あの時は、省吾も、すぐ皆と同じになるって思ってたから、何も言わなかった。服だって、安いのを買ってくれればいいと思ってた。器用だとは言ってたけど、まさか、本当に作るなんて、思ってなかったから……」
目の前に置かれた、綺麗なワンピース。正直、着てみたい。
「……とにかく、私は、何も返せないよ」
手が震える。涙が出てきた。
「りま、君は確かに、他の人間と大きさが違う。でも、それだけで、他は全て同じだ。衣食住を必要とする普通の人間だ。それに、俺は君に見返りを求めたりはしない。俺は、同居人にサプライズをしたと思ってる。……趣味じゃなかったなら、申し訳ないことをした。でも、俺のしたことをそういう風に捉えられるのは、正直、心外だ」
思わず顔を上げた。省吾は、悲しそうに私を見ていた。
「だって……だって、おかしいよ」
「じゃあそのおかしいところを、俺が納得いくように説明してくれ」
「えっと、その……」
何て言ったらいいんだろう。
「りま、自分の言っていることが矛盾していること、気付いているか?」
「……」
確かに、矛盾している。わがままを言っておきながら、困るだなんて。
「はあ……もういい、今日はもう寝よう。俺は明日は休みだから、二人でゆっくり考えよう」
おやすみ、と言って、電気を消して布団に潜ってしまった――。




