『愛』というカタチ
初めての恋愛もの?です。恋愛要素がほぼ皆無なので微妙ですが『愛』をテーマにした作品なので恋愛物にしておきます。
「結婚はしたが、私はお前を妻として――いや、女として見るつもりはない。私には今は愛せないが側妃として迎えたいと考えている女性がいる。お前は彼女を迎えるまでの間大人しくしているだけのお飾りの正妃としているだけでいい」
拒否も異論も認めないと告げるのは、結婚と同時に王位を継承したガスピラージⅢ世。そして、それを歴代国王夫妻が過ごしてきた神聖な寝室で告げられるのは侯爵家出身の王妃シェルシーフだった。本来ならば、世継ぎがちゃんと生まれるように見守る人間や衣装を脱がせるための召使いがいるのだが、彼らはガスピラージの厳命によって退室していたので今寝室には二人しかいなかった。
「だが、私も鬼ではない。お前にも女としての幸せを得る権利はあるはずだからな。そこでだ、私に関係を求めず側妃との関係に口出しをしないのであれば、私もお前がどこの誰と逢瀬を重ねようとも関与しないことを誓おう」
告げられたシェルシーフは大きすぎるベッドの前で服を脱ぐべくかけていた手をすっとしたに下し、意を決したようにガスピラージを見据えた。
「……わかりました。ただし、その提案を受け入れるにあたって陛下にはお認め頂きたいことがございます」
「なんだ?申してみよ」
本来ならばこのような申し出を聞くつもりはなかったが、自分が無理を言うということで聞くだけならば聞いてみてもいいかもしれない――ガスピラージはそのように考えたのだった。
そして、シェルシーフから告げられた内容に願ってもないと破顔してその申し出を快く受け入れ寝室をあとにしたのだった。
軽い足取りで寝室を出て行ったガスピラージはこれから起こりうる悲劇を予想だにしていなかった。そう、夫婦でありながらシェルシーフを見ようとしていなかったガスピラージには気付きようがなかった。シェフシーフが浮かべている憎悪も――それ以上に深い『愛』も。
【ガスピラージ運命の出会い】
ガスピラージが運命の出会いを果たすのはシェルシーフとの結婚が決まってから5年後のことだった。
出会った時はまさに運命だと思ったほどだった。
「殿下。よろしければこちらを」
そう言って差し出されたのは冷たい濡れタオルだった。
訓練で疲れた体にはありがたかったが、今までそのようなことをしてくる者は一人もいなかった。
当然だ。ガスピラージは王太子、つまりは次期国王だ。そんなガスピラージに不用意に近づくなど許されるはずがない。さらには今いるのは訓練場――多くの練達の兵士が詰めている場所だ。最悪不敬罪で切り伏せれれてもおかしくはなかった。
だが、兵士たちは彼女――イクランシアの行動に驚き、剣に手をかけたものの止めるべきかどうか迷っていた。この兵士たちの忠誠心を疑うような行動に対し、ガスピラージも困惑した。
そして、騒然とする兵士たちの間を掻き分けるように一人の兵士が姿を現した。
「イクランシアッ!!」
イクランシアの行動が信じられないと咎めるような大声を上げ、イクランシアをガスピラージから引き離した男はどこかイクランシアに似ていた。
「……あら、お父さん。どうかしたの?」
なぜこんなことをされるのかわからないと首を傾げるイクランシア。
(…あぁ、父親だったのか)
ガスピラージは目の前の光景に思考がずれているのかそんなことを考えていたという。
言われてみれば、雰囲気や瞳の色などの類似点が多いことに気付いた。
その兵士の名はシュワッチ。王国軍の小隊長を務めている人物だった。
「どうしたのじゃないだろっ!お前は一体何をしたかわかっているのか!?」
「何って…、殿下が汗をかいていたから濡れタオルを渡しただけじゃない。汗をかいたままではお風邪を召してしまうわ」
「それは、そうだが…!――も、申し訳ございません殿下!!」
イクランシアを叱りつけていたシュワッチだったが、ガスピラージが見ていることを思い出すとイクランシアを後ろに下がらせ――傍目に見ると庇うように前に出ると――そのまま勢いよく地面に膝と手を付いたのだった。
「殿下!娘の行動は単に私の不徳の致すところっ!何卒、何卒っ寛大な処置を!!」
シュワッチはイクランシアを助けるために必死だった。
そしてそんなシュワッチの姿を見て、多くの兵士たちも減刑を願い出た。
シュワッチは平民出身の兵士だった。
才能があったわけでもなく、弛まぬ努力の末に40を過ぎてようやく小隊長という地位に就いた男だった。彼が小隊長という地位に就けたのは、彼が民から慕われているからだった。
今まで自分の周りにはいなかった者たちからの懇願。そして父の姿を見ていられず自分の過ちに気付き今度は父を庇うように前に出るイクランシアの姿を見て、久しく感動を覚えていなかった心が大きく跳ね上がるのがわかったのだった。
それからガスピラージはことあるごとに訓練場を訪れ、彼らと交流を深めていく。そして、自分の周りにもこれほど人間味の溢れた者たちがいるのだと勇気づけられ、交流するうちにイクランシアに好意を寄せていたのだった。
「イクランシア。私は即位と同時にロイヤルタン侯爵令嬢シェルシーフとの結婚が決まっている。だが、必ずお前を側妃として迎えるのでそれまで待っていてくれるか?」
気付いた時にはもう遅かった。
溢れる感情を止めることができず、ガスピラージはイクランシアの手を取り愛を誓っていた。
「…はい。殿下。その日が来るまで私は殿下をお待ち申し上げております」
そして、イクランシアも初めは周りの兵士たちと同じように対応をしていたが、次第に王族としての生活しか知らないガスピラージを支えたいと思うようになっていた。
これはシュワッチが王族を守るために必死で訓練している姿を幼少の頃より見つめていたことも大きな原因だったのかもしれない。
そして、この誰にも知られない『愛』は結ばれた。
【法律は王の下で】
新婚2日目。つまりはガスピラージが正式に王としての職務を開始する日、ガスピラージはシェルシーフが理解を示してくれたことで計画が上手く進んでいると浮かれていた。それこそ浮かび上がりそうなほどだ。
このような気持ちで王としての生活が始まるとは夢にも思っていなかったのだ。
王としての政務は書類との格闘だ。だが、流石に即位してすぐに書類仕事をするわけにもいかない。いや、するにはするのだがそればかりというわけにもいかないのが現状だ。
そう、まずは――
「陛下、次はこちらのお召し物にお着替えください!」
これからガスピラージは王国全土を巡り即位パレードを行わねばならないのだ。当然、即位と同時に結婚したシェルシーフも正妃として同行することになっていた。
「「「キャアーーー!!」」」
パレードで切る衣装合わせをしていると、侍女の叫び声が響き渡った。
「何事だっ!?」
尋常ならざる悲鳴にガスピラージも護衛を連れて声のした方へと駆け出した。
「へ、陛下っ!?き、来てはいけません!!お戻りください!!」
辿り着いたのはシェルシーフが衣装合わせをしているはずの部屋の前。ガスピラージの姿を見留めた侍女のうちの一人が即座に扉を閉め、必死の形相でガスピラージを押し止める。
だが、その様子を見て何もないと思えるはずもなくガスピラージは強引に部屋に押し入ろうとする。当然、護衛もそれは同様だった。
なにせ、この部屋にいるのは王妃であるシェルシーフなのだから。まだガスピラージしかシェルシーフがお飾りの王妃であるということは知らないが、お飾りであろうとも王妃は王妃。その安否を気遣わない者など王宮にいるはずがなかった。
「そこを退け!王妃に何かあったのではないのか!!」
ガスピラージは別の理由で焦躁を浮かべていた。
それは、シェルシーフにお飾りでいいと言ったために絶望して愚かな行動を取ったのではないかという焦りと、今彼女が死ねばイクランシアと結ばれることにケチがつくという恐れだった。もし、シェルシーフが自害などしていた場合はその原因となったイクランシアとの結婚が認められる可能性は限りなく低くなる。その想いがガスピラージを動かした。
何があろうとも退こうとしない侍女を護衛に拘束させ、扉に手をかける。
「駄目ですっ、陛下ぁ!!」
その華奢な体のどこにそれだけの力があるのか、狂乱したかのように護衛を振り払いガスピラージを止めようと手を伸ばす侍女の声が届くがガスピラージは無視して扉を開け放った。
「なっ――!?」
そして扉の向こう側に広がる光景に絶句することになった。
「あぁっ、いいわぁ~」
「王妃っ、王妃ぃ!!」
扉の先には衣装を肌蹴させ、あえぎ声を上げながら男にしがみ付くシェルシーフの姿があった。
男は見たことがなかった。だが、その格好からドレスを仕立てた仕立て屋だろうと予想できる。
ガスピラージが絶句する中、項垂れる侍女。そして力なく項垂れたことで押さえつける必要がなくなり余裕が出来た護衛にも室内の光景が飛び込んできた。
「どう!?わたくしの初めてを奪った感想は?」
「は、はいっ!最高です!」
頬を赤らめ衝撃の発言をするシェルシーフ。よく見れば彼女の足を伝う血を視界に収めることが出来るだろう。つまりは、シェルシーフの発言が真実である証拠が。そして、初夜を迎えたはずの王が王妃に手を出していないという不貞の証拠が。
「――っ!?き、貴様らっ、いつまで見ている!?すぐに出て行け!!」
その事実に気付いたガスピラージは呆然とする護衛や侍女を追い出した。
「……あら、陛下」
「へ、陛下っ!?こ、これは違うのです!!」
扉が閉まる音でようやくガスピラージが入ってきたことに気付いたシェルシーフは火照って染まった顔を向け、妖艶な笑みを浮かべる。それに対し、男は先程までの興奮が嘘のように顔を蒼白とさせ狼狽えていた。
「……王妃と話がある。早々に出て行け」
ガスピラージはシェルシーフを睨みつけながら、男を視界に入れることなく厳命する。男は悲鳴を上げ、乱れた服装を直すこともなく部屋を飛び出した。
だが、彼に逃げ場などあるはずがない。このような醜聞を広げないように部屋の外に控える護衛が彼を決して逃がしはしないだろう。
「王妃!何の真似だっ!!」
男が退室するとガスピラージは憤ってシェルシーフに詰め寄っていく。
「……何の真似とは、何のことですの?」
シェルシーフは先程までの笑みをどこにやったのか、つまらないモノを見るような視線をガスピラージに向けると乱れた衣装を戻し始めた。
だが、足を伝う血はそのままでここで何が行われいたのかが明確なままだった。
「何だその態度はっ!貴様、ここまで堂々と不貞を働いておいて」
好きに逢瀬を重ねよとは言った。だが、まさか白昼堂々他人の眼がある状態で行うとは思ってはいなかった。そこまでの男好き――考えなしとは思わなかったのだ。
「あら?おかしいですわね。わたくしの行動は他ならぬ陛下、あなたがお認めになったことではありませんか」
シェルシーフはなんでもないように1枚の紙を取り出した。
「ほら、ここにそう書かれているでしょう?」
『我、第28代アポラシカ神聖王国国王ガスピラージⅢ世は王妃シェルシーフとの間に以下の契約を結ぶものである。
・我がシェルシーフに手を出さないことを誓う。
・我が後に迎える側妃との逢瀬を黙認する。
・我と側妃の関係に一切の口出しを禁ずる。
・我が側妃を迎えるまで王妃としての職務を遂行する。
上記の契約を守る限り、我は我の名において下記の内容をどのような事態になろうとも厳守することを神に誓う。
・シェルシーフが我と肉体関係を結ぶことを拒絶する。
・シェルシーフが如何なる相手と逢瀬を重ねようとも黙認する。
・シェルシーフが望むならば相手が如何なる身分であろうとも自国民である限りは誘いを断ることを禁ずる。
・シェルシーフが望む時、場所の制限はないものとする。
・シェルシーフが子をなした時、その子が男児であった場合には王位を与えない代わりに公爵の地位を与える。女児であった場合には、我の血を引く次期王との婚姻を結ぶものとする。
・また、これらすべては我ガスピラージⅢ世が王命によって厳守させることを誓う。
ガスピラージ・エンデ・ヴィルシュ・フォン・アポラシカ』
その紙にはガスピラージの筆跡で確かにそう書かれていた。
「それは制約はした!だが、人目も憚らずに行うのが王妃として正しい姿かどうか考えるまでもなくわかることだろうっ!!」
ガスピラージはイクランシアを王妃として迎えるまでシェルシーフには正しく王妃としていてもらわねば困るので怒りを顕にしていた。
「契約違反だっ!これ以上の恥を晒す前にお前を監禁する!!」
怒りに血が上った状態での宣言。王妃としての執務をさせるよりも人目に触れない場所に監禁する。それが王としてのガスピラージの決断だった。そして、本来ならばこの命令に逆らうことが出来る者などいるはずがなかった。
「あら、それは無理ですわよ?」
だが、シェルシーフはガスピラージの憤怒を受けながらもそれをどこ吹く風と言い放った。
「なんだとっ!?」
さすがに反論があるなどと予想もしておらず、ガスピラージは驚愕に目を見開いた。
「貴様、王命に逆らうつもりか!形だけの王妃の分際でっ!!何様のつもりだ!!!」
その怒号は扉の向こう側だけでなく、王宮中――王国中に響いたのでは?そう思わせるほどの迫力があった。
しかし、それにもシェルシーフは怯まずに告げた。
「……だって、この契約は陛下が神に誓っているのですよ?知っているでしょう?神に誓った制約は例えどのような人物であろうとも違えることはできないのだと。もしも、これを破るというのならば……お分かりですわよね?」
まるで幼子に諭すように言われたことでガスピラージはようやく自分の失態に思い至った。
この国では神に誓った制約を破ればどのような身分であろうとも神罰を受け、半世紀陽の光の当たらない場所で過ごさなければならない。
大半が1年もしないうちに正気を保つことができずに死ぬというその凄惨な罰を。
そして、これは王族であろうとも例外ではない。
かつて戦が激しかった頃、戦端を開く際に王は宣言した。
『神に誓って、諸君らを無傷で栄光の地へ連れ戻る』
だが、この宣言は守ることなど到底できない物だった。王も兵士たちの士気を上げるためだけに言った言葉だった。だが、戦争が終わってしばらくすると王は一人陽の当たらぬ場所へと赴いた。
直前、最後の王の姿を見た者は後に「まるで何か憑りつかれているようだった」と語っており、これは神が誓いを守らせたのだと語られている。
それ以降、神に誓った文言を破ることは最大の禁忌とされてきたのだ。
ガスピラージはシェルシーフに言われるがままにその誓約書を書いた。何故疑わなかったのかと言うと、誓約書は神に誓った内容だけでなく誓約書に書かれたすべての内容を全うしなければならないからだ。つまりは、神に誓っている以上シェルシーフはガスピラージとイクランシアの関係を邪魔できない。
何よりも王妃になるためにこれまで努力を続けてきたシェルシーフならば馬鹿な真似はしないだろうと高を括っていたのだ。
そして、その目論見は見事に崩されることとなった。
ガスピラージは何も言うことが出来ず、憔悴しきって部屋を出て行った。
部屋の外で出迎えた臣下の何とも言えない表情を見る勇気もなく、ただ苛立ちをぶつける対象は必要だったのでシェルシーフと行為に及んだ男はそのまま投獄。パレードが終わって帰ってすぐに反逆罪で処刑した。
そして、処刑と時期を同じくして王国中に国王と王妃の誓約の内容が広まっていった。
【執務に王は関われない】
王妃との契約が広まってから数か月。王の執務はかなり滞っていた。
理由は単純だ。何かしようとするたびにシェルシーフが重要な役職の者を逢瀬に誘っているからだ。
会議の際には宰相をはじめとした文官や大臣、戦争に赴く際などには将軍や指揮官など年齢も外見も全く統一性もなく時には身分の貴賤さえも意味をなさなかった。
そんな風だからガスピラージを支えていた重鎮たちは自分たちだけで話し合ってその結果だけを王に届けるようになっていた。シェルシーフが王の邪魔をしているのはなんとなくだが気付いていたのだ。
だが、国政に王が関われないとなると当然滞ってくる執務だって少なからず出てくる。
結局は僅かな滞りが起こり、国政はどんどん悪い方向に進んでいる状況だった。
「くっ!このままでは計画が…!」
ガスピラージは焦っていた。
そもそも、王位を継いだらすぐさま戦端を開き、その際にはシュワッチ率いる小隊を護衛に抜擢してその戦果を持ってシュワッチに男爵位を与えてイクランシアを男爵令嬢にすることでうるさい貴族を黙らせ側妃として迎えようと考えていたのだ。
だが、この纏まらない状況では戦争をするわけにはいかない。
「なんとかして、シェルシーフを抑え込まなければ…」
契約を結んで喜んでいた自分が恨めしい。そんな風に考えながらも執務とは関係なく積み上げられた書類の山に視線を向け、再び頭を抱えることとなった。
その書類は王に対する――正確に言えば王命によって許されているシェルシーフの行動に対する――苦情だった。
差出人は当人であったり、家族であったり。特に酷いのが誘われた者の妻であった。
「品のない女を断罪しろ!」「人の夫に手を出させるな!」「汚らわしい娼婦が王妃であっていいはずがない」
そんな内容が見て取れ、そして貴族などの中にはこのままでは王族の血筋が穢れるので自分を今すぐに側妃として後宮に入れろなどという内容もたびたび出てきたので、どうやって騒動を抑えるかという問題だった。
側妃を取れば…そう考えもしたが、契約には側妃が誰かを明記してはいない。
これは明確にすることでイクランシアがシェルシーフに冷遇されることを恐れた為だ。つまりは、今の段階で後宮を開き、側妃を取ればシェルシーフに対すりガスピラージ側の要求は達成されることになってしまう。
そうなれば、シェルシーフを止める手立てが見つからなくなり、暴走が今よりも激化するのは目に見えている。最悪、イクランシアに何らかの被害が出る可能性もある以上、ガスピラージにその選択肢はなかった。
そもそも、いつか迎えに行くと言っておきながら別の側妃を娶ればイクランシアに何と思われるか…。それがガスピラージには恐ろしかった。
そして今日もほとんど政務が進むことはなく、本当に重要や案件の書類にのみ目を通したところで日が暮れたのだった。
やがて、王に頼ることはなくなり、むしろ騒動の原因となっているシェルシーフとの逢瀬を利用して政務が行われていくようになりアポラシカ神聖王国は枕政治国家と揶揄されることになる。
【眠れない叫び】
「……またか」
政務をほとんどすることがなくなり、人目を忍んでイクランシアに会いに行くだけの日々が続く中、最近ガスピラージは眠れない日々を送っていた。
「…あら、あなた可愛らしい見た目をしているわね」
ある日、シェルシーフは適当にひっかけた兵士を伴い城下町を下見していた。そして、そこで元気に遊ぶ子どもに目を付けたのだ。
「いいわ。今日の伽はあなたにしましょう」
強引に城に連れ帰ろうとするシェルシーフ。当然、それを見ていた子どもの親がシェルシーフから子どもを引き離そうとする。
「いいこと?これは陛下によって許されている行為なのよ?あなたごとき平民が王命に逆らってただで済むとでも?」
シェルシーフが告げるとビクッと震わせ、伸ばしていた手を引っ込める。それに満足したのかシェルシーフは泣き叫ぶ子どもを引っ張って王宮へと戻っていったのだった。
それからというもの、王宮では毎夜子どもの泣き声が響き渡っていた。
聞く者が耳を塞ぎたくなるような悲痛な声が毎夜毎夜聞こえてきて、ガスピラージは眠れない日々を送っていた。
虚ろな瞳で僅かばかりの金銭を貰った少年たちが王宮から立ち去っていくのを見るのが日課となりガスピラージは壊れ始めていた。
「…もう、許してくれ」
ついにはガスピラージは誰にかはわからないが許しを請うようになっていた。
【契約は成立しない】
「陛下っ!!」
突如として駆け込んでくる兵士。当然、護衛によって押さえつけられるが、兵士はその制止を振り切りなんとか執務室に入ろうともがいていた。
「…お前は。おい、入れてやれ」
「はっ!!」
駆け込んできた兵士には見覚えがあった。名前は覚えていないがシュワッチの部下だ。それがこのような必死の形相でやって来るということは何か一大事があったのだろう。
「何があったのだ?」
護衛が後ろに控えた状態でビクビクしている兵士にできるだけ優しく問い掛けた。
兵士は落ち着かない様子だったが、意を決したように語り始めた。そう、ガスピラージにとっての絶望の報せを。
「なんだとっ!?シュワッチが、イクランシアが投獄されただと!?」
一体どうして!?
机を迂回して兵士に詰め寄る。
「…そ、それがっ!王妃様が隊長に伽を命じられ……」
そこまで聞けば、流石にピンときた。
つまりは、シュワッチはシェルシーフの誘いを断ったのだ。
だから投獄された。
「そんな馬鹿なことがあってたまるかっ!!」
ガスピラージはすぐさま執務室を飛び出した。向かう先は牢屋だ。
「シュワッチ!!」
牢番たちの制止も聞かず、ガスピラージはシュワッチの投獄されている鉄格子を掴んで叫んでいた。
「……へい、か」
弱々しい声で横たわるシュワッチ。何とか息がある程度でその姿はあまりにも弱々しかった。とても鍛え上げた兵士とは思えない。
「陛下っ!そこにいらっしゃるのですか!」
そして離れた場所から聞こえてくる声に顔を上げるとすぐさまそちらに駆け寄っていく。
そこには愛しのイクランシアと彼女の母親だと思われる女性がいた。イクランシアの母親は彼女をほんの少し老けさせたような容姿で、ぐったりしているせいかまるでイクランシアかと見間違いそうになったほどよく似ている。
「イクランシアッ!」
「あぁ…、陛下!お助け下さい!父がっ!」
「…今、会ってきた。何があったんだ?」
「それが――」
イクランシアは語る。
昨夜、突如として王妃が家を訪れ、シュワッチに伽を命じた。だが、妻もおり娘と同じぐらいの歳の王妃を抱くことなど実直なシュワッチにはできないことだった。
彼も契約のことは知っている。他ならぬ愛娘が関わる内容だ知らない方がおかしい。だからこそ、やんわりと断った。
だが、シェルシーフは認めようとせず強引に連れて行こうとした。
その時、イクランシアは家族の前から父親を王国に仕える臣下を奪うのかと叫び、さらには自分こそが契約にある側妃だと宣言してしまった。
「……図々しい。側妃とは後宮に入るまでは認められないわ」
シェルシーフはそう言うと、シュワッチを反逆罪でイクランシアを反逆罪および王国侮辱罪で連行すると宣言した。母はその時にようやく行動を起こすことが出来イクランシアを逃がそうとしたので一緒に捕まったのだと。
「おのれっ!!」
ガスピラージはもう我慢ならんとシェルシーフのもとへと走って行った。牢番にはただちに3人を釈放することと主だった重鎮を全員集めるように命令してから。
「シェルシーフ!!!」
バンッ!と大きな音を立ててシェルシーフの寝室の扉を開け放つ。そこにはいつものように男と共にいるシェルシーフの姿があった。
「あら?どうなさいました?こんな夜更けに」
夜更けとは言うが、まだ寝るには早い。本来ならば男の場所はガスピラージがいるべき場所だと言えるほどに。
シェルシーフは久しぶりに邪魔されたことに怪訝そうに眉を顰め、男は突如の王の来訪に驚きこそ見せるものの冷静な態度で衣服を身に付けていた。
「…陛下、いかがなさいましたか?王妃様の逢瀬を邪魔するのはさすがに…」
男は将軍だった。それもガスピラージが幼い頃より指示していた信頼のおける。
彼に窘めるように言われれば即座に考え直したほどの相手だったが、今のガスピラージを止めることなどできはしない。
「黙れっ!今はシェルシーフと話しておるのだ!!」
「…はっ!申し訳ございません」
「……で?何か御用ですか?夜伽の相手をするつもりのない方に来られても迷惑なのですけど?」
「うるさい!!シェルシーフ、貴様よく契約を破ったな!!」
「…はて?何のことでしょう?私は契約違反などしておりませんが?」
むしろこの状況こそ契約違反では?そう語るシェルシーフの言葉はガスピラージの神経を逆撫でした。
「白を切るつもりか!!余の側妃であるイクランシア、そしてその家族に手を出しておいてよくもっ!!」
「…側妃?はて、わたくしは耳がおかしくなったのかしら?確かに今陛下が側妃とおっしゃったように聞こえたのだけど…?」
問い掛けられた将軍は無言の状態で肯定を示すように頷いて見せた。その態度が忠誠を他人に移しているようでガスピラージにとっては面白くない。
「陛下、陛下が何と言おうと王宮が国が認めていない状態では側妃は存在し得ません。もしも、今現在側人名乗る者がいるならばそれは偽称でしかないのですよ?」
「黙れ!黙れ!黙れぇえええええ!!!貴様の屁理屈はもう聞き飽きた!!今宵でこの茶番も終わりにしてやる!!」
ガスピラージが叫ぶと扉を開いて重鎮が続々と姿を現していた。彼らはどういう状況なのか理解できず呼ばれるがままにやって来たので着の身着のままの格好をしていた。
「……陛下、これは一体?」
宰相が代表して声をかける。
将軍がいるのはもはや契約のことだと疑う余地はないが、それにしてはガスピラージの興奮が異常だったのでおそるおそる尋ねる形となった。
「よく来た。聞け!私が側妃に迎えようとしていたイクランシアとその両親が投獄された!よって、私は今すぐに彼女らの解放とイクランシアを側妃として迎えることを宣言する。すぐさまそう取り計らえ!!」
ガスピラージの宣言に対し、臣下の行動は否定だった。
「何だとっ!?」
何故命令を聞かないのか!そう問いかけるとまたしても宰相が代表して答える。
「…話に聞けば、少なくとも投獄の理由として弱いのは母親だけです。父親とあと令嬢……名前は何でしたかな?」
「イクランシアだっ!!」
宰相の覚える気がないような態度が腹が立ち声を荒げてしまう。だが、宰相は眠い眼を擦りつつ淡々と答える。
「…あぁ、そうでしたな。この歳になるとどうでもいい名前を覚えるのはしんどいですな」
「どうでもいいだと…!シェルシーフとあれだけ逢瀬を重ねる元気がありながら、歳とはよく言ったものだっ!!」
親の仇を睨むように目で罵るが、宰相にはまったく効果がなかった。いや、宰相以外もこの話には興味がないのか欠伸を隠そうともしていない。それはそうだろう。ここにいる男性は皆がシェルシーフと王命によって幾度となく逢瀬を重ねてきた者たちなのだから。平民とはほとんど一度だけの関係の築くシェルシーフだったが、重鎮たちは例外として幾度となく逢瀬を重ねていたのだ。
「で、その娘ですが王妃様のおっしゃるように今の段階で側妃はおりません。つまりは、側妃でないの側妃であると偽称したことになります。それを許しておけばこの国は側妃だらけになってしまいますぞ?それに例えそうでなくとも父親が反逆者ですからな。犯罪者の娘を側妃として迎えるというのを許すわけには…」
「それは、シェルシーフがシュワッチに伽を命じたからだろうがっ!奴は既婚者なのだぞ!!」
「私も既婚者でございますよ」
宰相の返しに、ガスピラージは集まった臣下の大半が同意するように頷いているのを確認した。
そう。制約には如何なる相手と重ねても良いとしてある。つまりは既婚、未婚は関係ないのだ。これもまた浮かれていたがゆえに確認を怠ったガスピラージのミスだった。
「だがっ、貴様らは喜んでいただろうが!!」
「……話になりませんな」
その後も散々言い訳を口にするガスピラージを残し、一人また一人と寝室をあとにする。残ったのはシェルシーフとガスピラージそして将軍だけだった。
「…それではもうよろしいかしら?」
背後から声を掛けられたガスピラージは背後で始まった情事の声を聞きながらとぼとぼと部屋を出て行ったのだった。
そんなガスピラージの耳にシュワッチとイクランシア処刑の報せが届いたのは明朝のことだった。
【愛のカタチ】
「きゃあっ!!」
ここはシェルシーフの寝室。そこでは、毎夜別の男性とシェルシーフの逢瀬が行われていた。もはや国中の男が訪れたのではないかという部屋にやって来た人物はある意味最初に来るべき人物だった。
「陛下っ!?何を」
シェルシーフを組み敷き、衣服を破り捨てるガスピラージ。その眼は血走り常軌を逸していた。
「うるさいっ!!お前が、お前さえいなければ!!私の契約はもう叶わん!ならばせめてお前を道連れにしてやる!!」
ガスピラージはこの日、シェルシーフを犯し尽くした。
契約の内容『我がシェルシーフに手を出さないことを誓う』『シェルシーフが我と肉体関係を結ぶことを拒絶する』それを破る為だけに。
だから行為に及ぶ際彼女の口を塞いだ。
だが、ガスピラージは気付かない。シェルシーフを見ていないがゆえに。シェルシーフを見ていれば、彼女が笑っているのがわかっただろう。
その表情は襲われた者が浮かべる者ではなかった。むしろ、愛しい者に向ける女の貌だった。
その後、アポラシカ神聖王国の国王夫妻が揃って陽の当たらぬ場所へと赴き王国は一時混迷を極めることになる。
【愛の果て】
「……陽の光がこんなに温かいものだったなんてねぇ」
50年後。生きて出ることが叶わないと言われていた暗闇から一人の老婆がゆっくりと姿を現した。その肌は陽の光を浴びていなかったために病的に白く、小さな光でも悲鳴を上げそうなほどだった。
だが、そんな彼女浮かべる表情は真逆であり、晴れ晴れとしていた。
そこに到着する1台の馬車。
馬車には王国の旗がはためいていた。
そして、一人の男性が下りてきた。
豪華な衣装に身を包んだその男性は威厳ある歩みでゆったりと老婆に近付くと彼女の手をしっかりと握りしめた。
「母上、お迎えに上がりました」
「ああ、わたくしの愛しい息子。あの人……陛下と私のたった1つの宝物」
優しく男の顔を撫でると、老婆――シェルシーフは体の力がすべて抜けたかのようにその場で前のめりにバランスを崩し、倒れていった。
その体をしっかりと受け止め、第29代国王プライドは彼女の痩せ細った体に王国の紋章の入ったマントをかけ、そのまま馬車に乗せる。
「……さて、父上を探し出さなくては」
馬車に運んでから優しい表情を浮かべたプライドは呟くと暗闇の中に入っていく。
馬車に残されたシェルシーフの亡骸――そこにかけられたマントには彼の筆跡でこう記されていた。
『約束の時が過ぎた時、父ガスピラージと母シェルシーフをいかなる形であろうとも王国に連れ帰ることを神に誓う』
歪んだ愛の結晶は歪むことのない『愛』のカタチをしていた。
補足説明と軽い人物紹介。本編のイメージを損なうおそれがありますので、本編で満足した方は見ないことをお勧めします。
・シェルシーフ(王妃)
契約を逆手にとってやりたい放題。だけど、本心では王を愛しており愛されるために画策していた。実は最初(王の八つ当たり要員の犯罪者)と王が乱入したときの将軍を除いて肉体関係はなく、基本的に話などをしていた。子どもには怖い話を延々と聞かせるのを楽しんでいた(そのため子どもは寝不足で憔悴していた)。平民には決してここでの出来事を語らないように契約を結んでいた。(とは言え、民間にも噂が広がっているので語らなければそういうことをして来たのだと誤解され、家庭環境や夫婦、恋人仲が険悪になったとかならなかったとか)王と関係を持ったことで共に罰を受けるが、王の子供を身籠っていたとわかり、子供だけは外に出した。
・ガスピラージ(王)
幼少から優秀で隣に並ぶ者が居なかったために常に孤独を感じていた。シェルシーフとの婚約については理解を示していたが彼女本人には興味がなかった。シェルシーフへの復讐を果たしたことで満足したのか子が産まれたことも知らずに死亡した。
・イクランシア(側妃予定)
下町の娘であり、誰とでも仲良くなれるが身分の高いところで暮らすには知識不足。初めはガスピラージをそこら辺の威張りたがりのスゴい人ぐらいの感覚で接していた。シェルシーフに捕らえられても側妃であると主張し続けた結果見逃すことは後々悪影響を及ぼすと判断した重鎮によって刑に処された。父親は脱獄させようとしたことが本来の刑の内容。
・プライド(子)
母の愛によって生を受けた王子。母の最期を看とると父を探すために単身乗り込んだ。ガスピラージの遺体を見つけられたかは……。ガスピラージ、シェルシーフの孫もおり王位は早々に譲り渡している。
・闇の間
神罰を受けるものが訪れる陽の光一切届かない空間。食べ物は外から渡される。基本ファンタジーなのでで説明がつく空間。