6
衛士は、少女にとって未だ足りてないものを足す――
少女も風呂から上がって、俺も風呂に浸かって上がると、今日はもうやることも無いので就寝することにした。
少女を部屋に案内し、別れて自分の部屋に入る。
改めて自室を見渡すと、やはり段ボール箱で埋め尽くされていた。
「面倒だ……」
思わずぼやく。幾らなんでも、疲れきった体に鞭打って、今からここの荷物を整理整頓する余裕は無い。
取り敢えず、ベッドの上にある荷物と、そこまでの通り道にある荷物を全て脇へ退かすことにした。
作業開始から三十分。
「……稔め、わざと壊れやすそうな荷物を選んでこの部屋に置いたな」
おかげで荷物運びが慎重にならざるを負えなかった。
面倒な作業を終えて、ベッドに倒れこむ。なんだか今日は、バイトをやったわけでも無いのに、その倍くらい疲れた気がする。これが精神的疲労ってやつなのだろうか。
MP3プレーヤーのお気に入りの音楽をイヤホンをして掛け、リモコン操作でエアコンを起動してタイマーを掛けて、明かりを消す。最近の家電は、リモコンが一台あれば本当に何でも動かせるようになった。最近では、音声操作で操れるものもあるから、意外とこっちは旧式なのだけれど。まあ、以前のボロアパートよりかはマシだ。
思わず欠伸が出て、俺は目を閉じる。
そして思い返した。今日と昨日、二日間の出来事を。
本当に色々なことがあった二日間だった。あの少女と出逢い、そして心を開いてくれるまで、本当に色々と。
自分がいかに味気ない人生を送っているかがよく分かる。
それが嫌じゃないかと言われれば、そうでもない。
だけど、それは結局つまらないかもしれない。
確かに、俺は自分でもあまり感動しないと思っている。だけど、そうじゃない。
俺はあの少女と出会って、あまりにも自分らしくない事を、たくさんした。
それは本当に、変わったと言えるのだろう。
その変化は仔細なものでも、やっぱり大切にすべきだろうと、俺はなんとなく思った。
そう思い、寝返りを打った所で、
後ろから何かに抱きつかれた。
「……どうした、怖いのか?」
俺はその人物が何となく分かっていたので、聞いてみた。
少女は返答の代わりと言うように、さらにきつく体を抱きしめてきた。
その手が多少震えていることに気付きながらも、俺は何も言わないことにした。
やがて、少女は口を開く。
「……夢を、見たの」
夢………
「……また、あの人に捕らえられる夢」
あの人……ピエロの事か。
やはり、ピエロは少女にとって、トラウマの一つであり、彼女が塞ぎこむ要因になのかもしれない。
だが、こればっかりはどうしようもない。俺に出来るのはせめて―――
「……どうしてもって言うんなら、ここで寝ても良いぞ」
こうやって、彼女の傍に居続ける事だけだ。
でも少女は、その程度しか出来ない俺に、
「……ありがとう」
そうやって礼を言った。そんな事を言われるほど、俺は彼女の役に立ってないのに。
一つ、彼女の名を言いたくなった。そういえば、名前を聞いていない気がする。
だが、それを言いだす前に、
「……名前、聞いてない」
少女が切り出した。
俺は一瞬驚いた後、しかし直ぐに応えた。
「…衛士だ、結城衛士。―――お前は?」
訊くが、彼女は少し寂しそうな声で、
「……分からない。―――何も、覚えていない」
少女の名は、少女自身にも分からなかったようだった。
では、どうするか。
俺は迷わず、こう答えた。
「なら、俺が名前を付けてやる」
「……どうして?」
困惑気味の声を背中に感じながら、俺は答えた。
「簡単だ。名前があったほうが何かと便利だし、名前っていうものは個を確立させる」
「個を……確立させる?」
「そうだ。昔、日本の江戸時代まで、平民の殆どは名前を持っていなかった。だから個も曖昧だったし、互いを呼び合う時不便だった」
しかし、明治以降は話が変わってくる。
「だが、人々が姓名や名前を確立するようになると、明確な『個の違い』が一つ生まれる。これが個の確立だ」
「だから……名前を付ける?」
「そうだ」
「じゃあ、私の名前は?」
「あ? うーん、そうだな……」
ここは少し悩む所だ。
世界統一条約の規約の中には『各国の文化の尊重』の一つとして、名前の方式はどこの国のものでも可、というものがある。これによって、文化の違いによって生まれるであろう問題が一つ解決した訳だが……これは逆に、名前のバリエーションが豊富であるという事になる。さて、どうしたものやら。
頭の中に、幾つか浮かぶ単語を羅列させる。
白い髪だから、ホワイトとか? いや、しかしそれはあまりにもストレートすぎるだろう。だからといって、あまりにも難しい意味を考えすぎるといけない。
どうするか、と俺は生まれて初めての名付けに、苦戦するばかりだ。
「早く、教えて?」
迫るような声に、俺はもう、パッと思い浮かぶ単語を口にした
「ソフィア、とかどうだ?」
「どうして?」
少女は小首を傾げる。確かに自身の名前だし、意味を尋ねるなど当然のことだろう。だが、こちらとしては、適当に思いついた単語を口から出しただけで、この名前に深い意味がある訳でもない。なので、必死に脳内の辞典から、『ソフィア』の意味を探し出す。
「ソフィアっていうのは、叡智を意味し、その名を纏った女性は皆高貴な人ばかりだ。だから、その……イメージで……」
結果的には真実を話してしまった。
だが、後ろにいる少女は、特に憤慨した様子も無く、それどころか嬉しそうな声で、
「ソフィア……良い名前。なにか、懐かしい気がする」
どうやら、気に入ってくれた様子だ。
「本当に、その名前で良いのか?」
「うん」
最後の確認に、少女は躊躇い無く返答した。
「じゃあ、呼んでみるか」
俺は何となく、緊張感を覚えた。
「うん――――エイジ」
少女も、俺の名を呼んだ。そして俺も、
「―――これから、よろしくな。ソフィア」
少女の名を、そっと呟いた。
次回、第三章。
平和な朝を迎え、日常を謳歌する衛士とソフィア。
だが、そんな平和が長続きすることは、ありえなかった――




