プロローグ
長編小説「ファントムボーダー」の予告編のようなもの。
正直いって、あんまりコメディではないです。
長いので小分けします。
本編開始は来週ぐらいになるかも。
人が睡眠時に見る夢とはどんなものだろうか。
楽しい夢? 悲しい夢? 儚い夢?
人によって、それぞれだと思う。
しかし、その夢は全て幻想に過ぎない。それは誰だって分かっていることだ。
だが、人はそれでも、そこに何かを夢想する。
もっとも分かりやすいのは夢占いだろう。他にも、夢は人間の精神状態を表しているとも言う。
とにかく、人という生き物は、そこに何かしらのロマンや幻想を抱くものなのだ。
ただ、全ての夢が、幻想と言いきれるものでもない。
たった一つ、例外が存在する。
正夢、というやつだ。
それは夢の中で見たものが、目覚めた後実際に起こる、というものだ。
この性質から、予知夢とも言われている。
しかし、それも百パーセントしっかり再現できるかといえば、そうでもない。
例えば、明日学校を休む、という夢を見るとしよう。
夢の中で、登校しようとする自分に、母親が「今日は学校お休みだよ」と言ってきたとする。
そして目覚めて、それがそのまま起きるかといえば、そうでもない。
目覚めると、確かに自分はかぜをひいて学校を休んだが、しかし夢の中の内容と、結果のみ同じだっただけで、実際には、夢がリアルに正確に現実に起こることなど、そう無いだろう。
しかし、今宵、そのそうそう無い事がおきた。
その少年が、その夢を見たのは偶然か。
はたまた必然か。
それは神のみぞ知るといえる。
だがその夢は、確実に彼を世界の歪みへ誘う。
夢と現実が歪んで、踏み入れる事が出来てしまった境界線。
幻想の境界線を越えて。
俺が目覚めた先に有ったのは、見慣れている黄ばんだ天井では無くて、石畳にレンガのような壁という、奇怪な場所だった。
否、本当に俺は目覚めたのだろうか。先程までいた安アパートとは何もかもが違う。夢でも見ているんじゃないんだろうか。
しかし、そんな事確かめる術など無い。
仕方も無いので、辺りをぐるりと見渡した。
夜なのか全体的に薄暗いが、それでも、硬質な、石で組まれたような壁と、それに合わせたかのように床も石畳だ。ただ、それだけでは無くて、その床の上に赤い絨毯を乗せている所が、まるで西洋の古城を思わせる。というよりは西洋の古城そのままの気がする。こんなものは映画のワンシーンぐらいでしか見る事はないと思っていたので、正直言って驚きだ。
そこで俺は、頭の中にある最も嫌な想像をしてしまった。
俺は異世界にタイムスリップしてきて、王様を名乗るライオンが出てきたり、ものを喋るビーバーや、世界を支配する悪の女王なんかを倒す――なんていう超王道級の異世界トラベルの想像をしてしまった。
うん、まあ確かに様々な冒険をして、仲間と共に勝利をもぎ取るというのに、ロマンがあると思うのは、なんとなく分からなくも無い。
だが実際問題、家に帰れないのだ。
もし冒険を終えて帰ってきた時に、親や警察が、「今まで何をしていたのですか?」と、一年ぶりに失踪してた少年に問いかけてくるのは、当然の事だ。もし、そこでストレートに「異世界行って、剣を振りかざして悪人殺したり、魔法で空飛んだりしてきました!」などと清々しい顔で言ってみろ? その後病院の、精神がいかれている人間の病棟に連行されてしまうだろう。そんな所で何年も過ごしたら、きっと選ばれし勇者様でも、廃人になれる。
そんな事は正直言ってどうでもいいのだが、これからどうすればいいのだろう。
やっぱり西洋のお城だから、ドラゴン退治でもするのだろうかと、歩みを始めた時、自分の足音が鳴らない事に気がついた。
不思議に思って、足元を見てみると――確かにそこには、黒のジャージを履いている俺の足が存在しているのだが、足元にいくにつれてスーっと半透明から透明へと―――
そこまで見て、咄嗟に視線を廊下の先に映した。うん、あり得ん。そんなこと絶対あり得ん。
誤魔化すように、必死に頭の中で否定――することもなく、数秒後には状況を受け入れた。
そうか、俺、幽霊になったんだ。
しかし、言う割には感慨が湧かないもんだな、と首を捻りつつ、音も無く廊下を進んでいくと、先に窓でもあるのか、月明かりが差し込んでいた。
月明かりの先にあったのはやはり窓だった。ただ、普通の窓のように、窓ガラスがはめられてはおらず、おそらく敵に責められた時に窓から矢を射るために窓ガラスが無いと見受けられる。
そこから、外の風景を見る。
きっと眼下には城下町でも広がっているんだろうな、と特に期待もせずに窓から覗いた先には、もっと期待はずれな風景が広がっていた。
外にあったのはビルや住宅街が煩雑する、真に現代らしい風景だった。眼下を見ると、どうやらこの城は、どこかのテーマパークにでも建っているようで、メリーゴーランドや観覧車が暗がりの中を周りのビルや街灯に照らされていた。
そこで俺は自分の記憶に引っ掛かりを感じた。テーマパークの中に……城? それに都会のど真ん中。こんな所にどこかで来た事があるような……。
あ、と記憶を反芻して思い出した。
ここは、普段からバイトでよく来るテーマパークではないか。
そのテーマパークは、どうやら昔に存在したとあるテーマパークを意識して建てられており、この城はその中でも最たるものでもある。地元の住民からは、街のシンボルとして、それなりに人気を得ているようだが、この城は上階に登る手段が一切無く、なにかしらのアミューズメントが行われている訳でもないので、正直言って宝の持ち腐れではないかと思う。
しかし、ここがあのテーマパークだとすると、俺は別に異世界に転移されて「勇者様になって下さい~」などと頭のおかしいことを言われる事も無いという事になる。
多少安心しつつも、あれ、でも俺幽霊だったよな? どのみち現実世界じゃないような? という事実に気付き、安堵はまだ早いと気付く。
とにかく自身の現状がまったく掴めないため、どうしようもなく困ってしまった。
しかし、だから何もしない、というのはあまり性に合わないため、とりあえず窓から離れて廊下を先へと進んでいく。
進んでいくと緩やかにカーブを描いていることが分かり、やはりあのテーマパークの城なんだな、と確信しかけて、自分の思考に自分で待ったをかけた。
状況からみてここは間違いなく城の上階だが……先程自分で言ったではないか? 城には上階へ登る手段がないと。
上階に登る手段が無いのに、上階が造られているのは、あまりにもおかしい。行くこともできない空間を、わざわざ造る意味が分からない。
つまりこれは現実じゃない、と言いきれると思う。
じゃあ現実じゃないというなら何だというのだろう、と歩みを進めながら考える。
そういえば俺はここに来る直前に就寝に着いていた。
ということはこれは多分、俺が内心ではこの城の上階に登りたくて、その願望が夢という形で現れたのではないだろうか?
いやいやまさか、と否定したりはしない。
自分の心の中の願望なんて、自分自身で分かるものでもない。心の中でそんなことを思っているとしたって、なんら不思議でもないのだ。
進んでいくに連れて、やはりこの階には上に行く手段も、下に行く手段も無い事が判明してくる。それに、途中にどこか部屋に通じるような扉も無い。
夢にしては夢もロマンも無い所だな、とか自分自身の夢にケチ付けつつ進んでいくと、ついに行き止まりが見えた。
ここで止まりか、なら戻って逆側を探索してみるか、と回れ右をしようとすると、行き止まりのすぐ隣に、なんだかものものしい扉があるのを発見した。
戻るのを止めて近寄って見ると、銅とかを使っていそうな感じの重々しい両開きの扉に、なんか悪魔やら竜やらおぞましい怪物がディティールされている。
俺は気付く。まるでラスボスの前の『ここから先は激しい戦いが待ち受けていると思われます。セーブをしましょう』と主人公の相棒が言いに来そうな感じの場所ではないだろうか?
何が言いたいかというと、この扉はRPGのボス戦前の雰囲気を醸し出しているということだ。
雑魚も中ボスもなしで、いきなりラスボスとか、もう駄作感たっぷりのような気がするのだが、気にしていてもどうしようもない。しかし自分が夢の中でこの城にこんな幻想を抱いていたのかと思うと、正直言って落胆ばかりだ。
しかし、先に進まなければ何も終わらなさそうなので、ググッ、と扉を押し開こうとして、一気に体がすり抜けた。
ああ、しまった。すっかり忘れていた。俺、幽霊だったな――。
まあ、それがどうしたっていう感じだが。
抜けた先にあったのは、ものものしくてグロテスクな魔王でも、艶めかしくて妖艶な女王でも無かった。
眼前に広がっていたのは、とてつもなく広い割には、隅っこに天蓋付きのベッドとランタンがあるだけという、寒々しくて寂しい空間だった。
ただでさえ夢もロマンもない世界に、これ以上夢もロマンも無い場所を見せつけられたら、多分俺は空想世界にさえ絶望してしまうな、と事も無げに思いつつ、だだっ広い空間を、横薙ぎに眺めまわす。
すると、この空間はそれなりに月明かりが差し込んでいることが分かった。光源を探すと、その先は吹き抜けになっており、ベランダがあった。
やることも無いので、ふらふらとベランダへ歩いていく。
ベランダをから外の風景を見る。
風が波打っているのが、外にある街路樹の動きで分かるが、霊体である俺には感じられない。
外の風景をぼんやりと眺めながら、ふと、この情景を別の人が見ていたらどう思うのだろうか、と考えた。
きっと、綺麗、とか、美しい、とか言葉の一つや二つ感嘆が零れるのだろう。そうでなくとも、きっと多くの人は、この風景を見て何かしらの感慨を得るだろう。
だが、俺はこの風景を見ても、何の感慨も湧かない。
以前からそうだった。俺は人が感動したり、怒ったり、泣いたりなんていう感情とは無縁だった。何を見ても、何をしても、ひたすら心には寂寥感しか生まれなかった。
一体いつから、こんな風になってしまったのだろうか、と眼前の風景から目を背け、ベランダの柵に腰を掛けようとして―――、
ベランダの隅っこ、まるで小動物のように、獲物に狙われ、ただひたすらに自らが喰われる順番に脅えるように、一人の少女が体操座りで縮こまっていた。
その少女は表情こそ足に隠れて見えないが、絹のように白くて長い髪に、同じく白地のワンピースを着ていた。
そしてその手首や足には――黄金の鎖が繋がれていた。
俺は、今まで空虚しか存在しなかった心に、何か得体のしれないものが生まれたのを感じた。
触れたい、そう思った。
その絹のような髪に触れようと手を伸ばして、何の感触もなくすり抜けた。
俺は初めて、後悔というか、悔しさを感じた。確かに目の前にあるのに、触れることも、話しかけることもできないという悔しさ――
すると突然、少女が顔を上げて、俺はその表情を見て愕然としてしまった。
その少女の表情には、最早感情というものが存在していない気がした。
いや違う、と俺は気付く。
この少女の感情は壊れてしまっているのだ。
俺は心の中に、焦りというものを感じた。保護欲ともいえるようなもの。助けたい、という感情が芽生えた。
しかし、そんな俺の心とは裏腹に、少女は立ち上がって、ベランダの柵へ亡霊のような足取りで向かった。
何を――、と俺が不安を感じた時、
少女は柵に乗り上げ、そして――そのまま前のめりに虚空へと落ちた。
その一瞬、少女の無感情な瞳から滴が頬へと零れた気がして、
俺は無理だと分かっていながら何事かを絶叫し、届かないと分かっていながら、懸命に少女へと手を伸ばした。
しかし、その手を伸ばした頃にはもう遅く、
白い少女の華奢な体はどんどんと小さくなる。
くそ、と俺は歯噛みする。もしこれが現実ならきっと血が滲んでいた事だろう。
どうにかして、少女を助けたかった。
何とかして、救いたいと思った。
失いたくない、そう思った。
しかし思いとは裏腹に、視界はどんどん明滅していく。
まだだ、と俺は諦めきれない。
とにかく、届かない手を懸命に伸ばし続ける。
もう無理だと分かっていても、
それでも、初めて諦めたくないと感じた。
しかし、夢は当たり前のように覚める。
その先に、もう少女は居ない。
せめて―――
せめて、誰か彼女を救ってくれと、
神頼みのように願いながら、俺の意識は完全に暗闇に還った。