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 衛士は少女と触れ合うことで、自身の思いを再確認していく。

「……落ち着いたか?」

「……うん」

 ようやく、少女は心を開いてくれた。

 自分の言ったことが、正しいとは思ってない。生きるのだって十分辛い。

 だけど、生きるのはきっと楽しい。

 誰かに奴隷的拘束をされて、束縛されるよりかは、死ぬよりかは、断然楽しい。

「一つ、聞いても良いか?」

「……何?」

 だから、そのためにもまず聞く必要がある。

「もしかしたら、辛いことを思い出させるかも知れんが……お前はどうして、あのピエロに捕まえられていたんだ?」

 彼女の、正体を。彼女の出自を。

「ピエロ……?」

 彼女は何を言われているのかさっぱりのようだ。もしかしたらピエロというものが分からないのだろうか?

「言葉を言い換えよう。お前が囚われたのはどうしてだ?」

「………分からない」

「分からない?」

 少女はまっすぐ青い瞳をこちらに向けてくる。

「……何も覚えてない」

「つまり、記憶が無いってことか?」

「うん……目覚めた時は何も分からなくて、取り敢えず外に出たら突然……」

 少女は言葉を濁す。あまり思い出したくないということか。

「連れさられたって訳だな」

 俺は少女の言葉を続けた。

 しかし、話からすると記憶喪失自体はピエロとはあまり関係無さそうだ。そっちもなんとかしたいが、どうしようもない。そもそも俺自身が記憶喪失なので笑えない。

「なら一体、どうしてお前は連れ去られたんだ?」

 心を壊す理由が、どこにあったというのだ?

 結局、分からない事だらけだ。

 ピエロの目的は体にもないようだ。そういった事はされていないようだし。

 まあしかし、そんな事はやはりどうでも良かった。

 ここで拘泥する気は無い。

「とはいえ、記憶喪失か」

「……あなたには、分からないと思う」

 少女の表情が暗くなる。

「……私には、何も無い。何一つ残ってない。あったのは苦痛だけ」

「分からないでもないさ」

 俺は自嘲めいた口調で言う。

「俺だって、記憶が無いからな」

「え……」

 少女は驚くが、俺は取り合わない。

「でも、それでも、何も無いなんてことはないって、分かった。たくさんの人がいて、助けてくれた」

 改めて、そう思い知らされる。

 俺は一人ではここまで来れなかった。きっと、延々と沈んでいただろう。

 だけど、稔や霧果は手を差し伸べてくれていた。

 絶対に何も、無かったわけじゃない。

「……あなたはそうかもしれない。だけど、私はそうじゃない」

「何を馬鹿なこと」

 それこそ、

「今、俺がいるだろうが」

 少女は目を見開いて、しかし、少し顔をはにかませ、

「……ありがとう」

「そうか」

 そして沈黙。

「…………」

 そういえば、何かを忘れていた気がする。

「あ、そうだ夕飯」

 思い出し、持っている袋の中身を見る。

 焼きそば弁当は――見るも無残な姿となっていた。

 ああ、そういえばコイツを受け止めるときに踏み潰されたな。

 どうしようかと悩む。焼きそば弁当はもう駄目だ。ならもう白米しかないが、さすがに白米のみは非常に厳しい気がする。

「稔は冷蔵庫に何か入れてくれて無いのか……?」

 俺はキッチン横の冷蔵庫を見るが、正直望み薄だ。あの男がそこまで気遣いできる人間だとは思えない。

 とはいえ一応確認はしてみるべきかと、俺は冷蔵庫を開ける。

 野菜がモリモリだった。

「……何の嫌がらせだ」

 肉は? 飲料は? その他諸々は一体どこに?

 一応キッチンには塩コショウや醤油、ソースなど日本風の調味料が置かれている。家庭によってはインドみたいに何十ものスパイスを用意したり、水には必ずミネラルウォーターを使う所もあるのだが、どうも稔の郷土愛は半端なものではないらしい。

「なあ、お前、野菜炒めで良いか?」

 ソファに座っている少女に声を掛ける。

「……野菜炒めって、ナニ?」

 ……記憶喪失で幽閉されると世間知らずになるのだろうか。いくら記憶が無いと言っても言語は使えているのだから、持っていかれたのはどう考えてもエピソード記憶だけの筈なのに。

 こうなると、記憶を失う以前の彼女の食生活が、とてつもなく気になるところだ。

 そんな事を考えつつ、適当に野菜を洗い、フライパンにぶち込んで洗う。

 そういえば、野菜も隕石によって大半が滅亡した。

 なんとかデータ化してあった野菜のDNAを見つけ出し、幾ばくかは復活させたらしいが、いくつか復活できなかったものもあるらしい。薩摩芋あたりがそうだっただろうか。

 世界統一条約で、国々が最もほしがったのは食料だった。

 というもの、隕石群は辺りの文化を破壊し尽くすだけでは、当然終わらなかったからだ。

 世界中の家畜の四十%大が死滅し、野菜も約半数が焼き払われ、灰によって生き残った半数も殆ど使えない状態だった。実際、飢餓によって幾つかの国が滅びているという話だ。

 先ほどのように懸命にDNAを配合させたり、家畜を生殖させまくったりして、百年前と同等に近いレベルの食生活まで回復させた。

 質より量が大切となっていた以前は、安全性などを最低限度までしか考慮しておらず、当然現在の食料も質より量を優先した生産体制が敷かれている。

 しかし、最近では食中毒などを気にして、食に安全性が求められてきている。

 体細胞クローンによる食品の安全性はとうの昔に認められているものの、やはり常識に潜むズレとして、「これは体に悪い」と先見的に思ってしまうのは人間の悪い癖なのだろう。

 ジュージューと香ばしい匂いが鼻孔を刺激してくると、火を止める。

 コゲが無いか、生焼けは無いか確認し、隣の食器棚から自前の大皿を取り出して移し替える。

 俺は、大皿を持ち上げて、手早く少女の所へ野菜炒めを持ってきた。

 少女は興味深そうに野菜炒めを見詰める。本当に初見のようだ。

 食器棚に一緒に置かれていた箸を持ってきて、ふと気付いた。

「箸の使い方、分かるか?」

 野菜炒めが何か分からなかったぐらいだ。もしかしたら、そこら辺の常識も無かったりするかもしれない。

「……この二本の棒の事? ……大丈夫」

 と、少女は言うと、実に正しい箸の持ち方をした。案外監禁されていた最中でも、きちんとした食事は取らされていたのかも知れない。

 ズブッ。

 ただ、それを突然野菜に突き刺しさえしなければ良かったのだが。

 俺は箸を野菜に突き刺して食べる少女に、一言物申してやろうかと思ったが、止めておいた。今日はもう疲れたし、それは明日でも良いかもしれない。

 少女は、ヒョイパクヒョイパクと、実に美味しそうに無い顔で、機械的に口へ野菜を放り込み、咀嚼していった。もしこれを作った人間が俺では無いとしたら、もう少し美味しそうに食ってくれと、懇願している所だったろう。

 ものの数分もしないうちに、大皿にあった大量の野菜は、少女の胃袋に消え去った。

 時間を見ればもうすぐ九時。そろそろ風呂に入る時間だろう。以前のアパートなら、わざわざ銭湯まで行かなくてはいけなかったが、この部屋はありがたいことに風呂付きだ。

「お風呂、どうするんだ?」

 少女に問いかけるが、五秒で失敗だと気づく。この少女はお風呂が分からないだろう。

「……御風呂って、ナニ?」

 ああ、やっぱり。やはり知らなかった。

 ここで教えてやりたいところだが、しかしこのままで行くと俺はとても気不味い状況だ。

 なぜなら、やはり少女は風呂の中でも「これ、ナニ」ととても淡々と聞いてきそうだからだ。

 さすがに幾らなんでも、それを教えに風呂の中に入るのは色々と厳しい。

 一体どうしたものか、と考え、決めた。

「ちょっとこっち来い」

 俺は少女を手招きし、風呂場へと動く。

 どうせ聞かれるというなら、先に説明をしてしまえば良いのだ。

 バン、と浴場のドアを開いた。

「これが風呂だ」

 と言って、浴槽を指さした。

「ここに湯を貯めて――「……あ、これなら、分かる」

「…………」

 なんて説明のぶち壊し方だ。

 取り敢えず、そこまで無知でなくて良かった。名称こそ知らず、しかし生きていく上で必ず目にするものに関する知識は、ある程度備えている様子で良かった。

 少女が風呂に入ると言うので、着替えを一式持ってきて脱衣所に置き、そしてそのまま風呂場からでた。数秒もしない内にシャワーから水の流れる音が聞こえてくる。

 しかし、まだ同居して半日、心を開いてくれてからたったの二時間しか間がないのに、まあまあ大変だった。これが毎日というのは意外と精神を摩耗するかもしれない。

 しかし、それでも自分で言い出したことだ。途中で放り出すつもりなんて無いし、当然やるからには全力を尽くそう。

 だが、それにしても―――あまりにも、シャワーが長すぎないか?

 女性が普段どれくらい髪を洗うのに時間を費やすのかを知りはしないが、それでも異様に長いような気がして、気が気ではなかった。

 内心で焦りを覚えつつ、俺は風呂場のドアの前で足踏みをする。

 ドタッ、と室内から何かが倒れる音がした。

 何かなんて言うまでも無い。

 すかさずドアを開き、さらに脱衣所の扉をも開くと、そこにはシャワーの手前で倒れている少女が居た。

「大丈夫か!?」

 少女の華奢な体をすくい上げるようにして抱え、無事を確認する。

 少女は顔を少し苦痛に歪ませながら、呻いた。

「……転んだ」

 その言葉を聞いて、思わず脱力しそうになる。心配損だ。

 途端に、自分が過保護になっていると自覚する。まさか、この程度でここまで焦ってしまうとはと、自分を少し卑下したい気分にもなった。

 衛士は少女の恐怖を感じ、一夜を共に過ごす事になるのだが――

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