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 久しぶりの家族での朝食。しかし少女は俯いたままで――

 ダイニングのテーブルは、どっかの貴族みたいな長いテーブルではなく、普通に一般家庭で使用する四人用の正方形で白黒のモダンテーブルだ。

 テーブルの上には目玉焼きにフレンチトースト、簡単な野菜が盛りつけられた大皿が四皿それぞれ置いてあり、その傍らにはコーヒー、オレンジジュース、カフェオレ、麦茶がそれぞれ一杯ずつ置かれていた。

 結局パジャマから着替えることの出来なかった俺は、コーヒーの置いてある大皿の席に座り、その右にはお茶が置いてある席に白い髪の少女が俯いて座っている。俺の正面では嬉々とした表情の霧果が、オレンジジュースのある席に座っており、その右隣りには優しげな表情をした稔が、カフェオレの席に座っていた。

 いただきます、という稔の合掌に続く形で俺と霧果も合掌。早速朝食にがっつく。思えば昨日は満足に晩飯も食べられていないし、色々あって腹が減っていた。ここの朝食は食材はそこら辺のスーパーで売っている安物だが、何せ作っている人がその道のプロ(ある意味)だ。素材はどうあれ作る側の工夫一つで美味しさは変わる。甘くて噛み応えのあるトーストや、目玉焼きの匂いも香ばしく―――なんて感想は出て来ず、ただ俺は自らの飢えを凌ぐために貪るように朝食を掻き込んだ。

 とはいえ、俺は朝はそんなに食べられない人間なので、人並みに食べ終わると、そのまま満足してしまう。どうやら稔も俺と同じなのか、それだけ食べると満足したようで口元を拭って優雅にコーヒーもといカフェオレを飲んでいる。彼は甘党なのだ。

 霧果のほうは朝でもガンガン食べる。成長期の恩恵なのだろうか食っても横に太らず縦に伸びる。この通り結城家の食卓とは多少優雅さとはかけ離れたものである。

 俺が苦いブラックコーヒーを飲んで寝ぼけた頭を序々に覚醒させていると、ふと気が付いた事があった。

 少女が一口も朝食に手を出さずに、俯いたままだったのだ。

 少女の正面にいた稔もその事に気付いたようで、「どうしたんだい? 遠慮せずにどんどん食べていいんだよ」と気遣う。

 だが、俺はここで嫌な予感がしていた。

 そういえば、この少女は俺が助けに来てから一言も言葉を発していない。それどころか、自らの意思で何か一動作もしていないのだ。

 何も喋らず、動きもせず、感情表現をしない人間は、果たして生きていると言えるのか。

「死んでいる……?」

 俺がぼそっと呟いた言葉に、稔も食事に夢中になっていた霧果も視線をこちらに向けた。

 俺は構わず、自身で思った言葉をそのまま口に出す。

「コイツ、心が死んでいるのか?」

 言うが早いか、俺は隣に居る少女の両肩を掴んで大きく揺さぶり、「おい! おい!」と呼びかけた。

 しかし、少女は表情ひとつ変えず、呻き声一つ漏らさない。そこには完璧な無関心では無く、完璧な無感情という言葉が似合いそうな気がした。

 俺はその少女の瞳を捕らえた。その目には、やはり感情の色というものは浮かんでおらず、まるで、何もかも壊れて動かなくなった機械人形にも似た寂寥感を感じた。その目に俺はまるで意識を吸い込まれるような気がして――――


「あ?」

 突如変わった光景に、俺は図らずも素っ頓狂な声をあげてしまう。

 そこには何も無かった。目が眩むほどの白、白、白。

 何も無いとはこういう事なのだろうか。遮るものも、支えるものも、何もかもが無い。全てが透明で、全てがゼロだ。

 だがそれと同時に、ここに何かがあったという感覚的なものがあった。ここには過去に確かに何かがあって、それがいつのまにか壊れ、風化し、消え去った。

 一体ここは何なのか、という疑問はいつのまにか消え去って、確信だけが残った。間違いない、ここは少女の心象風景だ。理屈や理論は分からなくても、そう確信する事だけはできた。

 本当に何も無い―――と俺は辺り見回しそして――気付く。

 何も無い空間の本当に隅っこに、小さく、とても小さくだが、一人の少女の姿がある。俺は何故か、その少女があの白い少女だという確信ができた。

 その少女は、ただでさえ小さい体を丸め、何かから身を守るようにしていた。でも、その体では、とてもその何かから守り切れるようにはとても思えない。

 その少女を守ってくれるものは何もなかった。存在すらしていない。

 あまりにも華奢で小さな少女は、悲しいくらい何もかも無かった。

 その少女に思わず手を伸ばそうとして、


 一瞬で現実に引き戻される。


「―――――っ」

 たっぷり数秒、俺は固まってしまう。

 俺の様子がおかしかった事に気付いた霧果や稔が、気遣わしげな声を掛けてくるが、それが一切耳に入って来ない。

 ピエロはあの時なんと言った? 『全て壊した筈なのに何故』と言ったが、『全て』とは一体何の事を指しているのだ?

 そして、

 俺がこの少女を助けだす時、いや、もっと前の、俺が夢でこの少女と出会った時、この少女は何をさせられていた?

 極度の恐怖を何十回、何百回と自分の意思を無視して繰り返されて、正気を保つことなどできるのか?

 もし、ベランダに飛び降りさせるという事がピエロによって何度も起こされているとしたら。

 水の滴り落ちる音を、長い間聞き続けただけで発狂してしまうような、脆弱な精神を持つ人間がこれに本当に耐えきれるのか?

 そうか、と俺は気付いてしまった。

 この少女が感情一つ動かさないのは、この少女が身動き一つしないのは、少女自身が何をしたって無駄だと全てを諦めてしまったからだ。

 そういうふうになるように、ピエロに心を壊されてしまったからだ。

 そこまで壊れるのに、一体どれだけの残虐があったのか。

 ただ俺は、唇を噛み締めた。


 俺は霧果と稔に自分の考えを話すと、霧果も稔も、うーんと考え込んでしまった。。

 やがて沈黙を断ち切るように、稔が切り出す。

「……そうだとしても、一体ピエロに何のメリットがあるんだい? そんな事をする必要なんて無いだろう。ピエロの持つ鎖は、人を強制的に操るものなんだから」

「心までは無理なんじゃない?」

 霧果は稔の疑問に対して補足をする。

「物理的に操ったりは出来ても、心まで操る事は無理なんだと思うけど」

「確かにその通りだけどね、でも、心を操ることで結局何がメリットになるんだろうか」

 俺は二人の話を聞きながら、しかし内心では確かにピエロにはメリットが存在していたのだろうと推測する。

 ピエロがあの時驚愕した時、黄金の鎖の不可視が何故か解かれていた。

 つまり、直接的になり間接的になり、何者かがピエロの補助を行っていて、あの瞬間に断ち切られた可能性が高い。

 そこでピエロのあの言葉『全て壊した筈なのに何故』。これは多分、この少女の事を指しているのだとすれば。

 宝具とは本来、自分の意思で発動させるものだ。これはアビリティでもオブジェクトでも変わり無い。つまり、もし宝具による助力を強制的に行わせようとするならば相手に反抗心を残さないように完全に屈服させ、隷従させる必要があるのだ。

 その為に少女の心を壊したのだろうか?

 そこまで考えを進めて、俺らしくないな、と考えを改める。

 ピエロが彼女の心をどうして壊したのかなど、どうでもいいことではないか。

 つまらなくてどうでもいい事に拘泥しすぎて、目的を見失っていた。

「今話し合う事はそんなことじゃ無かったな」

 ひとりごとのように呟いて、

「これからどうするか、それが問題だ」


 言いだしっぺはてめぇじゃねえか!! という二人にボロ雑巾のようにぼこぼこにされ、それこそ死にかけた俺は口元の血を拭いながらふらふらと椅子に座った。

 ほんの数秒前のことを完全になかった事にした稔は改めて今日の予定を話す。

「とりあえず、まずはこの子の身元確認からだね……と言っても迷子や捜索届になっているものから探し出す事になるだろうけどね」

 確かに、まずは身許が分からなくてはいけない。だが、何故か見つからない気がした。

「ま、それで見つかったとして、身柄を引き取って貰うまでに、どのみち何日かかかるかもしれないからね。その後はデパートで服でも買ってくるかな」

 稔は霧果の顔のちょっと下のほうを見る。

「霧果のサイズじゃ合わなさそうだしね?」

 ピクッ、と霧果の眉が痙攣した。

「お父さん、それ、どういう意味かな~?」

 それに対し、キョトン顔の稔は、

「うん? 霧果の身長じゃちょっと小さいかな、と思ったんだけど……何か他に思い当たる事でもあるのかい?」

 と、素っ気なく返す。それに対して霧果は慌てて誤魔化すように言った。

「な、無いよ? 無い無い。……ってあれ? 結局暗にチビと言われてる気が……」

 そういえば、霧果の身長は百四十センチ台と、中三にしては随分低い気がする。

 だが稔は気にせずに、食器を洗面台に置くと、そのままダイニングから姿を消してしまった。

 俺もそろそろ片付けようと思い、席を立ち上がって食器を片づけていると、

「お、お兄ちゃん……後ろ」

 霧果の驚愕に満ちた声に聞こえて、ん? と振りかえると、

 後ろに虚ろな表情のままの少女がいた。

 一瞬ビクリと驚いてしまうが、何とか動揺を堪える。

「………………」

「………………」

 沈黙の数秒間。俺は少女を見るが、少女のほうは相変わらず俯いたままだ。

 だが、何故この子は俺に付いてくるのだ――――?

 そんな俺の疑問など露知らず、片付け終わって部屋に戻ろうとする俺に、相も変わらず付いてくる。

 俺に付いてくる事自体は、そう気にする事でもないかもしれない。だが、この子まさか俺が着替えている最中も、こうしてくっ付いてくるつもりなのだろうか? それはまずい。非常にまずい。いくら俺が他人に無関心だからといって羞恥心が無い訳ではないのだ。それがしかも女の子だったら尚更である。

 ダイニングから出て行くと、廊下の途中で三木原さんとすれ違う。

 三木原さんを引きとめて、

「すまないんだが、コイツの面倒を見てくれないか? こいつどうも俺に付いてくるみたいで困ってるんだ。他の時なら良いんだが、これから着替えなきゃならないし」

 いかにも面倒くさそうな三木原さんは、

「え~、いくら衛士さんのお願いでも、無駄働きは嫌ですよ」

「昨日サボってたことバラされたいか?」

「精一杯、働かさせていただきます」

 さあ行きましょうと手を引かれ、白髪の少女は遠ざかっていった。

 一瞬だけ、こちらをちらりと見た気がするのは気の所為か。

 どちらにせよ、今は早く着替えなければまずい気がして、俺はすぐに部屋に戻った。


 俺が三秒で学生服に着替えて廊下に出ると、出会いがしらに何かとぶつかる予感がして、部屋に引っ込むようにバックステップ。

 そーっと部屋から頭だけ出して辺りを見渡せば、そこには先程三木原さんに連れて行かれた筈の少女が廊下に突っ立っていた。

 あのメイド、またさぼったな、と思いつつも、何故ここにやって来たのだろうかと考える。

 結論として、やっぱり分からなかった。

というか、分かる訳なかった。

 なんにせよ、とりあえず玄関まで行かなければいけないだろう。今日一番に警察に行く事になっているので、早く玄関まで行かなければ。

 少女を引き連れ玄関に向かえば、すでに準備を終えた霧果と稔が居る。やはりこの二人は早着替えの達人のようだ。

「霧果、部活は今日良いのかい?」

「大丈夫、今日は思いっきり休みだから」

 大会前なのに休みって良いのかと思うが、思えば今日は月曜で、昨日は日曜だったのだから、昨日大会があったのかもしれない。サッカーとかでも、試合後は練習を休んだりすると聞いた事もあるし、そういうのもアリなのかもしれない。

 すでに稔が移動させてきたのか、玄関先には早すでに黒い高級ベンツ(中古)が。ちなみに中古という言葉は、この親子の間ではタブーである。

 当然運転席は稔。その助手席には当然仕事を仕切る執事が乗る。そして俺は右に少女、左に霧果という女の子二人で挟まれる形で座席に座った。何となくこの座席の配置はおかしい気がする。俺は隅っこの席が良いのに。

 少女は俺に寄りかかってきて、一瞬動揺し、顔に出しそうになるが、なんとか堪える。ここの家族は、何故か周りに対してツッコミがシビアなのだ。過去に霧果の友達がここに来た時は、あまりの弄りに泣きながら帰るという事があった。俺は、自分の精神が決して軟弱では無いとは思うのだが、とても耐えきれるものではないと思う。

 しかし、例え顔はごまかせても、やはり寄りかかられている事実は誤魔化しきれなかったようで、助手席に座る執事が一瞬だけこちらをチラ見して曖昧な笑みを浮かべたり、霧果がこちらを意味も無くじっと見てきたりで、これは多分ばれているのだと思う。しかし顔に出してはいけない。弄られる。

 そんな微妙に陰湿な空気のなか、ベンツは警察へと出発した。

 警察へ向かう車両の中、霧果と衛士は少女の様子を心配し、幾つか質問を試みるのだが――

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