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第3章 牛丼と牛乳-1




 牛丼屋DONちゃん。


 オレがアルバイトしている店の名前だ。ちなみに、店長の名前は名田家文太なだけぶんた。一見強面のマッチョだが、頭皮と中性脂肪が気になる四十八歳。嫁さん募集中。若い頃は『飛ばし屋ぶんちゃん』の異名で呼ばれていた暴走族のリーダーだったらしい。そのせいか、客も昼間はサラリーマン中心だが、夜はどちらかというとそっち系の客が多い。ま、そのおかげでオレみたいな奴でも雇ってもらえるってわけだ。


 二十一時を過ぎると、客足も遠のき、一段落する時間帯になる。


 厨房でどんぶりを洗いながら、萌花の顔を思い浮かべていた。柑橘系の匂いが今でも鼻に残っているような気がした。


 オレは大きなため息をついた。


「翔、ボーっとしてどうしたんだ?」


 店長が肩を叩いてくる。アニキ肌で店員全員にいつも気を配ってくれている。いい人なんだけど、熱血漢が時々暑苦しく感じることもある。


「すみません」


「人生でも恋でも悩みがあるなら相談にのるぞ。経験だけは豊富だからな。オレもお前くらいの年には恋の悩みをかかえて悶々として夜明けのハイウェイをバイクでかっ飛んだもんだぜ」


 がははははっ、と、豪快に笑う店長。


 恋の悩み?


 そういえば、オレそういうので悩んだことが一度もなかったな。中学生の頃は告ってくる恐れ知らずな女子が何人かいたけど、面倒なんで全部断っていたら告られなくなった。あの頃は彼女がほしいとかそういった気持ちはまったくなかった。人と関わり合うことが煩わしくてしょうがなかった。


「平気ですよ。ちょっともやもやして胸が苦しいだけですから」


「胸が苦しい?」


 店長の細い双眸が鋭く光った。


「お前、誰かのことが頭から離れないなんてことはないか?」


「…………」


 図星をつかれて、言葉が出てこなかった。


 店長はニヤニヤして、オレの背中をバシッと叩いた。手加減を知らないだけに、かなり痛い。オレは思わず咳きこむ。


「そりゃ、間違いなく恋だ!」


 店長が親指をピッと立てて断言した。


「店長、一名様カウンター席入りました」


「はいよ」


 先輩アルバイターに呼ばれて店長が厨房から出ていった。


 恋?


 まさかこのオレが萌花に恋しているって言うのか?


 いや、そんなことありえない……とは言い切れなかった。あいつのことを考えていると呼吸困難に陥るという自覚症状はある。会えば、わけのわからない感情に支配されて思考回路が働かなくなる。これが恋だっていうことなのか?


 オレは茫然とした。


「惚れたぁぁぁぁぁっ!」


 突然、店内の方から店長の雄叫びが聞こえてきた。


 オレの思考は一時中断された。


「店長ぉ!」


 先輩アルバイターが絶叫する。


 店内が騒がしくなった。


 オレが厨房から顔を覗かせると、店長が鼻血を垂らして昏倒していた。


 いったい何があったんだ?


「翔」


 聞き覚えのある声がオレを呼んだ。


「げっ」


 カウンター席に巫女装束のばあさんがいた。どうしてこんな所にばあさんがいるんだよ?


「仕事でこの近くに来てな。お前の気配を感じたので寄ってみたのだが、出てくるなりこのウドの大木が鼻血を垂らして倒れおった」


 ばあさんの素性を知らない店長は妖艶な美女を見て興奮したってわけか。まったく暴走族のリーダーだったとは思えない有様だぜ。まあ店内にいる男性客はばあさんに釘付けになっちまってるくらいだから、店長が昏倒するのもわからないでもない。何せ四十八年間も操を守ってきた男だからな。


「オレの気配を感じたって……」


「孫の気配くらい察知できなくてどうする?」


 誇らしげに、そのスイカのようなでかい胸を張られてもな。


「なあ、オレの肩にいる親不孝な女の守護霊ってのは、もしかして母さんのことなのか?」


「…………」


 ばあさんは答えてくれなかった。図星か。


 母さんは死んでからもずっとオレのそばにいてくれたんだな。


「それよりアタシは腹が減っておるのだ。牛丼特盛、お新光、味噌汁だ。さっさとせんか」


「だったら、さっさと帰ればいいだろう。弟子が飯作って待ってんじゃねぇのか?」


「萌花の料理は美味いが、よくケガをするからね。今日のように外で仕事をした日は飯の仕度はせんでいいと言ってある」


 萌花が料理をしている姿が何となく想像できた。あいつ、包丁でいつも手を切っていそうだよな。


「あいつ、料理できるんだな。トロ臭いから料理もできないかと思ってたぜ」


「ほぉ?」


 ばあさんが意味深な笑みを口元に浮かべる。


「料理は萌花の唯一の取り柄といったところじゃな」


「イタコの方はどうなんだよ?」


「気になるか?」


「べ、別に」


「母親に似てかわいげのない孫じゃの」


 このばあさんもかなり性根がひねくれてんな。


「正直、萌花にイタコの才能はあるかと聞かれればないと答えるな。しかし、応募が萌花しかいなかったとはいえ雇ってしまった以上は立派なイタコに育ててみせるつもりじゃ。何年かかるかはわからんがな。どうじゃ、翔。萌花がイタコになった暁には結婚して忌野神社の跡継ぎを作るつもりはないか?」


「な、何を言い出すんだよ?」


 オレはばあさんの突拍子もない発言にめちゃくちゃ動揺した。心臓が破裂しそうなくらい鼓動が速くなる。


「結婚?」


 その言葉に反応したのはオレだけじゃなかった。昏倒していた店長がいきなり起き上がり、カウンター越しにばあさんの手を握りしめた。


「こんなオレでよければ、ぜひ結婚してください!」


「断る」


 即答で一刀両断された店長は、針で刺された風船のように勢いよく弾けてどっかに飛んでいった。店にやってくる女性客にプロポーズして断られるのはこれで何回目だ? こりゃ当分立ち直れそうにないな。


 と思ったら、即座に戻ってきた。ばあさんがオーダーした品を持って。


「これ、サービスです!」


 しかも、玉子付で。


 浅黒く焼けた顔からニッと白い歯を覗かせる店長。


 ばあさんはスマイル全開の店長はアウトオブ眼中と言った感じで、「いただきます」と言ったかと思うと、数分で「ごちそうさま」と両手を合わせた。


「よかったら、これもどうぞ!」


 店長はタイミングを見計らって店長手作りアイスクリーム三種盛を出した。どんだけサービスする気だよ?


「おい、翔。この美人はお前の知り合いか?」


 感謝の言葉を述べることなくアイスクリームを食べるばあさんを見ながら、店長が小声で訊いてくる。


 オレのばあさんだ、って言っても納得しないだろうな。オレだって、五十歳(推定だが)過ぎたばあさんがどうしてこんなに若い姿をしているのか知らないし。


「えっと、親戚です」


 とりあえずそう答える。間違いじゃないよな。


「そうかそうか。お前の親戚にこんな美人がいたとはな」


「あー、でも、この人は止めておいた方がいいと思いますよ」


「なぜだ? まさかもう結婚しているのか?」


「いや、その昔は結婚していたと思うんですが」


「バツ一なのか? 子供がいたとしてもオレはそんなこと気にしたりしないぞ。オレの愛で幸せな家庭を築いてみせるぞ」


 ダメだ。店長、完全にばあさんの虜になってる。


「そこのウドの大木。悪いが、席をはずしてくれんか?」


 腹いっぱいになって満足したのか、やっと口を開いたばあさんは店長を厨房へ退けさせる。あそこまでサービスしてもらっておきながら横柄な態度が取れるとは、さすがは年の功と言ったところか。しかし、不服な顔ひとつ見せず「喜んで」と言って厨房に引っ込む店長もどうかと思うが。


「お前とはちゃんと話がしておきたかったのでな」


「何をだよ?」


「知りたいのだろう?」


 オレは返事をすることができなった。知りたい気持ちと知りたくない気持ちがオレの中で葛藤していた。


 しかし、ばあさんはオレの返事を聞くことなく、話を続けた。


「桃子が十六歳の時だったよ。からくり好きのあの男と出会ったのは。運命の人だから結婚する、なんて言い出してね。当然アタシは反対した。あの子にはイタコになって神社を継いでもらわなければならなかったからね。しかし、桃子はあの男と駆け落ちした。それから二年後にお前が産まれたと言って写真を送ってきた」


 家族や家を捨ててまであんな親父を選んだ母さんの気持ちがオレには理解できなかった。それに駆け落ちしたっていっても、同じ尾仁市内に住んでるってところがなんだかお間抜けだな。そもそもそれって駆け落ちになんのか? 居場所もちゃんと連絡しているわけだし。


「孫の写真でも見せればアタシが許すとでも思ったのかね。バカな子だよ」


 ばあさんは水を飲んで一呼吸おいた。


「親より早く死ぬなんて……本当に大バカな娘だよ」


 ばあさんは目を細めて寂しげな表情を浮かべる。オレはこの時初めて眼前にいるばあさんが母さんの母親であると痛感した。


「アタシは今でも桃子とあの男を許したわけではない。ただお前もあの男とはうまくいっていないようだし、居場所がないというならうちに来ればいい」


「親父は大学の研究室にこもったままで家には戻ってこない。だから、今の家を離れてばあさんの世話になるつもりはない」


「あぁ?」


 急にばあさんが柳眉を逆立てて、オレの胸倉をつかんできた。世話になるつもりはないって言ったのが気に食わなかったのか?


「今、何と言ったんじゃ?」


「ばあさんの世話になるつもりはない」


「梅子お姉さんのお世話になるつもりはない、じゃ?」


 激昂した原因は、そこかよ?


 ったく、女ってのは面倒な生き物だな。オレのばあさんなんだからばあさんって言ってもいいだろうに。


 オレは小さく舌打つ。


「とにかく、今は家を出るつもりはない。ここでバイトしてるのだってあいつの世話にならないためだ」


「そうかい。それじゃ帰るとするかね。あまり遅くなると萌花が心配するだろうし。ところで、翔は桃子の料理を食ったことはあるかい?」


「当り前だろう」


「あの子はアタシに似て料理の下手な子だったんだけどね」


 ばあさんは微苦笑した。


「それと、からくり人形に二度と来るなと言っておいておくれ」


 そう言ってばあさんは店を出て行った。


「あ!」


 オレは慌ててばあさんを追いかけた。しかし、店の外にばあさんの姿はもうなかった。


 くそ、食い逃げしやがった。













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