表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/21

第2章 姉と妹-2




 夏休みの登校日は、講堂で戦争についてのDVDを見て、平和について考える。


 これが、この学校の定番行事だった。もう二回経験しなくてはならないかと思うとうんざりしてくる。


 暑苦しい講堂からこれまた暑苦しい教室に戻ると、何やら騒然としていた。


「いえいえ、そんなことないですよ。友達として当然のことをしているだけですから」


 トサケンの調子の良い声が聞こえてきた。完璧の鼻の下が伸びきっている。そして、その前にいたのは。


「ありがとうね、いつも翔ちゃんと仲良くしてくれて」


 おほほほほ、と上品ぶって微笑む夏恋がいた。


 あのバカ女、何しに来やがったんだ?


 オレは夏恋とトサケンの間に割って入る。


「大河、知らなかったよ。お前にこんな若くて美人のお母様がいたなんて」


「母さんなんかじゃねぇよ」


「今はれっきとしたお母さんよ。はい、翔ちゃん。朝ごはんが残っちゃったからお弁当にして持って来ちゃった」


 夏恋、いや今は母さん、なのか? ややこしいな。


 母さんはペロリと舌を出して、抱えていた風呂敷包みをオレに押しつけた。この大きさからいくと、重箱入り弁当だな。朝ごはんの残りって言ってたし。


「いや、今日は午前中で終わりだから弁当いらない」


「そ、そんな……。せっかく作ってきたのに」


 この世の終わりのような顔をして泣き崩れる母さん。ちなみにロボットなんで涙は流れてないが。


 クラスメイトたち、特に男子生徒から突き刺さる非難の視線。今朝はビビってオレの方なんて見ようともしなかったくせに。現金な奴らだな。


「こんなお美しいお母様を泣かせるなんて。大河、お前はなんて親不幸な息子なんだ!」


 トサケンは芝居がかった白々しい涙を流しながら、


「お母様、安心してください。あのお弁当は大河くんの大親友であるトサケンこと戸佐賢祐がすべて食べさせていただきます!」


 豪語したあげく、母さんの手を取った。


 オレは背後からトサケンの頭にかかと落としをくらわせて、母さんの手を取って奪い返して教室を出た。


 ひとまず、屋上へ退避する。ここなら今は誰もいないからちょうどいいだろう。


「どうして学校に来たりなんかしたんだよ?」


「最初はね、夏恋ちゃんが翔ちゃんの高校にお弁当を持っていこうって言い出したの。それでね、校内に入ったとたんに母さんどうしても我慢できなくなって憑依しちゃった。だって、翔ちゃんの先生に『うちの子がいつもお世話になっています』とかって言いたかったんだもん」


 駄々をこねる子供のようだった。母さんは苦笑してペロリと舌を出した。外見はまったくの別人だっていうのに、目の前にいるのが母さんだと思えてしまうのはやはり……。


「母さんなんだよな?」


「信じられない?」


「信じられる、と思う」


 声、仕草、特にすぐに舌を出す癖は母さんそのものだ。


「母さん、オレ……」


 言いかけて、母さんの腕時計からタイムリミットを知らせるアラームが鳴り響いた。


「もう三分? また真史さんに怒られちゃうわね。今日はお母さんの前で夏恋に憑依して納得させるつもりだったのに」


「母さん、待ってくれよ。オレ、聞きたいことが」


「ごめんね、翔ちゃん。じゃあ、また明日。夏恋とは仲良くやってね。お母さんはいつでも翔ちゃんの近くにいるから」


 そう言って、母さんは夏恋の中からいなくなった。


 母さんって、こんなゴーイングマイウェイな人間だったっけ? 癪だが夏恋が言っていたように、オレは母さんのイメージを美化しすぎていたんだろうか。


 オレは真っ青な空でこれでもかと自分の存在を主張する入道雲を見上げて、大きなため息をついた。


 まるで母さんだな。


「せっかく屋上に来たんだし、ここでお弁当食べよっか?」


 母さんがいなくなって我に戻った夏恋は、まるで何事もなかったかのようにその場で重箱弁当を開く。


「いらねぇよ」


「どうして?」


「食う気になれねぇ」


「桃子さん直伝のレシピで作ったから冷めても美味しいわよ。ほら」


 夏恋が重箱の一段目を掲げてオレに見せる。オムライスにハンバーグにスパゲティー。本当に朝飯をそのまま入れて持ってきてやがる。


 まったくこいつはいったい何がやりたいんだ? オレなんか放っておいてさっさと忌野神社でもどこぞの神社でも行ってさっさとイタコになっちまえいばいいだろうに。なれればの話だが。


 これ以上オレを苛立たせるな、と、胸中で叫んだ。


「ロボットが作ったもんなんか食えねぇって言ってんだよ!」


 オレは重箱を裏拳で振り払う。


 重箱の中にあった料理が飛び散る。


 刹那。


 屋上の出入り口から何かが飛び出したかと思うと、そいつは獲物を狩る狼のような俊敏な動きで落下していく料理を次々とくわえていった。


「ふう、あふなひとこりょらった《訳:ふう、あぶないところだった》」


 口をもぐもぐさせながら、トサケンは額の汗を拭った。


 オレは驚愕した。


 『瞬脚殺の大河』と呼ばれたオレのかかと押しをくらって意識を取り戻した奴はこいつが初めてだった。しかし、その原因が邪な気持ちからだと思うと、情けなくて声も出なかった。


 夏恋は大道芸でも見たかのように、「ブラボー」と言って拍手をしていた。


「大河、お母様がせっかく作ってくださったお弁当だというのに、なんてもったいないことをするんだ?」


「ほしけりゃお前に全部やるよ」


「本当か? やはり持つべきは友だなぁ」


 トサケンは涙を流しながらオレを拝んだ。


「キミ、面白かったわ。ねえ、今のもう一回やってくれる?」


「もちろんですよ、お母様」


 トサケンが胸を張って承諾すると、夏恋はもう一つの重箱に入っていた料理を放り投げた。


 トサケンは取りこぼすことなく全部平らげると、まるで飼い主に尻尾を振るトイプードルのように夏恋の前で媚を売る。


「すごいすごい。えらいわね」


 夏恋がトサケンの頭を撫でている。完璧にご主人様と飼い犬だ。主従関係が生まれてやがる。


 ご主人に褒められた飼い犬は上機嫌だ。


 アホ臭くて、こんな茶番にいつまでも付き合っていられるか。


 オレはこの隙に屋上から退散しようとする。


 そこに。


「大河くん、戸佐くん、もうすぐHRが始まるっていうのにエスケープはやめてくれる?」


 悠花がオレとトサケンを追って屋上にやってきた。さすがはクラス委員。真面目なことだ。いや、自分の点数が下がるのが好ましくないからやっているって感じか。


「萌花ちゃん?」


 トサケンと戯れていた夏恋が悠花を見てそう呟く。


「あ、それはお姉さんの名前ですよ。彼女は桜木悠花さんと言ってボクたちのクラス委員なのです」


 トサケンが夏恋に説明する。


 黙っていればいいのに、余計なこと言いやがって。


「あ、どうりで似ていると思ったわ。私は夏恋。これからも翔ちゃん共々よろしくね」


「こちらこそ」


 萌花に似ていると言われて少し不機嫌になったが、とりあえず社交辞令のあいさつは交わしてくる。


「昨日は悠花ちゃんのお姉さんに会ったのよ。いいわね、優しいお姉さんがいて」


「迷惑なだけです。頼んでもないのにイタコになると言い出して、勝手に弟子入りして叔父さんの家を出ていって」


「あらあら、素直じゃないところは何だか誰かさんにそっくりね」


 夏恋はオレを一瞥して小悪魔的な笑みを浮かべる。


 どこがそっくりだって言うんだよ?


 オレがふてくされていると、悠花もあからさまに怪訝な顔をしてみせた。


「ねえ、悠花ちゃん。よかったらこの後いっしょに忌野神社へ行かない?」


 出た。おせっかいロボットが本領発揮してきやがった。


 悠花はにっこりと作り笑いを浮かべて、


「午後からアルバイトがあるのでご遠慮させていただきます」


 きっぱりと辞退した。


 トサケンは誘ってもいないのに、後ろの方で「ボク、行きます!」と張り切って手を挙げていた。


「教室に戻るわよ、大河くん」


 オレは悠花に腕を引っ張られて屋上から教室へと連れ戻される。


「あの、ボクは?」


 という、トサケンの虚しい声を聞きながら。











「そろそろ手放してくれないか?」


 階段の踊り場でオレがそう言うと、悠花は顔を真っ赤にして慌てて手を放す。


「今の人、本当に大河くんのお母さん?」


「合っていると言えば合っているし、違うと言えば違うし」


「どういうこと?」


「お前には関係ないことだ」


 面倒臭くていちいち説明なんかしてられるか。だいたいオレだって未だに理解できてねぇんだし。


「そうね、関係ないことだったわね」


 怒気のこもった口調でそう言い返してくると、悠花は足早に階段を降りていった。


 姉妹でもえらい違いだな。萌花は妹のために一生懸命頑張っているっていうのに、肝心の妹があれじゃ気の毒ってもんだな。


 そう思った瞬間、脳裏に萌花の笑顔が浮かんで頭から離れなくなった。同時に、体の奥にじんと熱を帯びていくのを感じた。


 体が熱いのは、きっと炎天下の屋上にいたせいだ。


 オレはそう思うことにした。














評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ