第1章 ロボットとイタコ-3
オレたちが通された部屋は、待合室だった。
八畳ほどの和室に座布団が数枚並べられているだけの質素な部屋だった。腰窓の障子は破れたまま。窓から差し込む太陽の日を浴びて色褪せた畳は所々朽ちている。カビ臭さが鼻につく。
流行ってないな、この神社。
壁には『口寄せ料三千円』と毛筆で書かれた貼り紙と、『恐山大祭』や『秋祀り』と大きく書かれた年代を感じさせる古ぼけたポスターが貼ってあった。
「恐山はね、イタコの本場なの。で、毎年開かれる恐山大祭や秋祀りには青森のイタコが一斉に集まるんだって」
聞いてもいないのに、イタコについてのうんちくを夏恋が語り出す。
オレは無視を決め込んだ。
「失礼します」
お盆の上に茶碗を二つ載せた萌花が入ってきた。その足取りは妙にぎこちなかった。
オレは不安になり、萌花の足取りを目で追った。
「あ」
案の定、萌花はまたしても袴の裾を踏んだ。
ある意味で期待を裏切らない女だな。
「あぶない!」
夏恋が咄嗟に萌花を受け止める。おかげで萌花は倒れずにすんだが、手の中にあったお盆は宙を舞った。そして、お盆の上にあった茶碗はオレの頭上でキレイな弧を描いた。
お茶をまき散らしながら。
「…………」
「きゃあ、大変!」
「あらあら、翔ちゃんって意外と運動神経鈍いのね」
慌てふためく萌花とは対照的に、夏恋は小悪魔的な笑みを浮かべて皮肉った。
オレは熱いのをひたすら耐えて、夏恋を睨みつけた。
いちいち癇に障るロボットだ。
「大丈夫ですか、翔さん?」
萌花が懐からハンカチを取り出して、濡れたオレの頭を拭く。柑橘系の香りが一瞬オレの荒んだ心を和ませた。
「良かったわね、翔ちゃん。萌花ちゃんに拭いてもらえて」
「うるせぇ!」
夏恋に心を見透かされたような気がしたオレは、夏恋の言葉を否定するために萌花のハンカチを払いのけた。
「ごめんなさい」
オレは萌花に背を向ける恰好になってしまったので、萌花が今どんな表情をしているか見えなかったが、声のトーンでそれは容易に想像できた。しかし、落ち込んでいる萌花にかける言葉がオレには見つかなかった。
胸が圧迫されて息苦しくなった。
こんなこと初めてだ。
「いいのいいの。気にしないで、萌花ちゃん。翔ちゃんは照れているだけなんだから。あぁ見えても純情な子なのよ」
夏恋は勝手なことを言って萌花を慰めていた。オレに対する態度とはえらい違いだ。
「それより、萌花ちゃんはここにきてどれくらいなの?」
夏恋が話題を切り替えた。
「三年です。中学を卒業する時にちょうど弟子募集の広告を見て」
「広告?」
「はい。住み込みでイタコの弟子を募集していたんです。それに応募したら採用されちゃって」
さすがの夏恋も困惑した顔をしていた。
何だ、そりゃ? 要するに住み込みお手伝いさんみたいなもんかよ。イタコってそんな簡単になれるもんなのか?
にしても、中学を卒業して三年ってことはオレより年上ってことか? 確かに一見大人びて見えたりもするが、所作がトロ臭いから子供っぽく見えてくる。
呼吸困難に陥りながらふてくされているオレを無視して、二人の会話は続いた。
「えーっと、イタコの修業もしているのよね?」
「はい。でも、私ってトロ臭いからお師匠様に怒られてばかりで」
「怖い人なの?」
「そんなことないです。あまり感情を表に出されない方ですが、私の作った食事を美味しいと言って食べてくれます。お優しい方ですよ」
「ふーん。で、萌花ちゃんはどうしてイタコになろうって思ったわけ?」
「悠花に、妹に両親と話をさせてあげたいと思ったから」
「妹さんに?」
「私の両親は妹が物心つく前に飛行機事故で亡くなりました。私にはかろうじて両親との思い出があるけど、妹にはそれがないんです。だから……」
「でも、イタコになるには早くても四年かかるのよ。だったら、三千円払って口寄せしてもらった方がいいんじゃない?」
夏恋の意見はもっともだった。
「それではダメなんです。私がイタコになれば妹はいつでも両親に会うことができます。辛い時も嬉しい時も」
「でも、萌花ちゃんがここで住み込みの修業をしていたら妹さんは今一人ぼっちなんじゃない?」
「それは大丈夫です。両親の死後、子供がいなかった叔父夫婦が私たちを引き取ってくれましたから」
「もしかして叔父さんにいびられてるとか?」
「そんなことありませんよ。叔父さんたちは本当の子供のように私たちを可愛がってくれてます。叔父さんには言葉では言い表せないほど感謝しています」
「だったら、妹さんもご両親と話がしたいなんて思ってないんじゃないかしら?」
夏恋の奴、するどいところを突いてくるな。けど、それは言うべきじゃねぇような気もするが。おせっかいなロボットだな。
「私がそうしたいんです。私、勉強や運動は全然ダメだったけど、幸いなことに小さい頃から霊感だけはあったから」
ただのトロ臭い女かと思っていたけど、自分の考えを持ってちゃんと前向きに生きてんだな。母さんの死を悲観して親父を憎み続けているオレとは大違いだ。
「えらいわ、萌花ちゃん!」
視界の隅で、夏恋が萌花を抱きしめているのが見えた。
やばい。夏恋のバカ力で抱きしめられたら、萌花のか細い体なんかあっという間にへし折られちまうぞ。
「放せ、バカ力女!」
オレは萌花から夏恋を引きはがそうとした。
萌花はわけがわからずきょとんとした顔をしていたが、夏恋にはオレがしようとしていることの意味がわかったんだろう。得意の小悪魔的な笑みを浮かべていた。
「大丈夫よ。もう力のセーブはできるようになったんだから。けど、進歩ね。翔ちゃんが他人の心配をするなんて」
「うるせぇ! ロボットのくせにいちいちオレのすることに口出しするな」
「あらら、すねちゃった?」
夏恋に心を見透かされたようで居心地が悪かった。今すぐにでもここから逃げ出したかった。
そんな時。
「アタシはこの稼業に命を懸けてるんだよ! そんな脅しになんか屈したりしない! とっとと帰っておくれ!」
怒声が聞こえてきた。口調は年寄り臭いが張りのある若い女の声だ。
ふすまの向こうからドタドタと騒々しい複数の足音が聞こえてきたかと思うと、勢いよくふすまが開き、巫女さん姿の女が憤怒の形相で現れた。
オレはその女の顔を見て驚愕した。
「か、母さん?」
いや、違う。しつこいようだが、母さんは貧乳だ。じゃあ、誰なんだ、この母さんそっくりの巨乳女は。
「忌野梅子さん。あなたのおばあちゃんよ」
夏恋は静かにそう告げた。