第6章 大乱闘と大団円-1
さっきの音が銃声だと悟ったのは、拳銃をかまえる真坂鈴を見た時だった。
ベレッタM84。初心者には扱いやすいとされている自動拳銃だ。焦げた火薬の臭いがする。どうやらモデルガンではなさそうだな。
「鈴。これはどういうことですか?」
銃口を自分に向けてくる真坂鈴を見据えて、岩金は金庫の中から低く唸った。
どういうことだ? 真坂鈴はオレたちを助けてくれるのか? ならば、好意に甘えてとっとと逃げるとするか。
が。
「あなたたちも金庫の中に入ってくれるかしら?」
真坂鈴は黒縁のメガネをはずすと、床に投げ捨てハイヒールのかかとで叩き割った。今までメガネの縁に隠れて見えなかったが、左目の下に泣きぼくろがあった。口調が変ったせいもあるが、地味なイメージが一転して、悪女に化けたように思えた。
「私、トロ臭いのは好きではないの。早くしてくれるかしら?」
真坂鈴は言葉とは裏腹に柔和な笑みを浮かべて、今度は銃口をオレたちの方に向けてきた。
「ねぇ、翔ちゃん。どうなってるの?」
「オレに訊くな。こっちが教えてほしいくらいだ」
しかし、銃口を向けられていては真坂鈴の指示に従うしかねぇだろう。こっちには悠花だっているんだし。
オレたちは渋々金庫の中に入る。お宝はキレイさっぱりなくなっていた。金目の物は男たちが持っているアタッシュケースに全部収まっちまってんだろうな。
「お前たち、さっさと鈴を取り押さえなさい!」
岩金がヒステリックに叫ぶ。しかし、男たちはアタッシュケースを持って金庫から出ると、鈴の背後に立った。
金庫の中に取り残されたのは、岩金とオレたち四人。
状況が把握できず呆然とする岩金。
「これはどういうことですか?」
「この人たちも人使いの荒い社長についていくのはもう嫌になったんですって」
男たちは真坂鈴に手懐けられたってわけか。あのアホ社長の下で働きたくないって気持ちはわからないでもないけどな。
「恩知らずな。しがない飲み屋の雇われ女だったのを拾ってあげたのは誰だと思っているのですか?」
「そうね。あなたがバカな人種で感謝しているわ。おかげで計画通りに事を運ばせることができたものね」
「どういう意味ですか?」
岩金は頬をひくひくと痙攣させながら、真坂鈴を睨みつける。
「まさかお前も父の財産を狙っていたのですか? それで私に父を殺させるように仕向けたというのですか?」
「思ったよりバカではなかったみたいね。でも、財産を狙っていたわけではないわ。このお金は協力してくれた彼らへの報酬。金庫の鍵が四代目の声紋だったことは計算外だったけど」
「復讐か?」
ドスのきいた声が響いた。
ばあさんの中にまだ四代目が残っていたらしい。外見と声のギャップが激しすぎて、違和感を覚える。
「その泣きぼくろを見て思い出したわい。お前、あの時のガキか?」
「憶えていてくれて光栄だわ」
真坂鈴は射殺すようにばあさんを見据えた。その双眸にオレは見覚えがあった。あれは人を憎んでいる目だ。初めてばあさんに会った時、親父の話をするばあさんもこんな目をしていた。きっとオレもこんな目でいつも親父を見ていたんだろうな。
「十四年前、あなたたちヤクザの抗争に巻き込まれて父は私の目の前で射殺された。母は私を育てるために必死で働いて体を壊して死んでいった。それから私はあなたたちに復讐するチャンスをずっとうかがっていたのよ」
『ロック・ゴールド』で母さんの話になった時、真坂鈴がどこか悲しげな目をしたのは自分の母親はすでにこの世にはいなかったからか。
「許してくれとは言わん。ワシのせいでお前さんの父親が死んだのは事実じゃ。しかし、それは」
四代目の言葉が途切れた。
「男のくせに女々しいね」
ばあさんは首をゴキゴキ言わせて肩を回しながら毒づいた。この声はばあさんだ。となると、四代目はもうばあさんの中からいなくなったってことか。
「ば、じゃなくて、梅子姉さん、四代目は?」
「言い訳がましいからとっとと追い返してやった」
いや、ここはちゃんと四代目に懺悔させてやれよ。そうすれば、真坂鈴だって拳銃を収めたかもしれなかったっていうのに。
かと思えば、真坂鈴の復讐心をあおる、言い訳がましい男がここにももう一人いた。
「あれは父が起こした抗争で私には関係のないことです」
「そうかもしれないけど、あなたは生きていても何の役にも立たないでしょう。女の尻とお金を追いかけるしか能がないんだし。人の迷惑にしかならないヤクザなんていなくなってしまえばいいのよ」
ヤクザを根絶やしにする。それが真坂鈴の復讐か?
復讐という魔物にとりつかれて人生のすべてを捧げてきたんだろうな。オレは自分を見ているような気がして、真坂鈴も心の底では本当はこんなことはしたくないと嘆いているんじゃないかと思えてならなかった。
「鈴、助けてくれ! お前の目の届かない所に行くから私を見逃してくれ!」
岩金は声をからして必死で命乞いする。しかし、真坂鈴はためらうことなく岩金に銃口を向けてトリガーと引いた。銃弾が岩金の左太股をかすめた。
「ひぃい」
岩金は情けない悲鳴を上げて、のたうち回る。
悠花が体をビクつかせる。
夏恋は悠花のロープを解いてオレに押しつけると、
「女の子を守るのは男の子の仕事、ってね」
真坂鈴に向き直り、威嚇するような視線を投げつけた。
「私たちをどうするつもりなの?」
今にも真坂鈴に飛びかかりそうな勢いの夏恋だったが、さすがに拳銃を持った相手に簡単に手出しはしない。下手に相手を挑発して発砲されたんじゃ、悠花を危険に晒しちまうことになるからな。
「この金庫の扉が閉まってしまったら誰にも気づいてもらえず死ぬことになるでしょうね。本当はあなたたちを巻き込みたくはなかったの。だから、帰りなさいと忠告したのに、素直に言うことを聞かないあなたたちが悪いのよ」
オレたちを金庫に閉じ込めて殺す気なのか? 冗談じゃねぇぞ。もう同情なんかしてられねぇ。オレは悠花をつれて戻ると萌花と約束したんだ。こんな所で死んでたまるかよ。
死にたくない。
そう思った瞬間、オレらしくないとも思った。ついこの間までは人がどうなろうと気にしたことなんかなかった。逆に、オレなんていつ死んでもいいとさえ思っていた。だけど、今は命が惜しい。
ったく、誰に影響されたんだか。
オレは夏恋を一瞥して失笑した。
「翔ちゃん、こんなピンチの時に笑えるなんてずいぶんとたくましくなったわね」
「うるせぇよ」
夏恋が肘でオレの胸を突いてくる。
「ちょっと大河くん、どうして私がこんな目に遭わなきゃいけないわけ?」
さっきまでしおらしく黙り込んでいた悠花が急にオレに食ってかかる。こいつはこいつで自分が置かれている状況を把握しようとしていたのかもしれないな。で、理解したとたんにこれかよ。オレの周りには度胸のすわった女が多いな。
「安心しろ。お前はオレが守ってやるよ」
「わお、翔ちゃん。それってすごい殺し文句じゃない?」
「オレは別にそんなつもりで言ったんじゃねぇよ」
「そ、そうですよ。私は別に大河くんに守ってもらわなくても平気です!」
「あらあら、素直じゃないところがウブでか可愛いわねぇ」
夏恋に冷やかされ、悠花の顔がゆでたこのように真っ赤に染まった。
「お前な、時と場合を考えろよ。緊張をほぐすとか、のん気なこと今は言ってられねぇんだぞ」
「もう翔ちゃんったら。少しは冷静になって考えてみてよね。何のために私が同行したと思っているの?」
「あ」
そうだった。こいつは親父が作ったロボットなんだった。装甲は何でできているのかは知らないが、銃弾くらいじゃ壊れたりしないはずだ。あまりにも人間臭いから忘れていたぜ。
「そういうこと。拳銃の弾くらいじゃビクともしないんだから」
夏恋は小声で囁くと、ウインクした。
「だったら、金庫に入る前に真坂鈴から拳銃を奪えばいいだろうが」
「だって、他の人も銃を持っていたかもしれないでしょう? 下手に動いてみんながケガしちゃったら困るもの。ここなら金庫の端っこに隠れていれば安全みたいだし」
何も考えてないようでちゃんと考えて行動してたんだな、こいつも。
オレは助けたくないが、「死ぬ~」とのたうち回っている岩金を引っ張って金庫の壁に投げ捨てた。
「大河くん、お母さんは何をするつもりなの?」
「あいつはオレの母さんじゃねぇよ。親父が作ったロボットだ」
「ロボット?」
悠花は信じられないといった顔で夏恋を見つめた。まあこれが普通の人間の反応だよな。
「詳しい話は後だ。とにかく今は隠れてろ」
オレは悠花を誘導する。
ばあさんは話を聞いていなかったのか、いつまでも金庫の真ん中に突っ立っていた。
「ばあさん、何ぼーっとしてんだよ?」
「あ、いや何でもないよ」
ばあさんも金庫の隅へと移動する。何か様子がおかしいぞ。いつもなら「梅子お姉さんとお呼び!」と言って激昂するのに。口寄せして疲れてんのか?
「名残惜しいけど、お別れの時間だわ」
真坂鈴が左手を挙げて合図をすると、角刈り頭の男が金庫の方へと歩み寄ってくる。
全員が金庫の端に移動したのを確認した夏恋は、金庫の扉を閉めようと近付いてきた角刈り男の腹部を掌底で吹き飛ばした。
と同時に、俊敏な動きで真坂鈴に詰め寄る。
「来ないで!」
真坂鈴が拳銃をかまえる。
しかし、夏恋の方が早かった。右足がしなやかに舞い、真坂鈴がトリガーを引く前に拳銃を蹴り飛ばした。そして、続けざまに真坂鈴の背後で唖然としている男たちをラリアットでまとめて叩きのめした。どうやら男たちは拳銃を持っていなかったみたいだな。
夏恋は悠花を縛っていたロープで男たちを素早く簀巻きにした。男たちは「放しやがれ! ぶっ殺すぞ、このアマ!」と暴言を吐いていたが、夏恋に蹴飛ばされて簀巻き状態のまま土蔵の外へ転がり出された。
「どうして私の復讐の邪魔をするの?」
「ありきたりな言葉だけど。関係ない人間まで巻き込んでまでやらなきゃいけない復讐に意味はあるの? 今度はあなたが復讐される立場になるのよ」
夏恋の言葉はオレ自身にも大きくのしかかってきた。親父を憎むあまり、そのはけ口としてケンカばかりして人を傷つけてきた。オレも知らぬうちに復讐される立場の人間になっていたのかもしれない。
「岩金に近付くために飲み屋で働いて、あの男の秘書になってからもずっと屈辱に耐えてきたっていうのに。こんなところで失敗するなんて。人間慣れないことはするものではないわね」
真坂鈴は戦意を喪失したのか、うつむいたまま自嘲した。
「もう大丈夫よ」
安全だと確信した夏恋がオレたちを手招きする。
オレとしては複雑な気分だった。例えロボットとはいえ、女に助けてもらった自分が不甲斐なく思えてならなかった。
「もう手放しても大丈夫だぞ」
「あ、こ、これは別に怖かったからじゃなくて、その……」
オレの右腕にしがみついていた悠花が慌てて手を放すともじもじと呟く。
「もう翔ちゃんたらデリカシーなさすぎ。こういう時は翔ちゃんが悠花ちゃんの肩を抱き寄せて『もう大丈夫だ』って安心させてあげなきゃダメでしょう」
「どうしてオレがそんなことしなきゃならねぇんだよ?」
「もう女の子の気持ち全然わかってないんだから」
「わかりたくねぇよ」
「あらぁ? そんなこと言っていいのかしらぁ?」
夏恋はにやりと小悪魔的な笑みを浮かべた。あいつがあんな顔をした時は決まって悪巧みを考えている時だ。
「萌花ちゃんの気持ち、知りたいくせに」
オレに耳打ちしてくる。
「ぐっ!」
オレは言葉を詰まらせた。よりによってこんな時に萌花の名前を出すことはねぇだろうが。
オレの頭は一瞬にして真っ白になった。
そんなオレたちを尻目に、ばあさんは真坂鈴の前に立った。
何かを言いかけた瞬間。
「逃げて!」
悲鳴に近い声が聞こえた後、耳をつんざくような乾いた銃声が轟いた。




