第5章 誘拐と人質-3
岩金の自宅は、尾仁市の北のはずれにあった。
まるで武家屋敷のような大きな門から左右に岩と土でできた塀がどこまでも長く続いていた。門扉には『岩金』と書かれたご大層な表札が掲げられている。
周囲には畑や田んぼがあるくらいで、民家は二、三キロメートル離れた場所に何軒かあるくらいだ。のどかなもんだな。
「大河!」
そんな穏やかさを破ったのは、とうもろこし畑から飛び出してきて感涙するトサケンの声だった。頭や体にとうもろこしの葉をくくりつけて、その手にはデジタルカメラを持っていた。
その挙動不審とも思える恰好にオレは後ずさった。まあこいつがおかしいのは今に始まったことじゃないんだが。
「お前、こんな所で何やってんだよ?」
「ロック・ゴールドを見張っていたら、鈴さんたちが車で出掛けたから追ってきたらこの屋敷に入っていったのでずっと見張っていたのだよ。はっはは」
見張っていたって。脅迫されているかどうかもわかんねぇのに、こいつ本気で真坂鈴を岩金から救い出そうとしてやがったのか? しかし、自転車で車を尾行するとは、女が絡むと尋常じゃないパワーを出す奴だな。
「カメラ持ってかよ?」
「こ、これはけっして鈴さんを隠し撮りしようとしていたわけではなくて」
ついにストーカーに成り下がりやがったか。何が悪の手から救い出すだ。よくそんな大義面分が言えたもんだな。
「あ、お母様ではありませんか? おや、そのお隣に負けず劣らず美しい方が!」
バツが悪くなったトサケンは夏恋とばあさんの存在に気付いて、鼻の下を伸ばしてデジカメで二人を激写し始めた。
「あ、翔ちゃん、これ持ってて」
夏恋はばあさんの口寄せ道具が入った風呂敷包みをオレに押しつけてノリノリでポーズを取る。ばあさんも怒るかと思えば、一緒になってポーズを取り始める。
「今はそんなことしてる場合じゃねぇだろう!」
オレはトサケンの後頭部を回し蹴りで吹き飛ばした。トサケンの体はくるくるとスピンして、まるで高回転するドリルのようにとうもろこし畑にめりこんだ。
「そうじゃったな」
ばあさんはゴホンと咳払いする。緊張感ってもんはねぇのかよ。
「あら、私は楽しかったけどなぁ」
緊張感の欠片もない夏恋が腰をくねらせてポーズを取る。
「お母様、ナイスなボディラインです」
鼻血を垂らしながらデジカメ片手に親指を立てるトサケン。相変わらず回復の早い奴だな。手加減なんかするんじゃなかったぜ。
「そんなからくり人形などを撮るよりアタシを撮った方がいいんじゃないか?」
こんな時に夏恋に対抗意識なんか燃やすなよ、ばあさん。
オレは頭を抱えた。
「大河くん、こちらの巫女装束のお美しい方を紹介してくれないか?」
「今は忙しいんだよ。お前はとっとと帰れ!」
「そんな言い方はないだろう。一度はいっしょにヤクザになろうと誓った仲だっていうのに」
鼻血と鼻水を拭き散らしながら、トサケンがオレの足にすがりついてくる。汚ねぇな。オレは必死で振り払う。
「翔ちゃん、本気なの? ダメよ、ヤクザなんて」
「翔、お前がどう生きようと勝手だが、人様に迷惑をかけるような仕事にだけは就くんじゃないよ」
夏恋とばあさんが真摯の眼差しを向けて言い寄ってくる。おいおいトサケンの言うことなんか真に受けるなよな。
「んな約束もしてねぇし、ヤクザになる気もねぇよ! それより、さっさと中に入るぞ!」
こいつらにつき合っていたんじゃ、いつまで経っても先に進めねぇ。
オレは門柱にあるインターフォンに手をかけた。
その時。
ギィという重苦しい音を立てて門が開き、真坂鈴が出てきた。
「なかなか入ってこられないので、お迎えにまいりました」
「鈴さん、わざわざボクを迎えにきてくれるとは光栄です」
トサケンは体にまとっていたとうもろこしの葉を取り払うと、ジーパンのポケットからひまわりの花束をポンと取り出し、片膝をついて真坂鈴に捧げた。
マジシャンか、こいつは。
しかし、真坂鈴はトサケンの存在をスルーして、ばあさんの前に歩み寄る。アホのかわし方は慣れているみたいだな。
「よくアタシが来たのがわかったね?」
「この屋敷には防犯カメラが設置されていますので」
よく見ると、門柱に監視カメラがあった。それでオレたちの様子をずっとうかがっていたわけか。
「あの女の人って、確か」
夏恋はオレに耳打ちしてくる。忌野神社で会ったのを憶えていてみたいだな。これ以上話をややこしくされる前に、オレは小声で夏恋に岩金と真坂鈴のことを説明した。
「ふーん。今朝、忌野神社で会ったヘビ男が岩金で、翔ちゃんとトサケンちゃんがヤクザになろうとして行ったのが岩金の組だったってわけね。何だかすごい偶然」
ふふっと、夏恋は楽しそうな笑い声を漏らす。そこはのん気に笑うところじゃねぇだろう。
「二度と来ないのではなかったのですか? 今度は母親同伴ですか?」
夏恋を見て、真坂鈴が怪訝な顔をする。どうやら保護者同伴で直談判に来たと思ったらしい。
とんだ誤解だぜ。親離れできていないアマちゃんだと思われるのは不愉快だ。
こんなことならトサケンといっしょに岩金の会社になんかに行くんじゃなかったぜ。でも、そのおかげで岩金が萌花を誘拐するという企みを知ることができた。誘拐されたのは悠花になっちまったけどな。
「そうなのぉ、翔ちゃんったらお母さんがいないと何もできない子なの。おほほほぉ」
「何勝手なこと言ってんだよ?」
夏恋は母親ぶってオレの頭をなでまわす。
「申し訳ありませんが、ご子息と一緒にどうぞお引き取りください。忌野様はこちらへ。中で社長がお待ちしております」
真坂鈴は丁重に断ると、ばあさんを中へと促す。
「この子はアタシの娘と孫だ。一緒に中に入れてもらおうか」
「娘と孫、ですか?」
真坂鈴がオレと夏恋を見て狼狽する。
そりゃ、そうだよな。ばあさんの外見年齢は二十代後半。娘や孫がいるようには見えないよな。
ん?
ばあさん、今娘と孫って言ったよな? それって、つまり夏恋のことを娘って言ってるってことだよな。今は母さんも入っていないというのに。一体どういう心境の変化だ? 中に入るための方便か?
「あんな美しい巫女様に娘と孫がいたなんて……。しかも、それがボクの親友とそのお母様だったとは、何という運命のいたずらだろうか!」
その横でショックを受けているアホもいるが。まあこいつは放っておくとして。
「とにかく、この子たちは大事な助手だ。口寄せができないと困るのはあんたたちの方だろう?」
「それはそうですが」
さすがばあさん。年の功だな。丸めこむのが上手い。
真坂鈴は渋々だが、オレたちの同行を許可した。
「あのボク、また取り残されるんですか?」
門が閉まる瞬間、トサケンの虚しい呟きが夏の生暖かい風にかき消されていった。
無意味にだだっ広い庭だった。
重厚な日本家屋へと続く石畳みの間から雑草が生えてきていた。よく見ると、樹木も剪定されていないのか、無造作にいろんな方向へと枝葉を伸ばしている。
大きな池もあったが、水は濁っていて鯉の姿は見えない。猪おどしも水が枯れていてはその使命を果たすこともできない。
荒れ放題といった感じだ。こんな屋敷に防犯カメラなんか必要ねぇだろうに。
「何だか廃墟みたいな感じね。もうここには誰も住んでいないの?」
「先代が亡くなってからは誰も住んでおりません。先々代も先代の奥様ももうずいぶん前に他界されたと聞いておりますから。社長の意向で近々ここはマンションに建て替えられます。ですので、庭の手入れなど意味のないものにお金をかける必要はないそうです」
夏恋の問いに事務的に淡々と答える真坂鈴。
こんな立地条件の悪い場所にマンションねぇ。売れるとは思えなかった。それくらいのことガキのオレでもわかることだ。岩金って奴は商才がねぇのか?
「なあ、ばあさ」
言いかけて、ばあさんがギロリと無言のプレッシャーをかけてきた。
はいはい。
「梅子姉さん、もしかして四代目が依頼してきた口寄せって」
「ここまできたら隠していてもしょうがないね。そうさ。四代目の口寄せの依頼相手は自分の嫁さ。バカ息子のことで頭を悩ませていたようだったからね」
呆れて言葉が出てこなかった。
口寄せしてもらって息子の育成相談かよ。ヤクザってのもたいしたことねぇんだな。まあこの衰退ぶりを見れば一目瞭然か。
どうやら岩金組の五代目は金の亡者のようだな。ヤクザ稼業を継ぐよりは目先の金儲けに走ったってわけか。よく内部で暴動が起きなかったもんだな。古株の奴らに呆れられて見放されちまったのかもしれないな。
庭を通り過ぎて、オレたちは母屋の裏手にある大きな土蔵へと案内された。
中に入ると、むんと湿気臭さが鼻についた。普段は密閉された空間なのだろう。窓もなく、小さな灯りが室内を照らしているだけでかなり薄暗かった。壁際に陳列棚が設置してあるところをみると、たぶんここは宝物庫だな。だが、つい最近まで何かを置いていた形跡はあるが陳列棚には何も置いてなかった。もしかして、岩金の会社の応接室に飾ってあった調度品はここから持ち出したものかもしれないな。
陳列棚の奥には銀行にあるような巨大な金庫がどっしりと構えていた。
防犯カメラはこの金庫のためだったのか。
「待ちくたびれましたよ」
岩金は獲物を前にしたヘビのようにメガネの下の細い双眸をギラリと光らせて、土蔵の中へと入ってきた。背後には黒服を着た数人の若い男と、ロープで縛られて自由を奪われた悠花がいた。
「大河くん、どうしてここに? もしかしてこれってあなたのトラブル?」
悠花があからさまにオレに敵意の視線を投げかけてくる。こんな状況でも物怖じしないとは度胸のすわった女だな。
「違うのよ、悠花ちゃん。話せば長くなるんだけど、あなたは萌花ちゃんに間違えられて誘拐されちゃったの」
「お前、何ベラベラとしゃべってんだよ!」
夏恋が話をややこしくしてくれる。
余計なこと言って悠花と萌花の仲が気まずくなったらどうすんだよ。
「何ですと?」
岩金が意外にも素っ頓狂な声を上げた。インテリメガネを一度はずしてメガネ拭きでキレイにレンズを拭きとるとかけなおし、間近でしげしげと悠花の顔を食い入るように見つめた。もしかしてすげぇド近眼なのか?
「鈴、この娘は忌野神社にいた弟子ではないのですか?」
「そうですね。似ていますが、まったくの別人のようです」
「どうして早くそのことを言わなかったのですか?」
「私がその娘を見たのは今が初めてでしたので」
苛立つ岩金に対して、あくまで冷静に対応する真坂鈴。
「この役立たずどもが!」
激昂した岩金は悠花を拘束していた男たちの顔を金屏風扇子で何度も叩きつけた。
「すみません、社長。てっきりこの娘かと思って」
「あなたたちに任せた私が愚かでした。まあ結果的には人質としての役目はしっかりと果たしてくれたようですし、今日のところは許してあげましょう」
はあはあと息を切らしながら、とりあえず納得がいったのか、岩金は扇子を懐に戻した。社長が社長なら社員も社員だな。バカばっかりのようだ。
そんなやり取りの中、悠花が隙を見計らって男たちの元から逃げようとする。
しかし。
それにいち早く気付いたオールバック頭の男が悠花を取り押さえた。
「大人しくしていないとケガするぜ」
「悠花ちゃんに乱暴なことしないで!」
「あんたたちが社長の言うことさえ聞いてくれれば、乱暴なことはしねぇよ」
夏恋も悠花が捕まっている以上、下手に手を出すわけにはいかなかった。
「もう少し辛抱してね、悠花ちゃん。ちなみに、翔ちゃんはトラブルの原因ではなくて、あなたを助けに来た王子様だからぁ」
「こんな時にアホなこと言ってんじゃねぇよ!」
「緊張をほぐしてあげようかと思って」
いや、今はそんないらねぇから。
悠花は面食らったように顔を紅潮させた。「ふざけないで」とか言って激昂するんだろうなと思っていたら、悠花は押し黙るとうつむいた。細い肩を小さく震わせて、何かぶつぶつと呟いている。
「だったら、もっと早く来なさいよね。だって」
夏恋がオレに耳打ちしてくる。負けん気の強い女だと思っていたが、やっぱり心細かったんだな。まったく、素直に怖かったって言えばいいものを。
「アタシが来たんだ。もうその娘は放してくれてもいいだろう」
それまでずっと黙っていたばあさんがやっと口を開いた。
「口寄せが成功するまで解放するわけにはいきませんよ」
「四代目も草葉の陰で泣いていることだろうよ。こんなアホなせがれを残して死ぬことになっちまったんだからね」
「それはこちらのセリフですよ。財産を私に譲ると一言言えば死なずにすんだのですからね」
岩金はくくっと喉を鳴らして笑った。
「その口ぶりからすると、四代目を殺したのはお前かい?」
「とんでもない言いがかりですね。父はたまたま訪れた宝石店で強盗に遭って運悪く射殺されただけですよ。そういえば、犯人はまだ捕まっていませんでしたね。できることなら草の根を分けてでも探し出して、この手で殺してやりたいくらいですよ」
岩金は父親を殺された悲劇の息子を演じる。夏恋以上に下手くそな演技だ。
宝石強盗を装ってどさくさにまぎれて四代目を殺した、と、言っているようにしか聞こえなかった。
しかも、財産目当てで。
だが、理由は違うが、オレだって一歩間違えていれば親父を殺していたかもしれない。いや、夢の中では何度も殺していた。そう思うと、眼前にいる岩金がオレの成れの果てのように見えて、嫌悪感が襲ってきた。
「あなた、最低な人間ね。自分の父親を何だと思っているの?」
いつもおちゃらけてばかりだった夏恋が初めて怒鳴った。明らかに激昂している。夏恋だけじゃない。口には出さないが、ばあさんも悠花も岩金に怒気のこもった視線を浴びせていた。
「無駄話はここまでにして、金庫の前でさっさと口寄せしていただきましょうか?」
「金庫の前でかい?」
「そうですよ。ここでなければ意味がないのです。さあ父を呼んでいただきましょうか?」
岩金はばあさんに自分の父親を口寄せしてほしかったのか? なら、なぜ殺したりしたんだ? 意図がさっぱり読めなかった。この男が懺悔するとも思えねぇし。
「先代は用心深い男でしてね。金庫の鍵に自分の声紋を登録していたんですよ」
大金を目の前にして気が緩んだのか、岩金がボソッともらした。
こいつの考えが読めてきたぞ。つまり財産目当てで四代目を殺したまではよかったが、いざ金庫を開けようとしたら四代目の声紋がカギになっていて開けることができなかった。そこでイタコであるばあさんに口寄せを依頼して、金庫を開けようといたってわけか。
どこまでも間抜けな男だな。
「翔、それをこっちへ持っておいで」
オレは持っていた風呂敷包みをばあさんに渡した。
ばあさんは風呂敷から米と塩を取り出すと、床にまいた。夏恋が言うには、まず口寄せする場所をこうやって清めるらしい。湿気臭かった土蔵の中にひんやりとした澄んだ空気が充満していく。それが終わると、金庫の前に正座して、梓弓という弓によく似た楽器を奏でる。こうすると、霊が降りてきやすくなるらしい。
信じがたい話だな。
しかし、ばあさんは演奏に合わせて何やらお経を唱え始めた。一同が息を呑む中、ばあさんの体がゆっくりと揺れ出す。
「岩金欣也の魂よ、我が肉体に宿りたまえ」
揺れが治まると、ばあさんの頭がガクッと垂れた。
これが口寄せ?
「仁志よ」
頭を上げたばあさんの表情はどこか虚ろで、その口からは聞いたことがない低い男の声が発せられた。
背中に悪寒が走った。
「愚かな息子よ。金に目が眩んでワシを殺すとはな」
「殺したのは宝石強盗ですよ、お父さん」
岩金は死んだはずの父親の霊を前にして恐怖に顔を歪めながらも、大金が手に入るという興奮を抑えきれず鍵が解除された金庫の扉を忙しげに自ら引いた。
ゆっくりと扉が開かれていく。
「ここまで貯め込んでいたとはね」
金庫の中に入った岩金から恍惚とした声が聞こえてきた。
「お前たちさっさとこれを運び出しなさい!」
岩金の命で男たちは予め用意していたアタッシュケースを持って、金庫の中へと入っていく。どいつもこいつも完全に金に目が眩んでやがる。
真坂鈴は岩金組四代目を降霊したばあさんを冷ややかに見つめていた。まさか怖くて動けないってわけでもないだろうに。
ともかく、今や人質の悠花は放ったらかしだ。助け出すなら今がチャンスだ。
「悠花ちゃん、大丈夫だった? 怖かったでしょう? 王子様が助けに来たからね」
「こんな時にまでそんなこと言ってんじゃねぇよ」
夏恋が悠花を拘束していたロープを解こうとする。
その時、まるで打ち上げ花火のように腹の底に響く大きな音が土蔵内に轟いた。




