第5章 誘拐と人質-2
「ぶぅー」
ちゃぶ台に上に並んだ色鮮やかなケーキを目の前にして、珍しく夏恋がふてくされていた。それもそのはずである。美味そうなケーキだろうが、どんなに人間そっくりでもロボットである夏恋がそれを食べることはできないからだ。あいつ、自分がロボットだって自覚を持ってんのか?
「すみません。私、夏恋さんが食べれないって知らなくて」
コーヒーを運んできた萌花が申し訳なさそうに何度も詫びた。萌花はこの時改めて夏恋がロボットであることを確信したようだった。最初は大仰に驚いていたが、夏恋に対する態度が変わることはなかった。
「謝ることなんかないよ、萌花。まったく図々しいからくり人形だね。勝手にあがりこんできて」
ばあさんは苺タルトをフォークでぶすりと刺すと、これ見よがしに夏恋の目の前で頬張った。二個目はモンブンラン、三個目はティラミスと、あっという間に平らげていく。そういえば、このばあさんの食い気は尋常じゃなかったな。
「翔さん、甘い物は苦手ですか?」
「いや、別に嫌いじゃない」
「なら、遠慮せずに食べてください。じゃないと、お師匠様に全部食べられてしまいますよ。どれがいいですか?」
「チョコ」
「はい、どうぞ」
ぶっきらぼうに言うと、萌花はチョコレートケーキを皿に取って、オレの前に置いてくれた。
「借りてきた猫って、こういうことを言うのかしらねぇ。私が作った料理は文句ばっかり言って全然食べてくれなかったっていうのにぃ」
ケーキが食べれずにしょぼくれていた夏恋がネチネチと嫌味を言ってくる。
オレは無視して、コーヒーを口に運んだ。
「うっ」
オレは思わず呻いた。
半端なく苦い。でも、ばあさんはまるで水でも飲むかのように平気な顔をして一気に飲んでいる。
コーヒーってこんなに苦かったか? それともオレの味覚がおかしいのか? どっちにしてもこんなに苦かったら飲めねぇ。
オレは萌花が他所を向いている間に、砂糖とミルクをカップの中に大量にぶち込んだ。
「あらあら、お子様ね。でも、甘いケーキを食べるなら、コーヒーはブラックの方が合うんじゃないかしら?」
オレは夏恋を睨むが、あいつはぷいっとそっぽを向く。
「あ、そういえばね、萌花ちゃん。昨日、萌花ちゃんに教わった鳥のから揚げなんだけど、翔ちゃんたらお腹が痛くなるからって言って」
あいつ、こんな時に何言い出すんだよ。
「そんなにケーキが食いたきゃオレが食わせてやるよ!」
焦ったオレは口封じのために夏恋の口にチョコレートケーキを放り込んだ。
チョコまみれになった夏恋の口元が大きく吊り上ったように見えた。やばい。こいつ、何かを企んでやがる。そう察知した時にはすべてが手遅れだった。
「ひどいです、翔さん。夏恋さんが食べれないのを知っていてこんなことをするなんて」
夏恋に塗れたタオルを渡しながら、萌花がオレに非難の目を向けてくる。
「あ、いや、オレは……」
「翔さんがこんなひどいことをする人だとは思いませんでした。幻滅しました」
「なっ」
オレは完全に言葉を失った。
「幻滅」と言った萌花の言葉が頭の中をリピート再生する。
今まで食らったことがある強力なパンチよりも効果は絶大だ。暗黒星雲の彼方に吹き飛ばされた心境だった。地球圏に戻る気力すらわいてこなかった。
夏恋の奴、これを狙ってたのか? 人工知能のせいかどうかは知らないが、知恵がついたというかどんどん性根が悪くなっていっているような気がする。本当に母さんの性格をベースにして作ったのか?
「萌花ちゃん、翔ちゃんを責めないでやってくれる? 悪いのは全部私なんだから」
夏恋は口についたチョコレートをきれいに拭き取った後に、出てもないのに涙まで拭い取って、大仰な芝居を打って見せた。
「何を言っているのですか? 夏恋さんは悪くなんてありませんよ」
「ありがとう、萌花ちゃん。こんなロボットの私にやさしくしてくれて」
「水臭いこと言わないでください。夏恋さんは私たちと同じ人間ですよ」
「萌花ちゃん!」
夏恋は感無量といった感じで萌花の両手をギュッと握りしめた。
「萌花を味方につけたって無駄だよ。まったく、猿芝居で誰かを味方につけるところは桃子にそっくりだね」
最後のケーキ、レアチーズケーキを頬張ってばあさんが毒づいた。
オレはダブルノックアウトを食った。夏恋が今やって見せたことは母さんの専売特許だったのかよ。
失意というブラックホールに飲み込まれたオレを引き戻したのは、ばあさんの携帯電話の着信音だった。
また岩金の奴か?
「寝ぼけたこと言ってんじゃないよ! アタシの弟子はここにいるんだよ!」
そう怒鳴ってばあさんは電話を切った。しかし、すぐに電話はかかってくる。
「悠花?」
ばあさんは怪訝な顔をして、萌花を見る。
もしかして岩金に誘拐されたのは悠花の方だったのか? 確かに顔立ちは似ているかも知れないが、髪の長さや雰囲気が全然違うだろうに。
「わかった。これからすぐに行く」
ばあさんは電話を切るときびすを返した。
「萌花、急な仕事の依頼が入ったからアタシは出掛けてくる。留守を頼んだよ」
「あの、お師匠様。悠花がどうかしたのでしょうか?」
「お前は何も心配しなくていいんだよ」
ばあさんは心配そうに顔を見上げる萌花の頭を優しくなでた。
事情を知っているのは、ばあさんとオレだけだ。萌花に真実を告げて不要な心配させることはない。無事に悠花をつれて戻ればそれで済むことだ。
「翔、お前もここで留守番だよ」
ついて行く気だったオレに釘を刺してくる。しかし、黙って「はい、そうですか」と言うほどオレはお利口さんじゃない。
「オレ、今反抗期なんだよ」
「はいはーい。私も反抗期!」
さっきまでオレを陥れようとしていた夏恋が両手を挙げてアピールする。意味わかってやってんのか?
「お前、わかって言ってんのか?」
「私の聴覚は普通の人間の六倍あるから、電話の相手の声も聞こえちゃうの」
六倍って、犬と同じじゃねぇか。
まあすべてを承知なら、不服だがこんなに頼もしい助っ人はいないかもしれない。
「でも、翔ちゃんも私のこと言えないくらいお人好しなんじゃない?」
夏恋は嬉しそうにオレの頬を人差し指で突いてくる。
確かにらしくない行動かもしれない。けど、知ってしまった以上は放っておくわけにはいかねぇだろう。悠花の命がかかってるんだ。萌花には家族を失う辛い思いをもうしてほしくないからな。
「萌花ちゃん、悠花ちゃんは必ず無事につれて戻るから安心してね」
夏恋が萌花を抱きしめる。
「お前、何余計なことしゃべってんだよ?」
「だって、萌花ちゃんだけ仲間外れにしちゃったらかわいそうでしょう」
夏恋が言っていることもわかる。
萌花も妹の身に何か起こっていると察してはいたのだろう。あまり驚いた顔はしていなかった。普段はトロ臭いが、いざという時には勘が働くタイプのようだ。
「今夜はごちそう作って皆さんが帰ってくるのを待っていますね」
萌花は健気にも笑顔を見せてくる。
「まったく、どいつもこいつも大袈裟だね。アタシ一人で行けばすむことだっていうのに」
「ほら、赤信号みんなで渡れば怖くないっていうことわざもあることだしぃ」
いや、そんなことわざねぇし、そもそも意味も違うだろう。しかし、今は夏恋を突っ込む気にはなれない。岩金の目的がはっきりとわからない限りは、いくらばあさんが人並み外れた強さを持っていたとしても一人で行かせるわけにはいかねぇ。
「これは遊びじゃないんだよ。私は命を懸けてやってるんだよ」
「私だって命懸けてやっているわよ」
夏恋が言うと言葉に重みがなくなるのは気のせいだろうか。
「好きにおし。その代わり責任は持たないからね」
「豪華客船に乗ったつもりで任せてちょうだい」
夏恋は自信満々で胸を張った。
ありきたりだが、タイタニックのように沈没しないことをオレが願った。




