志真と宿屋の一大事 2
その早朝の出来事は、すぐに皆に知られることになった。朝早くから調理場を手伝っていた志真の行動や、朝早くどたばたと煩くしてしまったことからばれた。どうしたんだ、と聞かれて良い誤魔化しも浮かばなかったし、アンナさんの口を塞ぐわけにもいかない。
そんな理由で、志真は朝から「シマはそういうところあるよなー」的な生暖かい笑みに耐えねばならなかった。
ううう、恥ずかしすぎる。
「全く、朝から人騒がせで迷惑な奴」
と、冷めた視線でばっさり言い放つ伊吹。その上から目線がイラっとくるので、志真は彼の頭にへばりつくこてつに視線を固定させた。
どこの世界でも小さな動物は可愛い。癒される。
「……まだ、分かんないし。ひょっとしたらそれこそ人違いで、弟に似た別人って可能性だって」
まだある、と思う。あくまで志真が見たのは弟だろ、って流れになっているだけで、確証があるわけではない。ルーミケラウスの無事だって、まだ確認されていないのだ。
「なるほど。ルーミケラウスがその男に襲われてたら、お前の面目は立つわけだ」
「そんな事言ってない!」
伊吹の言葉に、志真はむくれた。何ですぐにそういう嫌な事を言うんだろう。性格悪い。志真相手にはこんなんだが、リアラを始め宿屋の皆には礼儀正しく気の付く青年みたいな顔をするから余計にむかつく。
「で、何でお前までついてくるんだ」
半歩先を、知った道を歩くように進んでいく伊吹が、今更そんな事を言う。学校初日くらいは、一緒に行ってあげようと思っていたのに、行き先は学校ではないようだ。
「学校行かないの?今日からでしょ」
「午前中はバイト」
「え、どこで?」
一瞬、伊吹は嫌そうな顔をした。
「……異世界人保護施設」
「え!」
「ついてくるなよ」
そんな事言われなくても勿論。
ついていくに決まっていた。
元々、午前中の授業は自習なのだ。行っても一人っていう時だってあるし、モクがいない以上その可能性は高い。アルジャラーはいたとしても寝ているし、ニトロは気まぐれだ。
うん。
迷惑がる伊吹にくっついて、志真は初めて電車にも乗った。
電車ではなくイグローブスという名前の乗り物だが、覚える事を早々に放棄した志真は、堂々とそれを電車と呼ぶ。
これがまた感動した。すーいって感じで進むのだ。全然揺れないし、早い。つり革とかなくても全然大丈夫だった。停車駅付近になると、窓ガラスに文字がぱっと浮かぶのも面白い。
大きな建物の中を通ったり、湖の上を走ったり。外の景色も楽しめた。ちなみに、切符みたいなものは無く、親指の腹にぽんとスタンプみたいなものを押された。バーコードみたいな緑の線。それが1日乗車券の役割を果たすらしい。1日で消える。
伊吹は既に3ヶ月分購入しているのだが、色が違うくらいでマークは同じに見えた。
自分の親指についたそれを、ついじっと眺めてしまう。
「これってさ、すぐ消えちゃいそうじゃない?」
擦ったり、水で洗ったりしたら消えたりして。折角お金を払っているのに、勿体無い。1日分しか購入していない志真はともかく、3ヶ月分も払った伊吹は悲惨だ。
「インクでつけてるわけじゃないらしいからな。平気だろ。呪印、っていう手法だ」
「何それ」
「書いているのではなく、肌の色を一部変色させている、らしい。あまり深く考えない方が良いぞ。どうせ分からないからな」
「……良く分かんないけど、体に悪そう」
本当に消えるんだろうな。
今度は逆の不安が出てきた。
程なくして、電車は目的地についた。
駅から徒歩20分ほど。人ごみからどんどん離れて歩いていくと、異世界人保護施設にたどり着く。先の見えない白い壁。本当に、ここまで広くなくても良いんじゃないかっていうくらい広い。
門のところで強面の警備員に身元確認をされた後、無事に敷地内に入ることができた。要注意人物として登録されていたらどうしよう、と密かに心配していたので、ほっとする。
思えば志真は、あまり施設内を見回ることなく外へ出てしまった。こうやってちゃんとゆっくり風景を楽しむ機会を持ったのは初めてだ。目に鮮やかな緑の森林や、なだらかに続く芝生。流れる小さな小川に、水辺に咲く可愛らしい花。
のどかだ。
こういうところで、のんびりできる時間がモクにもあれば良いのだが。
(外に出してもらえるわけないよね……)
何せ、モクは保護施設に捕まっている状態なのだ。本当に何とかならないだろうか。
「妙な事は企むなよ」
「企んでないよ!ただ綺麗な景色に心癒されてただけで」
後、ちょっと、モクの心配をしたたけだ。伊吹は疑わしげな視線を志真へ向けた。全く信用ないようだ。気まずい。
「えーっと、そうだ、いっさんの職場ってどこ?」
「……まさかお前、そこまでついて来るつもりか」
「だって気になるし」
ここまで来て、何を今更。絶対行くぞ、という志真の意気込みが伝わったのか、伊吹は溜息を吐いただけで何も言わなかった。
暫く歩くと、開けた場所に出た。沢山の畑と、その向こうに温室みたいな建物がいくつか。
「うわ、すっごい。こんな所もあったんだ」
施設で出す食事は、自家栽培だったのか。色々な種類の野菜や植物を育てているらしく、その内のいくつかはこっちの店や調理場なんかでも、見たことがあった。
「おはよう、イブキ」
罅割れたような、くぐもった声が突然聞こえた。え、どこから!?と飛び上がる志真を無視して、伊吹が答える。
「おはようございます。今日からよろしくお願いします」
と、軽く頭を下げた先にいたのは、一本の枯れ木……ではなく、何と人のようだった。
すっかり風景に溶け込んでいたから、気が付かなかった。というか、気が付いた今も木に見える。固く節くれだった茶色の肌に、頭部からわさっと伸びる黄緑の芝生のような髪の毛。物凄く大きくて、手足も長く枝のようだ。
口を開け、間抜けな顔で眺めていると、落ち窪んだ小さな目が志真の方を見た。
「そちらの、可愛い、お客さんは?」
その問いかけに、沈黙が落ちた。
誰が可愛いって?
そういう目つきになった伊吹の背中を押して、志真は笑顔になった。
「私、シマ・ハイタニです。えーっと、いっさん……イブキさんと同じ、世界の人です。よろしく!」
「わし、はシエンゾ。こちらこそ、よろしく」
見た目はちょっとばかり怖いが、良い人だ、と志真は思った。可愛いなんて、本当に滅多に言われた事無い。
シエンゾも、別の世界から来たという異世界人の1人だった。保護施設で、異世界の植物なんかを栽培研究している人で、ここで働く事になった伊吹の上司なのだという。
「へー、いっさんが農業か」
黒っぽい厚手のシャツと、裾が細くなったずぼんに着替えた伊吹を眺める。
「いっさんが農業」
「2回も言うな」
「だって、何か意外だ。似合わない、っていうか」
「うるさい」
流石にあんまり仕事の邪魔はできないので、志真は畑の隅っこで見学している事にした。伊吹の頭から下りたこてつも、あちこち走り回れて楽しそうだ。
広い畑では、彼らの他にも幾人か作業しているのが見えた。伊吹は主に温室の中で作業をしているらしかった。研究所も兼ねているため、一般の人は入れないことになっているとかで、志真も立ち入ることはできなかった。
凄いな。
やっぱり、志真よりも長く生きているからだろうか。伊吹はもう、この世界でちゃんと生きていく為の土台を作り始めている。
(私なんて、まだ全然……将来とか、どうしよう)
言葉で大きく躓いているのに、先の事までなんてとても考えられない。
まぁ、何とかなるよね。
基本的に楽天家の志真だった。遠い将来のことは棚上げし、当面の問題がやっぱり気になる。どうやったらモクを助けられるか。せめて、何とか話ができないものだろうか。




