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感情投稿が未提出です。

作者: 仮保存
掲載日:2026/05/20


今日もスマホの通知が鳴る。

『本日の感情投稿が未提出です。』

画面に表示された無機質なメッセージ。


ワークライフバランスが重要視されるようになった流れを受け、人格侵害防止法が施行された。

施行後、過労による人格の偏りや役割を演じるストレスから解放されるための手段として、24時間、AIが感情整理をサポートしてくれる『人格補正アプリ』がスマートフォンに装備されるようになり、国民には1日1回の感情投稿が義務づけられた。


『後輩に感謝された』

『昔の友達とご飯に行った』

『美術館で見た絵が綺麗だった』


そういった投稿の中から、“その人らしさ”を保護してくれるらしい。


怒り、喜び、不安、焦燥。

AIはそれらを解析し、“仕事人格”による精神圧迫を中和する。


実際、多くの人が救われたらしい。


会社以外で何をしたいか分からなくなる症状。

休日に上司の口調で独り言を言う現象。

退職後も業務用メールの夢を見る後遺症。

そういう社会問題は、かなり減った。

町中で突然泣き出す人や怒り出す人もいなくなった。


誰も、この制度に強く反対しなかった。


スマートフォンがまた震える。

『現在の未提出日数:12日』


私はため息をつき、入力画面を開いた。


最近、書きたいことが見つからない。


感情が無いわけではない。

提出できるほど、整った感情が見つからなかった。


私はスマートフォンを伏せ、シンクに置きっぱなしになっていたコップを洗う。


水の音が部屋に響く。


昔はこういう時に考えごとをしていたような気がする。

何に傷ついたとか、なぜ嫌だったとか、どうして寂しいのかとか。


『それは軽度の疎外感です』

『環境由来の疲労が推定されます』

『三日程度の趣味接触で改善可能です』


今は言葉にしなくても、AIが先回りしてくる。

その優しさが、少し怖かった。


窓の外で笑い声が聞こえる。

下校時間なのか、コンビニに集まった学生たちが何かを話している。


その光景はネオンのように煌めいて見えた。

懐かしくて、今の自分には遠い景色。


スマートフォンが震える。

『感情投稿を補助しますか?』


私は通知を閉じる。


最後に「好き」という感情を強く自覚したのが、いつだったのか思い出せない。


タイパ。コスパ。アンガーマネジメント。

合理化していく世界の中で、感情をも整理して管理する対象としてしまった人々の内側に、心は必要なのだろうか。


今は、疲れたことはわかるのに、それ以外の感情が思い出せない。


シンクに水滴が落ちる。


その音を聞きながら、私は何も入力できなかった。

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