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越えた夜 ―待ち人たちの朝―

その日の朝。


女官長は寝室の前で足を止めた。

扉の向こうが、明らかに静かすぎる。


王妃は今まで寝坊をしたことがなかった。決して。


それなのに。

起きている気配が、まるでない。


(……まさか)


女官長は深呼吸し、合図を送る。

控えの女官が、そっと扉を叩いた。


返事は、すぐに来た。


「……そのままでいい」


魔王の声だった。

低く、落ち着いていて――異様に満ち足りている。


「王妃陛下は……?」


女官長が短く問う。


「まだ、眠っている」


それだけ。しかし女官長は、悟った。


(……ああ)


夜が、変わったのだ。


段取りを組み直す。

朝食を遅らせ、王妃の今日の予定は全て白紙にする。


誰も異を唱えない。

王城はそういう変化に慣れている。


最後に女官長は、扉に向かって静かに頭を下げた。


「……おめでとうございます」


返事は、なかった。


だが――

隔たれたその先から、王妃の寝息がかすかに聞こえた。


それで十分だった。



午後。


王城はいつも通り動いていた。

鐘が鳴り、官吏が行き交い、書類が積まれる。


――ただ一つだけ、違った。


魔王の機嫌がいい。しかも、かなり。


謁見の間。

玉座に座る魔王は、いつもよりも背を預け余裕があった。


「次」


声は相変わらず低いが、穏やか。


宰相は一瞬だけ視線を伏せた。分かってしまったからだ。


(……越えたな)


理由はない。証拠もない。

だが、分かる。

魔王がもう“待っていない”目をしている。


報告は滞りなく進む。

判断は速く、言葉は少ない。


臣下たちは疲弊しながらも安心していた。


謁見の終わりに。

魔王は立ち上がり、最後に言った。


「王妃の予定は、全て余を通せ」

「……は」

「余の“妻”だ」


一瞬の沈黙。


誰も異を唱えなかった。臣下たちは、深く理解した。


(ああ……昨夜だ)



海の見える離宮がある、とある街の一角。


太王太后は己が放った“陰”から、密書を受け取る。

内容は短く――しかし待ち望んだものだった。


王都から離れた地で太王太后は、この国ではまだ珍しい緑茶を啜りながら笑った。


「……ふむ。ようやく、か」


傍らに控える女官が、首を傾げる。


「陛下、いかがされましたか?」


太王太后は楽しげに言った。


「妾の孫は、遅いのだ」


指先で、湯呑を撫でる。


「だが……一度越えれば、もう戻らぬ」


そして目を細めながら。


「さて次は、少し揺さぶってやるかの」


そう言うと太王太后は、すぐさま何かをしたためた。


その頃の王城では。

夜を越えた魔王が、昼間でも遠慮なく王妃を抱き寄せるようになっていた。


――数日後。

この祖母から、とある手紙が届くとも知らずに。

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