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―番外編― その背に並ぶために

※将軍と伯爵令嬢のお話。

伯爵令嬢は、いつからか将軍の姿を目で追うようになっていた。


理由を付けるなら簡単だ。

王城の庭園でも、廊下でも、軍の訓練場でも――

彼はいつも揺るがず、堂々としていたから。


けれど彼を見つめるたび、胸の奥に刺さる記憶があった。

王妃がこの国に来て初めて開いた茶会。


慣れぬ土地、慣れぬ習わしの中で。

異国の王妃に向けられた、あからさまな好奇と悪意。

遠回しな言葉に包まれた、鋭い刃。


あのとき、伯爵令嬢は声を上げられなかった。

ただ黙って――視線を伏せてしまった。


後悔は、時間が経っても薄れなかった。


それでも王妃は、謝罪に訪れた伯爵令嬢を責めることなく、静かに受け入れ、友として接してくれた。

その優しさが、かえって胸を締めつけた。


――こんな私が、あの将軍の隣に立つなど。


遠くから見るだけで十分だと、そう言い聞かせていた。


一方で将軍もまた、所在の分からない感情を抱いていた。

宰相との酒の席でふと、口をついて出た。


「……理由もなく、誰かを気になることってあるか?」


宰相はグラスを置き、静かに将軍を見る。


「――あなたは、両陛下の何を見てきたのですか」


その言葉に、将軍は息を呑んだ。


前線で何度も生死を分けてきたはずなのに。

こんな単純な気持ちには、ひどく鈍感だったのだと気づかされた瞬間だった。



王妃は二人の間に流れるその空気を、いつの間にか察していた。


伯爵令嬢を私室に招いた日、王妃はいつもの穏やかな笑みで向かい合った。


「私は……勇敢ではありません」


伯爵令嬢は膝の上で指を絡め、俯いたまま続ける。


「あの方の隣に立つ資格など……」


王妃は首を横に振り、やわらかく言葉を遮った。


「いいえ、それは違います」


そして、真っ直ぐに伯爵令嬢を見つめる。


「私に――謝りに来てくださいました」


伯爵令嬢は顔を上げた。


「それは、とても勇気のいることでしたでしょう?」


王妃はそう言って微笑み、最後にそっと付け加える。


「あなたは、逃げてなどいません」


その言葉は、長く閉じ込めていた何かを――

静かに解きほぐした。



ほどなくして。

伯爵令嬢は将軍から呼び出しを受け、その場に向かった。


王城の外れにある、古い見張り塔。

風がよく通り、遠くまで景色が開けるその場所で。

将軍は一人待っていた。


沈黙が流れる。


やがて将軍は、遠くを見るように口を開いた。


「俺は――どんな戦も怖くないんだ」


朗らかだが、確かな声だった。


「全部、命を懸ける覚悟ができてる――でも」


一拍置き、視線が伯爵令嬢へと向く。


「君に拒まれる可能性だけは、ずっと怖かった」


風が塔を抜け、伯爵令嬢の髪を揺らした。


「君が好きだ――隣に、いてほしい」


言葉は飾られていない。

それでも、真剣さが滲んでいた。


「命を預ける戦場より、ずっと真剣に、そう思ってる」


伯爵令嬢は胸の前で手を握りしめ、震える声で答える。


「私は――声を上げなければならなかったときに、それができなかった人間です」


唇を噛みしめ、続ける。


「あなたの隣に立つ資格など――ないと思っていました」


視線を上げ、涙を湛えた瞳で将軍を見る。


「それでも……よいのでしょうか」


将軍は迷いなく首を振った。


「違う」


一歩近づき、はっきりと言いきる。


「君は逃げなかった。王妃陛下に、ちゃんと向き合った」


その言葉に、伯爵令嬢の肩が小さく震えた。


「それだけで――十分すぎるほど、勇敢だ」


堰を切ったように、涙がこぼれ落ちる。


将軍はそっと腕を伸ばし、伯爵令嬢を抱き寄せる。

吹き抜ける風から守るように、その背を包み込んだ。



後日その話を聞いた王妃は、静かに安堵の息をついた。


並んで歩く二人の背中を、庭園の木陰から見つめながら、そっと微笑む。


――ようやく、並べましたね。


そう、心の中で祝福しながら。

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