君のためにふるう腕
王子が誕生日を迎え、さらに暖かくなった頃のこと。
王城の庭園は春の香りで満ち、王妃は王子の手を引いて散歩をしていた。
その傍らに控えるのは、王妃付きの女騎士――
長身で背筋は伸び、表情は常に涼やか。
忠誠心厚く、王妃も信頼している子爵家の三女だ。
そんな彼女のもとを訪れた、宰相の言葉。
「ご実家より、縁談の話が来ています。王妃陛下にもご承知いただきたく……」
しかし女騎士は、すぐさま首を横に振った。
「――縁談は受けません。この命は、王妃陛下のために」
はっきりとした声だった。
迷いは、そこにはないように見えた。
けれど王妃は、静かに彼女を見つめて。
「……本当に、そうでしょうか」
女騎士は、わずかに息を詰めた。
「忠誠と覚悟を疑っているのではありません。ただ――あなたの心は、すでに誰かのもとにあるのでは?」
その問いに、女騎士は答えなかった。
だがその沈黙こそが、何よりの答えだった。
*
その頃、王城では早々と噂が流れていた。
「聞いたか。あの騎士様に縁談が来たって」
厨房にいる料理長は、手を止めなかった。
鍋の中のスープを静かに混ぜながら、何も言わない。
彼女とは、長い付き合いだった。
公に言葉を交わすことは少なくとも、夜番明けに厨房の隅で交わした短い会話。
訓練で傷を負った彼女の剣帯を無言で預かったこと――
想いは、積もるほどに重くなっていた。
*
数日後の夜。
厨房には、彼と彼女だけがいた。
火は落とされ、静かな空気が満ちている。
「……呼び出して悪い」
料理長は、少し不器用に切り出した。
「俺は、君みたいに剣は振るえない。誰かを守るために、前に立つこともできない」
女性騎士は、黙って聞いている。
「けど――料理の腕なら、ふるえる。腹を満たすことなら、命を預かることなら……できる」
彼は真っ直ぐに、彼女を見た。
「君が誰のために剣を振るうのかは、俺が決めることじゃない。それでも……もし、俺と並んで生きる道を選ぶなら」
一拍、息を吸う。
「俺は、君の帰る場所を作る」
沈黙が落ちた。
女騎士はゆっくり深く息を吐き、言葉を紡ぐ。
「……私は、王妃陛下のために剣を振るいます」
料理長の胸が、締めつけられる。
「ですが」
彼女は、はっきりと続けた。
「剣を置く場所を、選ぶ自由まで――捨てた覚えはありません」
*
その夜。
魔王は二人の話を聞き、短く告げた。
「身分か。――くだらん」
それだけだった。
「守る腕と、支える腕だ。どちらが欠けても、城は立たぬ」
王妃は胸に手を当て、ほっと息をついた。
「……よかった」
その瞬間――
わずかな違和感が、体の奥をかすめる。
胸の奥が、いつもより熱い。
疲れとも、安堵とも違う感覚。
王妃は、そっと目を伏せた。
――ああ。
この小さな変化が……何を告げているのかを。
彼女はもう、知っていた。
春風が、王城を優しく通り抜けていった。




