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君のためにふるう腕

王子が誕生日を迎え、さらに暖かくなった頃のこと。


王城の庭園は春の香りで満ち、王妃は王子の手を引いて散歩をしていた。


その傍らに控えるのは、王妃付きの女騎士――

長身で背筋は伸び、表情は常に涼やか。

忠誠心厚く、王妃も信頼している子爵家の三女だ。


そんな彼女のもとを訪れた、宰相の言葉。


「ご実家より、縁談の話が来ています。王妃陛下にもご承知いただきたく……」


しかし女騎士は、すぐさま首を横に振った。


「――縁談は受けません。この命は、王妃陛下のために」


はっきりとした声だった。

迷いは、そこにはないように見えた。


けれど王妃は、静かに彼女を見つめて。


「……本当に、そうでしょうか」


女騎士は、わずかに息を詰めた。


「忠誠と覚悟を疑っているのではありません。ただ――あなたの心は、すでに誰かのもとにあるのでは?」


その問いに、女騎士は答えなかった。

だがその沈黙こそが、何よりの答えだった。



その頃、王城では早々と噂が流れていた。


「聞いたか。あの騎士様に縁談が来たって」


厨房にいる料理長は、手を止めなかった。

鍋の中のスープを静かに混ぜながら、何も言わない。


彼女とは、長い付き合いだった。


公に言葉を交わすことは少なくとも、夜番明けに厨房の隅で交わした短い会話。

訓練で傷を負った彼女の剣帯を無言で預かったこと――


想いは、積もるほどに重くなっていた。



数日後の夜。

厨房には、彼と彼女だけがいた。

火は落とされ、静かな空気が満ちている。


「……呼び出して悪い」


料理長は、少し不器用に切り出した。


「俺は、君みたいに剣は振るえない。誰かを守るために、前に立つこともできない」


女性騎士は、黙って聞いている。


「けど――料理の腕なら、ふるえる。腹を満たすことなら、命を預かることなら……できる」


彼は真っ直ぐに、彼女を見た。


「君が誰のために剣を振るうのかは、俺が決めることじゃない。それでも……もし、俺と並んで生きる道を選ぶなら」


一拍、息を吸う。


「俺は、君の帰る場所を作る」


沈黙が落ちた。


女騎士はゆっくり深く息を吐き、言葉を紡ぐ。


「……私は、王妃陛下のために剣を振るいます」


料理長の胸が、締めつけられる。


「ですが」


彼女は、はっきりと続けた。


「剣を置く場所を、選ぶ自由まで――捨てた覚えはありません」



その夜。

魔王は二人の話を聞き、短く告げた。


「身分か。――くだらん」


それだけだった。


「守る腕と、支える腕だ。どちらが欠けても、城は立たぬ」


王妃は胸に手を当て、ほっと息をついた。


「……よかった」


その瞬間――

わずかな違和感が、体の奥をかすめる。


胸の奥が、いつもより熱い。

疲れとも、安堵とも違う感覚。


王妃は、そっと目を伏せた。


――ああ。


この小さな変化が……何を告げているのかを。

彼女はもう、知っていた。


春風が、王城を優しく通り抜けていった。

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