目覚めを待つ手 ―守る者たち―
それは一瞬だった。
風を裂く音、鈍い衝撃――
魔王の体が、わずかに傾いた。
「――陛下!!!」
矢は深くなかった。
だが、黒い染みが即座に広がった。
――毒。
近衛隊は、考えるより先に動いていた。
盾が立ち、陣形が変わる。
魔王を中心に、円を描いた。
「……戻る」
魔王の声は低く、はっきりしていた。
「……城へ、戻る」
誰も反対しなかった。
その言葉が意味するものを、全員が理解していたからだ。
王妃のもとへ。王子のもとへ。
そこからの動きは、あまりにも迅速だった。
刺客は、逃げなかった。逃がさなかった。
矢を放った者も、刃を持つ者も――その場で終わった。
魔王は、馬上で何とか意識を保っていた。
額には汗――呼吸も、荒い。
それでも、言葉はぶれなかった。
「……戻る」
騎士の一人が、思わず口を開いた。
「必ず、陛下――」
それは命令でも誓約でもない。
ただの、事実だった。
――我らは、陛下をお連れし、帰還する――
毒が回ろうとも、夜が深まろうとも。
この身が朽ちようとも――何があっても。
後年、誰かが記した。
《あの日我らが守ったのは、陛下の命だけではない。陛下が「戻る」と言った、その意志さえも》
それだけで、十分だった。
*
将軍は、軍営ではなく王城に詰めていた。
配置は万全。護衛も、巡回も、異変なし。
何より魔王は、自らの“陰”である蔦さえも王城に置いた。
――だからこそ、嫌な予感はなかった。
報せが届いたのは、夕方。
「陛下が……毒矢を受けられました」
将軍は無言で立ち上がり、思考を即座に巡らせた。
蔦は、密かに王妃に付けている“陰”――
蘭にこの場を任せ、主君のもとへ急いだ。
魔王は本来、毒には耐性がある。慣らされているからだ。
それなのに倒れるとは――
蔦は“庭師”としての知識も総動員していた。
そして将軍は、王妃の私室へ向かう。
王妃は王子を抱いていた。
何も知らない顔で眠る――あまりにも小さな命。
将軍は膝をつき、起きたことを告げた。
王妃の指が、ぴくりと動いた。
それだけだった。
泣き崩れることも声を上げることもない。
ただ王子を抱く腕に、力が入った。
将軍はこの沈黙が、逆に恐ろしかった。
「意識は、あるようですが――」
「……戻られますか」
王妃の声は、震えていなかった。
「はい。必ず」
それは、もはや誓いだった。
その夜から。
将軍は王城の警備を二重にした。兵を増やし、門を閉じ、連絡網を張る。
誰一人、眠らせなかった。
――魔王が倒れている間。
この王城が落ちることは、許されない。
三日後。
魔王が目を覚ましたと聞いたとき、将軍は壁にもたれて深く息を吐いた。
「……やっと、戻ってきやがったか」
口調はいつも通り。だが、その手は少し震えていた。
将軍は想った。
あの日、守っていたのは王城だけではない。
王妃と、王子。そして――
魔王という、この国そのものだったということを。




