目覚めを待つ手
秋が深く色づき、沈む日のことだった。
魔王は南西の領地にいた。
収穫と防衛の視察。
道中は長いながらも、滞在自体は短い予定だった。
王妃と王子は王城でその帰りを待つ。
護衛は将軍に一任され、自らの“陰”も置いてきた。
しかし、問題とは。
起きるときは前触れもなく、一瞬のこと――
ようやくの帰路。国境近く、森の影。
風を切る音が遅れて届いた。
――毒矢だった。
魔王は馬上で体勢を崩しながらも、落ちなかった。
ただ胸元を押さえ、歯を食いしばる。
「……戻る」
それだけを、短く近衛隊に命じた。
*
その知らせが王城に届いたのは、日が落ちる頃だった。
王妃は、王子を抱いていた。
やわらかな小さな重み。温もり。
言葉を聞いた瞬間、足から力が抜けた。
王妃として、声こそ震わせなかったが。
泣くよりも先に――世界が遠のいた。
魔王が王城に戻ったとき、わずかに意識はあった。
だが、熱はすでに高く。歩くこともままならない。
王妃は王子を女官に託し、寝室に駆け込んだ。
「陛下……!」
返事は、なかった。
その夜から、三日。
王妃はほとんど眠らなかった。
熱を測り、汗を拭き、水を含ませる。
呼吸のたび、胸が上下するのを確認して、
それでも、とても、怖かった。
もしも。
もしも、目を開けなかったら――
王子を抱きながら、夜明けを迎えたこともある。
三日目の朝。
かすかな声がした。
「……泣くな」
王妃は、はっと顔を上げた。
魔王の瞳が――開いていた。
堪えていたものが、すべて落ちた。
王妃は声もなく泣き、そのまま魔王の胸元に縋りついた。
「……っ……」
魔王はまだ力の入らない腕で、そっと抱き寄せる。
「お前を残して――死ぬはずがない」
低く、確かな声。
王妃は顔を上げ、涙で濡れたまま首を横に振った。
魔王は続けた。
「余は……お前がいない世界を、想像できぬ……」
一息ついて。
「……ゆえに、死ぬときは――必ず、余が先だ」
王妃は、胸を押さえた。
「……そんなこと、今、おっしゃらないでください……」
魔王は、かすかに笑った。
「これは、約束だ……」
王妃の額に、唇が触れる。
その温もりは、生きていた。
王妃はようやく――息をついた。
胸の奥に溜まっていた恐怖が、静かに溶けていく。
魔王は王妃を抱いたまま、目を閉じた。
守るものは、ここにある。
だからこそ――戻ってきた。




