招かれざる南風
それは本来なら、起きるはずのない来訪だった。
「時期を改めさせよ」
魔王は鋭い眼光で告げた。
「王妃の懐妊中だ。余計なことはせぬ」
宰相も頷いた。
「事務方には、公式に“延期”を通達済みです」
将軍も肩をすくめる。
「相手が“まとも”なら、引き下がりますがね……」
――しかしその願いは叶わず。
*
謁見の間。
使者とともに現れた、南の風国の王女。
相変わらず、蒸せ返るほどの妖艶さだった。
――かつて魔王と、婚約するはずだった人物。
深い色の民族衣装を、見せつけるように優雅に翻す。
微笑むだけで空気を絡め取る視線。
「お久しゅうございます、魔王陛下」
「……用件を言え」
魔王は目もくれず、立ち上がりもしなかった。
しかし王女は気にせず、ゆっくりと視線を巡らせ――
「まあ……王妃“様”はいらっしゃらないのですか」
魔王の纏う空気が一気に下がる。
「懐妊中だ。会わせるはずがない」
ところがそこで扉の向こうから“誰か”を静止する声が聞こえた。
そして王妃が現れた。
少し目立つようになった腹を抱えて。
「……王妃を通したのは、誰だ」
王城が、わずかに反応する。
しかし王妃は微笑んで。
「陛下、申し訳ありません――私がお願いしたのです」
傍らには女騎士が控えている。
――何か起きても、すぐに動けるように。
王妃は王女と向き合った。そして、恭しく挨拶をする。
「ようこそおいでくださいました、王女殿下」
王女の唇がわずかに歪む。
「ご懐妊中と伺いましたわ……ご自愛なさってくださいましね?」
牽制。それは明確なほどに。
魔王が口を開くより早く、王妃が静かに答えた。
「お気遣い感謝いたします――この子と、陛下に守られていますので」
――空気が、さらに凍る。
王女は一瞬だけ言葉を失い、すぐに笑みを作った。
「……羨ましいこと」
その瞬間、魔王が立ち上がった。
「――それ以上、余の妻を見るな」
声は低く、一切の余地がない。
「貴様とは、終わって久しい」
王女の瞳に、初めて動揺が走る。
「……ですが、かつては――」
「そんなものは過去だ。そもそも、始まってもいない」
吐き捨てるように断言した。そして。
「余は、今と未来と――何より、王妃しか選ばぬ」
*
謁見は、形式上“穏便”に終わった。
だが。
回廊で宰相と将軍が、王女と使者を挟む。
宰相は穏やかな笑みのまま言った。
「南の風国は――実り豊かでよろしいですね」
将軍が続ける。
「……血の色以外は」
王女は密かに足を竦めた。使者はとっくに青ざめている。
宰相が静かに視線を落とす。
「王妃陛下は、この国の命そのものです」
将軍が一歩近づく。
「それに触れるということは――」
二人同時に、告げた。
「「南の風国は、血の海になりたいのか」」
*
それから数日後。
南の風国は、好戦的だった外交姿勢を急激に変えた。
来訪を押し切った王女の処遇も考えているという。
何故そうなったのか、誰もが理由を知っている。
――魔王の怒りを、買ったからだ。
王妃はその報告を聞き、静かに言った。
「陛下……少し、過剰ではありませんか?」
魔王はそっと、王妃の腹に手を置く。
「全く足りぬ」
王妃は小さく笑った。
「私とこの子は――とても守られていますね」
「当然だ」
魔王は王妃の腹を撫でながら、一切迷わなかった。
その手は、慈しみに満ちていた。




