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決して失くせないもの②

その頃、王城では。

庭師――(テウ)が、珍しく取り乱して報告していた。


「申し訳ございません……!」


魔王は声を荒げなかった。

机を叩くことも、怒号を上げることもない。


けれどこの瞬間。

王城全体が、ぎしりと軋んだ。


魔王の感情に呼応し、地底に押さえ込まれた魔力が――

大きく、ざわめく。


「……あいつか」

「仰せの通りに……」

「すぐに場所を特定しろ」


そして、宰相と将軍へ伝える。


「東の華国へ進軍する」


宰相は顔色を変えた。


「陛下、東の華国は……」

「滅ぼす」

「大国です!」


そのとき初めて、魔王の声が荒れた。


「だから何だ!!!」


将軍が即座に膝をついた。


「陛下。まずは、一刻も早く王妃陛下を――」


魔王は静かに言った。


「王妃に、指一本でも触れていたら」


声は低く、凍てついていた。


「国も、歴史も。一切残さぬ」


そのとき。


どこからともなく黒猫が現れ、魔王の肩に跳び乗る。

その紫銀の瞳が何かを見据えたように――静かに光った。



廃墟に、足音が響く。


「――王妃」


その声を聞いた瞬間、王妃の胸が大きく波打つ。

第三皇子は内心怯みながらも、煽るように言った。


「ほう――これはこれは。随分とお早い」


魔王は第三皇子を見ることすらなかった。

視線はただ、王妃だけに向けられている。


「……触れたか」


低い問い。王妃は首を振る。


――それで、終わりだった。


魔王の心中を読むように。

黒猫が地に降り、紫銀の瞳が怪しく光ったその瞬間。


足元が崩れ落ちるような錯覚。

逃げ場のない恐怖――


それは絶望として彼を襲い、動きを奪った。


捕縛は一瞬だった。


魔王は王妃の前に膝をつき、そっと手を取る。

王妃はその手を、強く握り返した。


「陛下……」


声を聞いた瞬間。魔王は王妃を抱き寄せる。


「……遅くなった」


王妃は魔王の胸に額を預け、小さく息をついた。


「来てくださると――分かっていました」


魔王は一度だけ目を伏せ、王妃を強く抱きしめた。

その温もりを確かめるように。


「失うと、思った」


その言葉は王としてではなく、一人の夫としてのものだった。



事件は公にされることなく。

東の華国の皇帝にのみ、密やかに全貌が伝えられた。

そしてその治世下に置いて魔王国に逆らうことは、一切なかった。


その夜。

魔王は王妃の眠る寝台の傍らに座り。

そっと、その手を取った。


失いかけたものを、二度と失わないために。

世界がどうなろうと、歴史がどう記そうと――


守るものは、ただ一つ。

そう心の奥で誓いながら。

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