決して失くせないもの①
極東の神国から帰還して数日後。
魔王国の王城には、東の華国より使節団が到着していた。
その代表は、第三皇子。
謁見の間に現れた彼は豪奢な衣装を纏い、長い袖を揺らしながら進み出た。
口元には常に、粘つくような笑みが貼り付いている。
「魔王陛下。このたびは、我が東の華国より――」
声は高く、甘ったるい。
視線は挨拶を受ける魔王を通り越し、わずか後方に控える王妃へと絡みついた。
値踏みするように。
舐め回すように。
「……噂に違わぬお美しさ。陛下は、実に稀有な宝をお持ちだ」
その言葉に、空気が一瞬で冷える。
魔王は何も言わなかった。
ただ瞳の奥で、何かが確かに沈んだ。
*
その日以降、魔王は王妃を一切外交の場に出さなかった。
理由は告げない。ただ「余の判断だ」とだけ。
第三皇子は王城に滞在する間も、執拗だった。
「王妃陛下はなぜ、お姿を見せぬのか」
「陛下は、独占欲が強すぎるのでは?」
冗談めかした口調。
だがその目に宿る欲は、隠しきれていなかった。
*
第三皇子の帰国前日。
王妃は、王都の神殿へ視察に赴く予定だった。
「……延期しろ」
魔王の声は低く、強かった。
「東の華国の使節が滞在している。今は、動くな」
王妃は一瞬言葉に詰まったが、静かに頭を下げた。
「……承知しております。ですがここしばらく、公務もあまり行っていません。せめて……」
その目は揺れていなかった。
責任を知る者の、それだった。
魔王は長く沈黙し――やがて、短く息を吐いた。
「……護衛を増やす。少しでも異変があれば、即刻戻れ」
その日は、いつも以上に厳戒だった。
女騎士を筆頭に腕の立つ護衛が多数配置された。
さらに、庭師――
その実の顔が王権直轄の諜報部隊“緑守”の“蔦”である男も、影として付いた。
だが。
第三皇子はあまりにも狡猾だった。
ほんの一瞬。
人の流れが交錯した、その隙を突く。
纏う匂いが変わり――空気が、わずかに沈む。
気づいたときには視界が揺れ、音が遠のいていた。
「――王妃陛下!!!」
女騎士の声が聞こえた気がしたが、それは闇に溶けていった。
*
目を覚ましたとき、王妃は冷たい空気を感じた。
石造りの崩れた柱、ひび割れた壁――
王都の外れにある廃墟だと、すぐに理解する。
「お目覚めですか」
目の前に立っていたのは第三皇子。
幸い、手足の自由はあった。
「……どうして、このようなことを」
王妃の声は、震えていなかった。
「私に仕える者たちは……無事ですか」
第三皇子は満足そうに笑った。
「さあ?少なくとも、命は取っていない」
その言葉に、王妃の胸に初めて恐怖が差し込む。
「魔王は、強すぎる」
第三皇子は、ゆっくりと王妃に近づいた。
「あなたは――奴にとっての“すべて”だ」
欲に濁った視線。
「あなたが欲しい」
王妃は思わず身を引いた。
それでも心の奥で、確信があった。
(陛下は……必ず)




