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日出る国のさくら

春風に揺れる船上。

大河を下り広い海を渡る船の上で、王妃は初めて目にする海の色に見入っていた。


「わあ……美しい光景ですね、陛下」


魔王は王妃の隣で静かに立つ。

長い黒耀の髪が風にそよぎ、鋭い眼光が遠くを見据えている。


「――そうだな」


王妃はその言葉に微笑みながら、潮風を胸いっぱいに吸い込む。


魔王は胸の内で――

この旅を王妃が楽しみ、満たすものとなるようにと願った。


極東の神国の港に到着し、船を下りた二人を華やかな装いの役人たちが出迎えた。


さらに二日ほど陸路を進み、皇都に向かう。

その道中でも、王妃は初めて見る異国の情緒に胸を高鳴らせていた。


皇宮では、(すめらぎ)と中宮が待っていた。


(すめらぎ)は威厳のある姿勢で立ち、穏やかに微笑む。

中宮は王妃に優しい視線を送る。


「遠路はるばる――ようこそお越しくださいました」


歓迎の式が終わると、中宮より王妃に贈り物が差し出された。


「春の宴に向け、ぜひお召しいただきたいものがございますの」


贈られたのは、幾重にも重なるこの国の伝統衣装――

十二単。

王妃は初めて手に取る豪華な重ね衣の数々に、目を瞬かせた。


布地の光沢、織りの細やかさ、袖や裳の長さ。

重く、しかし華やか。

淡い桜色から、若葉、空の青へと重なる色彩は、まるで春そのものだった。


「……こんなに素晴らしいお衣装を、よろしいのですか?」


中宮は王妃の手を取り、やわらかく微笑む。

そしてそのまま手を引かれ、女官たちに着付けをしてもらった。


着替えを終えた王妃が姿を現すと、魔王は言葉を失った。


「……」

「陛下?」

「……似合っている」


それだけで、王妃の頬は染まった。



桜の宴。

魔王国にはない、薄紅色の桜が満開だった。


枝は低く垂れ、風に揺れる花びらが淡く光を受けて、はらはらと舞う。

香りは甘く、ほのかに懐かしい春の匂い。


「まあ……」


花びらの絨毯を見つめながら、王妃はただ息を呑んだ。

そして手を差し伸べ、そっと触る。


「魔王国には……このような花はありませんね」

「そうだな……」


魔王は王妃の肩にそっと手を添える。

王妃は魔王を見上げ、頬を染めながら微笑んだ。


宴が始まり。

極東の神国の楽人たちが琴や笛を奏で、王妃はその音に心を躍らせていた。


宴の終盤、魔王は王妃に気付かれないよう(すめらぎ)に近づく。


主上(おかみ)

「如何された。楽しまれておるか?」

「――桜の枝を、一本分けていただきたい」


(すめらぎ)は一瞬、目を見張り――すぐに静かに笑った。


「なるほど。あの御方のためか」


魔王は答えない。

それが答えだった。



その夜。

客殿に戻った王妃の前に、魔王は一本の桜の枝を差し出した。


「……陛下?」

「土とともに用意させた。魔王国でも、咲くだろう」


やわらかな花びらが、月明かりに照らされて淡く光る。

王妃は目を輝かせながら受け取り、思わず枝を抱きしめた。


「ありがとうございます……!嬉しいです」


その姿を見て、魔王の喉がわずかに鳴った。


「……その衣装」

「はい?」

「重いだろう」


王妃は少し首を傾げる。

魔王は、低く続けた。


「重いものほど……脱がし甲斐がある」


一瞬の静寂。


「――っ」


王妃は一気に顔を真っ赤にし、桜の枝を胸元に掲げる。


「陛下……!」


魔王はかすかに笑いながらその手を握り、指に優しく口づけた。

王妃は照れながらも、指先の熱を感じる。


その瞬間、王妃の胸は春の桜の花びらよりもやわらかく、温かく満たされていった。


夜の帳に、桜の香りと甘やかな時間が溶けてゆく。


この春。


日出る国のさくらは、確かに魔王国へ渡った。

――そして王妃の記憶に、永く咲き続けることになる。



魔王国に戻った翌朝、庭園はまだ朝露に濡れていた。


王妃はドレスの裾を押さえながら、土の用意が整った一角に立つ。

そこは、彼女が気に入っている庭園の奥――やわらかな日差しが差し込む場所だった。


土の香りと桜の柔らかい枝が、王妃の手に温かく伝わる。


王妃は手を添えながら、優しく枝を植えた。

そして二人で土をかぶせ、根本を押さえる。


「綺麗に……咲きますように」


魔王は、そう呟いた王妃の手を取り。

土の汚れを気にすることなく、指を絡めた。


「幾年後かにはなるが――必ず咲くだろう」


王妃の頬が桜の色に染まる。


「ありがとうございます、陛下……」


風に揺れる枝を眺めながら、二人はしばし無言で立つ。


極東の神国での思い出と、手元にある桜――

その両方を胸に抱き、王妃は静かに微笑んだ。


「楽しみに、育てますね」


春の光の中、魔王と王妃――二人だけの庭園。


桜はこれからも二人の物語を見守るように、静かに芽を伸ばすことだろう。

極東の神国は、日本の平安時代をイメージしてます。

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