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甘露は罪を孕む

新年が明けて、しばらく経った頃。


王妃はようやく王城の書庫に来られるようになっていた。

分厚い書を膝に置き、慎重に頁をめくっている。


年始に読んだ、異国の文化を集めた書だった。

その中で、王妃の指がまたしても止まる。


――バレンタイン。


北西の典国に伝わる風習。

女性が想いを込めた甘味を、男性に贈る日。


「……チョコレート」


小さく王妃が呟く。

気持ちを言葉ではなく、形にして渡す。


王妃は、ゆっくりと本を閉じた。


(陛下に……)


思った瞬間、頬が熱くなる――

だが、目は逸らさなかった。



数日後。

厨房はまたしても静かな緊張に包まれていた。


王妃が真剣な顔で鍋を覗き込んでいる。

料理長は腕を組み、女官長は祈るように見守り、女騎士は材料を持って控えていた。


「……焦げて、いませんか?」

「大丈夫です、王妃陛下。今のところは」


今のところは、である。


王妃は、慎重に、慎重に。

何度も温度を確かめ、混ぜ、冷まし。


失敗しかけては助けられ。助けられては謝り。


それでも――。


「……できました」


小さな声。そして、確かな達成感。



その夜の寝室。

王妃は小さな箱を両手で抱え、立っていた。

扉の前で、深呼吸をひとつ。


魔王が入ってくる。


「王妃」


呼ばれただけで胸が鳴る。

王妃は、一歩前に出た。


「その……北西の典国では……今日、特別な日だそうで」


言葉を選びながら、箱を差し出す。


「女性が……大切な方に……気持ちを伝える日、と……」


魔王は黙って受け取った。

箱を開ける。


中には、形の揃わないチョコレート。

だが丁寧に作られたことは、一目で分かる。


魔王はひとつ摘まみ、口に含んだ。


――甘い。


舌に乗った瞬間、溶ける。

熱ではなく、体温で。


魔王はゆっくりと王妃を見る。


「……知っているか」


低い声。


「チョコレートは、媚薬とも呼ばれる」


王妃の肩が、びくりと跳ねた。


「わ、私は……そ、そういう……」

「分かっている」


魔王は静かに言った。

箱を置き、王妃の前に立つ。


「だが」


距離が、近い。


「余に向けた想いが、甘くないわけがない」


王妃の顎に、そっと指が触れる。


「溶けるのは――これだけではないな」


額が、触れた。


「……覚悟は?」


王妃は逃げなかった。

小さく、頷く。


「……はい」


魔王は微笑んだ。


それは外の雪も、理性も。

すべてを溶かす、夜の始まりだった。


――翌朝。


空になった箱だけが、静かに残されていた。

チョコレートは跡形もなく。想いとともに。

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