壊した先の唯一 ―前日譚―
――魔王国。
地底に眠る、強大な『魔力』を抑える国。
王はその底知れぬ力を唯一抑えることができる、封であり、柱。
争乱を招かないため、世界の均衡を保つために。
力を狙う外敵から、長きに渡り国を守ってきた。
――中立国。
その名の通り、すべてにおいて中立を保つ国。
武力ではなく対話と礼節で守ってきた、穏やかな土地。
魔王は国内の貴族たちを牽制する意味も込めて、この小国との縁を決めた。
理由は、ただそれだけ。
相手のことなど、 全く興味がなかった。
――初めて出会う、その日までは。
*
雪は溶け、空は高く。
冷たい光がわずかに、春の気配を予感させるその日。
中立国からの一行が、王城に入った。
謁見の間。
玉座の前に、中立国の王女が立つ。
小柄ながら背筋は伸び、凛としていた。
淡茶色の波打つ髪に、吸い込まれるような新緑の瞳。
そして、その視線は揺れない。
使命と覚悟を背負ってここに来たと、一目で分かる。
魔王はその瞬間――
息を、忘れた。
(……)
理屈ではない、言い表せない感情。
ただ。
己の全身で、沸き立つように惹かれた。
――心を、奪われた。
(王妃)
言葉が、喉まで出かけて止まった。
けれどその目は――もう決めていた。
謁見は滞りなく終わった。
形式通りに礼が交わされ、王女に退出が告げられる。
扉が閉じた、その直後。
「宰相」
低い声。
宰相は、背筋を正した。
「王女のことは今後――“王妃”と呼べ」
沈黙が流れる。
「……失礼ながら陛下。制度上、それは――」
「妃教育からも、その制度の項目は外す」
「陛下!」
宰相の声に、初めて強さが混じる。
「世継ぎの王子を得るまで“王妃”の称号は――」
魔王は立ち上がった。
玉座の段を、一歩降りる。
「余が決める」
それだけで、空気が変わった。
「だが、本人には知らせるな」
宰相が目を見開く。
「……何故、そこまで」
魔王は答えなかった。代わりに、静かに告げる。
「命令だ」
さらなる沈黙の後。
「従え」
また一歩、近づく。
「従えないのなら――」
声が、落ちる。
「――命はない」
宰相は、息を止めた。
それが脅しではないと、誰よりも知っている。
そして、それ以上に――
誰かを守るための命令であることも。
「……承知いたしました」
魔王は踵を返した。
その背中には、迷いがなかった。
王妃はまだ知らない。
自分がこの国に来たその日に――
制度が一つ、音もなく壊されたことを。




