壊した先の唯一②
王妃は魔王の執務室を訪ねた。
いつもなら、不用意に執務中に訪れることはない。
しかし今回だけは――
いても立ってもいられなかった。
灯りの下。
書類に目を通していた魔王は王妃を見るなり、すぐに気づいた。
「……顔が曇っている」
「陛下……」
王妃はきちんと一礼をしてから、尋ねた。
「あの、お伺いしたいことが、ございます」
その言葉に、魔王はペンを置いた。
「……どうした」
王妃は躊躇うことなく。
「どうして……私は、最初から“王妃”なのですか――」
一瞬の沈黙。
それから椅子を引き、王妃を手招きする。
「来い」
王妃は近づいた。
魔王は当然のように、膝に乗せる。
「……へ、陛下」
「話すときは、ここだ」
王妃は顔を赤くしながらも、逃げなかった。
「……理由を、教えてくださいませんか」
魔王は王妃の背に腕を回し、淡々と言った。
「妃教育から、その項目を外したのは――余だ」
王妃の目が見開かれる。
「最初から……?」
「最初からだ」
魔王は続けた。
「制度は、制度に過ぎぬ。お前は、それを超越している」
王妃は顔を上げた。
「余にとって、お前は――」
低く、響く声。
「間違いなく王妃で、唯一だ」
王妃の胸が、きゅっと締めつけられる。
「……それでも、お前が気にするなら」
魔王はほんの少し、口角を上げた。
「協力しよう」
「……え?」
王妃が聞き返すより早く、魔王は耳元で囁いた。
「子を成せば、誰も文句は言えぬ」
王妃は――真っ赤になった。
「な、何を……っ」
魔王は愉快そうに。
「制度に従うだけだ」
「陛下……!」
王妃は顔を両手で覆った。
「そ、そんな……突然……」
だが。
指の隙間から覗く目は、完全な拒絶ではなかった。
魔王は、それを見逃さない。
「安心しろ」
額に、そっと口づける。
「余は、急がぬ」
「……ですが」
「もう一度言う」
囁きは甘く――逃げ場がない。
「お前は最初から“王妃”だ。それだけは、変わらぬ」
王妃は、ゆっくり目を閉じた。
制度よりも。
歴史よりも。
この腕の中の確かさに、心が――解けた。
戸惑いはまだ残っている。
けれど。
「私は――」
それ以上に。
「……陛下の、お傍にいられるのなら……」
魔王は満足した。
冬は、すぐそこまで来ている。
だが。
この王城では制度すら溶かす熱が、消えることなく灯っていた。




