8.
カレンシア王国の貴族の子弟にとって、王立学院で学ぶ三年間は社交界に出るための準備期間である。
彼ら彼女らは学院内で将来に繋がるコネや人脈を築き上げ、あるいは自らの家に有利な政略結婚の相手を見繕う。
平民枠で入学した生徒達にとっても、将来自分を雇い入れてくれそうな貴族の家と繋がる貴重なチャンスである。
その過程で、彼らは家同士の力関係や、その中で自分がどう立ち回り、どのような未来を目指すのか、日々試行錯誤しつつ学んでいく。
結果、王立学院は次第に疑似社交界的な様相を呈するようになり――。
長い歴史の中で、来たるべき本番に備え、本物の社交界を模したイベントがいくつもカリキュラムに組み込まれていった。
王宮広間を使ったプレデビュー夜会、通称「王宮夜会」もその一つだ。
本物の社交界デビューではないから国王陛下や廷臣達の臨席はないが、他はすべて本番さながらに進行する。
王族や廷臣の役を演じるのは、すでに社交界デビューを済ませた学院の卒業生たちだ。
彼らにとっても、いずれ自分の派閥に迎え入れたい後輩をスカウトしたり、同世代で婚約者が見つからなかった者達がセカンドチャンスをものにしたりと、馬鹿にできないメリットがある。
――というようなことを説明された私は、慌てて学期始めに配られた教課要綱を見直した。
うわあ、本当だ。
しかも、模擬試合や全校茶会のようなお祭り要素の濃いイベントと違い、れっきとした授業の一環という位置づけである。
「あ、なら私はスタッフ参加で! メイドとか配膳とか、何なら掃除や洗濯、皿洗いもできますよ!」
そういうの全部、実家で経験済みだしね!
けれど私がそう言ったとたん、サディアス様を始めとする生徒会役員全員から、ものすごく残念な子を見るような目を向けられた。
「馬鹿か、君は。どこの世界に夜会で皿洗いをする子爵令嬢がいる!」
え。ここにいますけど――って、このやりとり、前にもしたことあるような?
「フェイさん。スタッフ役は、基本的に王宮勤めの卒業生がしますのよ」
アレクシア様が優しく説明してくれた。
「ただし会場警備の騎士役は、俺みたいな在校生も立候補できるけどな!」
そう言ったのはガルウィン様だ。なるほど、将来的に騎士団を目指している生徒は、こういった形でのアピールも認められているわけだ。
「ええっと。なら私は……私は――……」
「当然、デビュタントを控えた子爵令嬢として参加するんだ。それ以外の選択肢はない」
何とか逃げ道を探そうとする私に、サディアス様は無情にもそう言ってとどめを刺したのだった。
◇◇◇
「………困った」
珍しく生徒会の仕事のない昼休み。
久しぶりにやってきた人けのない校舎裏で、私は頭を抱えていた。
王宮夜会の何が嫌って、ドレスの準備とパートナー探しとダンス――つまりほぼ全部である。
まずドレスだが、すでに恋人や婚約者がいる場合は相手が仕立てて贈ってくれる。もっとも、最近は貴族の子どもであっても、あまり早くから婚約を結ばない風潮があり、一年生では相手がいる子のほうが珍しかった。
なので大半は親や親戚が用意するが、生憎と私にはそんなことをしてくれる親も親戚もない。
第一、今からドレスを作ろうにも、王都の仕立て屋はすでに予約がいっぱいらしいし、既製品も手ごろなお値段のものはとうに売り切れているという。
「……もうこの際、制服でいっか」
王立学院の制服は礼装扱い――国王陛下にも謁見できる、れっきとした第一礼装だ。
幸い、先日ローザに譲ってもらった制服はまだ新しく、サイズもちゃんと合っているからマナー違反にはならないだろう。
続いてパートナー、つまり当日エスコートしてくれる男性だが、本来は恋人や婚約者、あるいは親兄弟や親戚が務めることになっている。
ただし、今回は相手がまだ決まっていない生徒や、諸般の事情で親兄弟が出席できない生徒――主に平民の子たち――への配慮から、単独での入場も可とされているので、私もそれに乗っかるつもりだ。
「……あとはダンス……ダンスかあ……。ううう」
私にとって、最大の問題がこれだった。
いわゆる淑女の嗜みのうち、テーブルマナーはおかげさまで割とあっさり修得できた。
小さい頃から自分の服は自分で繕うしかなかったから、誰にも見せてはいないものの、刺繍の腕もかなりのものと自負している。
毎日のように買い物やら何やらで王都中を走り回っていたおかげで――市場がどんなに遠くても、馬車なんて出してもらえなかったから――足腰は鍛えられ、初心者には難易度が高いと言われる宮廷礼も何のその。いい姿勢は、足腰と体幹の強さの賜物だ。
「ただなあ……。ダンスだけは踊ったことがないんだよなあ……」
貴族としてのマナーや常識は「教育」ではなく「躾」の範疇だ。
――という意識が浸透している我が国において、王立学院のカリキュラムにマナーやダンスの授業はない。
貴族たるもの、それらはすべて入学前に身に着けていて当然だからだ。
そして。
授業の一環である王宮夜会では、各自最低一曲はダンスを披露してみせること、という通達が前もって出されていた。
「そんなこと言われたって、クラスにパートナーを頼めるほど仲のいい男子なんていないし」
ていうか、生徒会の仕事が忙し過ぎて、クラスメートと交流する時間なんてほとんど取れてないのが実情だ。
はあ、とため息をついたとき。
ばたばたと慌ただしい足音が近づいてきたかと思うと、校舎の角を曲がって一人の男子生徒が私のいる裏庭に駆け込んできた。
「ロ、ロ、ロイスナーさん!」
「はい?」
「はあ、はあ。ごめ……っ。ちょ、待って。息が……」
「…………」
目の前で、膝に両手をついて息を切らしているこの人は確か、平民枠で入学してきた……。
「ドラン。トマ・ドランです。いきなり声をかけちゃってごめん。あの……あのですね」
「はい」
ドラン君……でいいのだろうか。彼は落ち着きなくあちこちに目を泳がせ、しばらくもじもじしていたかと思うと、いきなりがばっと頭を下げた。
「ぼぼぼ、僕と! いいい、一緒に王宮夜会に行ってくれませんか!?」
――は?
◇◇◇
ドラン君は、平民枠の奨学生だった。
教会付属の孤児院育ちで、将来は聖職者になるために猛勉強して入学試験に受かったという。
焦げ茶の髪に焦げ茶の瞳。目が細く平凡な顔立ちは可もなく不可もなく。全体的に地味で大人しそうな印象だけど、毎日のように派手派手しいイケメンやきらきらしい美少女ばかりを見てきた目には、そこが何とも癒されるというか、そうよねこれが普通よね、という安心感がハンパない。
「――で? お前はそいつの申し込みを受けたのか」
ばさり。
生徒会室で私の定位置となったアンティークの書き物机に申請書の分厚い束を置いて、サディアス様が訊いてきた。
「受けましたよ。お互いダンスの相手がいなくて困ってましたし、渡りに船ってやつですね」
「…………」
その途端、ルーファス様とガルウィン様がいるあたりから、「あちゃあ……」という声が聞こえてきた。
「これ、完全に出遅れてね?」
「慎重さが裏目に出ちゃったねえ……」
お二人が囲んでいるのは、六角形のマスを連ねたゲーム盤。ルーファス殿下によれば、盤上で互いの戦略を競い合う非常に高度なゲームだそうだ。
「………当日のドレスはどうするつもりだ。相手は平民なんだろう?」
「そんなの、当然二人とも制服ですよ。そのほうがお互い節約になっていいですからね」
背後のゲームテーブルから、ガルウィン様の押し殺した悲鳴が聞こえてきた。
「あれだけ頑張った準備が無駄に……!」
「この状況、援軍を要請したほうがいいかもしれないねえ」
私はぱらぱらと申請書の束をチェックする。
王宮夜会のファーストダンスは採点対象となるため、前もってペアを申請しておくのだ。
もちろん、私とドラン君の名前が書かれた申請書も入っている。
エドワード殿下のパートナーは、言うまでもなく婚約者のアレクシア様。
ルーファス殿下のパートナーは、意外にもあのローザだった。
そして、サディアス様のパートナーは……、
「あれ? 先輩のペア申請、パートナー欄が未記入ですが」
「すまん。不備だ。書き直す」
言うが早いか、サディアス様は申請書をさっと抜き取ると、風のように生徒会室を出ていってしまった。
「そんな。わざわざ書き直さなくても、相手の名前をここに書き入れるだけなのに……」
という私の呟きが宙に消えていく。
背後のゲームテーブルでは、ガルウィン様とルーファス殿下が何とも言えない顔で目と目を見交わしていた。
「……惨敗だな」
「惨敗だねえ」
「巻き返せると思うか? この状況」
「どうかな? まあ、勝負は準備も大切だけど、土壇場になって大波乱、なんてこともあるからねえ……」
ゲームはまだまだ続くようだ。
私は再び申請書のチェックに戻った。
「あれ? この人もパートナー欄が空白だ」
後で本人に確認しなきゃ。
私は女子の欄だけに「リリ・ハサウェイ」と書かれた申請書を「要処理」と書かれた箱に入れ、次の一枚を手に取った。




