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6.

「フェーイちゃん。迎えに来たよ。一緒にご飯食べに行こう?」


 その人が姿を見せた途端、教室中から「きゃーっ!」と黄色い歓声が上がった。


「クレメンテ様よ!」

「今日も何てお美しい!」

「あの、これ! 私が刺繍したハンカチです!」

「ちょっとあなた! 何抜け駆けしようとしてるのよ!?」


 あっという間に人だかりができたのを幸い、私はこっそり教室を抜け出そうとした。

 ――が。


「小鳥ちゃん達、ごめんねー。今日は僕、フェイちゃんに用があるんだー」


 声と同時に目の前に壁が立ちはだかった。

 同じデザインの制服なのに、一目で物が違うとわかる上等なシャツ。艶やかな白蝶貝のボタンに沿って視線を上げていけば、息を呑むほど美しいキラキラフェイスに突き当たる。


 月の光を封じ込めたような淡いエクリュの長髪に、やはり淡いグレーの瞳。

 くっきりと整った顔立ちの中、垂れ気味の瞳と肉感的な唇が絶妙な甘さを醸し出している。


 サルヴァトーレ・クレメンテ公爵。


 王立学院三年生に在籍する、隣国ピュサンからの留学生だ。

 現ピュサン国王の庶子で、母親の身分が低かったことから、つい先日臣籍に降ったばかりだという。


「……というわけで、フェイちゃん。僕と一緒にランチに行こう?」

「ロイスナーです、クレメンテ閣下。昼食はアレクシア様と先約がありますので、閣下のお誘いはお受けできかねます」

「もう、フェイちゃんは相変わらず固いなー。僕のことはトーレって呼んでって言ってるのに」

「ロイスナーです、クレメンテ閣下。時間に遅れそうなので、お先に失礼いたします」


 言いながらささっと廊下に出たものの、いかんせん、ちびの私と長身のクレメンテ様とでは歩幅に差がありすぎる。あっという間に追い抜かれ、再び行く手を阻まれた。


「うん。僕もアレクシア嬢の昼食会に()ばれてるんだ。で、君をエスコートするよう頼まれた」

「……な、何ですとー!?」


 だったら最初からそう言えや!


 ――と叫びたくなるのを必死で我慢する。


 貴族たるもの、そう簡単に胸の内を顔に出してはいけません。

 と、アレクシア様に教わったばかりだったから。


(だけどあんな誘い方されたら、後で絶対クラスの女子に絡まれる……)


 がっくりとうなだれる私をよそに、クレメンテ様は「ん」と腕を差し出した。

 ああ、はいはい。エスコートね。

 たかが食堂に行くくらい、他人様の手を借りなくたって自分の足で歩けるというのに。貴族は本当に面倒だ。


 私はこれまたアレクシア様に言われたとおり、背筋をすっと伸ばして立つと、クレメンテ様の肘に軽く手を載せた。


 ◇◇◇


 ――時は少し遡る。


 中庭で高位貴族の令嬢方に囲まれてから、しばらく経ったある日のこと。

 昼休みに校舎の裏でぼっち飯をキメていた私のところへ、アレクシア様がやってきた。


「まあ。どこにもいないと思ったら、こんな所でお昼を召し上がっていたなんて!」

「失礼しました、ザイデル様。生徒会のご用でしょうか?」


 アレクシア様のご本名はアレクシア・ザイデル。ザイデル筆頭公爵家のご令嬢だ。同じ生徒会役員だけど、王太子殿下の婚約者でもあるアレクシア様は、週の半分近くを王宮で過ごしており、私はあまり会ったことがなかった。

 ていうか、面と向かってお話するのって、もしかしてこれが初めてなんじゃ……。


 アレクシア様は扇で口許を隠したまま、私が膝の上に広げたお弁当をまじまじと見ているようだった。

 ちなみに今日のメニューは、厨房でくすねた黒パンにチーズを挟んだものと、通りすがりの市場で見かけ、我慢できずに買ってしまった見切り品のブドウである。種がなくて黄緑色のこのブドウ、最近になっていただき物で味を知ったのだが、まるで大粒のキャンディのように甘くて汁気たっぷりなのだ。

 

 ――それはともかく。


「なるほど。これは解決すべき問題ね」


 アレクシア様が納得したように一人で頷く。

 何だ何だ。私ってばまた何かやっちゃった?

 私はもそもそと食べかけのお弁当を包み直した。礼儀作法に疎いとはいえ、学内で最も身分の高いお嬢様の前で、口に物を入れたまま喋るのはアウトだろ、ということくらいはさすがにわかる。


「まず、わたくしのことはアレクシアと名前で呼んで結構よ。わたくしもあなたのことはフェイオーナ……いえ、皆のようにフェイと呼ばせていただくわ」

「わかりました、アレクシア様」

「その上で気をつけてほしいのだけど。先ほどのように、初対面で高位貴族の未婚の娘に呼びかけるときは、苗字ではなく名前に『レディ』の敬称をおつけなさい」

「わかりました、レディ・アレクシア」

「そう、よくできました。ただし、わたくしはあなたに名前呼びする許可を与えたから、校内でわたくしを呼ぶ時は、レディの敬称はいらないわ」

「ありがとうございます、アレクシア様。光栄です」


 ぬう。前々から思ってたけど、貴族の礼儀はややこしい。


「さて、フェイさん。あなた、どうしてお昼ご飯をこんな所で召し上がっていたの? 学院内には食堂もカフェもあるでしょう?」

「はい。でも、どちらもお金がかかるのと…………その、正直言って、私にとっては居心地が非常に悪いので」


 義母と義妹が消えてから、身体への暴力はなくなった。

 けれど、貴族特有の嫌がらせ――わざとこちらに聞こえるように悪口を言われるとか、課題の内容や提出期限を意図的に間違えて伝えられるとかは日常茶飯にされている。

 特に昼食時、皆が集まる食堂やカフェでは、私のダメダメなマナーをあげつらって馬鹿にされるのが常態化していたため、面倒になって行くのをやめたのだった。


「そう。あなたの報告は、誇張でも何でもなかったわけね――ロザラインさん」


 アレクシア様が振り向いた先には、先日知り合ったばかりのローザことロザライン・ゴーチェ伯爵令嬢が控えていた。


「御意にございますわ、レディ・アレクシア」


 ちなみに彼女からは「わたくしのことはローザと呼んでよくってよ」とすでに許可をもらっている。

 でもってこのローザ、知り合ってからというもの、なぜかやたらと私の世話を焼いてくるのだ。

 やれ、サイズの合わない制服は見ていて不愉快だから自分の予備の制服をお直しして使いなさいだの(そう言って届けられた制服は、どう見ても新品だった)、領地の特産品のブドウが採れすぎて食べ飽きたからあげるだの(例の黄緑の種なしブドウだ。おかげでいけない味を覚えてしまった)。


 今回も、私が食堂で皆に馬鹿にされているのを見て、アレクシア様に知らせてくれたらしい。


「……わかったわ。フェイさん、あなた、明日からお昼はわたくしたちと一緒に特別席においでなさい」

「へあっ!?」


 驚きのあまり、素っ頓狂な声が出た。

 特別席とは、食堂やカフェに設けられた王族や貴賓専用の個室ないしバルコニー席のことである。

 ここを利用できるのは王族と公・侯爵家、そして彼らに招かれたゲストのみ。

 当然ここで供される料理もお茶もスイーツも、一般生徒向けのそれとは一線を画す高級品だ。


「いやそのあのっ、あのですね! ごごご、ご厚意は大変ありがたいのですが、我が家は目下、絶賛財政立て直し中でして! 恥ずかしながら、毎日そんな高級ランチに払えるようなお金はとても……」


 アレクシア様は扇の陰で、あきれたようにため息を吐いた。


「素地はいいのに、勉強以外は本当に手つかずなのね。……いいこと? フェイさん。わたくしはあなたを特別席にゲストとしてお招きするの。どこの世界にゲストからお金を取る公爵令嬢がいて?」

「――お金じゃないなら、アレクシア様の望みは何ですか」

「ちょ、フェイさん!? いきなり何を言い出しますの!? 失礼ですわよ!」

「あら」


 私の発言に、ローザはさっと顔色を青くしたが、アレクシア様は反対に、なぜか目を輝かせた。


「わたくしがあなたに何かを望む? どうしてそう思うのかしら」

「……それ以外に、私に親切にする理由が思いつかないからです」

高貴な者の義務(ノブレスオブリージュ)かもしれなくてよ?」

「でしたら私一人に施しをするより、孤児院や救貧院を援助したほうが効率的かと」


 実際、アレクシア様はすでに方々の孤児院や救貧院で慈善活動を行っていることで有名だ。

 アレクシア様は、ますます楽しそうに目を細めた。


「フェイさん、あなたのそういうところ、わたくし嫌いじゃなくってよ。どうしても理由が知りたいというなら……そうね。王太子殿下のため、ということでどうかしら」

「……王太子殿下の?」

「あなたはとても有能だわ。そのくせ野心も出世欲もない。公職である生徒会役員としては理想的といえるわね」


 そりゃそうだ。いずれ平民になるのだから、出世なんてしたって意味がない。


「でもね。生徒会に携わる以上、ある程度の礼儀作法は必要になるわ。学校行事では、外部から貴族の賓客をお招きすることもあるのだから」


 あー、はいはい。卒業式や入学式には、生徒の親御さんである貴族の皆さんがわんさかいらっしゃいますもんねー。他にも全校を挙げての模擬試合だの茶会だの、あらためて考えると外部のゲストが訪れるイベントはけっこう多い。


「そんな時、役員であるあなたが粗相をすれば、それはすべて生徒会長であるエドワード殿下の責任になるわ」

「えっと。では今からでも私が生徒会を辞めるというのは……」

「無理ね」


 即答かい。


「はっきり言って、あなたが入ってから生徒会の仕事の効率は飛躍的に上がっているの。……第一あなたを馘になんてしようものなら、サディアスが臍を曲げて大変だもの」

「はい?」


 後半部分はよく聞き取れなかったが、アレクシア様は「とにかく」と言葉を続けた。


「そんなわけで、あなたにはわたくし達と昼食を取りながら、貴族の一般常識と礼儀作法を覚えていただきます。よろしくて?」


 よろしくても何も、筆頭公爵令嬢のご要望だ。「はい」か「イエス」と答える以外、私に選択肢はないわけで……。


 ◇◇◇


 という経緯を経て、私は現在、特別室でやんごとなき方々とご一緒に、絶賛ランチという名のテーブルマナーを実習中だ。


「やー、しかしフェイちゃんはすごいなー。ここで食べるようになってから一週間も経ってないのに、食事のマナーはもうほぼ完璧じゃん」

「お褒めにあずかり光栄です、閣下」


 ていうか、最初はどんな複雑怪奇なルールがあるかと思って身構えたけど、貴族のテーブルマナーは基本法則さえわかってしまえば簡単だった。


「え、これってそんなに簡単か? 俺なんて、覚えるまでずいぶんかかったぞ?」


 そう言って首を傾げるのは、銅色の髪のガルウィン様。騎士団長のご嫡男だ。


「背筋を伸ばして両手の指を揃え、両腕の可動範囲は左右の肘掛けの幅以内で、出された料理を食べるのに最も適したカトラリーで、音を立てずに食べればいいんですよね?」

「「「………………」」」

 

 あれ? 私今何か変なこと言った? 皆、一瞬黙り込んじゃったけど?

 それにサディアス様が何故かどや顔で王太子殿下を見やり、アレクシア様が「うふふ」と楽しそうに笑ったのもさっぱり解せぬ。

 ただ一人、ルーファス殿下だけがほわほわと笑いながら、


「サディアスの言った通りだね! ロイスナー嬢は本当にすごいや。これなら次の王宮夜会でも安心してお披露目できるねえ」


 ――と。

 とんでもない爆弾発言をかましてきた。


 え、何それ。王宮夜会!? そんなのひと言も聞いてないんですけど!?

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