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2.

 ロイスナー女子爵だった母が亡くなった途端、父は別宅に囲っていた愛人と、父に良く似たその娘を王都の街屋敷(タウンハウス)に呼び寄せた。

 そこからはまぁよくある話。「ロイスナー子爵家」は父と義母と同い年の義妹の三人だけで完結し、私は実の父からも、屋敷の使用人達からも「いないもの」として扱われるようになった。

 部屋も服も専属の侍女も、あっという間に義妹に奪われ、食堂に行っても私の席はない。

 ほどなく私の扱いは、無給で働く雑役メイド的な立場で落ち着いた。

 おかげで料理や掃除、繕い物や洗濯など、身の回りのことはひと通り自分でできるようになったけど、そのあたりから家族と使用人の嫌がらせが洒落にならなくなってきたので、たまたま近所にあった王立学院の、平民向けの奨学生枠に応募して、十三歳で首席入学してやった。


 入ってから知ったことだけど、王立学院の入学は、普通は十五歳からなのだそうだ。

 それをわずか十三歳で、しかも首席入学という快挙を成し遂げた我が子が奨学生、というのはいくら何でも外聞が悪いと慌てた父が、しぶしぶながら入学金と学費だけは出したけど。


 地獄のような実家を逃れ、学院の寮に入った私に当然のように仕送りは無く。教材費や日々の細々とした出費を賄うために、放課後は年齢を誤魔化して街の会計事務所で働こうとしたら――速攻でバレた。


「在校生の就労は、校則で禁じられているはずだが?」


 それが私、フェイ・ロイスナーと、切れ者と名高い宰相閣下のご嫡男、ヴォルフ・サディアス侯爵令息との出会いだった。


「そんなに仕事がしたければ生徒会に来い。ちょうど会計の席が空いている」

「嫌ですよ。生徒会なんてタダ働きじゃないですか!」

高貴な者の義務(ノブレスオブリージュ)という言葉を知らんのか」

「知りませんね。高貴な者の暮らしなんて、十年以上させてもらっていませんし」

「………どういうことだ」


 実はこういうわけでして、と事情を説明した後のサディアス様の行動は早かった。

 入婿なのにロイスナー子爵を名乗り、私ではなく愛人との間にできた娘を後継に据えようとした父は、お家乗っ取り案件であっけなく逮捕され、義母もろとも懲役刑に処せられた。未成年の義妹は実刑こそ免れたものの、戒律の厳しい修道院に送られた。

 おかげで私はロイスナー家の正統な跡取りに返り咲いたものの、子爵家の資産は義母と義妹に食い荒らされてすっからかん。父は領地などほったらかしで遊び惚けていたもので、我が家は破産寸前だった。


(あ。これは私じゃどうにもならんやつ)


 かくなる上は爵位も領地も返上し、平民として生きていくか! と私は早々に覚悟を決めたのだが……。


 嬉々として手続きを始めた私に、サディアス様から待ったがかけられた。


「平民落ちするのは勝手だが、領地を返上するのなら、最低限の体裁は整えてからにしてもらおう」


 具体的には、放漫経営でぐちゃぐちゃになった帳簿や書類を、きちんと引継ぎできるように整理しろということだ。

 家族の件でさんざん世話になったサディアス様に言われれば、答えは「はい」か「イエス」しかない。


「とかいって、未成年にとんでもない無茶ぶりですね」


 せめてちくりと嫌味を言えば、サディアス様は「は?」と形のいい眉を吊り上げた。


「誰も君一人でやれとは言ってないが? 侯爵家(うち)から優秀な代官と会計士をつけてやる。そのかわり、引き継ぎ体制が整うまで爵位の返上は許さん」


 サディアス様が「優秀な」と言うだけあって、派遣されてきた代官と会計士の先生は、目を覆うばかりにぐちゃぐちゃだった我が家と領地の帳簿類を、あっという間に整理してくれた。そればかりか、ここ数年赤字続きだった領地経営に、立て直しのめどさえ立ったのだ。


「ありがとうございます。これもすべてサディアス先輩のおかげです。これで安心して平民生活に入れます!」


 涙ながらに感謝する私を見下ろしながら、サディアス様は長い指で眼鏡のブリッジをくいと上げた。


「そうだな。後は残った借金を返すだけだ」

「はい! 会計士のサロモン先生によれば、領地の負債は三年以内に完済できる見込みです。詳しいことは次の領主の方が決まり次第……」

「何を言っている。今話しているのは、君の個人的な借金についてだ」

「…………え?」


(…………え???)


 サディアス様は、唖然とする私の前に一枚の紙を滑らせた。

 この書類には見覚えがある。ロイスナー子爵家立て直しのために、サディアス侯爵家から会計士と代官を派遣することに関する同意書だ。子爵家側の契約者はもちろん私。署名も私の直筆だ。


「負債の内訳に関する条項をよく読んでみろ」


 指定された項目に目を通した私の顔から、さあっと一気に血の気が引いた。

 そこには、子爵家に派遣した代官と会計士の報酬はサディアス家がいったん肩代わりするものの、支払い義務は契約者――つまり私にあることが明記されていたのである。


「えっと……ちなみに、現在私がお借りしている金額は……?」


 冷や汗をだらだら流しながら訊ねる私にサディアス様が提示した金額は、三年後、収支がプラスに転じた領地の一年分の年収に相当した。

 それも、全額を返済に充当したとして、だ。

 実際は来期の予算や貯蓄に回す分もあるから、残りを分割して返済するしかない。

 その間も代官と会計士の報酬は発生し続けるわけだから……。


「領地収入からの分割払いで、ざっと五年はかかるかな」

「は……はああああああ!?」


 つまり、収支が黒字に転じるまでの三年間プラス、借金を返し終わるまでの五年間、しめて向こう八年は、私がロイスナー領を統治しなければならない計算だ。


「手始めに、君には会計として生徒会に入ってもらう。いつまでも侯爵家(うち)の会計士と代官におんぶに抱っこでは、負債は増える一方だからな。小規模とはいえ、組織の会計業務を学ぶことは、領地経営のいい勉強になるだろう」

「ぐぬぬ……」


 何のことはない。私はこの陰険眼鏡にまんまと()められたのだ。

 この時初めて、私はサディアス様が陰で「腹黒眼鏡」「陰険大王」と呼ばれる理由を悟ったのだった。


 かくなる上は、一刻も早く彼の手の内から脱出すべく、財政再建に励むしかない!

 というわけで、私は自分にできる範囲で精一杯、返済期間を早めようとあれこれ画策したのだが……。


「タウンハウスを売りに出したそうだな」

「はい。私一人が住むには広すぎますし、維持費も馬鹿になりませんから」

「それで君はどこに住むつもりだ」

「在学中は学院の寮に。卒業後は下町で屋根裏でも借りようかと……」


 何なら領地の荘園屋敷(マナーハウス)もホテルにして宿泊費を取り、自分は門番小屋にでも住もうと思います! と胸を張ったら、いきなりぐにーっ、 と頬を引っ張られた。


ふぁ()ふぁひほふふんれすか(何をするんですか)

「馬鹿か、君は。どこの世界に屋根裏住まいの女子爵がいる!」


 え。ここにいますけど。


「社交シーズンの茶会や夜会はどうするつもりだ。領地経営に人脈作りは不可欠だぞ。屋敷ひとつ満足に維持できない女子爵が、他領の貴族と対等に渡り合えると思うのか?」

「……くっ!」


 悔しいけれど、正論だ。

 納得した私は、不本意ながらタウンハウスもマナーハウスも売却するのは諦めた。

 いいもんね。他にも節約できるところはあるんだから!

 

 と こ ろ が ……。


「いらっしゃいませ、サディアス様。休暇中にどうされました?」


 私は寮を引き払い、元実家であるタウンハウスに引っ越した。もともと通学圏内だったし、そうすれば寮費が浮くからだ。

 実家住まいを始めて間もなく、突然タウンハウスを訪れたサディアス様は、眼鏡をきらりと光らせて玄関ホールを見回した。

 ちなみに私はメイド服にエプロン姿で、ホールを絶賛掃除中だ。


「執事やメイドはどこにいる」

「父や義母の息がかかった使用人たちは、いい機会だったのでまとめて暇を出しました。私一人で住む分には、自分のことは自分でできますので……って、いひゃいいひゃい(痛い痛い)! ほほほひっはははいれ(頬を引っ張らないで)!」


 人の頰肉を一体何だと思っているのだ、この眼鏡は。


「まったく嘆かわしいことだ。ノブリスオブリージュに加え、雇用の創出という言葉も知らんとは」

「知ってますよ、そのくらい! 知ってます、けど……」


 私は俯き、語尾を曖昧にごまかした。


 ――怖かったのだ。使用人を雇うのが。


 母がいたころは優しかった彼らが、義母たちがやってきたとたんに冷たくなった。中にはあからさまに嫌がらせをしたり、いじめたりしてきた者もいる。

 なのに私が跡継ぎに返り咲いたとたん、彼らは再び掌を返して擦り寄ってきた。


 人は裏切る生き物なのだと。

 好意も忠誠心も、しょせんは計算ずくなのだと。

 私はこの時、いやというほど思い知ったのだ。


「ほう。ならば君はなぜ、うちが派遣した代官や会計士は受け入れた?」

「それは………だって、サディアス様のお墨付きがある人達なら、さすがに信用できるだろうと」

「そうか? 僕の意図を汲んだ彼らが、君の領地も財産も、丸ごと侯爵家の手に渡るように画策するかもしれないぞ?」

「仮にそうなったとしても、領民は苦労しないでしょう?」


 むしろ切れ者宰相閣下の直轄領になる方が、貧乏子爵家の小娘なんかに治められるより、領民にとってはずっとましなはず。

 けれど、サディアス様は私の答えをいたく不満に思ったようだった。


「そうやってすぐに逃げようとするのは、君の非常に悪い癖だ。だが今は、領地のことはひとまずおこう。僕が雇った人間なら、君は信用するんだな?」


 そんなやりとりがあった数日後。

 かつて王族の侍従も務めたというグレイヘアのダンディなおじ様と、さる尊いお方の侍女だったという背筋のぴんと伸びた老婦人が、それぞれ我が家の執事と家政婦長(ハウスキーパー)としてやってきた。

 この二人が面接を行い、ロイスナー家のタウンハウスには、ハウスメイドにランドリーメイド、コックにキッチンメイドまで、瞬く間に揃ってしまったのだ。


 父たちが住んでいたころは何となく煤けた印象だった邸内は、瞬く間に隅々まで磨き上げられ、一日一回、下手をすれば二日に一回しかありつけなかった食事は、何と一日に三回も、栄養満点の美味しい料理が食卓に並ぶようになった。

 どの部屋にも季節の花が飾られ、ベッドには糊のきいたシーツが敷かれ、毎朝の洗顔後にはふくふくした笑顔のおばあちゃん侍女が、私の髪を優しく梳いて編み上げてくれる。

 こんなすごい贅沢をしているのに、毎月末に執事のブノワさんが見せてくれる帳簿は、なぜか黒字になっていた。


「こ……こんなにすごい人達にお支払いするお給金を、一体どうやって捻出すれば……!」


 頭を抱える私に向かい、サディアス様は何でもなげに言う。


「心配するな。彼らの給金はそこまで高くない」

「え、だって皆さん、ものすごく優秀なのに!」

「ああ。だが皆、一度は引退した者ばかりだ」


 言われてみれば、我が家の使用人たちの平均年齢はやけに高かった。

 普通は十代から二十代の若い子たちが担当する配膳係(パーラーメイド)従僕(フットマン)の仕事も、我が家では中年から初老の男女に割り振られている。


「パーラーメイドもフットマンも、若さと見た目で選ばれるからな。経験を積んでベテランになるころにはお払い箱だ」

「ええっ。何てもったいない!」

「だろう? 王宮勤めの侍従や侍女に至っては、本人に全く落ち度がなくても、主人の罪を被って辞めさせられたり、ひどい時には身代わりに処罰されることもある」

「そんな……!」


 我が国の貴族の使用人は、辞める時に主人から紹介状をもらう。これを身分証代わりに、次の職場を探すのだ。

 だが紹介状をもらって退職しても、年齢制限のある仕事には就けないし、ましてや懲戒解雇で紹介状もなければ再就職は絶望的だ。

 そうした不遇な人々から、とりわけ優秀な人材を選りすぐって我が家に送り込んだのだ、とサディアス様はどや顔で眼鏡を光らせた。


「皆、給金は下がっても、もう一度働きたいと心から願う者達だ。遠慮なくこき使ってやれ」


 私はジト目でサディアス様を見上げる。


「……誰かをこき使うとか、そういうの苦手だって知ってるくせに」


 しばらく前までこき使われる側にいた私としては、できることなら金輪際、人を使うことも、使われることもしたくない。

 けれど、そんな私にサディアス様は言った。


「心配するな。苦手分野は、克服すれば第二の得意分野になる」


 くそう。覚えてろよ、この陰険眼鏡!

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