10.
――え。これ異世界に転生してね?
そう気がついた時には、すべてが後の祭りだった。
「マリアンヌ・ロイスナー改めマリアンヌ・ティボー。義理の姉に対する度重なる暴行により、聖女修道院行きを命じる」
粗末な馬車で連れてこられたのは、王都の郊外にある陰気くさい灰色の建物だった。
それまで身に着けていたものは、アクセサリーにシルクのドレス、下着にいたるまではぎ取られ、代わりにごわごわした木綿の下穿きとワンピースに着替えさせられる。
それでも黙って従ったのは、いきなり襲ってきた前世――21世紀の日本で生きていたころの記憶と、マリアンヌとして過ごした十三年の記憶を擦り合わせるのに忙しかったからだ。
どちらもクソみたいな人生だった。
酒浸りで男にだらしない母親との狭苦しいアパート暮らし。欲しい物は何ひとつ買ってもらえず、万引きするかクラスメイトから盗むしかなかった。
そんなふうだったから、友達は一人もいなかったし、彼氏は似たりよったりのクズばかり。
ある程度大きくなってからは、母親がとっかえひっかえ連れてくる「パパ」におねだりすることを覚えたけれど、ある日、何人めかのパパと仲良くしているところに母親が帰宅。逆上した母親にビール瓶で頭を殴られて――たぶん、あの時死んだのだろう。
「マリアンヌ」の人生は、それよりは若干ましだった。
お金持ちの子爵家の令嬢で、パパにもママにも可愛がられ、欲しい物は何でも買ってもらえた。
屋敷には私と同い年の姉がいたけれど、小さいころは別に変とも思わなかった。そのころ、姉は私よりずっと広い部屋に住み、きれいな物をたくさん持っていたけれど、私が欲しいと言うだけで、それらは全部私の物になった。
「姉」の正体を知ったのは、もう少し大きくなってから。ママと一緒にとある伯爵夫人のお茶会に行った日のことだ。
見事な薔薇園のガゼボで大人たちが談笑している間、子どもたちは別の場所で遊んでいなさい、と少し離れたテーブルに案内された。
上座にはくるくる巻いた金茶の髪を二つに束ねた女の子が座り、私のように母親に連れてこられた子どもたちをもてなしている。
私より三つ四つ年上らしいその少女は、私を見ると椅子から立ち上がった。
「初めまして。ゴーチェ伯爵が長女、ロザラインと申しますわ」
その子は瞳と同じ薔薇色のワンピースに、青いホタルブクロの素敵なコサージュをつけていた。よく見ると髪飾りも同じデザインだ。
(わあ、綺麗!)
私は一目で気に入った。
「いいなあ、そのコサージュと髪飾り」
そう言った途端、テーブルについた子どもたちが一斉に顔を見合わせた。
金茶色の髪のロザライン? も、ちょっと驚いたように目を瞬いたが、すぐに私に微笑みかける。
「………ありがとう。わたくしもとても気に入ってますわ」
「ふうん。それ、ちょうだい」
ロザラインは今度こそ薔薇色の瞳をまん丸く見開き、居合わせた子どもたち全員が呆れ顔で私を見た。
「うそでしょ。何あれ」
「どちらのご令嬢?」
女の子たちは一斉に顔の前で扇を開き、その陰でひそひそと囁き合う。
「あの子よ。ほら、ロイスナー卿の後妻に入った……」
「ああ、平民の子」
「道理で」
けれど私はそんなことより、目の前のコサージュと髪飾りに夢中だった。
あの色もあのデザインも、私は持っていない物だ。欲しい。欲しい。欲しい欲しい欲しい!
「ねえ、それ全部私にちょうだい?」
私はロザラインに向かって掌を突き出した。
あれをもらって帰ったら、ママに頼んで同じ色のドレスを作ってもらおう。せっかくだから靴も新しくしたいな。
ロザラインは目をつぶり、何度か大きく息をついてから口を開いた。
「これは私の誕生日に、大事な方からいただいた物ですの。ですから差し上げられませんわ」
「………は?」
今度は私が目を見開く番だった。
え、何でこの子は髪飾りを渡さないの?
私が欲しいと言っているのに。
そう言えば、以前に「姉」もこんなふうに私に逆らったことがあった。その時はママが姉を叱りつけて言うことを聞かせていたっけ。
そう、こんなふうに……。
「いいからそれをよこしなさい!」
言いながら、目の前の少女に向かって思い切り手を振り上げる――と。
「おっと。どうした? 穏やかじゃないな」
低く耳触りのいい声とともに、背後から手首を掴まれた。
「何するのよ。離しなさ」
「ディディエ兄様!」
ロザラインが、見るからにほっとした顔で声を弾ませる。
私の手首を掴んでいたのは、黒髪に灰色の瞳をした優しそうな青年だった。
「やあ、ローザ。君の母上に頼まれて、ロイスナー子爵夫人のお嬢さんを呼びに来たんだが」
「でしたら、その子がそうですわ」
ロザラインがひややかな声で言う。
「ちょうどお帰りいただこうと思っていたところですの」
「なるほど?」
ディディエと呼ばれた青年は、ざっとその場を見渡すと、納得したように頷いた。
「なら、彼女は僕がつれていこう。さ、お嬢さん。一緒においで」
「いやよ!」
私はその場に足を踏ん張り、ロザラインを真っ直ぐ指さして叫んだ。
「あのコサージュと髪飾りが欲しいの!」
「あれはどちらも僕がローザの誕生祝いにあげたものだ。他人のものをむやみに欲しがるのは感心しないな」
「そんなの知らない! あれが欲しいの。欲しいんだってば!」
「黙れ」
私はひゅっと息を呑んだ。目の前の優しげな青年が、不意に刃のような眼差しを私に向けたからだ。
じわり、と下穿きが濡れる感触があり、生暖かい水が両脚を伝い落ちた。
「いやだ。あの子ったらお漏らししてる」
「みっともなーい」
くすす、と忍び笑ういくつもの声を背に、私は泣きながらディディエに手を引かれてその場を後にした。
――同じころ。
母もガゼボのお茶会でゴーチェ伯爵夫人に無礼を咎められ、伯爵邸を追い出されたことを知ったのは、その晩、父が帰宅した後のことだった。
「畜生! 伯爵夫人が何だっていうのよ! あの女、私に何て言ったと思う!?」
きんきん響く母の声は、居間の閉ざされた扉越しでもはっきりと聞き取れる。
――わたくしが連れてくるようお願いしたのは、子爵令嬢のフェイオーナ様でしてよ。どこぞの男爵家の次男と、素性も知れない愛人との間にできた不貞の子などではなく。
その日からだった。母も私も、義姉のフェイオーナに対する暴力がエスカレートし始めたのは。
◇◇◇
「……ったく」
修道院の狭苦しいベッドに寝転がり、私は「マリアンヌ」と両親の馬鹿さ加減に舌打ちした。
せっかく金持ちの貴族の家で暮らせていたのに、これじゃ全部台無しだ。
とはいえ……。
(両親と違って、私は「罪人」じゃない)
修道院は牢獄ではないし、未成年の場合、真面目に暮らしてさえいれば、いずれ外に出て働き口を探し、独り立ちすることもできる、
――と、さっき部屋に案内してくれた修道女が言っていた。
「なるほど。保護観察処分的な」
「えっ? ホゴカンサ……?」
「いえ、何でも」
ほほほ、と笑ってごまかした私は、しおらしく言われるままに食事の前に祈りを捧げ、固くてぱさついたクソまずいパンと、野菜屑の浮いたお湯みたいなスープだけの夕飯も文句を言わずに飲み込んだ。
そして、今。
前世のカプセルホテルよりは若干まし、という程度の狭苦しい小部屋でようやく一人になれた私は、ドキドキしながら虚空に向かって囁く。
「ステータス オープン」
ひゅ、と微かな音を立てて、半透明の板が目の前に開いた。
「やったね!」
やっぱり、転生ものはこうでなくちゃ!
そこに並ぶ文字列を目で追った私は、次第に頬がにやけてくるのを止められなかった。
「ふうん。めっちゃ使えそうじゃない、このスキル」
おまけに隠しスキルまで。
「こっから転生チートで大逆転ってわけね」
前世を思い出した時には、全てが終わった後だった、と思ったけれど。
何のことはない、ここから全てが始まるのだ。
「ふふ。ふふふふふ……っ! あははははははは!」
灰色の修道院の薄暗い小部屋で、私はいつまでも笑い続けた。




