3 悪役令嬢は推しに殺される運命なので
厨房に入ると、明日の仕込みに精を出す料理長と数人の使用人たちがいた。
(よかった、これならアランを助けられそう。)
私は少し息を整えてから、彼らに声をかける。
「あの、お仕事中ごめんなさい。手伝ってほしいことがあるの……」
料理長たちは私の声に振り向き、こちらを見たと思ったら、すごく驚いた表情で包丁を落としそうになっていた。危ない。
「おっ、お嬢様!? どうしたのですか、そのお姿は!」
慌てて駆け寄ってきた料理長が、手近にあった上着を私の肩に掛けてくれた。
そうだった、アランにカーディガンを渡してしまったんだった。驚かせてしまったことに申し訳なさを感じつつ、彼らの協力が必要な理由を説明した。
「実は……庭で倒れていた人を見つけたんです。急いで何か食べさせてあげたいの。それに、彼を部屋まで運ぶのを手伝ってほしくて……」
料理長は難しい顔をして一瞬考え込んだ後、口を開く。
「お嬢様の頼みでも、それは少し難しいかと。まずは旦那様に相談してみないと……」
もっともな意見だ。でも今はそれどころじゃない。
「責任は私が取るから……お願い!」
私の懇願に、料理長は困ったような表情を浮かべながらもしぶしぶ頷いてくれた。料理長には手早く温かいスープと柔らかなパンを用意してもらい、私は使用人たちと共にアランの元へ向かった。
しかし、何事もすんなりとはいかないもので……。
アランを厨房に運び込もうとしたところで、物音に気付き、寝室から出てきた父と鉢合わせをしてしまう。
「ああ、こんな時間に厨房とは……。シャルロット、お前が夜更かしを……待て、それは誰だ!」
父の鋭い視線がアランに突き刺さる。とっさに説明する間もなく、料理長の背後にアランを隠そうとしたが、ふらついたアランが鍋にぶつかり、「カラン」という音とともに隠しきれなくなった。
「シャルロット、説明しなさい。一体何がどうなっているんだ」
追及する父に、私は必死で言葉を探す。
「ええと……助けたんです!」
「助けた?」
「空腹で倒れていて、放っておけなかったんです! 人助けです!」
食い下がる私に、父はなおも疑いの目を向けたが、アランの様子を見て、諦めたようにため息をついた。
「とりあえず、彼に食事を与えて落ち着かせよう。詳しい話はその後だ。」
◇ ◇ ◇
アランがスープとパンで少し落ち着いた頃、応接室に移動し、椅子に深く腰掛けた父が重々しく口を開いた。
「さて、君の名前は?」
父の厳しい声に、アランは一瞬びくりと肩を震わせながらも、冷静に答えた。
「アラン、です。」
「ではアラン、なぜ我が家の庭にいたのだ?」
アランは言葉を選ぶように口を開き、途切れ途切れに説明する。
「風が強くて……休める場所を探していて……気づいたらここに……」
伯爵家の屋敷はそれなりに大きいけれど、現代のセ○ムのような警報システムがあるわけではないし、屋敷の周囲をドーベルマンが警備しているわけでもない。さらに我が家の護衛騎士は、主に屋敷内の警備や外出時の同行が役目で、門番担当はいない。つまり、侵入は意外と容易で、気づいたら入っていた……というのもあり得ない話ではないと思う。
「物取りをしようとしていたわけではないのか?」
「誓ってありません。本当に……気づいたらここにいた感じで……すぐ出て行くつもりだったんですが……」
推しに甘い私のフィルターを抜きにしても、アランは嘘をつくタイプではない。気づいたら、なんて不自然な答えだけど、アランの表情は真剣そのものだし、なにより……。
私は思わず口を挟んだ。
「父様、アランは嘘を言っていないと思います!」
父は私を一瞥し、眉をひそめた。
「シャルロット……そもそもお前はなぜこんな時間に庭になど……」
ぐっ……矛先がこちらに向いてしまった。
「そ、それは、外から物音が聞こえて……それで窓の外をのぞいたら彼が居たのです。それだけですわ」
「むぅ……しかし、そういう時はまず屋敷の者を呼びなさい。もしこの子が悪人だったらどうするつもりだったのだ。お前はただでさえ可愛すぎて変な奴に狙われやすいというのに……」
父の親バカ発言に思わずツッコミを入れそうになったけどぐっと我慢する。そもそも今回は正論だったので反論はできない。
「今後は気を付けるから。それより今は……」
「そうだったな。君の家はどこだね。ご家族は?」
「……」
沈黙するアランに、父はさらに問いを重ねた。
「答えたくないのか?」
「……違います。ただ……わからなくて……」
「わからない?どういうことだ?」
「なにも……覚えていなくて……」
アランはどこか辛そうに頭を抱えた。その様子に、父も思わず表情を曇らせる。
「まさか君……記憶がないのか?」
(ゲームの通りだ……)
アランは『月夜に囁くノクターン』に登場するキャラクターの一人。出自不明の少年で、シャルロットに拾われたことでシャルロット専属の護衛騎士となる人物だ。ゲームの中でも、彼は過去の記憶を失っており、最後まで出自が明かされることはなかった。
ちなみにアランは少し特殊な立ち位置のキャラクターで、シャルロットの護衛騎士という立場なので、攻略対象ではない。最初は。
というのも、アランはシャルロットに従い、ヒロインをいじめたり罠に嵌めたりするものの、後半になるとひっそりと逃がしてくれたり助けてくれたりするうえ、シャルロットのお気に入りという設定だけあって、とんでもない美形であるため、彼に魅了されるユーザーが続出した。
そのため、後に出た他機種への移植版の特典として、アランが攻略可能キャラクターに追加されることになったのだ。
とはいえ、アランのルートに入るのはかなり特殊な条件が必要で、物語の終盤近くまで他の攻略キャラとのフラグを立てない場合のみ、アランルートに進むことができる。その場合、アランはヒロインいじめに加担したことに心を痛め、それを感じ取ったヒロインが彼を慰めようとする。やがてアランはヒロインに心を開き、シャルロットを裏切る決意をする。しかし、それを察したシャルロットがアランを監禁し、既成事実を作ろうとする泥沼展開に発展する。追い詰められたアランは、脱出のためにシャルロットとその家族全員を手にかけるという悲劇に至るのだ。
その後、アランは血で手を汚してしまったことと、自分の出自が不明なことで、ヒロインを幸せにできないと感じて、彼女の元を去ろうとするのだが、プレイヤーはここで「それでも彼を受け入れる」か「彼を見送る」かという選択を迫られる。このルートは攻略難易度が高い上、内容も衝撃的で、多くのプレイヤーに強い印象を与えた。
それでも、寡黙で忠義に厚い性格や、ヒロインとの交流を経て次第にデレて溺愛系キャラへと変化するところや、主人であるシャルロットを殺してしまうほどのヤンデレ具合など、要素が盛りだくさんの絶大な人気を誇るキャラクターだった。
そして私もアランにどっぷりとハマった一人。彼は私の“推し”なのだ。
ゲームのアランのことを思い出していると、隣にいた父が重いため息をついた。
「君が泥棒の類ではないことは分かった。だが記憶が無いとなると、私たちではどうにもできない。今晩はこの屋敷で休んで、明日、私と一緒に保護院に行こう」
保護院――いわゆる近親者のいない子供や孤児を養護する施設のこと。
確かに父の提案は理にかなっている。その方がアランの身を守るには良い方法だ。
「シャルロットもそれでいいな?」
「…………うん」
(たしかにそのほうがいい……)
おそらくゲームでは、今の段階でアランを護衛騎士に迎えたのだろう。娘に甘い父なら、アランがどんなに不審者であっても、娘が欲しいと言えば反対はしないはずだ。
けれど、私はそうするわけにはいかない。なぜなら――
(アランを護衛騎士にしてしまったら、ゲームのシナリオに近づいてしまう……)
衝動的にアランを助けたものの、先のことなど全く考えていなかった。
目の前に立つアランを見ると、不意に彼の視線とぶつかった。吸い込まれそうなほど美しい明るいブルーの瞳に心を奪われる。思わず見つめ合ってしまったが、先に目をそらしたのはアランのほうだった。
推しが目の前にいる。このままずっとそばにいてほしい――
そんな想いが胸をよぎる。でも、それだけでは決断できない。
答えを出せないまま、眠れない夜が続いた。