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合コンに呼んではいけない人1

 梅雨前線がいよいよ本州に到来し、ここ三日月島もお零れを頂戴する形で週の三日は雨が降るようになった。


 今日はその7分の3の確率を引いた日で、こんな時に限って朝は雨雲一つもない快晴だった筈なのに、昼間になると鉛雲一色になって容赦なく激しい雨を降らせてくる。


 しかも、こういう日に限って折りたたみ傘は寮の部屋の中だ。

 講義室を出た瞬間にざあざあと降り注ぐ千の雨を仰ぎ見て溜息を吐く。


 一緒に講義を受けている顔だけは見たことのある生徒達もみな口々に突然の雨に文句を言っては傍を通り過ぎていく。中には今からバイトに向かわなければいけないと焦る者もいて、走ってバス停まで向かっている後ろ姿もある。


 三日月島は遠方から生徒達が集まってくるために男子寮と女子寮がそれぞれ用意されているのだが、その立地がなかなか辺鄙な所で生徒たちからの評判は頗る悪い。


 大学の各棟は広々とした平野に幾つも贅沢に建てられているにも関わらず、寮は何故か大学の真後ろにある雑木林を抜けた先の丘の上にあるのだ。


 徒歩で帰るには地味に遠い20分の距離の上に、緩やかな坂を登っていかなければならないこともあって、人によっては寮ではなく住宅地にわざわざアパートを借りてまで回避する猛者もいるという。


 しかし、そのデメリットを補って余りあるほどに寮の家賃は安い。

 食費・光熱費・水道代・ゴミ処理代を含んで、お値段はたったの一万円。なんと諭吉一人を献上すれば済むのだ。


 低家賃の恩恵をしっかり享受しているように、私は女子寮に自室を構える苦学生だ。

 ちょっとした理由により両親から学生期間を過ごすための生活費を受け取ってはいるが、色々な事情があって無駄遣いが出来ない。


 そのため、バイトもそこそこ入れて貰っているのだが、今日はお店の定休日といこうともあって講義が終わった後は自由時間となっていた。


 いつもの私であれば早々に寮へと引っ込んで周りに住んでいる暇そうな子達と再放送ドラマでも見ながらくっちゃべったりするのだが、こんなバケツをひっくり返したような土砂降りの中を傘も差さずに生身で帰るのも流石に気が引ける。


 一、二時間くらいは様子を見て小雨になったタイミングで帰るのがベストなんじゃないかとスケジュールを立てて、足を別棟へと向ける。


 渡り廊下同士で繋がっている各棟から一番離れた場所にあるのは、『F』のアルファベットが割り振られた部室が集まった棟だ。仕方なく大学構内で時間を潰そうと私が向かっている先である。


 通称『部室棟』とも言われるそこには、入会してから大小様々な事件に巻き込んでくれるオカルト研究会の部室がある。


 数分ほどの移動時間を経て辿りついたF棟は、天気が悪くともなかなかの人で賑わっている。

 生徒の多くが地元を離れて下宿していることもあり、基本的なコミュニティの場はこの棟になるためだ。しかも此処には大学内で一番大きな喫煙室があるため、煙草デビューを飾った学生や一部の教授陣の溜まり場にもなっている。


 喫煙室は基本的に締め切りが原則だが、ここに来るといつも煙草の臭いがする。恐らくは喫煙者達についた残り香のものだろう。煙草の臭いはあまり好きではないが、父が隠れヘビースモーカーだったので嗅ぐ度に少し懐かしい気持ちに陥る。


 今日も雨の湿った匂いから煙草の苦味を感じ取りつつ、濡れそぼった休憩用のベンチの群がある広場を通り抜けて奥にある鉄骨の螺旋階段を上っていく。上る度にカンカンと金属音をたてる螺旋階段はかなり年季が入っていることもあって、実はちょっと使うのが怖い。だが、この階段以外のルートとなればやけに動作の遅いエレベーターからのルートしか残っていないため、せっかちな私は観念してこちらから行くことが多い。


 部室棟の螺旋階段を三階分上がって、これでもかというくらいに奥まったところに入った先にあるのがオカルト研究会の部室だ。


 先述したようにほぼ最奥にあるため、外に扉があるにも関わらず妙に薄暗い。上部に雨避けの屋根があるゾーンなため、半分屋内になっているせいもあるだろう。


 ほどよく錆びた蝶番に挟まった鉄扉は、今日も今日とて固く締められている。ドアノブの横に貼られた無駄に流麗な字で書かれた『オカルト研究会』の貼り紙がなければ、物置と勘違いしてもおかしくない程の無装飾ぶりだ。


 何人たりともを寄せ付けないような排他的な風格が漂う一方で、この部室が一定の時間は開けっ放しになっていることを知っている私は遠慮なくドアノブを捻る。


 軽い捻った感触がして、鉄扉を押していくとなんの抵抗もなく開かれていく。


 怪しい研究会の割には開いた瞬間に鼻をくすぐるのはルームフレグランスの華やいだ香りだ。

 一つ上の同性の先輩が『香りも良い方が居心地が良いでしょう?』と言って置いてくれているらしい。


 こういう細やかな気配りは女子会員がいてこそだと、人のいい副会長は感激していた。


 部室内は私より先に誰かがいるのか、蛍光灯がついていた。


 人工的な真白い光に照らされた必要最低限の家具が先ず目に入る。

 簡素な作りの折りたたみ式テーブルとパイプ椅子、壁に背をつけて並べられた本棚と誰かが持ち込んだデスクトップとパソコン、そして保存食を冷蔵する二枚扉の冷蔵庫が動線を邪魔しないように配置されている。


 此処が共同研究室だと案内されても、暫くは気付くことなく過ごせてしまいそうだ。


 そして視線は自然とパイプ椅子に腰掛けて、ガリガリとシャーペンを走らせている背の低い女へと吸い寄せられる。

 顎の下で切り揃えられたショートカットが手を動かす度に一緒に揺れていた。


 誰かが入ってきたことを感じ取ったのか、女の顔が上がる。

 顔の半分ほどはありそうな黒縁の眼鏡越しに視線が混じって、訪問客が私だと分かると彼女の口元が親しげに緩められた。


「おりょ? あ! 陽葵ちゃん来たんだ。お疲れ様」

萩野(はぎの)先輩いらっしゃったんですね。今日も柳田国男ですか?」

「本当はそうしたかったんだけどねぇ。最悪なことに第二言語の課題が入っちゃって」


 もう最悪だよー!と嫌そうな顔をしつつ笑いかけてくるのは、オカルト研究会の経理を務められている萩野 茉里奈(はぎの まりな)先輩だ。


 私の一つ上の先輩で、同じ文学部の史学科だ。

 ルームフレグランスを設置してくれたこのオカ研の天女でもある。


 萩野先輩の腕の下に引いてあるのは、中国語の教科書だ。アルファベットアレルギーの気のある私もちょっとだけ様子が変わった漢字くらいなら楽勝だろうと第二言語を中国語に選んだが、現在そこそこ苦戦中だ。


 中国語初心者の最初の関門であるピンインに翻弄されまくりで、未だに発音がままならない。講師には口の使い方がなっていないと毎度注意される。


 苦手な講義の名前が出てきたこともあり、私の顔も萩野先輩同様渋くなる。


「明日は確実に中国語が当たる日だし、一昨日は柳田国男のまた根拠もない推論をみつけちゃうし、週末はお見合いがあるから帰ってこいって実家は煩いし。もう本当にクタクタだよ〜」

「あれ?先輩って前もお見合い断ってませんでした?」

「めっちゃ断ったよ〜。けど、一人倒したらニューチャレンジャーが現れてさ。ウチなんてそんな大きな家でもないのに、親が二人姉妹だからって婿をとれって言うの。今のご時世的に本当に有り得ない」


 むす〜〜〜と膨れっ面を披露してぷんぷん怒っている先輩は栗鼠みたいで可愛らしいが、内容的にはそこまで平和なものではない。


 萩野先輩は大した家じゃないとよく言うが、先輩の話を聞く限りそこそこに由緒あるお家という感じがする。正直、先輩を取り巻く環境は時代誤差甚だしいとも思うが、人様のご家庭に口を出していいことなんて一つも無い。だから、この手の話の度に私はあえて緩い合いの手を入れることにしていた。


「じゃあ、先輩が好い人を見つけて『私、この人と一緒になります!』って宣言するのはどうでしょう?」

「うう······好い人ってどんなんなのさ。そもそも、男に良い奴っているの? 子供の頃は蛇だのミミズだのを掴み回してさ、思春期になったら女の人の裸が載ったような不潔な本を読んでさ、そんで大人になったらお酒を飲んで大暴れ。私、とても一緒にやっていける予感がしない」

(随分と劣った人達しか出てこなかったなぁ)


 いやに具体的な内容にどんな人物を思い浮かべて愚痴られているのかが多少気になるものの、私はどちらかというと恋愛話が大好きな口なので、こうやって否定的な意見が出たとしても、そもそも土台が恋の話なら何でも楽しめるタイプだ。


「そんな人は一部ですって! 真昼先輩とか全然当てはまらないですし、由威もそういうタイプとは違うように思えません?」

「確かに。善時君は違うかも。すけべ本読んでる姿とかは全然思いつかない。由威ちゃんは普通に想像つくけど」


 残念ながら、萩野先輩の由威の負のイメージに反論することは出来そうにもなかった。

 先輩の仰る通り、あの阿呆男が熱中してエロ本を読んでいる姿が容易に想像出来てしまうからだ。


 何故ならアイツは、合コンのために文字通りに命を張った心霊スポットツアーを決行した男でもある。

 脳が下半身に支配されている率は、もしかしたら萩野先輩が例に出したモデル達よりも高い可能性がある。


 だが、ここで先輩の男性への苦手を加速させるようなお手伝いをするワケにはいかない。


「先輩、真昼先輩みたいな人を狙っていきましょう!世の中、由威みたいな阿呆ばっかりじゃありません!!むしろあんなのが世に蔓延っていたら日本は終わりです」

「ゆ、由威ちゃんもそこまで言われるほどじゃないと思うな。あの子······確かに昔からちょっと頭のネジが外れている所もあるけど、基本的には紳士で優しくて、たまに頼りがいもあるし」

「じゃあ、由威とくっつきます?」

「う、ううん。それはちょっと」


 色々とフォローをしてもらったにも関わらず、結局はこういう振り方をされるのが由威たる所以だ。


 顔も良い、性格も言うほど悪くない、頭だって一応は国立である三日月大学の経営学部に入るくらいには良い。


 なのに何故か、『彼氏にするにはちょっと······』と言われてしまうのだ。

 その言葉の裏には、『良い子なのは知ってるんだけど、手に負えない』というニュアンスが隠れている。

 きっと奴がそれを理解しない限りは、もう暫くは彼女が出来ないだろう。


 先輩のお見合い話から何故か由威の残念さを再確認する会になりかけた頃合を見計らって、ギィとあの重たい鉄扉が開いた。


 誰が来たのかと私も萩野先輩も揃って戸口の方へと視線を向けると、そこには縦にも横にも大きい巨漢と、黒ジャージに身を包んだ如何にもスポーツマンといった風情の男が部室へと入ってくるところだった。


「遊びに来るのは全然ウチは構わないんだけどな。けどお前、今日は補習のある日だろ?」

「補習なんかそんなんどうだっていいんすよ!それよりももっと大事なことがあるっす!!」

「留年になっても本当に知らんからな······」


 期末試験が近い我々にとって、どうも他人事ではなさそうな会話をしながら現れた男たち。

 巨漢の方は私も先輩もよく知っている人で、目が合うと片腕に提げていたビニール袋をどんと見せてくる。


「二人ともお疲れ様。昨日、バイト代が入ったからプリン買ってきたぞー」

「お疲れ様です、真昼先輩。そんでもってご馳走様です」

「善時君オススメのプリンか〜。美味しいだろうなぁ」

「当たり前だろ。美味いものの紹介こそデブの専売特許だ!」


 そう、この人こそが何かと話題に上がりがちな『良い人選手権』の殿堂入りをしている真昼 善時(まひる ぜんとき)先輩だ。

 ここ、オカルト研究会では副会長の座に就いている。


 由威の心霊スポットツアーに同行するとボヤけば、『何かあったら直ぐに呼んでくれ』と本気で心配してくれて車まで出そうとしてくれる人間の良心を形にしたような人である。

 私がオカ研にずるずると居続けてしまうのは、真昼先輩の存在も大きい。


「ってか、またなんで虎丸(とらまる)君もいるの?」


 プリンの登場に喜ぶのも束の間、今度は真昼先輩の隣にいるジャージ男のことが気に掛かっていると、萩野先輩が男の正体を難なく口にする。


 真昼先輩と萩野先輩、それから由威の三人は高校が一緒という共通点がある。

 この三人は三日月大学ではマイノリティ派である三日月島が地元の人達で、そもそも本島には三校しか高校がないこともあって、三日月島出身の連中なら大体は顔見知りらしい。


 そんな訳でオカ研はある意味三日月島出身の地元っ子達だけで回されている非常にジモティーなサークル活動であるのだが、それはさておき。


 今、気にしなければならないのは真昼先輩と一緒に現れた、虎丸と呼ばれた黒ジャージ男である。

 萩野先輩や真昼先輩の知り合いとなれば、地元繋がりの仲の線が濃いだろう。


「お疲れ様っす、マリ姉。此処への用なんて、そりゃあ一つしかないっすよ」

「うーん、会長に会いに来たとか?」

「あ、俺たち今、絶交の危機到来なんすよ」

「え゛!?あの人、虎丸君と喧嘩してるの!!?」

「マジっすよ。あの人、珍しくやりやがったんで。折角のチャンスだっていうのに指くわえて逃げられてるとかマジ意味わかんね」

「ほわ~~~ガチギレじゃん。虎丸君をここまで怒らせるとか、らしくないな〜」


 ぽんぽんと軽快に交わされる会話には、昔馴染み特有の気安さがある。

 全く話の内容は分からないのだが、どうもオカ研の会長とこのジャージ男は仲違いしているらしい。


「そんで、お前が会いたがってる人っていうたら()()()になるけど、本当に合ってんのか?」


 暫くは続きそうな二人のテンポの良い会話を見守っていると、そこへ真昼先輩が割って入ってきた。

 しかも何故か、(おもむろ)に私に向かって親指をくいっと向けてくるというオマケもつけて。


「刀矢と仲がいい『ヒマリ』って名前の子といえば、あの子しか思いつかんわな」


 ポヨンとした丸い顎を掻きつつ、真昼先輩は首を捻る。だが、先輩も私を指名している割には戸惑いが見える。『自分で言っておいて何だが、本当にコイツか』と言いたげな顔つきだ。


 かくいう私も突然指名されて吃驚してるし、見も知らぬ黒ジャージに探されたと聞いて余計に困惑が深まるばかりだ。


 三日月島に来てまだ二ヶ月しか経っていないのだから、忘れてしまった顔見知りなどもいないはず。

 だが、やっぱり穴が開きそうな程に男の顔を見ても覚えがない。ここまで一つもピンとこないのだから、十中八九、今日が初対面の筈だ。


 黒ジャージ男は真昼先輩に私を目当ての人物だと紹介されるや、くりっとした猫のような目を一瞬で和らげるとあっという間に私の前までやってきた。


 旋風のような俊敏さでやってくるや、がしっと両手首を取られてブンブンと上下に振られる。

 巨漢の真昼先輩の隣に居たから気づかなかったが、この男、ものすごく背が高い。それに運動部に入っているのかジャージに包まれた体は肉厚だ。恰幅が良いというよりかは、ガタイが良いが適しているだろう。いざ前にすると圧迫感がある。


「初めまして! 俺、虎丸っていいます! お会いできて光栄っす!!」

「あ、うん、はじめまして?」


 虎丸と名乗った男は本当に出会えて感激だと言いたげに頬を紅潮させて、興奮で潤んだ眼差しで私を見下ろしてくる。まるで推していた芸能人に出会えたファンのような熱烈な喜び具合を披露されて、ここまでされる心当たりが分からず若干腰が引けてくる。


 だが、無邪気に両腕を取って振ってくる虎丸とやらにクエスチョンマークをぼけぼけと飛ばしていられるのもこの時までだった。


「もうなんで本家からすぐに帰っちゃうんすか〜!俺、ヒマリさんの話を聞いてすぐに戻ったのに、着いたらもう居ないなんてショックだったっす。俺、本当にヒマリさんにお会い出来るの楽しみで!!」


 刹那、目が僅かに遠くなる。


 覚えなんて先程までは本当になかったのに、彼の拗ねたようなその発言を聞いた瞬間、私の脳裏に過ぎったのは月夜のステンドグラスが上部に填められた出窓の下で優雅に微笑む見事な着物を纏った老女の姿で。

 老女から少し離れた場所には、捨てられた人形のような空虚な眼差しでこちらを見据えてくる麗人が(こうべ)を垂れる。


『姫様、お迎えに上がりました』


 それは空耳だと分かっているのに、僅かにトリップしていた私は気づけば男に掴まれていた両手を振り払っていた。


「え?」


 私に両手を振り上げられた虎丸は、猫のように吊り上がった目を更に丸くする。


 何故、急に私に振り払われたのかが分からないと言いたげな彼の戸惑いを受けつつ、こちらも突然に見た白昼夢と現実が混ざったとも言い訳も出来ずにそのまま微動出来ない。


 二人、時が止まったように身じろぎせず、空気が徐々に気まずさを帯びていく。


「こ、こら虎丸!初対面の女の子に慣れ慣れしすぎだよ。ごめんね、陽葵ちゃん。この子、悪い子じゃないんだけどちょっとデリカシーがないところがあって」


 そこへ天の助けの如く、固まったように動かなくなった私達を仲介するように動いたのは萩野先輩だった。わたわたと腰掛けていたパイプ椅子から立ち上がってこちらへと先輩が向かってくるのを眺めて、この場はなんとかなりそうだと安堵に顔を緩める。


 だが、その気の緩みが仇となった。

 萩野先輩が駆け寄るも前に、何故か私と同じようにフリーズしていたはずの虎丸が弾かれたように私の右手を再び掴んだ。


「え!?」と急な展開に驚くまもなく、捕まれた手首から走る痛みに顔を顰める。


 流石に今度は流されるままではいけないと声を上げようとすると、虎丸の瞳が日本人特有の焦げ茶色の瞳から金色へと瞬く間に染まっていく瞬間を目撃する。


(そんな······。折角、日常に戻ってこれたのに。由威がコチラへ帰してくれたのに)


 咄嗟に思い浮かんだのは、黄泉戸喫(よもつへぐい)について語る由威の姿だ。

 黄泉の世界のものを食べてしまったらこの世には帰ってこられないという話になぞらえて、超常現象の類のことや私が知らない自分のことを知ってしまったら、もういつも通りの日常を送ることはかなわないのだと教えてくれた。


 私はなんとかあの糸乃邸を抜け出すことに成功したけど──そもそも踏み入れた時点で本当は詰んでいたんじゃないか。


 過ぎった予感に血の気が引く。


 けれど、私の気持ち半分を見抜くようにやけに一つ一つの動作がスローモーションで見える中、虎丸の私の手を掴んでいない方の人差し指の爪が急に鉤爪のように長くなった。有り得ない超常現象の連続に、口が歪の形を描いて止まる。声は喉奥で縮こまっているのか、発声は無い。


 異常な虎丸の様変わりっぷりにそうやって惚けていると次の瞬間──彼は掴んでいる私の手首の腹を鉤爪で掠めた。


 ぴりっとした痛みがあったかと思えば、縦に真っ直ぐと赤い線が入る。

 ついでぷっくりと膨れあがった血が肌に浮かぶ。


 間違いなく何かしらの意図を持って作られた傷跡に、漸く「え?」と声が出る。

 だが、諸悪の根源は傷を負わせただけで飽き足らずに何故か自分の口元まで私の手首を持って行くと───血の浮かぶ傷にぺろりと舌を伸ばして舐めた。


「・・・・・・うげぇ。獣の味がする」


 そして、あまりにも意味不明の展開の末に告げられたのはそんな失礼極まる発言で。

 虎丸の不味そうに顰めている顔を認めたその時、とうとう私は反射のように振り上げた左手を不届き者の頬へ炸裂させていた。


 ぱちんと頬を打つ甲高い音が部室中に響き渡った。


 

※他人の血液は病気のもとになりますのでお気を付けください。

次話は校正が間に合えば、明日の昼頃に投稿を予定しております。

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