繋げてはいけない運命4
※前回のホラー回の続き
今回のホラー回はこれで最後です
三節目からホラー抜きのシーンになります
男と視線があった瞬間に、この場から音が消えたような気がした。
体の奥が急に熱くなって、肚の奥からフツフツと何かの衝動が沸き起こってくる。
最初に痛みを覚えたのは目元だ。
泣き腫らした時と同じくらいの熱と痛みが両目をぐるりと囲っている。もし、このまま熱が引かなかったら失明してしまうんじゃないかと恐れるほどで、目は見開いているはずなのに焦点が合わない。
目元の熱が収まる間もなく、次いで頭が鈍い痛みに襲われた。
インフルエンザに掛かったとしても此処まで割れるような痛みではなかったはずだ。頭というよりかは、脳自体が針の筵に包まれてしまったんじゃないかと思うくらいにチクチクと痛い。あまりにも直接的な痛みに、眦からほろりと涙が零れた。
痛みのせいか、喉がずっとギュウギュウと引き絞られている。
もしかしたら、唸り声を発しているんじゃないかと懸念して口元を引き結ぼうとするが、頭の痛みによってなかなか閉じてくれない。
それよりも、頭の方がどんどん痛みが増して行く。どうにかならないかと抱えてみるも、一向に痛みが収まる気配はなかった。
苛む痛みの最中、遠くから由威らしき声が聞こえてくる。
音なんて直ぐに聞こえなくなったはずなのに、何故か彼の声だけは入ってきていた。
けれど、何を言っているのかが分からない。
一言も言葉として認識出来ない。
彼の声が、ただただ耳に入ってくるだけだ。
気を晴らすようにいつの間にか閉じていた目を開くと、視界には真っ白い糸のような物が入った。
束のように上から伸びているソレを手にすると、柔らかな毛束の感触がする。引っ張ってみると、僅かばかりに鈍痛とは違う痛みがおでこの際に走った。
ということは······これは、私の髪?
両手で左右から垂れる真白くなった髪の束を掴む。
腰ほどまで伸びるそれは、間違いなく私のものだ。新雪のように真っ白いのに何故か光沢がある。
まるで、白髪というよりかは、絹糸のようだ。
一体、何が自分の体に起きている?
分からない。
分からない。
分からない。
今から、自分がどうなってしまうのかも分からない。
段々とぼやけていく視界の中で、散々に私達を追い詰めてくれた怪物が映る。
怪物は体のあちこちから生やした触手を何故か今は縮こませて、何かから身を守るように全体的に体積を小さくさせていた。
あれ程に絶望的な恐怖を抱かせてくれた怪物が、怯えるように三眼を細くさせて様子を伺っている。
(不浄だなぁ)
不意にポツリと心中に落ちたのは、場違いな程に今更な感想だ。
恐らくそんな感想を抱いてしまった理由は、玄関口から差す月光に怪物が照らされたことで、よりヘドロ特有の粘り気のある表面がツヤツヤと見えて、際立つ不衛生さに嫌悪を抱いたからだろう。
──瞬間、パァンと空気を張ったような音がした。
音ともに、一瞬にして怪物の姿が胡散する。
それは、本当に突然の事だった。
ただでさえ痛みで開いていた目を、更に見開く。
しかし、そこにはもう私達をいたぶろうとした怪物はもういない。
急に軽快な音がしたかと思ったら、目の前から怪物が跡形もなく居なくなった。
あまりに荒唐無稽な出来事に、頭や目の痛みも一瞬だけ忘れる。
信じられない光景に呆気に取られて瞬きをしていると、次いで視界いっぱいに映ったのは月光を背負っていたあの男だ。
鼻が触れ合いそうなほどな距離にある間近な端正な顔に、自然と眉間にシワが寄る。
私は由威に抱えられて宙を浮いているはずなのに、どうしてこの男も目線を同じにしているのだろうか。
だが、そんなことがどうでもよくなるほどに体が倦怠感に包まれていて、意識が少しづつ混濁してきていた。
だから、男がそっと手を伸ばして私の色の抜けた髪を触り、角張った指の背で目元に触れ、感慨深そうに吐息を吐いたとしても抵抗はできなかった。
「絹の髪、アルディア語で埋め尽くされた赤い灼眼、すべからく邪気を払う神力······間違いない、彼女は糸乃の血を引いている」
相変わらず、音が聞こえないので男の動く口元を見続ける。
何を言われているのかは分からないが、多分聞こえたところで理解出来る気もしなかった。
そもそも怪物と出会ってからというもの、私が理解出来たことなんて一つも無いのだ。
それどころか倦怠感も手伝って、こうやって一つ一つのことを吟味することも面倒くさくなってきていた。
私の顔や髪を繊細な手つきで触れていた男は、一頻り確認し終えて満足したのか、やっと触れることを止める。
そして憮然とした面持ちを解くと、とびっきりの宝物を見つけたとばかりに顔を綻ばせた。
その笑顔はきっと──浮かべている男ですらも気づいていないだろうと思わせるほどの満面の笑みだった。
「おかえりなさいませ、姫様。お迎えが遅くなりましたね」
「······え?」
何故かその言葉だけは、耳に入ってきた。
突然聞こえたものが自分に宛てられたものには到底思えず、間の抜けて、かさついた声が口から転がり出る。
何故、そんな顔をして、そんなことを名前も知らない男に言われなければいけないのか。
全てが意味不明だと突っぱねようとするが、一音限りの発声が限界だったのか、もう喉からは少しも声は出てきそうにない。
それどころか緩やかに落ちていく意識に抵抗も出来ないまま、私はそこで気を失ってしまった。
☆★☆
幼少時の私は兎にも角にも、迷子になりやすい子どもだったらしい。
人一倍好奇心が強くて、興味のあるものには近付かないと気が済まないきかん坊だったから、かなり手のかかる娘だったと思う。
特に観光地は危険で、人の群れを一緒に泳いでいたと思ったら抜けた頃にはもういない。
何処ではぐれてしまったのかも分からなかったから余計に肝を冷やしたと、高校に入る前に笑い話として両親に聞かせてもらった時には、引きつった顔で「覚えてないや」と逃げるぐらいしか出来なかったものだ。
そんなお転婆娘だった頃の夢を、大学の受験勉強をし始めた頃からごく稀に見るようになった。
舞台は、京都の嵐山だろうか。
涼やかな竹林に挟まれた小径に、まだ大人の腰ほどしか背のない少女がポツンと途方に暮れたように立っている。
ビビットピンクのキャミソールに、黄色のキュロット。足元を覆っているのは日曜の朝からやっている魔法少女モノのキャラクターが施されたシューズだ。
頭上で高く結われたツインテールにはビー玉のような髪飾りがついており、もし迷子になったとしても説明しやすそうな服装となっている。
両親の工夫の賜物だろう。
迷子になることを前提に仕立てあげられていることには一先ず目を瞑るとして。
少女は子ども特有の大きな両目を不安で揺らし、キュロットの裾を握り締めていた。
もし、私がその場にいたら「お父さんとお母さんは?」と聞いてあげたくなるようなThe迷子っぷりであるが、不思議なことに竹林には人の姿が見当たらない。
まだ、お昼になって間もないだろう日の高さなのに、此処には少女がポツンといるだけ。
テレビ等で特集されている時は、どの時間帯に行ったとしても一定の観光客でこみちは埋まっていたはずなのだが、何故か今は何処にも生き物の気配がなかった。
「ぽ?」
少女から目を離した刹那に、いつの間にやら少女の背後を陣取るようにして大柄な女が立っていた。
純白なワンピースとお揃いの唾の広い帽子から伸びる長い黒髪を見る限り、それは恐らく女なのだろう。
少女は自分に覆い被さるようにして見下ろす大柄な女を振り返り見上げて、コテンと小首を傾げる。
「なあに?」
あどけない少女は、女が何か自分に用があるのだろうと尋ねる。
「ぽ、ぽぽぽぽぽぽ」
「どうして、『ぽ』としか言わないの?」
「ぽ、ぽぽぽ」
「変なお姉さん······」
大人であれば女の異様さに気付くのだが、まだ物事の善悪がついてない幼子の私は気にもとめない。
唾が広い帽子から意志を持ってじわりじわりと広がっていく黒髪にも気づいてないようで、少女はくるりと女へと向かい合った。
「お姉さん、お父さんとお母さん知らない?なんか、勝手に迷子になっちゃったんだ」
「迷子になったのはお前だ」とその場にいたら盛大にツッコミを入れてやるのに、悲しいかな、今の私にはこの場に駆け付けることも出来なければ、声を発することもしてやれない。
表情が帽子の下に隠されているせいで、大柄な女がどんな顔をしているかは窺い知れない。
だが、不意に少女へと差し出された右手が、迷子を親元へと返してやろうという親切心からきてないことだけは確かだった。
しかし、自分に都合のいいようにしか物事を解釈できない少女は、何の疑問も持たずに差し出された手を見て花を飛ばすような笑顔を浮かべた。
この手を取れば、両親と再会出来る。
そう信じきっている少女の両手が、女の差し出された手を掴もうとしたその時──。
「陽葵!!!」
もう一年ほどは聞いてないだろう懐かしい男の声が、少女の名前を鋭く呼ぶ。
少女はその声にはっと素早く反応して、女に再び背を向けた。
「お父さん!!!」
少女は喜色に溢れた声で探し人を呼ぶ。
大女から逸らされた視線の先にいるのは、写真でしか見たことがない若かりし父の姿だ。
少女から意識を外された女は、帽子の唾の下から父親を見つめている。
顔を上げたにも関わらず、不自然な程に目元に影が掛かっているせいで、表情は一つも読み取れそうもない。
女の唯一晒されている口元が、何かを発しようと象る。
だが──その瞬間、女の姿は胡散した。
まるで、廃病院であの怪物が消えてしまった時のように。
「陽葵は本当に迷子になるのが得意だな」
「ちがうよ。迷子になったのはお父さんたちだよ」
「はははっ!そっか、迷子になったのはお父さん達か!!」
跡形もなく邪悪な存在感を放っていた大柄な女が消えたというのに、幼少期の私は父親へと抱きついて、えへへと嬉しそうに笑う。
元から大女など居なかったというように再会を喜び合う二人は、もう離れないようにと固く手を繋ぎ合った。
「さあ、お母さんのところに戻ろうか──っと、その前に。陽葵、ちょっとお薬を飲まないとだな」
少女の手を引いて元来た道へと戻ろうとしている父親は、何かを思い出したというように肩から提げている木綿の鞄へと手を突っ込む。
そこから取り出したのは百均で売っていそうなピルケースと自販機かスーパーで買ったのだろうペットボトルのお茶だ。
「えぇ〜またお薬〜?」
少女は納得いかないとばかりに、父親が開けたピルケースの中身を覗き込んで口を尖らせる。
「そうだよ。これを飲んでいたら何にも怖いことはないからね」
「う、ううん。分かった、お薬飲む」
「偉いぞ〜。ちゃんと飲めたら美味しいバームクーヘン買ってあげるからな」
「本当!?やったー!!!」
子どもの頃から何かと現金な性質だったようで、目の前にご褒美をチラつかされると直ぐに飛びついていた。
我ながら、何度痛い目を見ても進歩がないのだから、もうこの性質ばかりはどうしようもないのだと思う。
父親と少女の一件落着を迎えた光景を最後に、景色が段々と真白い霧へと包まれていく。
この記憶に留まれるタイムリミットが近いのだと告げるように、乳白色に染まった視界に目を凝らそうとして──私の意識は再び遠くの彼方へと引きずり込まれた。
☆★☆
目が覚めたら、見知らぬ天井が視界に入った。
物語の冒頭になりそうな一文を零しつつ、ふわりと全身を包んでいる布団から身を起こす。
まだぼんやりとしてはっきりとしない意識を抱えたまま、いつもの癖でヘッドボードの辺りをわさわさと顔も向けずに片手を彷徨わせる。
(大体、この辺に置いてあるんだよね。ってあれ?全然スマホがある感じがしないんだけど・・・・・・)
いつもの横着をしても見つからないスマホによって、徐々に意識が覚醒してくる。
私は再び、身の回りをぐるりと見渡した。
十畳はあるだろうか。
部屋の奥に設置されたベッドを起点として、出入口だろう扉の近くに置かれた40インチはありそうな大型の液晶テレビに、三人は座れそうな見るからにフカフカしているソファにはオットマンもついていて、L字になっている。
ガラス製の机には茶請けが置かれており、その真上ではシーリングファンがくるくると回っていた。
こういう生活感のないモデルハウスとか、たまに駅ビルでのポスター見たなぁと若干の現実逃避をする。
キャッチコピーで『ラグジュアリーな空間』とか『駅直結で雨にも濡れない』とかそういう感じの装飾的なフォントが踊っていそうなポスターを高校に通学していた頃にはよく見た気がする。
三日月島にはあまりタワマンがないので、すっかりそういうギラギラとしたチラシを見なくなったけども。
あまりにも自分の置かれている状況が理解出来ず、どうにかスマホだけでも見つからないかとジーンズのポケットに手を突っ込んだら、かちりと硬い感触がした。
薄っべったい無機質なブツを引きずり出すと、それはお目当ての型落ち品で手に入れた私のスマホだ。
急いで電源を入れると、近所の猫が顔を洗っている姿がぼんやりと画面に浮かぶ。いつ見てもクロちゃん(勝手に命名)は可愛い。
暫し、ロック画面のクロちゃんに癒されるも、そんなことはどうでもいいと頭を振って、ロック画面に表示された時計を確認する。
画面に浮かび上がった日付は由威に心霊スポットへと連行された日の翌日となっており、時間は10時23分とある。
つまり、今の時刻はあの時から九時間近くは経っていて、私はその間にこの見覚えのない部屋に運ばれて呑気に睡眠を貪っていたということだ。
しっかりといつも通りに八時間以上も睡眠を摂取しているあたり、自分もなかなかに図太い。
他に何かめぼしい情報はないかとモデルルームのような部屋を見渡していると、コンコンと控えめなノックが鳴った。
「はい!」
反射で元気よく返事をしてしまう。
もし、これが私を監禁した犯罪者だったらどうするんだというツッコミが遅れて思い浮かんだが、それも扉の向こう側から現れた美女によって忽ちに消え去ってしまった。
「失礼します。お加減は如何でしょうか?」
艶やかな黒髪を綺麗に結い上げた着物姿の女性は、ドラマの世界から飛び出してきたのかと思うほどに整っている。
清楚系の女優として売り出したら今季のCMでクイーンになり得そうなその女性は嫋やかに微笑んで、布団から起き上がっただけの不作法な私へ丁寧に体調について尋ねてくる。
「い、いえ!何も問題はありません!」
「そうですか。大事無いようで何よりでございます。お腹の方は空いていますでしょうか」
「お、お腹の方ですか?」
途端、ぐーきゅるきゅると聞いたこともないような不思議な音が私達の間に割って入った。震源は最悪なことに私の上半身、もっといえば胃腸あたりである。
まさかの空腹度合いを胃腸が返事をするという珍事態に私も美女も暫く黙り込んだ。
しかし、美女はとてつもなく人間が出来ていた。
「それではお食事をお持ちしますね。アレルギーなどはございませんか?」
「何にもないです!」
「承知しました。それでは、失礼しますね」
笑うわけでもなく、かといって困るわけでもなく。
浮かべていた微笑を一つも崩すことなく、淡々と用事を済ました美女は静かに戸を締める。
来訪から場を辞すまで、全てがスマートすぎてもはや感動さえ覚えた。
次回も明日のこの時間くらいです。