繋げてはいけない運命2
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車窓から見える景色が山奥特有の陰鬱な木々ばかりしか映し出さなくなった。
太陽はとっくに地平線の下に隠れてしまい、天上には突いたら割れてしまいそうなほどに細い三日月が掛かっている。
時刻は日が変わる十分前ほど。
夜も更けたと言ってもいい真夜中だ。
由威が借りてきたコンパクトカー内では、彼厳選だというJPOPが流れている。お店でたまに流れるラジオで確かに聞いたことがあるなというバンドの曲が今は掛かっていた。
これが彼氏とのドライブデートであれば興も乗っていたのだろうが、残念なことに今回のメインは廃病院の探索という名の心霊スポットツアーだ。
しかもその相棒は、諸悪の根源ともいえるサークル仲間ときている。
私のテンションはずっと円のレートと同じくらい低迷し続けているのも無理は無い。
「由威ってさ、そもそも都市伝説とか興味あったっけ?」
「ううん。どっちかっていうと俺の専門はエクソシストとかだよ」
「嫌な西洋のかぶれ方してる······。じゃあ、やっぱり深瀬病院の調査とかしなくても良くない?」
一口にオカルトといっても、その分野はとてつもなく広い。
たとえば、日本人はオカルトといえば多くの人が『幽霊』や『怪談』といった死者を連想しがちだが、アメリカなどの欧米でメジャーなのはエイリアンだ。
これは日本人の独特な死生観ゆえなものだったり、欧米人の半端じゃない宇宙への執着が原因だとよく言われがちだが、要は文化の違いからくる差違だ。
もちろん、これはカルチャーレベルな話ではなく、オカルト研究会に属する会員達の趣味嗜好にも当てはまる話である。
例えば、私の横で運転している暢気面の男は西洋の悪魔祓いであるエクソシストにお熱で、私が今回の地獄探索に引き込もうとした一つ上の先輩は柳田國男の影響で大の妖怪好き、由威に付き合って貰おうと生け贄に差しだそうとした人が良い真昼先輩に至っては、オカルトに分類される物には片っ端から手を出している雑食だ。
要は、それぞれに興味分野があり、ウチのオカルト研究会では思想の自由をモットーに掲げていることもあって、好きに研究することが推奨されていた。
ならば──このアホ面の運転手もモットーに則って、エクソシストに纏わる研究をしてくれたらいいのに。
なのに、今回は何故か守備範囲外の都市伝説への調査にいたく前のめりだ。大きな巻き添えを食らっているこっちからすれば非常に迷惑な話である。
「いや、調査は絶対必要なんだ」
「なんでそんなに頑ななの。だって正直、由威もこういう和製ホラー苦手でしょ?GWのホラー映画鑑賞会でテレビから出てくる貞子に気絶しそうになってたじゃん」
「貞子、マジで半端ないよな。俺、あの日は一人で風呂入るのもトイレ行くのも怖くてしょうがなかったもん。だからショウちゃんに付き合って貰った」
無駄にキリッとしたキメ顔で言われるが、内容は情けなさの極みでしかない。
十中八九、由威の駄々に押し負けて付き合わされたのだろう。よくこの男と友人付き合いを続けられているものだ。
「じゃあ、なんで深瀬病院の調査をすることにしたの?」
「······まぁ、たまたま興味が出て。エクソシストの研究も行き詰まっていたし、たまには趣向を変えるのもいいかなって」
急に由威の歯切が悪くなる。
ルームミラーで様子を盗み見してみると、明らかに目が泳いでいるのが見て取れた。
どう考えても怪しいと、私の第六感が告げている。
もっと具体的な予感を述べるとしたら、クソくだらないことに巻き込まれそうになっているぞと、もう一人の自分が声高に叫んでいる。
「ダウト。ちゃんと本当のことを言ってくれないなら今から車を降りて街に帰ります」
「流石に健脚なひまちゃんも此処から歩いて帰るのは無理だよ。電車やバスは通っていないし、勿論タクシーもこんなところまでは来てくれない。俺の車に乗った時点でひまちゃんはもう詰みなんだ」
声高らかに最低なことを得意げに由威は言い放つ。
本当にどや顔がいちいち鼻につく男だ。
「真昼先輩がなにかあったら電話してくれって言ってくれてるんだよね。だから、先輩タクシーで帰るわ」
「うげっ!?真昼先輩、そんなフォローをしてたの!?先輩マジでイイ人すぎるし、平然と先輩をアッシーにするひまちゃんにも吃驚だわ!!」
「ってことで車止めて。私帰るから」
「ちょっ!!サイドブレーキに手を伸ばすな!事故っちゃうでしょ!?」
「じゃあ止めてよ。なんかしょうもない用事に付き合わされている予感しかしないから家に帰る」
「しょ、しょうもなくないよ!?俺にとっては超大事な用件!!」
片手でハンドルを切りながら、もう片方の手でサイドブレーキに手を伸ばそうとする私を牽制する由威が必死な顔つきで宣言する。
もう引くに引けないと暗に告げている由威を見上げつつ、私はジト目のまま確信に迫った。
「その用件って言うのは?」
詰めるように前のめりで深追いする私に、奴はごくりと息を飲む。
私達の間に僅かばかりに沈黙が落ちて、空元気な応援ソングが車内で響いていた。
しかし、私の痛くなる程に突き刺す視線に流石に由威も我慢できなくなったのか、漸く重たい口を開く。
「······ショウちゃんが深瀬病院から無事に帰ってこれたら『モーント女学院』と合コンを開いてくれるって約束してて──って!あ!?コラ!!だからサイドブレーキ狙うんじゃないの!!」
「思った通りしょうもない用件じゃん!!そんなんのためなら一人で行け!!」
思った通り、くそしょうもない理由からの心霊スポット巡りだった。
女子と合コンするために一人で行けもしない廃病院に女友達を連れて行こうとしている時点で、合コンの結果など分かりきっているというもの。
「だから、彼女が出来ないんだよ」と真実を口走りそうになって、慌てて口を噤む。
危ない危ない、正論が時に人を傷つけることを失念していた。
「ひまちゃん、何かもの言いたげだね」
「顔は良いのに独り身なのにはやっぱり理由があるんだなって······あ」
「なんか『言うつもりはなかったけど言っちゃった』って顔してるけど、それ普通に目が物語っていたからね。何なら『真実を言うのは可哀想だからやめておいたのに』って体で手を合わせてきてるけど、何にもそれ謝罪になってないからね」
「由威にも良いところはあるよ······多分」
「哀れんだ顔全開で肩ぽんされても何の慰めにもならないんだけどさ」
一応、フォローはしておくかと言ったものの、現時点でこのあんぽんたんの良さは欠片も思い浮かばない。
騙し討ちのようにオカ研に入会させられて、抜けるから退会書を渡せと凄めば「ひまちゃんが抜けると部室を文化会から取り上げられちゃうんだ」と泣き落とされ、そうやって言いくるめられているうちにオカ研を辞められなくなった挙げ句の果てに、深夜の心霊スポット巡りに付き合わされている身としては当然の結果と言えよう。
☆★☆
三日月島の上部の湾曲した部分に『菖蒲山』という低山がある。標高は約600m程で、ハイキングコースがほどほどの難易度として余暇を持て余しているお年寄りから大人気だ。
その菖蒲山の中腹に位置するのが、我々の目的地である深瀬病院だ。
明治時代に開院してからは専ら、当時不治の病として有名だった結核患者を専門に診ていたようで、治療のみならず療養所としての一面も担っていたらしい。
だが、院長や他の医療従事者も結核に罹患したことで院内は全滅。
これ以上病原菌が拡散しないように浄化も兼ねての焼却案もあったようだが、山火事を恐れたこともあってその案は見送られ、生身で打ち壊しに赴いて病を拾って帰ってくることも敬遠されたため、現在も廃屋としていまだ顕在しているらしい。
失意の内に結核に倒れた院長の霊は、己が死んだことにも気づかずに今も深夜回診を続けている。その両手に既に機能を失った肺を取り出すためのメスを携えて──というのがネットで拾った大まかな都市伝説の概要だ。
「当時の結核治療って栄養をつけるための投薬しか治療法がなかったんじゃなかったっけ?」
「そうでもないよ。むしろ有効な内科治療法が確立されていなかったから、肺の一部を切除することもあったらしい」
「へー。じゃあ、深瀬院長がメスを持って彷徨いているのは可笑しくないことではないんだ」
「そうだね。ただネットの噂だとチェーンソーを持っている場合もあるらしいけど······しかも13日の金曜日限定で」
「それ、絶対違うやつが混じっているよね」
「俺、ああいうパニックホラーとかもあんまり得意じゃないんだよね」
「もう帰ったら?」
どう考えても心霊スポット巡りをするには貧弱すぎるスペックだと思われるのだが、脳が下半身に支配されている阿呆は私の至極もっともな提案を無視する。
結局、帰ることも出来なさそうなのでしょうがないとばかりに目的地の情報をスマホを使って暫く収集していると、車が緩やかに停車した。漸く待ち望んだサイドブレーキが引かれ、エンジンブレーキが『P』に入る。
かちっと音をたてて車のエンジンが落ちた。途端に車内に響いていた由威選曲のJPOPが鳴り止み、静寂が車内を包む。
エンジンを切るや、由威はちんたらとスマホを弄り始めた。運転中はスマホを弄れなかったので、連絡のチェックでもしているのだろう。
だが、由威のペースに合わせててもしょうがない。
私は私でフィールド状況でもみることにしようと、財布と化粧ポーチが入っただけのショルダーバッグを肩から提げるや外へと繰り出す。
外を出た瞬間に刺すような冷気を含んだ風が出迎えてくれた。季節はもう六月の中旬に入りかけているというのに、夜中の山間はまだまだ冷え込んでいる。念のためにと薄着のジャンパーを羽織ってきてて良かった。
地面には短く雑草が生い茂っていて、シューズの底が踏みしめる度にキュッと音をたてる。月でも見えるかと見上げてみると転々と植わっている杉が夜空を覆い隠しており、山の中だというのに閉塞感があった。
「う~~~。山の中だから六月といえども寒いなぁ。カーディガンとか持ってきたら良かった」
パタンと反対側から扉の締まる音がする。漸く降りてきたかと思ったら、探索する前から由威がブーブーと文句を言っていた。うっとうしいこと甚だしい。
「病院ってアレだよね?」
「アレだろうね。衛星写真でも見たけど本当にまんまで残ってるんだな」
私が指さした先にあるのは、蔦が好き放題に外壁を走っているものの、崩壊することもなく聳え立っている豪邸のような建物だ。現代人の私だと病院と言えば真白い四角の建物に塔屋に飾られた『○○病院』の看板といった近現代的な建物を想像しがちではあるが、まだ明治時代の頃は洋風じみた建築物の方が主流だった。
だからこそ、余計に迫力がある。
今にも何かしらがぬっと闇の中から這いずり出てきそうな不気味さが全開だった。
由威は意外にも覚悟を決めきっているのか、スマホでライトを点けると玄関口へと軽い足取りで向かっていく。車内に居るときはあんなにもビビり散らかしていたというのに。なんだかんだとへたれた部分が目立つ男ではあるが、ここぞというときは意気地を見せてくる。
多分、由威の良いところはそういう思い切りの良さなんだろう。
仕方なく由威の後を追って、私も廃病院へと近づいていく。
玄関口は端っこの方はぐずぐずに腐食していたが、観音扉の形は残っていた。元々は真白かったのだろうステップは何人もの不埒者の訪れによって大小様々な形の足跡がついている。観音扉も僅かに隙間が空いていて、定期的に出入りがあることが伺い知れる。
「あ~、こりゃあ入りたい放題だね。流石に南京錠とかは付けた方が防犯的にも良いかも」
「現に今から私達に侵入されるわけだしね」
「本当にそう。都市伝説の正体って実はこういう治安の悪化から発生した犯罪の場合もあるからさ。誰も近寄らない場所なんか犯行現場に丁度良いし」
さらりと入ることが躊躇われるようなことを言いつつ、由威は悠々と観音扉を通り抜けていく。
一方で、余計な死亡フラグを立てられた私の気分は下降の一途の真っ最中だ。
もし、由威とそろって何かしらの犯罪の巻き込まれそうになったら奴を捨て置いてでも逃げねば。
薄情者と罵られたって良い。力も無く、何の特殊な能力も持ち合わせていない私の場合、自分の身を守るだけで精一杯だ。
「ひまちゃーーーん」
「今いくよ!」
だから、今日はいつもよりも周囲に気を払いながら廃病院を巡って、こんな陰気くさい所からはさっさとおさらばしよう。
半ば自棄のようにそんな決意をして、私は観音扉の隙間へと身をくぐらせた。
☆★☆
部屋内は案の定真っ暗で、本日が三日月なこともあり自然光は全く頼りになりそうもない。
由威のスマホのライトが部屋内を一周するように照らす度に、細かな埃がキラキラと舞っているのが映し出される。今からあそこへ行かなければと思うだけでゲッソリとする。
埃舞う廃病院内は、当時使用された設備がそのまま放置されているようで老朽化で腐食していなかったり、塵さえ被っていなければ今でも息づいているように見えた。
何かあった時のために逃走経路くらいは確認しておこうとするも、見渡す限りは玄関口の観音扉しかなさそうだ。
一応採光用の窓があるが、何故か鉄格子が嵌っていて、此処から抜け出すことは不可能そうである。
長い間、手入れもなく雨風に晒されたせいで錆だらけではあるが、今もしっかりと存在を主張している。
私達が最初に踏み入ったのは、受付のフロアのようだった。待合室も兼ねているためフロアの一角はソファ類が占領されており、目立つ位置には振り子時計が設置されていた。
流石にもう動いてはおらず、たまたまだろうが不吉にも『4時44分』を長針と短針が指したまま止まっていた。これがホラー映画の導入なら間違いなく、最初の山場のシーンになっていたことだろう。
黴臭い空気に混じって、古い建物故に冷気が底から漂っている。山の中よりもぐっと下がった気温のせいでさっきから肌がずっと粟立ちっぱなしだ。
「いよいよもって、病院の閉鎖理由が全滅なのも現実を帯びてきてきたな」
何やら怖いことを隣で零している由威の奴は、何故か私よりも怖がりなくせに率先として真面目に探索をしている。
「どういうこと······?」
「ほら、受付の棚に綴じられた冊子が入れられているよね?アレ多分、カルテだと思う。その他にも当時に発行されただろう医療書なんかも並べられてるな。明治はまだ書物だってかなりの貴重品だ。閉院したとしても、引っ越す時は一緒に持っていく筈なんだ」
「つまり、貴重品とかも置きっぱなしで、それは誰も持ち出す人が居なかったと考えられるからってこと?」
「そういうこと」
(妙に論理だった嫌な仮説立ててくるな〜〜〜)
普段のアホ面を引き締めて、受付の中へと入った由威が確かめようと冊子を手に取る。スマホのライトに照らされた冊子は長いこと放置されていたためにすっかり黴で真っ黒になっていた。
途端、生真面目そうに澄まされていた顔に嫌悪がじわじわと広がっていく。今にも「うげえ」とでも鳴きそうな由威は何も見なかったとでもいうようにそっと冊子を元に戻した。
しかし、流石に無かったことには出来なかったらしく触れた手をぶんぶん振っている。
「ひまちゃーん。エンガチョしてぇ」
「······エンガチョするくらいなら水道で手を洗ってきたら?ああ、でも明治だったらまだ此処まで水道は普及してなかったかも」
「万が一、あったとしても何十年と放置されてるから絶対赤錆だらけだね。余計に汚くなっちゃうよぉ」
「も〜仕方ないなぁ」
今にも半泣きになりそうな由威が両手を付き合わせたままやってきたので、「エーンガチョ」と言いながら両手の隙間に手刀を振る。
というか、エンガチョって若干ネタが古いな。
「ふぅ。やっぱりこういう廃屋って不衛生でヤダねぇ。適当に館内を見回って早く出よう」
「だね。あんまり長いこといるとハウスダストとかで喉やられそうだし」
「凄い舞ってるもんね。こんな所についてきてくれて本当ありがとう、ひまちゃん」
(本当によ)
今更ながらに着いてきたことに対してお礼を言われたが、欠片にも胸に響かない。多分、乗車中に言われていたらもう少し素直に受け取れたと思う。エンガチョした後に言われても一つも嬉しくない。
受付フロアは両サイドに扉があったので、取り敢えず右側から見てみようということになる。玄関扉よりは簡素な扉を開くと、その先は細長い廊下になっていた。
70cmも無さそうな縦長の窓が等間隔に並んでいるが、伸び放題の植木によって景色は遮られており、外の様子を眺めることは出来ない。
装飾も置かれていない無機質な空間が只管真っ直ぐと伸びている。
由威が光源役を担ってくれているので先頭に行ってもらい、その後に私が続く。勿論、何か起きた時は真っ先に由威を生贄にして逃げる気満々だ。
何処からともなく「ぴちょん」と水の滴る音がする。唐突な音に吃驚して、声もなく両肩を揺らしてしまった。
段々と本格的に心霊スポットツアーらしい雰囲気になってきたと顔を顰める。こういう雰囲気は昔から大の苦手だ。
ますます気分が萎えてきていると、前を歩いていた由威が僅かに顔を此方へと向けてきた。
「ちょっと吃驚したね」
「う、うん」
「水源は確実にあるっぽいね。何処かに井戸がある可能性も高い。もし結核患者と医療従事者が共用の水場を使用していたのだとしたらそこが感染源だったかもしれないね」
「うん」
取り留めのない話題を口にしつつ、不意に歩いていた由威の足が止まる。
立ち止まった彼につられて私も足を止めた。
どうして急に立ち止まったのかと高い位置にある由威の横顔を見上げていると、彼はその姿勢のまま片手を差し出してきた。
「手、繋ごっか」
そして、なんてことない声の調子でとんでもないことを投下してくる。
「······は?」
「人の体温って結構安心するよ。俺、あんまり体温高くないから、もしかしたら冷たいかもだけど」
「でも、多分こういう時はホッとするんじゃないかな」といつものように締りのない緩い笑顔で提案してくる。
だから、何にも感じてなさそうなその笑顔を見たことで、こちらも少しだけ走った緊張が一瞬で抜けてしまった。
完全に気遣いからきているだろう申し出だと分かったこともあり、気付けば差し出された右手に自分の左手を重ねていた。
由威の言う通り、握った手は氷のように冷たかった。乾燥のせいか少しだけかさついていて、昔何かのスポーツをしていたのか掌全体にタコのような硬い物を掌に感じる。
横並びになって探索を再開させようと歩き始めたが、廃墟探索よりもそっちの方に気持ちが持ってかれてしまっていた。
由威と出会って、はや二ヶ月が経つ。
最低な出会いを果たしてからというもの、彼の無駄に達者な口車に乗せられているうちに、いつの間にやら何かと由威が傍にいる時間は長くなっていた。
同じ大学の同じ一年生で、同じサークルに所属しているというだけで繋がっている奇妙な縁。
流石にもう友達認定はしているし、由威の無茶苦茶に振り回されることにも癪なことではあるが随分と慣れてきた。
お調子者で、ヘタレで、楽観的で、詰めが甘い、面の良さだけで何事も乗り越えてきたように見える男。
けれど、意外と周囲のことをよく見ていて、ここぞという時にはやるタイプで、実はちょっと頼りがいがある。
そして──思ったよりも己のことを話さない男だった。
よく喋っているイメージがあるものの、その内容は殆ど自分以外の他愛の無い話だ。
私は、この男のことで知っていることは多くない。
それはきっと、向こうも同じだと思うけど。
これは折角のチャンスだろうと思った私は、思い切って由威に掌のタコのことについて聞いてみることにした。
「昔、何かのスポーツとかしてた?」
「え?なんで?」
ところが、当の本人は全く心当たりのなさそうな顔で首を傾げている。本当に何も分かっていなさそうな顔をしていたので、豆のある箇所を親指でなぞってみる。途端、由威が「ぴゃっ」と変な声を上げた。
「ちょっ、ひまちゃん!?急にエッチなことしないでってば!!」
「してないわ!私が聞いてるのは掌全体にある硬いところについてなの!!」
「や、あの、その撫で方けっこうムズムズするんだけど······って、あ、これのことか」
「多分、それ」
「これは、剣ダコだね」
「剣ダコってことは、剣道とか?」
「そうそう。そんな感じ」
出会った日のバレーボールは時間つぶしにやっていただけだと、オカルト研究会の部室に連れていかれた日に聞いていた。
だが、よもや打ち込んでいたのはバレーボールではなく、試合相手へのお面だったとは。
ヘタレ野郎なのを知っているだけに、常に痛みと隣合わせである剣道の道を志している由威の姿が全くもって想像出来ない。
しかし、あのタコの付き方を見るにかなり真剣に取り組んでいたはずだ。
「男の子は皆、一度は長い棒を振りたくなるものよ。俺もたまになら振ってやっても良い」
そう言ってヘラヘラと笑う由威を見てると、どっちかっていうとバスケ部やサッカー部のベンチとかが似合うような気がしてくる。お遊びの勝負事は好きだけど、プライドをかけた堅苦しい公式戦とかはあんまり得意じゃない感じのプレイヤーの方がしっくりだ。
しかし、これで一つまた由威のことを知ることが出来た。
意外な一面に驚きはしたが、これはなかなかの収穫といえるだろう。
そうやって、自分達の話に花を咲かせていたのがいけなかったのかもしれない。
ようやく廊下の先に辿り着き、次の部屋へと繋がる扉を由威が開いたその先には──未知の生物がいた。