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合コンに呼んではいけない人5

仕事がたてこみ、一ヶ月ほどの遅刻ですがUPします。

ご査収ください。

 頑固な椿屋さんと時たま茶々を入れてくる運転手に翻弄される素敵な追跡ドライブはかなり好調に進んでいたのだが、やはり何のトラブルも起こらないというわけにもいかないらしく──。


 スズちゃん達を乗せたタクシーが差し掛かった時点で赤に変わってしまった信号により、一台の車を挟んで追跡していた我々は交差点で足止めを食らうことになってしまった。


 颯爽と信号より向こうへと走り去っていくタクシーに、つい席の間から身を乗り出す。最初にして最大の危機到来だ。


「どうしましょう!? このままじゃ、スズちゃん達のタクシーを見失ってしまいます!!」


 個人で追うには、ここまでが限界なのかもしれない。むしろ、タクシーの運転手も追跡に関しては素人なのにこんな所までよくぞ追ってくれたと讃えるべきだろう。


 取り返しがつかなくなる前にと、スマホをジーパンのポケットから取り出す。

 だが、完全に取り出す前にその手を抑えられた。


 私の手を抑えた犯人である椿屋さんに阻止する理由を尋ねようと顔を上げると、彼は真意の掴みにくい仏頂面で緩く首を振る。


 ただ、多分だけど椿屋さんには何かしらの考えがあるのだろう。

 私よりも頭が良いだろうことは間違いないので、彼を信じることにしてスマホから手を離す。


 私が何もしないと判断した椿屋さんは素早く懐から財布を取り出した。それがネットでしか見たことがないブルガリの折りたたみ財布だと分かった途端に脳内で算盤が弾かれる。いかん、苦学生の悲しい性がつい顔を出してしまった。


 苦学生の本能と戦っている私の傍らでは、椿屋さんが万札をチケットのように運転手へと差し出している。


「これでお願いします。足りた分はチップだと思っててください」

「え?お客さん、これ、チップにしては多すぎるよ」


 料金メーターをみると、運転手が声を裏返らせる理由も分かる。


 だが、引き止める運転手を振り切ってタクシーの扉を開けた椿屋さんは身軽な動きでとっとと外に出てしまった。

 私としても払い過ぎていることが気に掛かったが、モタモタしている(守銭奴)を促すように椿屋さんが外から手を差し出してくるので、本人がいいのならという気持ちでその手を取る。


 エスコートされるようにして外へと出ると、椿屋さんは私の手を取ったまま駆け出した。


「のわっ!?」


 一体、全体何事──!?なんていう無駄口を叩く暇などない。

 予告無く、急に走り出した椿屋さんに引っ張られて、つんのめりながらも足の早い彼を巻き添えにして転けないように必死についていく。

 考えの読めない椿屋さんの背広を見つつ、私は彼に全てを任せることにしたことを少しだけ後悔した。


「グッドラック!また是非ともご利用くださーい!」


 何処まで走っていくつもりなのかと自分のガンガン減っていく体力に冷や汗を感じていると、不意に背後から運転手の大きな激励が飛んできた。


 声につられるようにして首だけで振り返ると、まだ信号が赤いままなのか、同じ位置で停車しているタクシー。助手席の窓が開いており、上機嫌そうな運転手がニコニコと片手を振っているのが見えた。


(あのおじさんもかなりの曲者だったかも)


 むしろ、曲者だったからこそ、私の意味不明な注文に付き合ってくれたのかもしれないとも思う。

 何にせよ、今日乗り込んだタクシーがノリの良いおじさんのタクシーで良かった。






 タクシーの運転手に見送られつつ、駅が近いのに人っ子一人も見当たらない歩道を横切って、オフィスビルの間にひっそりと存在する路地へと二人して駆け込む。


 バタバタと辺りに響くのは彼の高そうな革靴と、私の一年履き潰したよれたスニーカーの二足分だけ。


 飛び込んだ路地は、車一台が通れるかというくらいに細い。路地の先は行き止まりになっているようなので、此処を通ろうとする人自体がそもそも少ないのだろう。


 まだ二回しか会ったことがない成人男性に袋小路へと連れ込まれたことへ不安を覚えるべきなのだろう。街灯もなく、明々と夜闇を照らしているのは24時間営業の自動販売機とポスターパネルが放つLEDの光のみ。

 そのポスターパネルに嵌っているのは、嫌な偶然なことに『知らない人について行かないように!』とでかでかとゴシック体で書かれた警察の啓発ポスターだった。ホイッスルを口に銜えて、右手をNOと掲げている警察官の背後では、飴を見せびらかす全身真っ黒の不審者について行こうとしている小学生がいる。


 私がついていってるのは全身真っ黒の不審者ではなく、某月刊雑誌が開催している国民的なオーディションでも難なく優勝してしまえそうなほどの美青年だし、一応は身の上を知っている人物ではあるのだけど⋯⋯。


 しかし、どちらかといえば警察にお世話になるような身の危険というよりかは、別の種類の身の危険の方をひしひしと感じるわけで。


 その危険がどんなものかというと、私の中で確立している常識を根本から揺らしてきそうな超常じみた感じのやつ。


 不意に足を止めた椿屋さんは仰ぎ見るように顔を上げると暫く視線を固定した後、何かを確認し終えたのか、次いで急なダッシュを強いられたせいで繋がれていない方の手を膝に手を当てて息も絶え絶えな私を見下ろす。


「陽葵様はとぶことは得意?」

「と、と、とぶですか!?」

「······いえ、無粋な質問だった。悪い」


 藪から棒な質問に目を白黒させている間に、椿屋さんが自己完結していた。


 ほら、やっぱり何か想像にも及ばないことが起きそうな前触れをしてくる⋯⋯!

 タクシーからのランニングのせいで心拍数が上がっていたはずなのに、今は嫌な予感のせいでますます鼓動が早くなっているような気さえする。


(ってか、名前は名前でも『陽葵様』呼びなんだけど!?)


 そして、呼び方問題再びだ。

 あの押し問答で蹴りがついていたはずなのだが、まだ恭しい呼称で呼ばれていることにこめかみが痛い。


 確かに呼んで欲しい名前を一言一句指定しなかった私の詰めの甘さが齎した結果なのだろうが、それでも彼もなかなかに強情だ。


 ここまで来ると私も意地になってくる。

 今日中になんとか椿屋さんの私の呼び方を凡人に相応しいものしてやろうと密かに闘志を燃やしていたその時。

 私の企みに勘づいたのか、いつの間にか彼はすぐ隣にいて、彼は私の背中に片手を当てて、もう片方の余った手を膝に入れてゆっくりと持ち上げた。


(······え?)


 俗に言うお姫様抱っこだ。

 僅かに高くなった視線と、地に足がつかなくなった不安定さに戸惑って無意識に椿屋さんの首に両腕を回す。

 ふわりと香ったのは、父と同じ煙草の匂いだ。甘味と苦味が混在した、懐かしくも苦手な匂い。


 やっぱり、煙草の匂いを良い匂いだとは一つも思えないなぁと再認識した所で、はっと我を取り戻す。


「椿屋さん!?これ、なんですか!!?」


 さっきから椿屋さんの唐突な行動に振り回されまくっているがこれは流石にいただけない。

 降ろせという抗議も込めて顔の近くで抗議する。


 だが、叫ぶように問いただしたくらいで椿屋さんが止まってくれるはずはなかった。


 次いで、体にワイヤーが取り付けられているようにぐっと上空に引っ張りあげられるような感覚がして、突然の身体に掛かった重力の負荷に耐えるようにして首に回している腕に力を込める。


 腰まで伸ばしたスーパーロングヘアが風に持ち上げられたのか、項が顕になった。湿った夜風がさらりと撫でていく。


 急な浮遊感は体感時間にして一分くらいだったはずだ。小さな着地音がするのと共に、全体に掛かっていた浮遊感が無くなる。しかし、揺さぶられた内蔵にはまだ不快感が残っていた。


 自分の身に何が起こったのかを確認しようと、本能的に閉じていた瞼を押し上げる。


「⋯⋯は?」


 視界に飛び込んだ世界は廃れた袋小路から一変して、薄く雲の掛かった夜空の袂になっていた。

 あまりの空の近さが信じられなくて、目をぱちくりと瞬かせる。


 私の頭が馬鹿になっていなければ、先程までいた場所は間違いなく袋小路だったはずだ。

 薄暗闇が蔓延っていて、ビルの壁面に沿うように自動販売機や飲み干したペットボトルを入れるためのゴミ箱などが置かれていて、お世辞にも綺麗とはいえない粗野な空間だった。


 しかし、今私を取り巻いているのは遮る物もない夜景がよく見える一面のパノラマで。

 太陽光パネルが数枚設置されているそこは、路地にいた時よりも空に近い場所。恐らくは、何処かのオフィスビルの屋上だ。


 地上からの高さを認識したせいか、ヒュっと喉から息が漏れた。

 何が起きているのか尋ねようと椿屋さんの顔を見上げて──私は己の目が限界まで見開いたのが分かった。


 椿屋さんのあの二重幅の狭い双眸に嵌る瞳は、カラーコンタクトを入れたかのように真っ赤に染っている。瞳の表面には梵字に似たような蚯蚓がのたくったような文字が敷き詰められていて、それは白く煌々と光っていた。


 由威の真っ黒な両翼もかなり度肝を抜かれたが、両眼が中二病も真っ青なくらいに異常じみているのも心臓に悪い。


 私はホラー映画で出てくる鼻や口がない幽霊よりも、黒目と白目が反転している幽霊や、墨で塗りつぶしたような双眸をした幽霊の方が断然怖い。


 顔に付いているパーツの中で、一番に感情を共有してくるのは『目』だ。祈りも恨みも無関心でさえ、言葉なく伝えてくる目ほど怖い器官は無い。


「思ったよりも巡りが早い。陽葵様は気分が優れなかったりは?」

「······しませんけど」


 そんな事よりも椿屋さんの異変の方が気になってしょうがない。もはや、気になることが大洪水のように押し寄せてきて何から聞けばいいのかが分からなくなってきた。


 そうやって逡巡している間にも、椿屋さんは軽やかに私を抱えて走り始める。


 急な椿屋さんのダッシュに「え?へ?え゛!?」と言葉にならない音を発するだけの置物になってしまっているが、私をタダの飾りにしてしまった張本人は何にも気にしていないらしい。


 屋上に設置されている落下防止柵に軽やかに飛び乗って、それを起点にハイジャンプを繰り出す。真下は人っ子一人もいないものの、落ちたらひとたまりもなさそうなくらいに地面が遠い。

 椿屋さんの尖った革靴の先にあるのは、確実に車一台分以上先に存在し、少し低い所にある別のビルの屋上だ。


(なんで急に命綱無しのジェットコースターが始まったの!?)


 何がどうなってこうなったのかを教えて欲しいと椿屋さんに物申したくも、お姫様抱っこゆえに彼の走る振動が直に伝わってきて、喋るのも一苦労だ。

 下手をしたら舌を噛みかねない。


 椿屋さんの胸の中で抗議も詰問もできないまま、命綱無しの夜間パルクール大会がこうして始まった。



 ☆★☆



 私の絶叫系に対する耐性値は並だ。

 某夢の国で有名な直立落下系のタワーほにゃららはライド中に気絶しかけたが、速さが売りのスペースほにゃららだと二回連続で乗ることが出来るくらいのスペックだ。

 要は、垂直に行き来して掛かる時のGが苦手だ。内蔵がふわっと押し上げられたり、逆に下へと引っ張られたりすることへの耐性だけが雑魚だった。


 従って、命綱無しのビル直渡りパルクールは過去最高の恐怖を齎してくれた。


 少しでも蹴躓いたら即ジ・エンドの際どさに、飛び回っているのが私単体ではなく、まだ気安い仲でもない男の人の腕に乗っての移動という博打っぷり。


 安全の保証も、信用の欠片さえもない非常識なこのアトラクションに私の寿命は確実に削れていた。


(波阿弥陀仏波阿弥陀仏波阿弥陀仏⋯⋯浄土真宗の開祖である親鸞によれば、これさえ唱えておけばどんなに罪を犯していても極楽浄土へいけるはず。ああっ、もう!こんなことなら、最初っから110して警察に全てを託すんだった!!)


 どうしようもない状況下で生命の危機に陥ると、私の場合は死んでからのことが気になる性質らしい。地獄に落ちるような悪い事をした覚えはないが、知らない所で何かやらかしていないと胸を張れるほど聖人でも無かった。

 一心不乱に悪人正機説を信仰し始めた自分の浅ましさには自分自身でも若干ドン引きではあるのだが、死後も穏やかな気持ちでありたい思いの強さはどうしようもない。


 波阿弥陀仏と胸中で唱えるくらいならば、悲鳴の一つでも上げられたら良かったのだけど、私ってやつは命の危機が到来すると喉が引き締まってしまって、発声することすら出来ない。


 ただ、涙腺だけは機能しているようで目の周りは冷たくなっていた。ダバダバと号泣するというよりかは、啜り泣くようにポロポロ泣いているというような有様だ。これでは施したアイメイクは全ておじゃんになっていて、見事なパンダ目になっていることだろう。


 せめての嫌がらせとばかりに、視界をシャットダウンするために埋めている椿屋さんの胸元にパンダ顔を押し付ける。ウン万円とするスーツだろうが構うものか。これぐらいの仕返しはしてやらないと気が済まない。


 いくつものビルを椿屋さんに抱えられて飛び越えたのだろうなというアップダウンを繰り返し、個人的には気が遠くなるほどの長い時間を経たところで、漸く椿屋さんの足が止まる。


「コンビニに入ったか」


 頭上から降ってきた声に促されるようにして、出来るだけ景色を見ないように胸元に埋めていた顔をおずおずと上げる。


 雨樋の役割も果たしていそうなビルの出っ張り部分のギリギリに立っている椿屋さんに、何度目かの声無き悲鳴が喉から迸る。


(ひぃっ!たかっ!こわっ!風強っ!!)


 この人は生命危機を感じ取る本能が死んでいるのだろうか。


 それとも、前世が鳥類だったり⋯⋯?

 高所こそが彼の領分だったりするのだろうか。


 何にせよ、改めて実感するが私とは違う世界の住人だ。早くそれぞれの世界へと戻って、安寧に包まれたい。


 頭の中で散々に文句を垂れながらも、私の目はしっかりと青と白がトレードカラーのコンビニの駐車場に追跡していたタクシーが停車しているのを捕らえていた。


 察してはいたが、この無茶苦茶な夜のパルクール大会はスズちゃん達が乗ったタクシーを追いかけていたために開催されていたものらしい。


 常人の足では確かに此処まで辿り着くことは出来なかったと思うので、運んでくれた椿屋さんに感謝こそすれ非難するのは本当はお門違いなのだろう。


 ただ、それでも一言欲しかったと思うのが凡人の本心だ。凡人と超人では命の質量が違う。椿屋さんがキャンプファイヤーほどの炎のような生命力だとすれば、私は爪の先に灯した火も同然だ。ぷちっとやられたらご臨終待ったなしだ。


 そこまで一通り零したところで、私はピキンと閃いた。生命危機を察知する能力が高い小物故に。


 見つけたということは、此処で男を追い詰めるということになることは明確。

 つまり、今からあのコンビニに停まっているタクシーへと向かうことになるのだろう。


 ⋯⋯()()()()()()


 過ぎる想像のせいで、首元を汗が伝った。

 想像以外の方法がないかと、脳をありたっけ絞っていると椿屋さんが私を抱え直した。


 つい縋るように椿屋さんの端正な顔を見上げるも、彼の視線は真っ直ぐに停まっているタクシーへと固定されている。


 途端、私の目から光が消えた。

 漫画で描かれるようなデフォルト的な造形になったことだろう。直喩的な言い方をするのであればそう、『死んだ魚の様な目』か。


 私を抱えたまま、なんてことの無いように椿屋さんはその場を蹴った。残り一段しかない階段を飛び降りるような感じの気楽さで、足を6mもありそうな地上へと向かって踏み外す。


 我々は、一直線に地面へと落ちていった。


(ぎゃあああああああ!!?)


 ビュンビュンと風をきって、直立で落下する椿屋さんに道連れにされている私は胸中で大絶叫だ。滲んでいた瞳からは本格的に涙が零れている。恥も外聞もなく涙を垂れ流しだ。


 もう少しで地面と接触するというタイミングで、微かに落下していた体がふわりと落ちる速度が緩められ、重力に引きずられていた内蔵が元の位置に僅かに戻る。


 トン、と軽く靴がアスファルトに当たる音がして、そこで漸く私は無事に地上への生還を果たしたのだと理解した。


 向かい風に煽られまくったせいで髪はボサボサ、目と頬は泣きじゃくったせいで濡れ濡れ、唇は極度の緊張でカサカサだ。満身創痍という言葉がこれ程に似合う様相もないだろう。


 そんなボロ切れのような私とは違って、ビルを飛び回っていた椿屋さん(ライド)は少しも型崩れていない。波打った黒髪が風圧で少しオールバックになっているくらいだ。しかも、その風圧オールバックも悔しいことに様になっている。


 何にもしていない私がボロボロになっていることに気がついた椿屋さんは、少しだけ驚いたような顔をした。

 抱えていた私をやっと地面に下ろしてくれたが、激しい乗り心地によってすっかり腰が抜けてしまっているらしく、そのままストンと座り込んでしまう。


 とうとう本当に役立たずな置物に成り果ててしまったが、もういっそのことこのまま私のことは放って、スズちゃんの無事を確保しに行って欲しい。


 だが、そんな私の勝手な希望は口にも出していないのだから叶えられることは無かった。


 椿屋さんはこの状態の私を放置することも出来ないようで、再び私を抱え上げるとそのまま歩き出す。


 小さな信楽焼を抱えるように丁重に運ばれるボロボロの私と、ボロボロの女子大生を抱えて歩くスーツ姿の男性。

 下手をしたら、近隣の小・中学校に不審者情報として配信されても可笑しくないのだが、幸いにも空いた車道をかっ飛ばしていくミニバンやトラックしかいない。


 ビュンっと走って行く配達トラックを見おくってから国道を横断し、目的地のコンビニの敷地内へと漸く足を踏み入れる。


 まだ深夜にもなっていない時間だが、田舎特有の広いコンビニの駐車場にはタクシー以外の車両は停まっていないようだった。


 蛍光灯の光を浴びてくっきりと浮かび上がっているお目当てのタクシーでは、車体に寄り掛かるようにしてサングラスの男(事の発端)が電子煙草を嗜んでいた。


 男は近づいてくる私達を認めると、知り合いのような気安さで軽く手を上げる。


「お疲れさーん。なんや途中からお空移動に変えてまで追いかけてきとったやん」

「······やっぱり、遊理か」

「ん?っていうか守、その抱っこしてる子はどうしたん?」


 二人の旧知の仲のような会話を聞いた瞬間、私は両手で顔を覆った。


(これ、絶対私が勝手に空回りしていたやつ······!)


 いきなり顔を覆った私を椿屋さんもサングラスの男も見てはいたが、触れるのは野暮だとでも思ったのか、話を再開させる。


「彼女は錫子様の御友人だ。錫子様がチンピラにタクシーへ無理矢理に乗せられたと心配なさっていたのでお前らを追った」

「あ、そういうこと。守は俺がスズ様に良からぬことをするんやないかって思った彼女の手伝いをしてたわけね」

「······話を聞いて遊理なような気はしてた」

「せやったら、もうちょっと早めに言うたったら良かったなぁ」

(ほんっっとうにその通り!!!)


 チンピラの尤もな指摘に私は上下に激しく首を振る。

 もう椿屋さんに遠慮などするものか。こうやって分かりやすく態度に示さないと、きっと彼は私のこの不満を分かるどころか、知ることすらしないだろう。


「お嬢ちゃんも色々と大変やったなぁ。こない泣いて目まで真っ赤にしてもて可哀想に。良かったらお兄さんのとこ来る?」


 吸っていた電子煙草を片手に持ったまま、カモーンと両手を広げてくれる彼の所へと行きたいのは山々だが、やっぱりそのチンピラ崩れの格好が気になって椿屋さんのもとを飛び出して向かっていく気にはならない。


「やめておいた方がいい。遊理は由威よりずっとタチが悪い」

「あら?その子、由威の知り合いでもあるん?せやったら余計にお近付きになりたいわぁ」


 由威の名前を聞いた瞬間、サングラス男の薄い唇の口角がより上がる。どうにも含みのある物言いに、私はやっぱり椿屋さんの所にいるのが正解であることを察した。


「遊理にはあまり構わなくていい」

「ええ〜。なんでそんなヒドイことを言うん?しょうみ、守や由威に比べたら俺の方がよっぽどマトモやと思うんやけど」


 サングラス男がニコニコとそう言った瞬間、上から「······ふっ」と笑うような声が聞こえてきた。

 まさか椿屋さんが鼻で笑ったのかと顔を上げると、そこには少しだけ口角を上げた椿屋さんの顔があった。


 こういう皮肉的な表情も出来るんだ、この人。


 あの誰に対しても少し一線を引いてそうな椿屋さんがこういう杜撰な態度をとるっていうことは、本当に気の置けない友人なのだろう。


「ちょっとお嬢ちゃん。その感じ悪い人、殴らせてもらってもええ?」

「え? いや、殴ったりとかそういうのは······」

「······ぷっ、んふふふ。そんな真面目な顔で言わんくてもええよ」


 なんとも軽いノリで聞かれた暴力宣言に、思わず真面目に返答してしまう。すると、サングラス男は冗談だというようにニヤニヤと笑った。


 どいつもこいつもなかなかにイイ性格をしてやがるようだ。


「せや、折角お知り合いなったんやからお名前教えて欲しいわ。俺は真宵 遊理(まよいゆうり)言うねん。普段はスズちゃんのお兄ちゃんの付き人をやっとるんよ。今日はスズちゃんが合コンに行くって知ったお兄ちゃんが心配して派遣されただけやねん」

「沙倉 陽葵と申します」

「陽葵ちゃんね。可愛い名前やなぁ。ご縁が出来たんやから俺とも仲良うしてな」


 お互いに自己紹介を終えると、はい握手!と右手を差し出される。

 分かってはいたが、距離感の詰め方がとんでもない早さだ。スズちゃんとその周りの人はきっと、学校のカーストでもてっぺんに君臨するような陽キャな人ばかりなんだろう。


 真宵さんはちょっと癖のありそうな人だけども、好意を示されておいて無碍にすることも気が引ける。


 私は抱えてくれている椿屋さんの片腕を下ろして欲しいと叩く。こういう意図は汲んでくれるようで、椿屋さんは若干心配げに私を見ていたが黙ってその場に下ろしてくれた。


 さっき降ろされた時は散々な痴態を見せてしまったが、真宵さんと喋っている内に気持ちが解れたのかしっかりと自分の足で立てた。

 歩き出すと少しふらついたが、なんとか真宵さんが差し出す右手に手を重ねる。

 ミッションコンプリーだと詰めていた息を吐き出したところで、真宵さんが「ふふふ」と意味ありげに笑った。


 なんとも含みのある真宵さんの態度に眉を顰めようとしたところで、交わした握手の手を取ったまま真宵さんがすぐ目の前まで近付いてくる。


 傍までくると猫背だからか、思ったよりも背のある真宵さんに見下ろされる。

 サングラスのせいで双眸が見えないが、きっと不思議の国のアリスに出てくる意地悪な猫のように弧を描いていることだろう。この人からは、そういった一癖をひしひしと感じる。


 しかし、なんでこんなに近くまでやってきたんだろう。サングラスを掛けているから、あまり私の顔がよく見えないのだろうか。そうなのだとしたら取ってしまえばいいのに。


 首を傾げて徐に近寄ってきた真宵さんを見上げていると、私の疑問に応えるように彼は笑みを深める。


 そして、私の顔に真宵さんの影が降り掛かってきた。急に近づいてきた真宵さんの顔に吃驚して目を丸めていると、ちゅっと音を立てて目元に柔らかな物が押し当てられたのを感じた。


 目元にキスをされたのだと理解するのと同時にぺろりと肉厚な舌が這う。何か丸くて固いものも皮膚に当たった。夜風に晒されて濡れた所はすっかりカピカピになっていたはずなのだが、その上を掬うように掠められたようだ。


 そのまま唇を耳元に寄せられる。


「やっぱりしょっぱいわ。ほんまに可哀想に」


 低い声で落とされたその声を聞いた瞬間、項に生えている産毛が総毛立った。

 とんでもない色気を滲ませたその声音は、合コンの場に行くことすらも恐れをなしていたお子様にはあまりにも毒だった。


 刹那、ヒュンと風を切るような音がして、すぐそこにあった真宵さんの顔が離れる。


「いやぁ、えっらい怖い顔しとんで。そんな顔、陽葵ちゃんに見せたら逃げられてまうわ」


 言葉と裏腹な軽快な口調に促されて椿屋さんを振り返ると、そこには眉間に皺を寄せて真宵さんを射殺すように睨んでいる椿屋さんがいた。今にも怒気が視覚化出来るんじゃないかと思うくらいには怒髪天を衝くような様子だ。


 こんなにも怒りを顕にした椿屋さんを三度目ましての私は見たことがなくて、自分が怒りを誘発させた訳でもないのに慌てる。


「だ、大丈夫ですよ。そんな大それたことされてないですしっ!」


 椿屋さんの怒りを解そうと情けなくにへらっと笑う。


 なんで被害者の私が宥めているだろうかと真っ当な気持ちが脳裏を掠めたが、当の加害者が弁解する気もなさそうにニヤニヤしているだけなのだ。


 小心者の私にはこのまま激怒している椿屋さんと一緒にいるという選択肢がない以上、彼の怒りを鎮める役目を担うことは必然だった。


「今日はそういう日みたいなんですよ!犬とかグラサンとかにペロッといかれる日、みたいな?」

「へ〜、犬にもやられたん?陽葵ちゃんは隙が大きいんやねぇ」

「犬っていうか、鬼っていうか⋯⋯真宵さんは黙ってて貰えます?」

「えぇ、ハブかれんの寂しいわぁ。俺も仲間に入れてや〜」

「誰のせいで椿屋さんがルナティックファイヤーしてるのか分かってますか?」

「それは俺やね」


 ただし、ふざけたサングラス関西人の遊び相手まで担う気はない。


 ピキっとこめかみに青筋を浮かべる私に、「怒らんとってよ〜」と全く心にないことを言ってくる。


 見せつけるように出された舌には丸いシルバーの舌ピアスが光っていて、舐められた時には当たった硬い物はアレかと判断する。非常にもいでやりたくてしょうがない。


 これは椿屋さんが仕損じた分も含めて、私からも一発お見舞した方がいいんじゃないだろうか。

 そういえば、黒ジャージは平手打ちをお見舞したが、まだ真宵さんには何の鉄槌も下してない。


 着々と短くなっていく導火線に比例して、火薬(反撃衝動)に近づいてくる怒りの灯火のままに拳を握る。


 顔と腹、どちらの方がより効果的に痛みを与えられるだろうかと目論むような目で真宵さんを見据える。

 真宵さんは私の怒りに気付いたのか、右肩を落として少しだけ後退りした。


 だが、もう遅い。

 今日は平手打ちをこなしたこともあって、私の右腕は良い具合に温まっている。

 本日の最後に女子プロ入りも夢じゃないような右ストレートをお見舞しても良いだろうと考えを固めるが──その凶事はあと一歩のところで破綻した。


「あれ?マモ兄とヒマリンじゃん。二人もなんか買うものあった感じ? あ!ヒマリンは化粧直しとかかな」


 企みを阻止したのは、私が心配してこんな所まで追ってきた当人であるスズちゃんだ。コンビニ袋を片手に提げて、やっほーと小さく手を振ってくる。

 勿論、目の前のチンピラは身内だったのでスズちゃんからは不幸の影は一つも見当たらない。


 見あたらないどころか、スズちゃんは真宵さんへと足早に近寄ると、ガンをつけるように睨め上げていた。


「つーか、遊理。私が買いもんしてる短い時間くらいは煙草控えろって言ったよね? 電子タバコって煙は無くても匂いは紙よりキツイの知らん感じ?」


 スズちゃんの怒りは買い物中に真宵さんが一服していた事にあるらしい。


 私よりも遥かに嫌煙家らしいスズちゃんは強硬策に出ることにしたらしく、真宵さんの片手に握られている電子タバコに掴み掛った。

 しかし、スズちゃんの急な襲撃に対して真宵さんも行動を予測していたらしく、既のところで両手を上げる。


「ちょ、まっ、言いながら俺の電子タバコ狙わんとってよ〜。没収されたら俺、電池切れてまうって」

「なにあまっちょろいこと言ってんのよ。没収じゃなくて、ここで粉々に叩き潰す」

「思ったより罰おっも!?」


 しかし、スズちゃんはめげない。


 必死に真宵さんが両手を上げて電子タバコをスズちゃんから遠ざけているが、スズちゃんも諦め悪くジャンピングを繰り返す。


 傍目から見て二人の身長差は20cmはありそうだが、スズちゃんがダンクシュートを得意としているバスケ選手のようなジャンプ力があるため、見応えのある攻防になっていた。


 チンピラとギャルによる一進一退の攻防はコミカルで他人事として見る分には結構面白い。

 何より、散々おちょくってくれた真宵さんが本気でスズちゃんに対して悲鳴をあげている様が痛快だ。個人的には私の右ストレートの代わりに、是非とも生命線らしい電子タバコをお陀仏にしてやってほしい。


 だが、すっかり観客に成り下がった私と違って、二人をお客さんにしているタクシーの運転手にとっては他人事では無かったようだ。


 慌てて運転席から降りてきた禿頭のドライバーは電子タバコを守る真宵さんと、なんとか電子タバコをぶっ壊したいスズちゃんへと近寄っていき、果敢にも仲裁し始める。


「お、お客さん、落ち着いてください!こんなホスト、世の中にはいっぱいいますから。姫の前で別のホストの女に手を出すような男はやめておきましょう!!」

「いや、俺ホストちゃう⋯⋯わっ」

「はぁ!?誰と誰がホストと姫って!?宗右衛門町で客引きしてる末端のホストに『お前、今日売上なかったら分かっとるよな?』ってオーナーに使いっ走りにされてそうなこんなホスト崩れに入れ込むタマじゃないっつーの!!」


 いやに具体的なスズちゃんの大阪のホスト像に吃驚するも、タクシードライバーに諌められたのが効いたのか、スズちゃんのジャンピングが止まる。


「もういいわ。飽きた。遊理帰るよ。ヒマリンとマモ兄もまたね〜!」


 そして急に帰宅宣言したスズちゃんはタクシーの後部座席へとさっさと乗り込みながらも、私達に笑顔でお別れを告げてくる。

 元気いっぱいに挙げられた手に「またねー」と振り返していると、もう片側の後部座席のドアを開いた真宵さんに「ほな!」と手を振られる。

 そちらはもう二度と会いたくないので、苦笑いで留めることにした。


 騒動の源のような二人がタクシーに乗ったことで、漸く静寂が戻ってきた。


 色んなハプニングがあったが今は何時頃だろうと気になり、スマホを起動させるとそこには衝撃的な通知が表示されていた。


『着信:9件 メッセージ:15件』


 あまりの信じられない鬼電と鬼通知にビビり、現実逃避をするように目を擦ってから、もう一度スマホ画面に視線を落とす。そこに表示されているのは、やはり同じ通知。


(な、何事⋯⋯!?)


 もしや今月の寮費が引き落とせず、学生課から電話でも入ったのかと思い至り、私は慌てて着信履歴を呼び出す。


 着信履歴を開くと、そこに表示されたのは『刀矢 由威(5)』と見知らぬ電話番号から二回掛けられた履歴があるのみ。


 もしやと思い、メッセージアプリを開くと一番上のメッセージルームの名前も由威のものだった。


「もう、吃驚させないでよ⋯⋯」


 衣食住に関わる連絡ではなく、合コンで大暴れてしていたサークル仲間だと知った私はつい悪態をついてしまう。


 どうせ由威のことだから、どうでもいいことだろう。

 女の子が一人も持ち帰れなくて愚痴を聞いて欲しいとか、そんなところだ。


 すっかり由威相手だと知って気の抜けた私は、既読ぐらいは付けてやるかという非常に腑抜けた気持ちでトークルームを開く。


『帰ってこないけど何処?』

『トイレ並んでる?』

『着信』

『着信』

『本当に何処?』

『マリ先輩がひまちゃんって泣いてるよ』

『着信』

『ねぇ何処いるの?』

『マモ君と一緒?』

『なんかあった?』

『帰ってもないよね?サラちゃんに聞いたらまだ帰ってないって』

『着信』


 ・

 ・

 ・


 私はそっと由威とのトークルームを閉じて、そのまま流れるような動きでブロックボタンを押そうとした所で理性を取り戻した。

 なんとかガチガチに固まっている親指をスクロールさせてメッセージアプリを閉じる。


(⋯⋯あれ、私、由威と付き合ってたっけ?)


 というか、あんなメンヘラの塊みたいなメッセージを送られるような男と友人関係を結んでいただろうか。


 やっぱり先程の大量のメッセージは見間違えだったんじゃないかと思い至った瞬間、スマホ画面が着信画面に切り替わる。


 表示された名前は『刀矢 由威』。


 ごくりと固唾を飲む。

 非常にタイミング良く掛かってきた電話に、折角だからあのメンヘラメッセージの意図でも聞いてやろうと通話ボタンを押そうとしたのだが──私の防衛本能が働いたのか押したボタンは切るボタンだった。



次回のUPは今月中に出来ればいいなといったぐらいです。

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