『どうぶつのおうち』七つの大罪〈強欲〉…………身の丈に合わない巨大な欲望を持つこと。後編
この頃の加藤は『どうぶつのおうち』を経営しながら、全国各地でセミナーを開催していた。
盛岡へ講演に出向き、マイクや資材、パワーポイントをチェックした後、あとは講演会開始時刻を待つだけとなる。加藤は待ち時間も出来るだけ参加者が楽しく過ごせるように、参加者達に声を掛けたり、いじってあげたりして盛り上げる。
ところが講演開始1分前に廣瀬から来たメッセージで顔を顰めそうになった。
【加藤さん、講演で忙しいところ申し訳ありません。成田が『顧客情報の入ったパソコンを返せ!』と、店の前で大声で叫んでいるので、警察の方に来てもらい対処してもらっています】
その文面だけでも、すでにパニック状態に陥っており、どれだけアイツが大騒ぎしているのかが伺えた。
(……あの野郎。ぶっ潰しておくべきだった)
成田が加藤のいないタイミングを狙っていたのは明らかだった。『こくちーず』に載せていたから日時・場所を調べるのは容易だったはず、もっと警戒しておくべきだったと後悔する。
一般的には、あまり知られていないことだが、新人警察官は、自分が犯罪者から直接の被害を受けないために、わざと10分程遅れてやってくることを上官から教わるのだという。
特に『どうぶつのおうち』付近の県警は評判が悪いことで有名だった。過去、生徒のストーカー被害が出ていた時も、まともな対応をしてもらえなかったことがあるし、今回もどんなことになっているのか、分かったものではない。
壁時計は14時を指しており、講演の開始時刻となったために、講演会を始めなくてはならなかった。こうして最低最悪の状況下でのセミナーが始まった。
加藤はこの時点で、テレビの裏側、ジャ〇ーズの性加害情報までも発信しており、芸能界の闇、医療のルーツ、河童の正体など、多岐に渡っている。廣瀬は「最も業界の裏側を知る男」を煽り文句にしていたが、ほとんどの参加者は満足して帰ることが多かった。
とにかく、普段通りにこなしていたのだが、内心でははらわたが煮えくり帰っていた。成田のことを引き摺り回したい衝動が表情に出ないように気を付けていた。
「あのー、質問なんですけど」
参加者の男性が手を挙げる。彼は何度か、講演会にも出席しており、コーチングを受けることも検討しているようだった。
「はい、どうぞ!」
「加藤さんのお陰で、この世界には人工地震もあるし、ワ〇〇ンが人体にとって有害なものであることは分かって来たんです。ファミレスやスーパーで食品添加物を見かけるたびに、この国が僕達日本国民を殺すために動いているというのも、やっと実感が湧いてきました」
「うんうん、良い傾向だよね。洗脳が解けてきたじゃん!」
「……でも、支配者層の人達にとっては奴隷である僕達、つまりは日本人が死んでしまったら、お金とかを搾取することも出来なくなるだろうし、最終的には、自分達が困る羽目になってしまうと思うんです。今の状態を維持した方が得なはずなのに、なぜ、それでも殺そうとするのでしょうか?」
「うーん、良い質問だよね! 人間には、相手のことを『完全に支配したい』という部分があるんだよ。支配者層の連中はやろうと思えばいくらでも殺せるんだけど、簡単に殺しちゃったら面白くないから、エンタメや娯楽を使って、日本人の精神性を12歳レベルの子供にまで引き下げた。その方が『支配した』という実感を得られるからね」
加藤の回答にも、彼はよく分かっておらず、首を傾げているようだった。やはり、狂人達の考え方は、一般的人には、理解不能なところにあるのだろう。
「カルトの行き着く先は集団自決なんだけど、そこに導いているのは、悪魔崇拝者なんだよ。それに、あの連中は、俺達日本人のことを害虫駆除くらいにしか思っていないんだ。奴らにとっては動物……つまり獣だと思っているんだ。だから、同じ人間だと思っちゃ駄目だからね」
そう説明しながら、頭の中に浮かぶのは、成田のことだった。
ただ単にカネが欲しいだけなら、まだ理解出来るのだが、顧客の名簿までも奪おうとするのは、異常だとしか思えない。あの女がそれを手に入れたとして、一体何に使うのだ?
そこに在るのは完全な他者への支配欲だけ。
見ず知らずの人間にまで支配網を広げようとするのは、完全にリミッターが外れてしまっている。
金銭的なものだけではなく、精神性や、思考能力までも、自分のものにしていく。一体どこまで欲するのだろうか。人間という生き物の果てしない欲深さに、想いを馳せていた……。
*
加藤は講演会が終わると、会場のスタッフ達には機材を畳むように指示して、すぐに自分だけでも『どうぶつのおうち』に向かうことにした。
先程まで、成田嫁が大暴れしていたのだから、店内の動物達が荒れてたし、メンタルを完全にやられてしまっている子も大勢いた。
廣瀬が青ざめた顔をしていたが、加藤を見た瞬間、安心感から、呆けたような表情に変わる。
「大丈夫だったの?」
「成田は、加藤さんが直接渡すという約束を無視して、店舗情報の入った、つみれ君のノートパソコンを直ぐに返せと騒いでいたんです。そのあいだも私達に『泥棒! 死ね!』と罵倒し続けて、自分で通報して警察を呼んでの大騒ぎだったんです……」
あまりにも酷すぎて、呆れるしかなかった。
「でも警察の人も、すぐに頭のおかしい女が騒いでいるだけだと見抜いていたみたいで、始終、気の毒そうな顔をしていたんですよ」
さすがの警察も成田の味方をすることはしなかったらしい。どちらが加害者なのかすぐに分かったのだろう。
「警察の人が『でも、良かったですよね、社長さんが良い人で』と話していた時に、つみれ君は『はい、大好きです』と答えていたんですよ……」
その情景は容易に浮かんでくる。
「ああ、あいつは馬鹿だよなぁ……」
加藤は胸が詰まりそうになる。
こんなにも加藤が必死になって救いの手を差し伸べているのに、つみれは自分から奴隷になることを選んでしまっている。
虐待を受けた人間の心理として、自分を傷つける場所に居続けることに、強烈な恒常性維持機能が働いているのだ。
その『仕組み』については、加藤も理解しているつもりだったが、やはり根深い闇があったのだ……。
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その後も加藤は何度も説得したが、ある日、【お金は受け取らず、ボランティア扱いで良いので辞めさせて欲しい】というメールが届き、退職することとなってしまった。
それからしばらく経って、復帰を諦めかけていた頃、突然、『どうぶつのおうち』玄関先につみれが現れたのだ。
「……お久しぶりです」
久しぶりに現れたつみれは、顔がすっかりとやつれてしまっている。スーツ姿なのは、ホストの仕事の帰り道だったのだろうか。
「お前、どうしたんだよ、ちゃんと飯とか食えてるのか?」
「加藤さん、『どうぶつのおうち』お店の経営が、労働基準法に違反するとのことでした……」
そう報告するつみれは、体全体が小刻みに震えていた。
成田がカネだけでも奪ってくるように命令したのだろう。
今の時代ネットを使えば、それなりの悪知恵を手に入れられる。無断欠勤からの突然の退職にも労働者の立場は優位に働く。従来の労働基準監督署は注意勧告のみで、大した仕事はしていなかったが、ここ数年で、大きな権限を得てしまい、経営者がバイトに訴えられるという事例が多発しているらしい。
最悪だったのは、鈴田の時と違い、今回、動物達が死亡したのは、あくまでも霊的な現象であり、成田本人が直接手に掛けたわけではない。こちらから逆に訴えることが出来なかった。
「……わかった」
加藤は仕方なく念書を作ると、給与を満額支払う事にした。
「…………」
つみれは何も言わずに去っていく。この後も、夜の仕事が待っているのだろう。
最終的につみれは理不尽な嫁の支配から、抜け出すことが出来なかったのだ。夜遅くまで、ホストやコンビニのアルバイトをさせられるという、元の生活に戻ってしまったのだ。
もし、彼が理不尽を跳ね除けて自己主張が出来るようになっていたら、また、違う結果へと繋がっていたのかもしれない。それでも、加藤は自由意志を尊重するために、無理に引き離すことも出来なかったのだ。
『どうぶつのおうち』店内の端には、蜘蛛の巣が張っており、アゲハチョウが引っ掛かかっていた。大柄な蜘蛛がじわじわとにじりよる。
キリスト教において、『蜘蛛』は『強欲』を表すモチーフだとされている。蜘蛛の生態は、メス側が産卵の際に、必要の無くなったオスの身体を捕食してしまうが、今回のケースはまさにそれに当てはまる。
そもそも、最初の時点で、ボランティアとして募集していたはずのに、アルバイトとして金銭を要求してくること自体が『強欲』さを表していたのだろう。
こうして、二人目のサイコパスの被害は最悪の結果になってしまったのだ……。
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スタッフ達は鳥の死骸を新聞紙に包んで、腐敗した体液が漏れ出さないように、新聞紙やペットシートで包んで、ガムテープで縛っていた。ガムテープで縛り、「燃えるゴミ」のビニール袋に入れて処分していくのだが、そのたびに虚無感に襲われているようだった。
おまけに猛暑のせいで、死体がすぐに腐るので、悪臭を放っており、腐肉を食らおうとしてハエがたかっており、糞尿を始末したビニール袋には、蛆虫が沸いているなど、グロテスクな光景に気が滅入ってくる。
加藤自身も、愛していた我が子達を、まともに弔うことも出来ず、生ゴミと一緒に廃棄処分していくことになるので、絶望してしまいそうだった。
最初の頃は、一匹でも亡くなると、毎回お通夜のような雰囲気になっていたのに、次第に慣れが出始めているのか、スタッフ達の心が動かなくなってきている。あまりにも動物の死骸を見過ぎて感覚が麻痺してしまったのだ。
作業中の土田は肩を落としていた。自分が教えてきた後輩がいなくなってしまったからだ。
髙田もまた、今回の一件で、元気を失っているようだった。
加藤もまた「つみれのことを救うことが出来なかった」という無力感に打ちのめされており、セミナーの際には声が出なくなるほどだった。
特に重篤なのは廣瀬だった。店内の固定電話が鳴り続けているのに、なぜか無視しているのだ。
「あのさ、電話が鳴っているんだけど……」
「ごめんなさい、出られないです……」
「……分かった、俺が代わりにやるから、もうじっとしていなさい」
仕方なく、加藤が電話に応対することになった。ただの携帯会社のインフォメーションだったのだが、ここまで怯えるようになるとは予想外だった。
最近の廣瀬は、閉店後、毎回ファミレスで泣きながら経過報告をしてくるという状態にまで陥っており、猫部屋に閉じこもるようになっていた。
成田からの攻撃で神経衰弱に陥ってしまい、周りが全て『敵』に見えるという疑心暗鬼状態。マンションの住人も、役所も、通行人の老婆まで恐れだす始末。完全に肉体的な限界を迎えてしまっており、鬱病を発症してしまったのだ。あれだけ残虐な光景を見せられていたら、精神がボロボロになるのは当然だろう。遂には涙が流れ出し動けなくなってしまった。
「……加藤さん、ごめんなさい。もう、この仕事を辞めたいんです」
ついには限界を感じ、辞職を告げて来た。
加藤もその様子を見ていてこれ以上は無理だと判断した。
その直後、加藤の元に履歴書を送ってきた者に直ぐに来て欲しい旨を告げ、バイト希望の者を迎え入れた。そして、期待していた新人は、紛れも無い三人目のサイコパスだった……。




