脳科学ブームの終焉
2022年7月頃。
加藤はトライアルセッションのためにファミリーレストランで依頼者と相対していた。
「念のため確認するけど、彼の洗脳を解くという方向性で良いんだよね?」
「……そうして欲しいとは思うんです。……でも、やっぱり、博士への、この恋心が失われてしまうのも、怖くて、どうするべきなのか迷っているんですよ」
彼女は理性と本能の間で葛藤していているのが分かった。洗脳によって強烈な恋愛感情が刷り込まれており、自分でもその区別が付かなくなっているようだ。
会長は好みの女性がいると、術を掛けて、趣味の部屋に連れていくということを繰り返している。彼女もまた整った顔立ちをしているために、彼好みのタイプであることが伺えた。
加藤はこれまでのセッションで、某カルト宗教信者の洗脳を解いたこともあったが、加藤自身が直接指導を受けていた師匠の洗脳を解くというのは、かなり特殊なケースではある。
「じゃあ聞くんだけど、君は彼にとって、たくさんいる、コレクションの中の一人という扱いになってしまうけど、それでも彼のことを本気で想い続けられるの?」
「……そんなのは嫌です!」
加藤とのやり取りで、考え方を変えたようだった。
「どうかお願いします。彼のことを、私の頭の中から消して下さい!」
二人の間で合意が取れたので、加藤は早速、脱洗脳に取り掛かることにした。情報を観てみると会長の顔が浮かび上がってくる。
会長自身は「コーチングはクライアントの利益100%で行われる。コーチの利益はゼロ%でなければならない」と話していたが、実際には生徒達をイメージの中で虫ケラにして握り潰し、好きな異性の記憶データを自分とすり替えて上書きしてしまうという術を使用している。そして、それを解除しようとした者に反撃する罠まで仕掛けているという悪辣ぶりだ。下手な人間が触れたら、ケガをする羽目になったはず。一体これのどこが「世界平和を望んだ男」のやることなのだろうか?
加藤は会長の情報を丸ごと除去したが、やはり効果は顕著に表れた。彼女を蝕んでいた恋愛感情も、既に消え失せているようだった。
「加藤さん、本当にありがとうございます。これで、自由に生きていくことが出来そうです!」
セッションが終わる頃には、加藤は何度もお礼を言われていた。
お試しコースであるトライアルだけで全部解決してしまい、コーチングセッション本番には進まなかったので、商売上がったりだが、依頼者が笑顔でいられるのが、何よりも嬉しかった。
協会から離れた後も、H会長、その派閥の人間の黒い噂は聞こえてくる。
その会場自体が、乱行パーティーのようになってしまっているために、会長自らがSM行為を行っているところを激写されるなど、マスコミにリークされて騒ぎになっていたのだ。
その実態は、ハッキリ言えばセックス教団である。悪魔が入り込んで憑依された者まで出たらしく「◯◯さんと結婚するんだ!」などと叫び出したり、おかしくなってしまった人間は、すぐに追い出して、出禁にしているのだという。
加藤は彼に想いを馳せていた。実は日本という国は存在せず、実はイギリスの領土であることも彼から聞いていたし。公の場ではとても言えないような機密情報を沢山教えてくれていたのだ。加藤の才能を見抜いたのも、彼だった。
今思えば、彼の魂の出どころは、間違いなく『下』だった。幼少期に「雷に打たれたことがある」というエピソードもそれを裏付けている。普通の人間なら即死しているはずだ。
支配的で『闇』を抱えており、類希なる才能に恵まれている。つまりは加藤自身と同種の存在、悪魔だったのだ。だからこそ、適切なアドバイスが出来たのだろう。
彼との出会いにより、得られたものは非常に大きく、加藤が最も求めていた〈魔法〉を開花させることも叶った。『悪魔祓い師』として有意義な出会いだったのは間違いがない。しかし、それ以上に、悲しんでいる人間が多くいるのも事実だった。
加藤がそこを離れて数年経ったが、最近になって、驚くべきニュースが上がってきたのだ。
苫〇〇式式コーチングセッションを受けたクライアントの暴走によって、20代の女性が監禁された挙句、自殺してしまったのだという。
亡くなった女性と元同僚2人は、クライアントである社長から、風呂もない事務所に住むよう命じられたり、事務所にある監視カメラで見張られて、数千万円もの「損害賠償」を請求され、その返済を執拗に迫られ、暴言暴力を繰り返し受けていたのだ。
事務所内はwebカメラで監視され、社長がスマホでいつでも映像が見られる状況であり、会社支給の携帯電話のGPSで居場所を常に把握され、外出することさえ出来ず、プライベートについても報告させられるようになったという。
さらには、財布や免許証、キャッシュカードなどを入った財布をまるごと没収された挙句、金を使うことを禁止され、飲み物すら買えなくなったという。自由に食事もできなくなった従業員3人に与えられたのが「乾燥大豆」だった。1日1食(200グラム)という生活を強いられ、当初はレトルトのカレーをかけていたが、ある時から大豆だけになったという……。
精神的にも、金銭的にも、肉体的にも追い詰められてしまった、その女性社員は自ら命を絶ってしまうと言う、最悪の結末を迎えてしまったのだ。
そして、そこに携わっていたのは、最上位クラスのコーチ「A山」だったのだ。
A山は本来なら、警察に通報するなり、注意するなどして、事業を早急に取り止めさせるべきなのだが、「クライアントの自己肯定感を下げる行為は禁じられているから」と、犯罪行為を黙認していた可能性がある。関係者全員がまともな思考を失ってしまっていたのだろう。
カルト宗教組織が、信者達を洗脳する手段は、睡眠時間を削り、正常な思考を奪った上で、共同生活させることである。家族から引き離し、外部からの刺激が入らないようにしていく。新興宗教が頻繁に家族会を行うのにはそういった理由がある。
H会長は、オ〇ム真理教信者達の洗脳を解くことに成功したと語っていたが、奇しくも同じような犯罪行為をする人間達を作り出してしまったのだ。支配を好む者が指導者をしているので、その弟子も支配を好むようになるし、理性のタガが外れて暴走していくのは、当然の結果だろう。
加藤は近くで待機していた廣澤と合流することにした。
「今回の依頼をしてくれた彼女も、あのままだったらと思うとゾッとしますよね……。一体どうなっていたのか分からないし……」
クライアント関係者が自殺したというニュースを知ったらしく、廣瀬が顔を顰めていた。
「あの会長は、術を使って俺のことも支配しようとしてきたから、逆に洗脳返ししたこともあったんだよ。いつの間にか『チョロいチョロい』が口癖になっていたけどね」
「あの人の場合、結構、下手というか、バレバレなんですよね。私にもやってきたし……。一体何をやりたい組織なんだろうって疑問に感じますよ」
「ほら、俺の生徒にもいたじゃん。マスタークラスの指導者に300万円を払ったけど、『その日だけ何でも出来る気がしたけど、翌日目覚めたら元通りになっていた』と語っていたことが。『ホテルの一室で男二人が30分間無言で一緒に過ごすだけ、それを5回繰り返すだけだった』らしいけど、ほとんどギャグだよな」
ニートだった彼は、加藤と会った時から人生が好転していき、安全地帯に引っ越した後に、独り立ちできるようになったのだ。
「あの子も、あのままだったら徴兵されていたのだろうし、本当に加藤さんに出会えて良かったのだと思いますよ」
「徴兵される前に、地震と津波で死んでいたかもしれないよね。いかがわしい存在に着いていくのか? 正しい存在に着いていくのか? 最後には誰に付託するのかが大切なんだよ。あの会長も最初はまともだったんだけど、やっぱりオ〇ム真理教あたりからかな……。あのあたりから、おかしくなってしまったんだよな……」
「マスコミに取り上げられると、色んな人が、お金と権力だけを求めてやってくるから、場がカオスになってしまうのかもしれないですよね」
組織化すると、悪魔が必ず入り込み内部から破壊する。コーチングの始祖、ルー・〇イスでさえも、それには抗えず。『TPIE』は内部崩壊してしまったようだった。
人間というマウントしかしない生き物が集まれば、自らがトップになるためにトラブルが起きるのは当然だろう。多くの生徒達に囲まれながらも、加藤が組織を創ったり、自らが教祖になろうとしないのは、そういう理由があるのだ。
「講演会でも話したけど、オ〇ム真理教、人〇寺院、カルトの最終到達点は集団自決なんだよ。悪魔は関係者全員を地獄に道連れにしようとするんだ。もしかすると、この自殺騒動でさえも、氷山の一角に過ぎないのかもしれない。もう、こんなコミュニティは、終わりにしないといけないよね」
加藤の言葉に、廣瀬は、怪訝そうな顔をしていた。
「終わりにするとは?」
「君達には『後出しジャンケン』のようになってしまっても、信頼が得られないだろうから、ある程度予言しておくことにするよ。この組織は、俺がぶっ壊すから。よーく見ておきなさい」
セミナー会場にいた参加者は、生まれついての富裕層もいたが、明らかな貧困層、精神を病んでしまっている者も散見された。高額なコーチング代、治療費を捻出するために、無茶な借金をしていたのだろうし、それが原因で自ら命を絶ってしまったというケースだってあるはずだ。
あるいは、今回のような事件を引き起こしてもおかしくない。もう、これ以上の犠牲者を出すわけにはいかない。加藤からしてみれば、何も知らない、ただの、お坊ちゃん達なのだ。富裕層による戯れ事とはいえ、死人が出てしまっている。だからこそ見過ごすわけにはいかなかった。
加藤は全部まとめて、ぶっ壊すことにしたのだ。
既に、アリの穴からの崩壊が始まっており、賜った仕事は膨張した悪意に針を刺すことだけだった。
強く念じること。
他人のために祈ること。
すると、変化は如実に現れていた。
SNS上で、コーチを名乗っていた者達が、反旗を翻したように、会長のことを否定するような書き込みで埋め尽くし始める。まるで夢から覚めたように、散々なバッシングをした後、組織から離れていく。
ありとあらゆる矛盾点や効果の無さ、接客態度の問題点などが、次から次へと指摘されており、炎上騒ぎを起こしていた。中には、SNS上で議論を繰り広げた者さえおり「何が問題だったのか?」を解説するサイトまで現れた。
加藤も数日間の間、SNSを見張っていたが、ほぼ予想通りの展開を見せた。もちろん、組織に留まった人間もいるが少数派だろう。以前ならコーチングの資格を取り、指導者になることで一生遊んで暮らしていけたが、もう、自己啓発では結果を出せないことはバレてしまっている。以前ほどの勢いを失っているのは誰の目からも明らかだった。
そして、H会長のグループは目に見えて衰退しているようだった、加藤を蔑ろにした人間は、必ず、衰退、崩壊していく……。
「これ、全部加藤さんの言う通りの展開になっていますよね?」
同じく、SNSを見張っていた、廣瀬も驚いたような反応をしていた。
「何度も言うようだけど、『後だしジャンケン』になってしまったら、誰も信頼してくれないから、先に予言してしまうことにしているんだよ」
それでも、まさかこれほどまでとは思わなかったらしく、廣瀬は驚くばかりだった。
2000年代後期から、脳科学セミナー、自己啓発ブームは続いてきたが、こんな形で終焉を迎えることになったのだ。




