プロローグ
2018年7月22日。
「悪魔について」をテーマに講演をすることになったのだが、会場には多くの参加者が集まって来ていた。
すでにスタッフの者達が、スクリーンやプロジェクターなどを用意していた。
今回の講演会は、「大阪講演!7/22(日)! 増え続ける〇〇現象とは…?」という記事タイトルでブログ紹介もされていし、イベントの告知ポスターには、「悪魔に憑依された大学生Tくん」という見出しが付けられていた。
「日本一友達を誘いにくい、講演会」というサブタイトルを付けていたのは、スタッフの広瀬だった。挑発的なネーミングセンスに思わず苦笑してしまう。
過去には「場が変わる! 真の祝福の与え方講座」や「天使、悪魔、神は居るのか? 日本人に、今最も隠したい不都合な真実」という怪しげなタイトルで開催したこともある。
広瀬は当初、「スピリチュアル的な要素を抑えて、日用品に潜む、食品添加物や化学薬品などの健康被害を題材にした方が良い」と話していたのだが、もう時間も無いし、本気で繋がれる相手とだけに絞った方が良いと判断したからこそ、オカルティックさを前面に打ち出していく方針だったのだ。
今までの加藤は、学術的な観点から見た、脳科学、成功法則、ビジネスにも応用できる無意識領域などを語ってきたのだが、科学から一転して、急にスピリチュアルなことをやり始めたために、離れていってしまった人間も大勢いた。
「脱洗脳」「天使」「悪魔」「神」など、傍から見たら、カルト宗教団体と勘違いされてもおかしくはないだろう。オマケに開催されたのは真夏の猛暑日と来ていた。普通だったら誰も来なさそうに思えるものだが、不思議なことに、会場のほぼ満席近くが埋まっていたのだ。リピーターとして受けてくれる者も多い。
会場には老若男女問わず、様々な世代の人達が集まってきているが、共通しているのは、育ちが良くて、真面目な優等生タイプが多いことだった。身なりからしても裕福なのだろう。どちらかというとコミュニケーションが苦手で傷付きやすいタイプでもある。こんな怪しげな講演会にお金を支払って参加してくるあたり、物事の本質が見えているのかもしれない。
こうやって、自分の元にやってくる人達は、『宿命』として、招き寄せられているのだろう。自分でも無意識のうちにここに来ることを選択しているのだ。
そして、懸念すべきは『闇』を知らなさ過ぎることだった……。
加藤の場に集まる人間の最大の特徴は、「目の前に10万円が入った封筒があっても盗まない」ことだった。普通だったら、すぐに盗んでしまうはずの大金に一切手を付けることが無い。それどころか、そのことを指摘すると、「どうしてですか?」と真顔で聞いてくるのだ。
幼いころから、底辺達と絡んで来た自分からすると、まさに正反対の人達だといえる。それだけに悪魔達の被害者になりやすいとも言えた。きちんとした対策を教えておかないと、真っ先に狙われてしまうだろう。
講演の開始時間が始まった。
加藤好洋は壇上に上がると、参加者全員に早速聞いてみることにした。
「さて、皆さんは悪魔と聞いて、どのようなものをイメージするのでしょうか?」
当然ながら、その問いに答えられる者はいない。
悪魔というのは、聖書にしか登場しない架空の存在。つまりはファンタジーであるというのが、常識というか、共通認識なのだろう。
「それでは、悪魔に憑依された人間の姿をお見せしましょうか」
スクリーンに表示されたのは、おかしな目付きをした、サラリーマン風の男性の写真だった。電車の座席に座り込み、猫背気味に顔だけを前に突き出した姿勢が異様な雰囲気を醸し出していた。
「これは山手線に乗っている時に撮影したものだけど、目付きだけでも分かるように、完璧に憑依されています。この写真、毎日目の位置が動いているのですよ」
そう、目玉だけがグリグリと、毎日違う方向を向いているのだ。
「この方は、すでに他者に対して危害を加えているはずなのです。このままいけば間違いなく殺人行為にまで行き着くはずです。彼に限らず多くの人間が悪魔に憑依されているのを確認していました」
会場の者達は心霊写真に魅入られてしまっているようだった。
東京都内、朝の通勤ラッシュには死んだような目をした勤め人が沢山いるが、過度のストレスから、怒りや不満を抱え込んでおり、それが悪魔を引き寄せてしまっているのだろう。
「では、実際に悪魔に憑依されてしまい、一族抹殺計画を立てていた彼に説明をお願いしたいと思います。彼は正式に悪魔祓いを行った最初の被検者なのです」
加藤の言葉に合わせて、観客席から、一人の青年が立ち上がっていた。
「はじめまして、自分が『悪魔に憑依された大学生Tくん』こと、タカナガカズオと申します。加藤さんからはタカと呼ばれています」
軽く頭を下げるタカナガカズオ君は爽やかな好青年と言った感じで、言われなければ、誰も悪魔に憑依されたなどとは夢にも思わないだろう。
彼には、何度も壇上に上がってもらい、当時の出来事を説明してもらっていたのだ。実際に悪魔に憑依されたことのある人間が自身の体験を話すのはインパクトがあると評判が良かったし、彼自身も目立ちたがり屋なために、人前に立つのは満更でもないらしく、今回も快く引き受けてくれていたのだ。
彼の母親は待ってましたとばかりに、スマホを取り出していた。我が子の晴れの姿を撮影しているようだった。
「さて、みんなに憑依された時のことを詳しく説明してくれるかな?」
「最初はポップに『死にたいな〜』と思っていたんです。でも、それがだんだんと『家族を殺したい』という考えに変わっていきました。悪魔に憑依される三か月くらい前ですかね、僕のスマートフォンにひらがなで、『いじげんくるか』というメッセージが入っているのに気が付きました」
「『いじげんくるか』とは、『異次元に来るか?』という意味だよね。これは亜空間から闇への誘いなのでしょう。悪魔はこの世では無い、別の次元からやってくるのです。ちょっと当時の写真を見てみようか」
スクリーンにタカナガカズオ君の顔写真が表示される。彼の横には、半透明の黒っぽい影が映りこんでいた。その頭部は、爬虫類にも、鬼にも似た形状をしていた。そのシルエットは、アニメ『デビルマン』に登場する『ゲルマー』という悪魔にそっくりだった。
「悪魔がスマホをポチポチ操作してメッセージを送ってくるなんて、ちょっと驚いてしまったんですけど、当時はそんなことは思いつかなかったし、単なるバグだと考えていたんです。でも、それから、なんとなく家の中に気配が忍び寄ってくるのを感じていました。金縛りや、ラップ現象まで起こっていたんです。母親に相談して霊能力者を頼ってみたんですけど、『子供の霊が憑いている』とか、『黒くて長い髪の毛をした白装束の女が憑いている』とか、そんなことばかり聞かされていたんです。映画の『リング』とか『呪怨』そのままじゃねえかよって。どうせなら黒髪ボブの可愛い女の子にしてくれよ、っていう感じでした」
タカナガカズオ君は何度も人前で話しているせいか、すっかりと慣れてしまい、冗談混じりに当時の状況を説明していた。そんな彼に会場の者達は好奇の眼差しを向けているようだった。
「ある有名な霊能者からは、悪霊が入ってくるのを防ぐために、家中にお札を貼るように言われていたけど、全く効果が無かったんです。しかも、一枚2万円とかしたし、セットで10枚とかじゃないと売ってくれなかったんですよ」
「そうそう、最初は30万とかだけど、お札とか御守りとかのオプション代がどんどん上乗せされていくんだよね。『言う通りにしないと治せませんよ』という脅し付きでね。こうしてお客様が自分の元から離れられないようにしていくんですよ」
「……それから2年間、いろんな霊能力者のところを回っていたけど、全然良くなりませんでした。でも、一人だけ『これは私の手には負えません。とても恐ろしいものが関わっています』と、断られてしまったことがあったんです」
「霊能者というのは99%が偽物だけど、その女性だけは本物だったんだ。世の中には良い人もいるよね。でも、悪魔本体の邪気というのは普通の人間では祓うことが出来ない。俺が一瞬で祓えたのは、俺自身が悪魔だからで、毒を持って毒を制することができるからなんだよ」
人間でありながら、悪魔の力を使うことが出来る、唯一の存在。
認知科学者のH氏からはそういった特殊な才能を見抜かれて、「間違いなく歴史に名を残す人」とまで呼ばれていたのだ。
「俺が祓ったら、すぐに良くなっただろ?」
「はい、丸2年間も悩んでいたのが嘘みたいでした」
そう、祓うのは一瞬だった。
ただし、負担もあったために、かなりレベルの高い悪魔だったと推測していた。
身体が熱くなり、祓う右手がビリビリする、過去には全く無い感覚で、それだけ相手のエネルギーが大きかったのだ。負ったダメージも少なくなく、終了後2時間余り、動く事が出来なかったのは初めてだった。
「どうやって家族のことを殺そうとしてたんだっけ? 詳しく説明してくれるかな」
タカナガカズオ君は少しだけ考えた様子で、当時のことを振り返っているようだった。
「まずは、兄のことをアイスピックで刺し殺そうとしました。警察官で力が強かったから、一番最初に仕留めた方が良いと考えていたからです。家にあった医学書と照らし合わせて、どこを狙えば簡単に死ぬのかは前もって調べていました。その次はお父さんで、いつも決まった時間にお酒を飲むので、酔いが回ったところを狙う予定でした。逆にお母さんは力が弱いから、後回しにしても良いだろうと考えていました」
錯乱状態だと話していたにも関わらず、計画そのものは冷静に練られている。おそらく、自分が介入しなかったら、本当に実行に移していたのだろう。当時企てていた犯行方法を生々しく語る彼の姿に、会場の雰囲気は静まり返っていた。
「それで、俺のことを見た時、何て思ったのか話してみなよ」
「……加藤さんに対して、『こいつだけは生かしちゃいけない、すぐ殺さないと!』と思いました」
口調そのものは軽いが、とんでもない爆弾発言だった。このままだと場の雰囲気が重くなってしまいそうだったので、冗談っぽくイジってあげることにした。
「助けてやろうとしているのに、酷いヤツだろう? でも、俺のことを殺そうとしたのは、祓わられてしまわないように悪魔が抵抗しようとしたんだよ。以前、憑依されていた女の子が会場から逃げようとしていたんだけど、それだって天敵である俺のことを避けようとしていたからなんだ。まあ、ちゃんと祓ってあげたけどね」
その女性は後に人生を大きく変えることになり、今では加藤の元で、様々な奇跡体験を引き起こす常連になっていた。きちんとアドバイスを実践すれば、誰でも現象を起こせるようになるのだという生き証人になっている。
「悪魔に憑依されると、その人が元々持つ、性根や欲望が強化されていきます。心霊写真のサラリーマンの場合は残虐性ですね。他人を傷つけることが性的な快楽と結びついているのでしょう。タカの場合はちょっと特殊で、家系の因果が由来していたようでした。ほら、昔から、名家や富豪の家には、精神病や狐憑きなどで座敷牢に幽閉されている子がいる……なんて話を聞いたことがあるでしょう? 彼だって資産家のお坊ちゃんだし、金があるからこそ、そういったマイナス要素を引き寄せてしまったのでしょう。だから金なんて無い方が良いんだよ」
生徒と向き合った時に、血筋や家系からくる因果を根本的なところから断ち切らないといけないと感じざるを得ないことが多いのだが、彼の場合は特にそれが顕著だった。先祖代々続く呪詛が末代になって発動してしまったのだ。それが憑依体質を生み出してしまっていた。
「あれから、タカの元に、悪魔が現れたことは無いだろ?」
「そうなんですよ。、悩んでいたことが噓みたいです」
「それは、俺の守護が入っているからなんだよ。彼のように、悪魔に憑依された人間がどのような行動をするのか、少しはイメージしてもらえたかと思います」
「……では、僕のこんな拙い話を聞いてくださり、本当にありがとうございました!」
タカナガカズオ君が頭を下げると、会場からは拍手が送られていた。
最初こそ、殺人計画を語る彼に対してドン引きしていた人もいたが、よくぞ自身の辛い体験を披露してくれたと、温かい気持ちを送ってくれているようだった。
彼の母親も、誇らしげに息子のことを見守っていた。タカナガカズオ君の話がひと段落したところで、一度小休憩を挟み、それから本題に入ることにした。
「俺は脱洗脳の専門家でもあり、洗脳の大元、世の中の嘘の仕組みを伝える仕事をしておりますが、食品、医療、住環境、嗜好品、全てに計画を実行している証拠が表れています。突然ですけど、この中に『自分は守られている』と感じている人はいますか? いたら手を挙げてみてください」
加藤の問いかけに、会場の中の、約8割近くの人間が挙手していた。
「それでは、この中に『自分が攻撃されている』と感じている人はいますか? いたら手を挙げてみてください」
先程とは打って変わって、会場の中には、誰一人として、手を上げる者はいなかった。思った通りの反応に苦笑してしまいそうになる。
「俺は講演会のたびに毎回この質問をするけど、『自分が攻撃されている』と思っている人は何故だか一人もいない。これこそが洗脳状態だと言えるでしょう」
加藤の言葉に、会場の者たちは首を傾げているようだった。
それもそうだろう。情報は完全にシャットアウトされているからだ。皆、自分が地獄の窯のゆでガエルだということに気が付いていない。
「世界中で、日本人こそが最も洗脳を受けているのです。みなさんは知らないでしょうけど、もうすぐ、第三次世界大戦が迫ってきているし、徴兵制制度だって始まるでしょう。そう遠く無い未来には首都直下型地震が起きる予定です。天皇陛下は東京から京都に移り住み、京都が首都になる予定です。これは予言では無く、預かるほうの『預言』なのです。ある筋から裏情報として頂いているのですよ」
会場からは「えっ」という、驚いた声が上がっていた。
まさか悪魔祓い師というスピリチュアルな講演会で、こんな突拍子も無い話が飛び出すとは思わなかったのだろう。過去には、あまりにもショッキングな事実に、途中から会場を抜け出してしまった者もいたくらいだった。
「だからこそ、皆さんには救いたい人数分、それぞれ一年分の食糧を備蓄して欲しいのです。今日はこれを聞けただけでも、講演会料金の元は取れたと思いますよ」
加藤自身は、大量の中古備蓄用品をメルカリやヤフオクなどで仕入れて、コンテナに保管しているが。これも有事の際には、郵便情報などからバレてしまい、暴徒と化した人間達から奪われてしまうだろうとも予測していた。
「実は日本という国は存在しない。今もイギリスの植民地という扱いになっています。そして、我が国が率先して民を殺しに来ているという事実を知って欲しいのです。3.11の際に、原発事故で放射性物質が漏れ出してしまっているのですが、メディアでは一切放送されることがありませんでした。それどころか、放射能で汚染された野菜類を『食べて応援』するように煽っていましたよね? 生徒の中には、関東から安全地帯である京都に疎開した子もいるのです」
生徒の一人を指差すと、彼はゆっくりと頷いていた。あのまま海沿い近くに住んでいたら、津波に飲まれて命を落としていただろう。あるいは、放射能汚染が深刻なホットスポットに居続けたことで、ガンを発症していてもおかしくはなかった。加藤に出会ったことで命拾いをしたと言える。
「3.11東日本大震災は人工地震によるものだし、9.11アメリカ同時多発テロ事件も自作自演によるものなのです。どちらも実行犯が名乗り出ているのですよ」
そして、スクリーンには、荒野に無数のアンテナが並んでいる写真が表示される。
その下には「高周波活性オーロラ調査プログラム(こうしゅうはかっせいオーロラちょうさプログラム、英: High Frequency Active Auroral Research Program、略称:HAARP、ハープ)とは、アメリカ合衆国で行われている高層大気と太陽地球系物理学、電波科学に関する共同研究プロジェクトであるとされている」という説明文が付いていた。
「HAARP、ウィキペディアには観測機だと書かれていますが、実際には、電磁波を照射することによって人工的な地震を引き起こしたり、気象を操作することが出来る兵器なのです。昔は普通に新聞にも載っていたのですよ。3.11東日本大震災を引き起こした実行犯はモニターで大勢の人間が津波によって流されていくのを、笑いながら見ていたというのです」
スクリーン上に、昭和59年(1984年)3月12日に発行された読売新聞の記事が表示される。
〈人工地震大きすぎた! 新幹線ダイヤ乱れる〉という記事内容で、人工地震の誤作動によって新幹線が遅延してしまったことについて言及されたものだった。ネットではデマ扱いされることもある画像だが、紛れもなく本物なのだ。
「こういった裏情報は、一般社会では、『陰謀論』として流されてしまうのだろうけど。『陰謀論』という言葉自体が、CIAが日本人を都合良くコントロールするために創り出したキーワードなのですよ。人々の意識を真実から遠ざけ『頭のおかしい変な奴ら』というレッテル貼りに使われているはずです」
日本人に病的な宗教アレルギー、陰謀論を嫌う者が多いのは、おそらくはオ〇ム真理教の一件からだろう。
あの出来事に便乗するように、『陰謀論』という言葉を流行らせることによって、多くの民を思考停止状態にさせることに成功したのだ。しかし、それとて、『黒幕』と呼ばれる存在が裏に控えている。もちろん、そんなことは誰も知らないのだろう。参加者達は皆、困惑した顔をしていた。
「東日本大震災の時、食料品をめぐって、殺し合いや略奪、そして強姦事件が多発していたのをご存知でしょうか? メディアでは全く報道されませんでしたが、これは関係者から直接『口伝』された生の情報なのです。俺の元にやってきた、彼らには『伝える』という役割があったから生きていたのでしょうね」
当時は何故か、被災者達が大人しく一列に並んで、食料を分け合っていたという報道ばかりだったが、実際には火事場泥棒も多く、追い詰められた人間達は生存本能を剝き出しにして、避難所では性暴力を振るっていたのだという。小学生以下の幼い少女までもが犠牲になるという凄惨な状況だったのだ。
何故、こんな事実が入念に隠されていたのかというと、日本人に悲惨な現実を見せないことで、油断させることが目的なのだ。「日本は安全な国である」という幻想の中にいさせるために。子供たちがずっと子供のままでいられる楽園。それはまるで『ピーターパン』に出てくるネバーランドのようだった……。
「政府はテレビを使い、ニュースやワイドショーによって、震災や津波の映像を何度も何度も繰り返していました。『ポポポポ~ン』というCMが何度も流れていたでしょう? そうやって反復していくことで無意識のうちに恐怖心が刷り込まれていく……。脳機能には『主語を認識しない』という特性があり、まるで自分が震災の被害に遭っているかのような錯覚を起こしてしまうのです。だからこそ、脳科学的にはやってはいけないことだし、専門家からすれば常識なのに、どうしてこんなことをしたのでしょうか? 本格的に心身共に悪影響が出るのは5年後だといわれており、ほんのちょっとしたことが引き金になって、当時の臨場感を思い出してしまう。今後、首都直下型地震が来た際に、かなりマズイことになるはずです」
加藤が「ポポポポ~ン」と発した瞬間、まるで条件反射のように強い恐怖心を露わにした者がいた。やはりトラウマが根深いところにまで刷り込まれてしまっているのだろう。
「これから人類史上、誰も経験したことがないような艱難時代に突入するのです。人々が危険な状況に晒され、追い詰められた時、恐怖から憑依される者も多いでしょう。サタンに憑依された者がどんな行動を取るのか? 悪魔の狙いとは何なのか? どうしたら、自分の大切な者を守ることができるのか? それには、人間の持つ『闇』について知っておくことが必要不可欠なのです。人間は簡単に堕落していくのだから……」
そう、人間とは、闇に対する憧れをもっており、そこに堕ちていくことが快楽なのだ。
前述したサラリーマンなどは良い例なのだろう。
ナイフや鉈などの刃物で相手を傷つけ、命を奪うことが最大の悦び。
悪魔とは、いかがわしい存在であると同時に、心に闇を抱える者にとっては非常に魅力的なのだ。だからこそ憑依現象が後を絶たないのだろう。寧ろ、自ら望んで憑依されている者までいるくらいだ。
日本が無法地帯と化した時、こんな輩が、どのような行動を取るのかは、火を見るよりも明らかだった。
「以前、『乾き』という非常に残虐な映画が公開されていたのですが、佐世保女子高生殺害事件が起きた時、若い子達からは『リアル乾きじゃん! もう一回観たい!』というツイートを発信しているようでした。この映画が公開された当時、学生早割1000円で見ることが出来たのですが、これでは『観ろ!』と言っているようなものですよね? そんな映画が当たり前のようにエンタメとして扱われているのは何故でしょうか?」
内容については言及しなかったが、「人の命なんかカスだ!」と言わんばかりに次々に人間が殺されていくのだ。起承転結など無く、無為に残虐な場面ばかりが続いていく。しかも、予告に残虐シーンは出て来ないから、そうと知らずに観てしまった子も多かったのだろう。
もしかすると、あのサラリーマンだって、少なからず影響を受けていたのかも知れない。一体何に誘おうとしていたのだろうか?
「3.11当初、町に津波が押し寄せてくる中、自己犠牲も厭わず、放送室から、高台に避難するように呼び掛けていた女性がいたのです。何故こんなことが出来たのかというと、日本人の魂が呼び起こされたからなのでしょう」
宮城県南三陸町の防災対策庁舎から防災無線で町民に避難を呼び掛け続け、津波の犠牲になった女性がいる。今でもその肉声は『天使の声』として、ネットで公開されている。自分が死ぬと分かっていながらも、最後までそこに残り続けて、大勢の人間を救おうとしたのだ。
「悪魔にとって一番重要な民族、契約の民、大和。その本当の力や存在理由に目覚めて欲しいのです。自分を犠牲にしてでも他者を救えるのは日本人だけなのです。神風特攻隊のように……。これからは他者を想うことが出来る人が守護されていくでしょう。そして、それが自分の生まれて来た意味や理由にも繋がってくるはずです。我々日本人こそが真のユダヤ人であり、イエス・キリストの子孫なのですから……」
加藤の話す情報に、会場中が静まりかえる。
深いトランス状態に入ってしまい、完全に眠ってしまっている人間もいた。
あるいは何故か涙を流している者もいた。
その理由は、魂のどこかにある、深い部分に触れているからなのだろう。
こんな絶望的な情報を話しているにも関わらず、その目には光が宿っていた。
年々、悪魔の活動が活発化しているのを感じていた。これからは無差別的な憑依が激増してくるだろう。このままいけば、皆、地獄行き列車に連れ去られてしまうのは目に見えていた。それを引き留めることが出来るのは自分しかいない。
そして、参加者の中にも、悪魔に憑依された者が紛れ込んでおり、その身体を媒体として、こちらのことをじっと観察しているのを感じ取っていた……。
*
2017年7月上旬頃、事務所宛てに一つのメッセージが届いていた。
それは、「息子が悪霊に付きまとわれているから、お祓いをお願いしたい」という内容だったのだが、文面からでも切羽詰まった様子が伝わってくる。それが単なる勘違いなどではなく、本当に悪魔が関与しているということは直感ですぐに分かった。
このEメールは「悪魔祓い師 九陽」の公式ホームページから受信したものだが、どうにも引っ掛かる点があった。
「このサイトって、ぜんぜん表示されなかったはずだよね?」
加藤の問いに広瀬が頷いた。
「そうなんですよ。突然メッセージが入っていて、驚きました」
加藤達は、少し前に、ホームページ制作サイト「ペライチ」に「悪魔祓い師 九陽」という名で登録をしていたのだが、どういうわけなのか制作者である自分達でさえ閲覧することが出来なかったのだ。
例えば、Googleで「加藤好洋」と検索すれば、「苫〇〇式認定コーチ加藤好洋」としての公式サイトが真っ先に上がってくるのだが(※2017年当時)、こちらの「悪魔祓い師 九陽」の方は全く表示されることがなかった。
最初は、サーバーの不具合かと思い、ペライチの管理人にも連絡を入れてはみたのだが、悪意のある第三者が意図的に隠してしまっているようだった。こういったケースは稀にあるらしく、「残念だけど諦めてくれ」と言われてしまっていたのだ。もっとも、それだけ自分の活動は、彼らにとっては不都合なものであるともいえるのだが……。
もう、こちらでは、どうすることも出来ないので仕方なく放置していたのだが、まさか今になってこんなメールが届くなんて予想外だった。
改めて悪魔祓い師としての依頼のメッセージを読み直してみる。
今までの自分は、「SBT」あるいは「苫〇地式コーチング」といった、能力開発、自己啓発のコンテンツを用いて、依頼人を良い方向に導いてきたのだ。それらは、科学的根拠、エビデンスに基づいた手法であり、脳機能に関する仕組みを知り尽くした一流の指導者達から学んだものだった。
しかし、あまり表立って公言することは無かったが、実際には、それに加えて、気功や超能力を用いたヒーリング。あるいは魔術などといった目に見えない特別な力を使うことによって、他人の人生を大きく変容させて来たという実情があるのだ。
著名な指導者の元で師事していたのも、〈魔術〉の力を強めたいという想いからだった。
次元を捻じ曲げて、対象者を別の平行世界に移動させてしまうという方法。特に対人コーチングセッションは月1回のセッションを6ヶ月間行うというもので、その金額は88万円という高額なものだったのだが、予約は半年待ちを超えるなど、依頼が後を耐えなかった。
セッションに入る前に15000円のトライアルを受けて貰っていたが、それだけで問題が解決してしまい、本コースに繋がらなかったことも多々ある。実際にその効果は凄まじく、セッションの度に奇跡的な結果を引き起こして来たのだ。
・〇ンの人間が治ってしまう。
・殺し合いになる寸前だった隣人トラブルが改善した。
・諦めていたストーカー被害が無くなった。
・霊障体質が改善された。
・自分が写っている動画を見ただけで体調が改善した。
それだけではなく、絵や音楽などのアーティスティックな才能を開花させ、名誉のある賞を受賞した生徒もいた。
オーガニックのケーキ屋の経営者として成功した者もいる。
ある者は悪質なフランチャイズチェーン店のオーナーにされてしまい、1億2000万の負債を抱え込んでいたが、違約金を支払わずに済んだこともあった。
加藤と電話をしていた人間が、まるで『神隠し』のように、他の者からは見えなくなっていたこともあるようだが、それは他の次元を跨いでいたからなのだ。
こういった魔法を使うことによって、本来ならば解決に10年は掛かるはずの出来事を一か月に圧縮させてしまうからこそ、あり得ない結果を引き起こせるのだ。
催眠療法士、セラピストのI氏は長年の経験から「人間は変われない」という最終結論を出していたのだが。
加藤自身は「人間は魔術でしか変われない」という独自の結論を出していた。
「どんなことをしても変われなかった人間が行きつく最後のチャンス」だと言われているのも、魔法という、ある種の反則技が使えるからなのだろう。
そんな加藤が一番の真骨頂とするのが、除霊……つまりは悪魔祓いというものだった。
悪魔の発する瘴気は強烈で、加藤が知る限り、自分以外に対応できる人間は一人もいなかった。
サイエンスエンターティナーA氏からは、日本では唯一のゴーストバスターと言われていたのだ。
「この依頼、すぐにでも受けよう。そうしないと命までもが危ないかもしれない」
こうして、タカナガカズオ君の一件は、その裏稼業である、悪魔祓い師としての、初の公式依頼になった。
*
悪魔祓いは、ホテル雅叙園東京で行われることになった。
過去に何度か、コーチングセッションの時に使ったことがある思い入れの深い場所でもある。コーチング最終回では、豪華なアフタヌーンティーを楽しみながらセッション終了となるのがいつもの流れだった。
目的地へと向かう道すがら、通りがかる車のナンバープレートは「666」「13」が続いていた。あるいは「666」とプリントされたTシャツを着ている男性もいる。これは悪魔が関与しているサインだった。
「666」が悪魔の数字だというのは、映画「オーメン」でも有名だろう。
「13」という数字に関しては、13日の金曜日にイエス・キリストが処刑された日だと言われているが、ゲマトリア数秘術によると「獣」や「愛憎」を表しているらしい。いずれにしても、こちらも悪魔と深く関わる数字なのは間違いなかった。
9.11アメリカ同時多発テロ事件や、3.11東日本大震災など、多くの人命が失われる際にも、やはり異常な程のゾロ目が目撃されていたのだという。
本来ならば、ランダムに現れるはずの数字がきれいに揃ってしまっている。シンクロニシティ。これは、違う次元と交錯した時に起こる特有の現象だった。そして異次元に迷い込んだというお知らせでもある。
おそらくは、タカナガカズオ君本人も、大量のゾロ目を目撃しているのだろう。
それにしても、悪魔は何故か、特別な数字や、ゾロ目などの、わざわざ分かりやすいサインを送ってくる。アメリカ同時多発テロ事件は2001年9月11日午前9時46分に起きていたし。東日本大震災は2011年3月11日午後2時46分に起きていたが。それらの数字を組み合わせると、「18」になることは有名だし、「11」というゾロ目はマスターナンバーと呼ばれていた。「46」という数字は人間の持つDNA、染色体の本数とも呼ばれている。
なぜそんなことをするのかと言えば、彼らにとってはある種の美意識だったり、ロマンティシズムであるのだろう。
悪魔は『詩人』でもあるからなのだ……。
待ち合わせ場所のエントランスホールでは彼の母親と思われる者がいた。直接の面識は無かったが、彼女の目の下には真っ黒な隈が出来ており、酷く疲弊しているのが見てとれたので、すぐに本人だと分かった。
「こんにちは! タカナガさんですよね!」
「……あのう、あなたが加藤さんでしょうか?」
加藤のことを見た瞬間、ただでさえ疲れ果てている顔が、怪訝そうな表情に変わる。
その理由はすぐに分かった。彼女にとって、「悪魔祓い師」というのは、着物や祭服などの仰々しい格好をした年配の男性をイメージしていたのだろう。
しかし、長髪で、ブランド物の派手なシャツに、ダメージジーンズ、スニーカーでやってきた加藤に対して、「チャラいお兄ちゃん」という印象を抱いている様子だった。おそらく年齢も三十代前半だと誤認しているようだった。
既に、スタッフの広瀬とは何度かやり取りしており、「帰りの新幹線の中では、安心して息子さんとの会話が楽しめますよ」と伝えていたらしい。遠方から来てもらっているうえに、決して安くはない金額を支払って貰っている。母親の期待に応えるためにも、こちらも全力を尽くすつもりだった。
「とりあえず立ち話もなんですし、まずは席に着きましょうか。息子さんはどうしていますでしょうか?」
「今はお手洗いに行っているみたいです、場所は伝えてあるので、そのうちに戻ってくると思います」
スタジオジブリのアニメ映画『千と千尋の神隠し』のモデルにもなった、豪奢な館内は見ているだけでも楽しいと生徒からも好評だった。
まずは母親だけでも落ち着いてもらうために、アフタヌーンティーを楽しみながら、談笑をすることにした。テーブルの上には、色とりどりの美味しそうなケーキが並べられていたし、その傍らには、鯉が優雅に泳いで、時折ちゃぷんという水音を立てており、涼し気な雰囲気を醸し出していた。
しかし、そんな加藤の気遣いも虚しく、母親は我が子への心配からか、そわそわと落ち着かない様子だった。今まで悪くなる一方だった事もあり、疑心暗鬼を拭えないようだった。
「……息子は治るのでしょうか?」
「ええ、もちろんですよ」
その目には涙を浮かべていた。不安で仕方がないのが伝わってくる。精神的には限界を迎えているのだろう。そんな彼女の様子を見ていると、一つの謎が解けていた。
一体なぜ、自分でさえアクセスすることが出来ないサイトに、彼女が辿り着くことが出来たのだろうか?
それは愛する我が子を守りたいという純粋な想いが引き寄せていたに違いない。〈守護〉という形で、天が引き合わせてくれたのだろう。母親の愛情が、その時、その一瞬だけ、悪辣なセキュリティブロックを解いたのだ。
「この二年間、様々な霊能者の方にお願いしました。けれど、誰も悪霊を追い払うことが出来ませんでした。最初は精神病だと思っていたし、お医者さんの言う通りに精神安定剤を飲ませていましたが、寧ろ余計に悪化してしまったんです……」
母親は飲んでいる薬の処方箋も持って来ていたようだった。それを受け取って目を通してみる。
ベ〇ゾジアゼピン系精神安定剤(抗不安剤)添付文書。
・適応症……不安、疲労、抑うつ、激しい動揺、震え、幻覚、骨格筋の痙攣。
・副作用……不安、疲労、抑うつ、激しい興奮状態、震え、幻覚、骨格筋の痙攣。
恐ろしいことに、主作用と副作用には、ほとんど同じ文面が記載されているのだ。
この手のクスリは、脳内伝達物質の働きを抑えて、鎮静化させることによって、一時的には治ったかのように錯覚するが、酷い禁断症状もあるし、依存性も強いために、本質的には麻薬と何も変わらないのだ。
「こんなものを飲んでいたら体調は悪くなる一方ですよ。このセッションが終わったら、金輪際、薬の服用はやめにしましょう」
加藤は実際に、生徒には精神安定剤を辞めるように指導しているのだが、体調が劇的に改善するのを何度も確認していたのだ。スタッフの広瀬にも肌アレルギーの薬を辞めさせたことがあるのだが、やはり安定しているようだった。
精神科医は薬を処方すればする程、多くの収入を得られるため、一度に5種類も6種類も薬を投与して、患者を薬漬けにすることが多いのだが、タカナガカズオ君はその典型的なケースだろう。
そして、精神薬によって意識が朦朧とした状態だと、自我が無くなってしまうために憑依されやすいのだ(事情は異なるが、認知症の老人も自我が無いために憑りつかれやすい傾向がある)。
一般的に、西洋医学を創り出したのは、石油王ロックフェラーだと言われている。彼らは石油を原材料にして、医薬品を開発したのちに、古くから伝わる民間療法(ホメオパシー医学)などを根絶。医療制度そのものを捻じ曲げ、ビジネスとして社会に適用させていったのだが、当然ながらこんなルーツから生まれたものが人体に良い影響があるはずは無く、逆に病気が蔓延するばかりとなったのだ。
ロスチャイルド家、ロックフェラー家などのユダヤ系商人と言えば、世界の富の99パーセントを握っていることで有名だが、悪魔崇拝者としても知られており、彼らがデザイン設計したこの世界は悪魔の蔓延る魔境と化していた。
テレビCM、医療系のバラエティ番組、医療ドラマなどでは、〇ン検診を受けるようにと繰り返されている。毎年何人かの芸能人がガンによって、見せしめにされているのは、宣伝やキャンペーンでもあるのだろう。
医者は、その相手の経済状況も把握した上で、〇ンだという診断を下すのだ。手術、放射線治療、薬物療法(抗〇ん剤治療)の三大療法によって体がボロボロになり、財産を根こそぎ奪われていく。死んでしまったとしても、殺人ではなく、病死として処理される。まさに死人に口なしといったところだ。
ヘブライ語の悪魔は〈敵対者〉〈妨げる者〉〈誹謗する者〉〈訴える者〉を意味するのだが、人体にとっては有益な免疫力さえも妨げていく医薬品とは何なのか……。
彼らが悪魔崇拝者であることを考慮すると、おそらくだが、こういった医薬品を広めることによって、悪魔が憑依をしやすくなる環境を整えたのも、計画の一つだったのではないだろうかと推測していた。
また、加藤自身も〈医療の闇〉については、痛い程に思い知らされていた。最愛の娘をポリオワ〇チンによって失っている。当時の母子手帳を見て、すぐに原因が分かったのだ。
その時から、娘と同じ被害者を出さないと誓って、この活動を続けてきたのだ。
悪魔崇拝者である彼らは人間を生贄に捧げることによって、見返りとして巨万の富を得られると言われており、その方法は残虐な拷問を行うことだった。
特に父親が実の息子を犯してから殺害することが、神に対する最大の冒涜であるとして、より強力な悪魔を召喚することが出来ると信じられている。つまりはカネや権力などの欲望を叶えるために、血の繋がった我が子でさえも平気で殺してしまうのだ。
今、まさに目の前にいる、タカナガカズオ君の母親とは対照的だった。愛する我が子を救おうとする純粋な想い。そして、娘の死によって、他人を救うことこそが自分の使命、天命だと気が付いた、自分自身の姿とも重なっていたのだ。
何としてでも救ってあげたい……。
そして、どうやら、タカナガカズオ君がトイレから戻って来たらしい。
「ほら、カズオ、こっちに来て」
母親の呼びかけに反応して、焦点の合っていない目をこちらに向けてくる。
顔全体は弛緩しているのに、目だけが吊り上がっている。その表情を見ただけで、彼が悪魔に憑依されているのはすぐに分かった。
彼が木製の椅子に座ると、体重で軋む音が鳴り響く。元々はスポーツマンだった彼はがっしりとした身体付きだったのだろうが、カップ麺やポテトチップスなどのジャンクフードを片っ端から食べていたらしく、脂肪が外側から付いてしまっているのが見て取れた。過剰に食べ物を貪り食うのも、憑依者にありがちな行動ではある。
「…………」
タカナガカズオ君はこちらを睨み、押し黙ったまま動かなかった。そのぎょろりとした目付きからは、明らかに殺意のこもった邪念が伝わってくる。こちらのことを敵として認識しているようだった。血走った双眸がこちらを捉えて離さない。怒りと怯えが入り混じったような微妙な表情。
彼の身体全体からは、悪魔特有の瘴気が放たれていた。感受性の鋭い人なら、近くにいただけで体調や精神のバランスを崩していただろう。邪気を食らった動物が何の前触れもなく、突然死してしまったこともあった。
彼から少し離れた位置には、黒い靄のようなものが見えた。加藤は瞬間的にそれが自分と「同族」であることを理解した。どうやらタカナガカズオ君を介してこちらを観察しているようだった。
悪魔祓い師として活動している自分に対して、警告を発する役割もあるのかもしれない。静かに佇む姿はどこか貫禄さえ感じさせる。
1974年に公開された悪魔映画の金字塔『エクソシスト』では、悪魔に憑りつかれた少女リーガンが下品な言葉で神父を罵倒していたが、ああいったことをするのは低級な存在であり、実は高レベルな悪魔であるほど、紳士的な傾向があるのだ。
両者共にしばらく睨み合いが続いたが、先手を切ったのは加藤だった。
────ここからいなくなれ。
そう念じると、悪魔は離れていった。
今回、祓う際に初めて体感を伴っていた。やはり悪魔本体の負のエネルギーは強烈なのだ。
その瞬間、タカナガカズオ君の表情は憑き物が落ちたかのように、穏やかなものへと変わっていたのだ。
蒼白だった彼の頬には赤みが差しており、目には光が戻っていた。
その様子に母親が驚いた言葉を上げた。
「えっ、これで終わったんですか……?」
「もちろんです、悪魔は去っていきましたよ」
時間で言えば、ほんの5秒も掛からなかっただろう。母親は信じられないといった表情をしていた。
「母さん、僕は……今まで……何をしていたんだっけ……?」
自我を取り戻したタカナガカズオ君は不思議そうに、周囲を見回していた。
「ありがとうございます……! ありがとうございます……!」
2年間の憑依状態から解放された彼に、母親はとびっきりの笑顔を浮かべていた。
その姿を見ているとホッとしていた。依頼人が喜んでいる姿を見るのが、加藤にとっては最大の喜びだったのだ。
*
17時丁度、無事に講演会が終了していた。
本当はもっと話したいことが沢山あったのだが、時間の都合上、広瀬からのストップが入ったのだ。
2時間ほどの短い講演会だったが、悪魔、憑依現象が、日常にあり、あなたのすぐ横にいて、常に隙を狙っているということが、どれだけ伝わったのだろうか。
迫りくる大震災のために、食糧品の備蓄だけでもしてくれたら良いのにと思う。
日常に戻った後も、普段の生活に流されることなく、すこしでも役立ててくれたらなと願っていた。正常性バイアスにより、人間には今のままが続くと思い込む性質があり、先を観て動いている者などはほとんどいないのだ。
加藤はエレベーターの中でため息をついていた。
「あの会場の中にも、憑依されている人がいたよね、しかも二人も」
その言葉に広瀬が頷いていた。
「表情を見た瞬間に分かりましたよ。かなり状態悪そうでしたよね、綺麗な顔立ちの子だったのに」
「あの調子だと、祓いの依頼にまでは繋がらなさそうだね。残念ながら……」
会場を出てから、駅前に向かって歩いていく、あれも話せなかった、あの話が中途半端だったと、反省点が次から次へと出て来る。毎回、褒められることと言えば、全力を出し切ったことだけで、結果に満足したことは一度も無いのだ。
太陽の周りを縁取るように、虹の輪っかが出来上がっているのだ。「綺麗だなあ」という声が上がった。参加者の皆は空を見上げながら、その美しさに見惚れているようだった。
「スピ好きにはたまらないですよね」
広瀬が呟いていた。
きっとこれも偶然ではないのだろう。
もしかしたら、天が見守ってくれているのかもしれない。
参加者達が、仲良く虹を眺めているのを見ていると、「愛おしい」という想いが込み上げてきていた。
*
そして、その日の夜、facebookのコミュニティにて、UFOが見えるとの報告が相次いでいたのだ。
画像の下には「UFOが見えるようになって嬉しいです!」というコメントが付いていた。
おそらく、古参の生徒達が新しく入ってきた参加者に教えてくれたのもあるのだろう
加藤と接したことのある人間は、星の代わりに、UFOが見えるようになる。自分の場には、普通に見えるはずの星は一切存在しない。
2018年当時はUFOと呼んでいたのだが、今ではそれを『璽』と名付けていた。
成長を決めた人のもとには『璽』が現れる。
その昔、まったく成長する気も無いし、その素質が無い者には、雲が覆い隠してしまい、見ることが出来なかったこともあったのだ。『璽』が見れるかどうかは、まさに、異次元からのジャッジであるとも言えた。
『璽』は、線香花火のようにパチパチと発光し、わずかに揺れ動いているのが確認できる。
しかもアップされた動画を見ていると、真夏であるにも関わらず、冬場にしか現れないはずのオリオン座として見えているのだ。
オリオン座は、一般的には、ベテルギウスやリゲルなどの一等星が手や足を表し、横に並ぶ3つの星がベルトを表現しているとされている。
しかし、点と点を線で結んだ、その全体的なシルエットは人間というよりも、太鼓、あるいは砂時計のように見えていた。どちらも時を知らせるのに使われる道具。これが意味することは、もう後戻りは出来ないということ。そして、世界の終末が近づいて来ているということなのだろう。
急激な株価暴落。押し寄せる不景気の波。そして日本全域を襲う大震災。人口削減計画。戦争。徴兵。飢饉・疫病……。世界情勢は刻一刻と悪化しており、既存の社会が崩壊するまでのタイムリミットはもう目前だった。
コメント欄を眺めていると、初めて目の当たりにしたUFO満天の夜空に大興奮しているようだった。あるいは、帰り際の車のナンバープレートが「358」「88」「777」など、縁起の良い数字が揃っているという報告もあった。
なんにせよ、講演会を通して場を共有することによって、違う次元に誘うことが出来たのだろう。
これでまた、新たに多くの人間を救うことが出来たのかも知れない。
せっかくの御縁なのだから大切にして欲しい。
こんな世界から救われる唯一の方法は、自分を介して、別の次元に逃げ込むことだけなのだ。
そのために大切なことは、自分のこと以上に、他者を想いやれること。
だからこそ、全財産をつぎ込んで『どうぶつのおうち』という、『神の家』を創り出したことを振り返っていた。