第200話 引導
「ぐっ」
ユーリ・クロイスの拳をまともに受けたファルラーダは、地に足をつけたまま引き摺るように、ズサァァァ! と、大きく後退した。
「ごふっ!」
「ファルラーダさん!?」
立つこともままならないのか、千術姫は膝を屈して大きく吐血。ユーリは、慌てて駆け寄って介抱しようとするも、来るなと手で制される。
殺すとか殺さないとか、何も考えず全力をぶつけてしまったユーリは、今更ながらファルラーダでなければ、死んでいた事実を思い知る。
「私の事はいい……お前はさっさとミアリーゼ様のところへ行け」
ファルラーダは、極短時間の間に呼吸を整え、徐に立ち上がりそう告げた。
「ファルラーダさんは……」
重症を負った千術姫だが、戦意は微塵も衰えてはいない。今まさに戦場へ向かわんとする彼女は、誰と戦おうとしているのか?
「安心しろ、お前たちには手は出さん。とはいえ、お前がミアリーゼ様を説得するまでの間だけだがな。
だからその間にテスタロッサ……は流石にマズいか。この状況で茶々入れようとするテロリストの相手でもしているさ」
つまりファルラーダは優先順位を変えて、何処かしらに潜伏して様子を見ているであろう革命軍の排除に移るということか。
ナイル・アーネストやグレンファルト・レーベンフォルンは種族連合と統合軍を潰し合わせる事を目的としているわけだから、自然とそうなる。
ユーリがミアリーゼの説得に失敗すればそれまで。都市アージアは撃たれ、先程放った想いや覚悟は全て無意に帰す。
ファルラーダは、完全に仲間になったわけではなく、あくまで機会を設けるだけに留めた。
「だからほら、分かったらさっさと行け」
しっしっ、と手を振りながら促す千術姫へ、ユーリは鷹揚に「はい!」と、頷いた。
本当は、話したいことやお礼など言いたい事が沢山あったが、全てはこの戦いが終わった後だ。
「魔術武装・展開――空鱏」
ファルラーダは、愛用の航空制圧用の魔術武装を展開し上部に飛び乗る。
自分で言うのもの何だが、あの一撃を受けて何で普通に動いていられるんだ? と、千術姫の恐ろしさに戦慄してしまう。
とはいえ深刻なダメージは負っているようで、額に脂汗を浮かべながら腹部で手を抑えている。
自分で与えた傷故に正直心配の気持ちでいっぱいだが、今は優先すべき事がある。意識を切り替えてユーリは、エレミヤのいる市庁舎目掛けて駆け抜けていった。
◇
その頃、シャーレ・クロイスと融合型魔術武装――殺戮怪魔の激闘を繰り広げている様子を、ヒナミ・クロイスとアイリ・クロイス、シオンの三名が固唾を呑んで見守っていた。
どちらが優勢か素人目には分からず、凡庸な表現で凄いとしか言い様がない。けれど、何となくだがお互いに決定打に欠けるんじゃないかと思ってしまう。
ほんの一瞬だが、シャーレの表情に焦燥感が浮かんでいるように見えたのだ。
「どうしようアイリちゃん、ヒナたちも援護した方がいいかな?」
ヒナミもアイリと同じ事を感じたらしく、拙い銃を握る手に力を込めて問いかけてくるも。
「ううん、今のウチらが出張っても、あいつの邪魔になるだけだ。シオンちゃんもごめん、逃げろって言われたのに立ち止まって……」
「アイリおねーちゃん……」
シオンもまた、過去の失敗からアイリの想いが痛い程理解できた。
「理屈では分かってる。だけど、もしこのまま逃げたらウチは一生シャーレやお兄たちに顔向けできない、この戦いだけは見届けてさせてほしい」
「うん、そうだねアイリちゃん」
この双子もまた、無知から殻を破って成長しようとしている。今はまだ足下の覚束ない雛鳥のままだが、この戦いに生き残れたなら大きな変化を齎す事だろう。
そして――。
「『ぐぅっ!?』」
シャーレとベルナーデ。互いに大振りの一撃を放ち、衝撃で仰け反り、再び距離が開く。
『チッ、どんだけしぶてぇんだ、この嬢ちゃんは』
「ハァハァ……」
戦闘開始から今に至るまで、シャーレとベルナーデの攻防は優に百を超えている。
これまで不死故に気遣わなかった敵の攻撃に当たってはいけないという状況に慣れず、シャーレの精神的疲労は計り知れないものとなっている。
『これ以上、時間はかけられねぇか。魔力ケチるとこっちがやられちまう。仕方ねぇ、アレを使うか』
ベルナーデの方も、シャーレを突破できず、剛を煮やしたようで雰囲気に僅かな変化を齎す。その空気をいの一番に感じ取ったアイリが叫ぶ。
「――気をつけろシャーレ! そいつは、透明になって姿を消す事ができるんだ!!」
「!?」
アイリから発せられた内容に、シャーレは驚愕と共に警戒を強めていき。
『械法・光学迷彩』
ビィィィィイイッ! と、高周波音を奏でながら、ベルナーデの姿が空気に溶け込むように消えていく。
「させませんッ」
シャーレは、ベルナーデの姿が完全に消える前に踏み込み、瞬時に距離を詰めて血刎大魔鎌を大きく振り回した。
鋭い死神の刃が、空気を切り裂く音が響き渡るが、虚しく空を斬るだけに終わった。
「一体どこに……」
視界だけでなく、気配すらも感じ取れず、不気味な静寂が広がった。シャーレは全神経を研ぎ澄まし、ベルナーデの奇襲を警戒する。
シャーレの緊張した呼吸音と離れた位置で心配気にこちらを見守るヒナミとアイリ、そしてシオンの息遣いが静寂を破る唯一の音となった。
彼女の瞳が素早く周囲を見渡し、僅かな動きも見逃すまいと警戒を強めている。
(これでは埒が空きませんね。こうなったら無窮血鎖棺を全域に展開してベルナーデの行動範囲を――)
刹那、背後から微かな空気の乱れを感じ取ったシャーレは、咄嗟に身を屈めた。
「ッ!?」
かろうじて避けたその瞬間、ベルナーデの高周波魔力ブレードが、彼女の長髪を掠める。
『おいおい、今のは完全に殺っただろうが! 腐っても元グランドクロスってわけかい、どんな反応速度してんだ、ったくよぉ、あははははは!!』
いつの間にか姿を晒していたベルナーデの不気味な笑い声が、空間に響き渡る。シャーレは顔を顰めながらも、冷静さを失わない。
「無窮血鎖棺!」
彼女の号令と共に、無数の鎖が四方八方に飛び出す。鎖は、空間を縫うように蛇行し、ベルナーデを捕らえようと蠢く。
『あらよっと!』
しかし、ベルナーデはその場で跳躍し、両手足から展開されたブレードで難なく鎖を斬り裂いてしまう。
まるで演舞のような独特な動きに対して、シャーレもまた、トップスピードで跳躍し、大鎌を振り下ろした。
ガキンッ! と、互いの刃が鍔迫り合い、火花を散らす。
「く、血刎大魔鎌の刃を、こうも簡単に受け止めるなんて」
驚異的な切断力を誇る自慢の血刎大魔鎌を執拗にぶつけているのに斬り裂けない。
無窮血鎖棺の鎖を野菜のように簡単に切断してのけたことから、ベルナーデの扱う刃も、同種の特性を持っているのだろう。
『お嬢ちゃんのそれ、白衣の嬢ちゃんが造ったやつだろ? 同じ制作者の武器が、この俺に通用するわけねぇだろうが!』
拮抗していた両者の力が唐突に崩れていく。殺戮怪魔の背面にある昆虫のような二枚羽根が展開され、華麗にシャーレの刃を受け流したのだ。
先程までとは明らかに動きが違う。これが、奴の本気。
「!?」
力任せに押し込んでいたシャーレは、空中で無防備を晒す。当たり前だが、彼女は重力に従い落下するしかない。
対するベルナーデは、昆虫のような二枚羽根を華麗に操り、くるりと旋回し、シャーレの背中目掛けて回し蹴りを放った。
「ぐぅッ!?」
ベルナーデの脚部の先端にも、当然高周波魔力ブレードは存在する。
背中をバッサリと抉られ、激しく飛び散る鮮血に顔を顰めながら、自らもまた身体を捻転させ、反撃の一撃を繰り出すべく、血刎大魔鎌を振り回す。
遠心力を利用して振り回した血刎大魔鎌は、見事に殺戮怪魔の右脚を切断してのけた。
『何だと!?』
向こうもあの体勢から反撃してくるとは思わなかったのか、動揺が声に現れており。
『チッ、――械法・光学迷彩』
ベルナーデは、再び空間に溶け込んで消えて、一時離脱していく。シャーレは、そのまま重力に従って背中から地上に叩きつけられた。
「がはっ」
受け身すら取れず、背中から伝わる鈍い痛みと、切り裂かれた傷からの鋭い痛みが全身を襲う。
「シャーレおねーちゃん!」「シャーレちゃん!」「シャーレ!」
シオンとヒナミとアイリの悲痛な叫び声が響く中、シャーレは必死に立ち上がろうとする。しかし、背中の傷が深く、動くたびに激痛が走る。
「くッ……」
歯を食いしばりながら、何とか膝をつくまでに至ったシャーレだが、その姿は痛々しいものだった。
鮮血が地面に滴り、彼女の白い肌を朱く染めていく。一撃を与えたはいいが、こちらも手痛い負傷を負ってしまった。
向こうは片足を失ったとはいえ、背面部の羽根によって空中を自在に移動することができるのだ。
(血霊液があれば、こんな傷すぐに……)
シャーレの力の核となっていた血霊液はもう存在しない。
もし使えていれば、あの程度の融合型魔術武装など簡単に勝利する事ができただろうに――。
(以前はあれだけ疎ましいと思っていた神遺秘装を、今更になって……)
シャーレは、今無性に力を欲している。都合よく血霊液が復活することはないとは分かっていても、願わずにはいられない。
(駄目……血が、足りない)
ヴァンパイヤの遺伝子を受け継ぐシャーレにとって、血を失うことは致命的だ。
幸いなのは、殺戮怪魔に遠距離武器が搭載されていないこと。攻撃する際は実体化する必要があり、そこに付け込む隙がある。
(とはいえこれでは……どうして、魔力が思うように流れないんですか)
これは疲労の蓄積による結果だ。日々皆のために寝る間も惜しんで時間を費やしてきたシャーレは、ここにきて限界がきてしまった。
魔力がコントロールできず、止血がうまくいかない。
そのせいで、無窮血鎖棺の機能が停止し、蠢く鎖が諸共地に落ちる。身体能力も衰え、血刎大魔鎌の重量に耐えきれず、ガクリと膝が折れる。
『終わりだぁッ!!』
限界に達したシャーレが生み出した致命的な隙を逃さず、空気の震えと共に姿を現すベルナーデは、必勝を謳い刃を滑らす。
(兄、さん……)
己の首を斬り落とそうとする、刃の動きが緩慢に見えるのは、死を間近にした者特有の現象だろうか?
最愛の兄、ユーリ・クロイスとの日々が走馬灯のように浮かぶ。
あのファルラーダ・イル・クリスフォラスと戦っている兄に加勢することもできず、己は何をやっているのか?
「きゃあッ!?」
痛い、心と身体がどうしようもなく痛い。何故か刃を見つめていた筈の視界が暗転し、身体が地面に叩きつけられたような衝撃が奔った――ってあれ?
『ガハッ!?!?』
なんだか、予想していた感覚と違うような? 身体全身が痛むが、シャーレはまだ生きている。
そうか、奴は女性を痛ぶることに悦を見出す外道だった。シャーレのことを嬲り殺しにして、恐怖を刻みつけようという腹か。
それにしては追撃が来ない。というか先程ベルナーデが苦悶の声を上げていたような……気の所為だろうか?
「――おい、いつまで寝てんだ貴様は」
「……あ、え?」
パッチリと意識が覚醒し、飛び起きたシャーレは、あり得ざる声が響いた方向へ顔を向ける。
「仮にも元グランドクロスなら、そんな無様な姿晒してんじゃねぇぞ!」
「……は?」
これは、夢だろうか? ここにいる筈のない人物の姿が視界に映っている。
加えて、何故かベルナーデが地に伏しており、その周りに荘厳なる破壊の痕が刻まれていた。
その破壊の上に立つ、ダークスーツを着用した長身の麗人、その見目麗しい姿を見間違えよう筈はない。
「クリス、フォラス……卿?」
グランドクロス=ファルラーダ・イル・クリスフォラス。息を荒げ、血反吐を吐きながらも、衰えることはない憤怒の魔力は、間違いなく彼女のものだ。
状況を理解できず、あんぐりと惚けるシャーレへ、ファルラーダは憮然と告げる。
「あそこにいる小娘たちのために戦っていたのか? どうやら本当に、私の知る屑とは違うらしいな」
「えーと……???」
駄目だ、訳が分からない。終始混乱するシャーレを他所に、ファルラーダは最優先目標であるベルナーデ=マークス・ガレリアンへ視線を向け。
「よう、久しぶりだなクソ野郎。私は、貴様に用があったんだよ」
手負の状態でありながら、殺意と憤怒の念は計り知れない。あの様子を見るに、シャーレの預かり知らない所で、ベルナーデと因縁があったようだ。
『テ、テメェッ、一度ならず二度までも、この俺に不意打ちくれやがってッ……』
ファルラーダの一撃を受けた筈のベルナーデは辛うじて生きており、無様に路面に這い蹲っている。あの様子では、戦闘続行は不可能だろう。
「魔術武装・展開――千術魔銃」
ファルラーダは、徹頭徹尾容赦無く葬り去るために、ベルナーデへ銃口を突きつける。
「喜べ愚物、一度ならず二度までもミアリーゼ様を危険に晒した貴様に、この私自らが引導を渡してやる」
いくら融合型といえど、|千術魔銃《サウザンドライフルをまともに浴びれば死んでしまう。逃れられない死の運命を目の当たりにした、ベルナーデは。
『お、おい嘘だろ……や、やめろ、そんなもん撃ったら死んじまうだろうが! 頼む、見逃してくれ! 俺はまだ、死にたくねーんだ!!』
他者を陥れる事を悦とする快楽殺戮者の最期の言葉が命乞いとは。
「ユーリの後だと余計無様に見えるな。漢さしらの欠片もねぇ、散る間際でこれとは……もういい、そのまま惨めに這いつくばって死ぬのが貴様にお似合いの末路だ!」
『止めろ、ふざけんな、こんなところで俺が……この俺がぁぁああああッーーーー!!!』
惨めな抵抗も虚しく、テロリスト――マークス・ガレリアン=ベルナーデは、千の魔弾の餌食となった。