第199話 示される正義と想い
幾度となく吹き飛ばされても立ち上がり、果敢に向かってくるユーリ・クロイスを相手に、苛烈に、容赦なく暴力の嵐をぶち込んでいくファルラーダ・イル・クリスフォラス。
二人の戦いは白熱し、徒手格闘しているだけにも関わらず、周囲の建物は崩れ、瓦礫が辺り一面に散乱している。
まさしく、暴力だけが織りなす戦場だ。
そこに余人が介在する余地はなく、人工的に遺伝子改良されて生み出された最高の魔造神と、偶発的に無限の魔力を持って生まれた最強の千術姫だけの破壊が周囲に刻まれており。
「がはッ」
ユーリの鳩尾にめり込む拳は、僅かにだが感触に違和感を覚えさせる。とはいえダメージを与えているのは確実で、後は彼の心が折れるかどうかの問題。
衝撃で吹き飛び、無様に倒れ伏すも、追撃の隙を与える間もなく体勢を立て直して攻めてくる。
「まだだ!!」
ユーリの闘志は、戦闘開始前と比べて際限なく上昇していくばかり。
一発受ける度に経験値として蓄積させ、ユーリは力に変えている。
ほんの少しずつ――打ち合う度に着実に一歩成長し、以前までの彼自身を超えてくる。その諦めの悪さ、心意気に胸が熱くなるのはどうしてだろうか?
「はは!」
まただ。前回の戦闘同様、気分が高揚して笑みが溢れてくる。ファルラーダ自身の心の奥底に懐く欲望――全力を尽くしても尚、受け止めてほしいという願いが蓋から溢れ出しているのだ。
本当ならば、速やかに都市アージアを堕とし、主たるミアリーゼ・レーベンフォルンに勝利を齎さなければいけない筈なのに。
ユーリの想いが、全力をぶつけて向かってくる彼から目が離せないのだ。
「ぐぅッ」
劣勢に立たされているが、ユーリ・クロイスは強い。打てば響くように彼は応えてくれる。ミリ単位だが、力の差が埋められていくのを感じる。
いいぞ、もっとだ、諦めない不屈の闘志と、純粋な心を持つこいつと憂いなくぶつかり合いたい。
「気付いてるか、ユーリ・クロイス? 貴様、さっきから無意識で魔法を使っているぞ」
「!?」
ファルラーダの拳が、ユーリに接触する寸前に、水魔法が発生し勢いを殺している。
彼の拳からは炎や風が、足元には雷が迸っており、人間にはあり得ない、魔術武装無しでの魔法を再現していたのだ。
「いや、正確には貴様の魔術武装の力によるものか。物質だけに捉われず、概念すらも具象化するとは、大層な能力だな」
ユーリは今気づいたのか、驚きに満ちて自身に起きた事象を確認している。が、残念ながらその行為は隙だらけなので容赦なく頬に剛拳を浴びせかける。
「がはっ!?」
歯が圧し折れ、宙を舞っていくのを横目に、ユーリの身体は綺麗にすっ飛んで瓦礫の山へと吹き飛ばされていく。
「だが、所詮はその程度だ。生半可な魔法が私に通用するものかよ」
並みの魔法でファルラーダを突破することは不可能だ。無限の魔力によって彼女の身体強化スキルは、鎧以上に頑強な肉体を構築している。
だからといって受けてやる義理はないので、躱したり防いだりしているのだが、現状ユーリはファルラーダに傷一つ負わせることができていない。
戦闘開始から僅か数分でこの有様では先が思い遣られる。
ナイル・アーネストや四精霊、同じグランドクロスであるグレンファルト・レーベンフォルンを相手にするには足りなさすぎる。
(いや、そもそもそんな事考えず、こいつを殺せばいい。なのに私は……)
ユーリ・クロイスと接敵して以降、どうにも感情を持て余す。
ダニエル・ゴーンの死と、今のミアリーゼ・レーベンフォルンの状態諸々含めた何かが、自身の内に燻っている。
ミアリーゼに忠を誓い、憂う事なく敵を殲滅すればいい筈なのに、何かがしっくりこない。
「ぜぇぜぇ……ゲホッ、うぅ」
今にも死に体で、ふらふらでボロボロになりながら、瓦礫から這い出てくるユーリ。
やはり、その心はまだ折れてはいない。それを知る度に、心の奥底が疼く。
「…………」
不可解さを感じながら、噯にも出さず無言でユーリを見据える。
「ファル、ラーダ……さんの目に、俺は……どう映ってますか?」
「……知るかよ」
突然の問いに僅かに思考を巡らせるも、答えが出ない。
というより、ユーリ・クロイスと交流したことは皆無で、後先考えずに周りを巻き込んで目標に突き進む愚物としか認識していない。
(いや、そのまんまじゃねぇか)
知らないと言っておきながら、意外とユーリの本質を理解していた己に内心でツッコミを入れつつも、次の言葉を待つ。
理由は、ユーリがこの状況で時間稼ぎなど無意味な行動をする筈がないと思っているから。
これは、ある種の信頼とも呼べるのだが、ファルラーダ自身まだ気付いていない。
ユーリは息を整え、負けじとファルラーダと視線を突き合わせて言う。
「案外、自分のことって見えてるようで、見えてないんです。
ずっとそこにあったのに、自分で遠ざけて気付かない事を気付かせないように心の奥底に閉じ込めて……ようやく気付いたと思ったら、全部が手遅れで――」
抽象的な物言いだが、何となく分かるような気がする。
「俺にとってミアリーゼ様は、人生の全てを捧げたいって思える程に大切な人で……勝手に理想を押し付けて、遠ざけて、あの人の想いを無碍にして、裏切ってッ――前の戦いで散々ファルラーダさんのことを間違っているって糾弾しておいて、結局間違ってたのは全部俺で……」
「だからなんだ? 貴様は、今更ミアリーゼ様の軍門に下って、エレミヤを……異種族共の想いを裏切ると?」
そんな真似をするのなら、ファルラーダは全霊を賭してユーリ・クロイスをぶち殺す。
「俺は、ファルラーダさんに勝ちますよ。お互い、似たような悩みを抱えてると思ったから……」
「…………」
応えは、千術姫の予想のどれとも違い……だからこそ隙だらけのユーリに打ち込めない。
柄にもなく動揺しているのが伝わる。こいつには、ファルラーダ自身の理解が及ばない内面を見抜いている。
「今なら分かる。俺の弱くて惨めな部分も、全部含めて俺なんだって」
ユーリは、内に宿る弱さを切り捨てず、否定せずに受け入れた。そうか、それこそが奴の……。
「それを認めてきちんと前を向いていくことが、俺の正義です」
彼が示す正義は、ただ当たり前に……殆どの者たちが理解しているもの。だけど、誰もが気付けず無意識下で遠ざけてしまうもので。
「"お前"、は……」
この時、ファルラーダの中でユーリ・クロイスという存在の価値が大きく変わった。
敵や愚物と判断した相手に対しては"貴様"、子供や身内に対しては"テメェ"、内心で価値のある存在、もしくは対等な相手に対して使う時の二人称が"お前"と、彼女は呼んでいる。
意識しているわけではない。これもまた無意識で相手の価値を決めつけて呼んでいる呼称にすぎない。
「初めて会った時に、ミアリーゼ様が俺に教えてくれた大切な言葉の魔法……。どうして忘れていたんだろう、いつの間に無くしちゃってたんだ」
身体の痛みよりも胸の奥の痛みの方が強いのか、ギュッとシャツを掴むユーリは。
「ファルラーダさん、改めて俺の目指す想いを聞いてください」
ここまで来て、聞かないという選択肢はファルラーダの中にはない。今も尚、遠方から爆撃音が轟く中で、ユーリ・クロイスは真摯に想いを告げる。
「俺は、異種族との共存共栄を成し遂げたいわけじゃなくて……皆と、一緒に目指していきたいんです!」
それは、ファルラーダの願う正道とはかけ離れていて――それでも心に響いて胸の内を解かしていく。彼女は自問する。
ミアリーゼ・レーベンフォルンの矜持そのものといえる想いを、今の彼女は持っているのか? その純粋さを穢したのは誰だ? 甘さだと切り捨て、別の理を挟んで歪ませたのは誰だ?
自分自身の弱さを受け入れて、再び前を向こうとしているこの男は悪か? 敵か? いいや、違う。
何よりも、一番愚物でどうしようもないのは、本音を殺して正道を宣う己自身だったのだと理解して。
「そうか……」
彼らの甘くて純粋な夢は、いつかの誰かの胸に響くかもしれない。今ファルラーダが自身のどうしようもない愚かさに気付いたように。
「シャーレが寝返るわけだ……」
異種族やシャーレが、ユーリに味方する意味がようやく理解できた。何というか気の抜ける、それでも放って置けないと思わされた時点で、ファルラーダは。
「ユーリ・クロイス、私はお前を認める。けど、それだけだ。幾ら想いに訴えかけても、その体たらくでは話にならん。
言っておくが、御前――魔術機仕掛けの神様には通用しねぇ。
あの御方は、全異種族を滅ぼすまで止まらん。ナイルやグレンファルトも同様に、あの愚物共以下のお前たちでは、成す術なく蹂躙されるだけだ」
「はい」
「優しさや純粋さだけじゃ、足りねぇ。それを維持するための強さが重要だと私は考えている。だから今からお前を本気でぶち殺す。
お前が本気でミアリーゼ様の心を射止めたいのなら、真に漢を見せて私に負けを認めさせてみろ!」
セリナ・クロイスに返せなかった借りを、今ここで返そう。己は、ユーリという剣を研ぐための砥石になる。それがユーリの成長へと繋がるのなら、喜んで礎となろう。
そして、ユーリ・クロイスは――。
「はい!」
千術姫の激励を受け、内に秘めたる闘志が燃え盛っていく。
ダニエル・ゴーンが慕う圧倒的な強さを持つファルラーダ・イル・クリスフォラスだが、ユーリにとっても師のような存在に思えてくる。
この人は、厳しい現実を教えてくれる。故郷が危険に晒されている中でも、ユーリの心に憂いはない。仲間がいる、自分だけで背負い込まず、己の果たすべき務めを果たす。
散々甘ったれた環境で過ごしてきた己が乗り越えるべき最大の壁。ユーリに負けず劣らずのお人好しで、応えてくれた彼女に報いたい。
(ファルラーダさんに指摘してもらうまで気付かなかったけど、俺は無意識で魔法すらも再現できた)
単に暴風籠手を再現するのが億劫になっただけだが、それでも自身の変幻機装の新たな可能性を見出せたのは大きい。
これまであまり自分自身の魔術武装に目を向けてこなかったが、ひょっとすると解除もできない正体不明の変幻機装こそが、神の因子とやらの正体なのではないか? だとするなら――。
(闇雲に突っ込んでも、ファルラーダさんには勝てない。
だから俺自身の強みを理解しろ! そこから導き出せる答えを示せ!)
全部の魔力を消費する必要はない。ユーリが出せる最大放出量を高密度に織り込み、右拳に一点集中させていく。
「炎法、水法、嵐法、土法、氷法、雷法――」
拳から炎が生み出され、水、風、土、更に派生して氷、雷の色彩を上から順に塗り固めていく。
ありとあらゆる全ての属性を複合させた影響で、魔力の色が果ての見えない宇宙を思わせる黎へと変化していた。
(これが、俺の全部……俺が歩んだ道の結晶だ)
軍の訓練から始まり、アリカとの特訓、四大魔弾による属性複合、シャーレに教わった魔力操作技術、過去の経験全部を乗せて最強のグランドクロスへぶつける。
「いきます!」
最早、魔法とすら呼べない概念と化した黎の魔力を拳に収束させ、起死回生の一手に打って出たユーリ・クロイス。
踏み込む一歩が、黎の魔力の影響で爆ぜる。その衝撃を利用して、ファルラーダ目掛けて真っ直ぐに突っ込んでいく。
「来い!」
真っ直ぐに突貫してくるユーリに対して、ファルラーダは右腕を前に突き出して、高らかに告げる。
「魔術武装・展開――重盾鉄鋼!!」
千術姫が展開した魔術武装は、忘れもしない――あのダニエル・ゴーンが愛用していた重盾鉄鋼だった。
全長二メートルを超える機械仕掛けの大楯は、ファルラーダの魔力によって、過去最高の防御性能を誇っている。
これを突破しなければ、ユーリ・クロイスに勝利はない。ミアリーゼ・レーベンフォルンともう一度向き合うためにも、絶対に負けるわけにはいかないのだ。
「うおぉぉぉォォォォォッッーーーーー!!!」
咆哮が爆ぜ、空間を震撼させながらユーリの拳が、ファルラーダの重盾鉄鋼へ叩きつけられる。
黎の魔力と無限の魔力の衝突に、世界そのものを引き裂かんばかりの衝撃波が広がっていく。
周囲の爆撃音に負けない轟音を轟かせ、両者の周囲には無明な大地が浮き上がっている。
「ぐっ、うぅッッッ」
ファルラーダの全霊を込めた魔力を突破すべく、ギリギリと捩じ切るように力を加えていくも、不動の大盾を貫くには至らない。
「まだだ!!」
諦めない、屈しない、挫けてたまるか。これは、ユーリにとって大一番の勝負。
脳裏に過ぎる、今も戦っている仲間たちや、散っていった皆の想いも全部乗っけて注ぎ込む。
「俺の想いは、ファルラーダさんにだって負けない!! みんなを守る、そのための力だ!!」
そして――。
バキリッ! と、重盾鉄鋼から微かな亀裂が奔り込む。
その亀裂から漏れ出す光は、暗闇に閉ざされた世界に差し込む曙光を思わせるもので。
「!?」
ファルラーダ・イル・クリスフォラスが解き放った絶対防御の盾――重盾鉄鋼が砕け散り、微粒子となって宙を舞う。
機械仕掛けの大楯を見事に打ち破ったユーリの視界の先には、驚愕に立ち尽くした千術姫の姿があって。
「ファルラーダさん!!」
最早、彼女にユーリの拳を防ぐ手段はない。グランドクロスの本気を超えたユーリは、胸に秘めた想いを打ち明ける。
「俺たちの目指す夢は、子供の絵空事で、我儘で、足元が疎かです!
だから、その弱さに強さをください! お願いします、俺と一緒に戦ってください!!!」
誠心誠意込めた本音を、言葉と共に拳に込めてファルラーダへぶつける。
彼女が拒否の意を示したならば、きっとこの拳は躱されるだろう。だけどもし、一緒に戦ってくれるのなら――。
「あぁ(ボソッ)」
小さく、だけど確かで力強いファルラーダの言葉はハッキリとユーリの耳に届いた。
黎の拳は、見事に千術姫を打ち抜き、ユーリ・クロイスを勝利に導いたのだった。